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  • ヱホバの異常な業の警告
    ものみの塔 1959 | 6月15日
    • 21,22 (イ)ユダヤ人たちは,イエスの弟子たちの述べた警告をどのように取り扱いましたか。神は彼らの音信をどのように後押ししましたか。(ロ)神からのこの奇跡的な後押しは,誰に対するしるしでしたか。

      21 これらのユダヤ人にとつては,メシヤのイエス・キリストとその忠実な弟子たちは,理解できない外国語を語つている者のようでした。ユダヤ人たちは,その警告に耳を閉じました。イエスが(西暦)33年に死んでからの後の年月中,弟子たちはユダヤ人に来る神の報復の日について伝道しつづけました。その音信にいつそうの力をつけ加えるため,神はそれらの初期の弟子たちに異言を語るという奇跡的な贈物を与えたのです。このことの目的については,使徒パウロが次のように説明しています。

      22 『(キリストにある)兄弟たちよ。理解の力では,子供となつてはいけない。悪については幼な子となるのは良いが,理解の力では,おとなとなりなさい。律法(イザヤ書 28章11節)にこう書いてある,「私は異国の舌と異国のくちびるとで,この民(イスラエル)に語るが,それでも,彼らは私に耳を傾けない,とヱホバが仰せになる。」それで異言は信者(クリスチャン)のためでなく,不信者のためのしるしである。』(コリント前 14:20-22,新世)つまり,異言はキリスト前607年にバビロンに移されたユダヤ人のごとき不信者に対するしるしでした。それらのユダヤ人たちは,バビロンでバビロン人の言葉を聞き,イザヤが真実を語つたこと,およびヱホバの真の予言者であることを信じたのです。

      23 パウロはイザヤの預言の適用を将来のものにしている故,それはいつ完全で最終的な成就をしますか。音信を『異つた』ものにするため,奇跡的な異言の賜物は,必要ではありませんか。

      23 このように使徒パウロは,イザヤの預言の成就をクリスチャン時代に適用しました。ユダヤ人の残れる者がバビロンでの長い捕われから戻つて,エルサレムの最初の荒廃が終つた後でも,イザヤの預言は適用を中止しませんでした。同じく,エルサレムが西暦70年にローマ人によつて滅ぼされた後でも,イザヤの預言は適用を中止しなかつたのです。その時生き残つたユダヤ人たちは,異邦人のすべての国々に捕われて行きました。ユダヤ人の言葉を語るクリスチャンたちは,彼らに話しをせず,異邦人たちが彼らに話しをしたのです。異邦人の言葉は,ユダヤ人の言葉を語らず外国の言葉を語るのでどもりの言葉のように思えました。それでイザヤの預言は,1914年以来の私たちの時代に完全で最終的な適用がなされます。ヱホバは19世紀前の五旬節<ペンテコスト>の日には異言の賜物をクリスチャン証者に与えましたが,現在はそのようなものを用いて語りません。異言のごとき奇跡的な賜物は,ユダヤ教やキリスト教国からの不信者たちを説得するために,今日必要ではありません。イザヤからの私たちの音信は,『異つたもの』と言われるために外国語である必要はないのです。

      24 エルサレムのようにキリスト教国は何に面していますか。キリスト教国は,その注意をうながされたにもかかわらず,どんな休息の場所を無視しましたか。

      24 使徒時代のエルサレムの場合と同じく,この世の『終りの時』におけるキリスト教国も同様です。キリスト教国は,ハルマゲドンでヱホバの大いなる僕による刑執行に面しています。1914年に『終りの時』が始まつて以来,主なる神の備えた休息の場所が何であるかについて,キリスト教国の注意はひき起されました。それは,私たちの希望を置く場所,そしてサタンの世の疲れから安楽を求める場所です。この休息と安楽の場所は,私たちからこの世の恐れを取りのぞき,安全な定住地と避難所を与えます。この場所は,油そそがれた御子イエス・キリストの手中にある神の御国です。イエス・キリストは,いま天的なシオンの高きところにおられ,王として統治しています。

      25 なぜキリスト教国は『耳を傾けよう』としないのですか。宣べ伝えられる音信は,キリスト教国にとつてどう聞こえますか。

      25 キリスト教国は,人々を神の設立した御国にみちびき,『疲れたる者に休息を与えよ』と再三再四うながされ,励まされてきました。しかし,ヱホバが油注がれた証者の残れる者を用いてそのことを知らせたので,キリスト教国は心をかたくなにして高慢な態度を取つています。また,キリスト教国は自分自身の神学と計画を持ち,この世との政治宗教的な関係の酒で酔いしれているため,『耳を傾け』ようとしません。キリスト教国は,御国の休息所を求めようとせず,また全国民へ証として神の御国の良いたよりを伝道してもいません。神の王と御国を捨てたキリスト教国は,ヱホバの証者に敵対して戦い,ヱホバの証者を滅ぼしてその御国伝道を中止させようとしました。キリスト教国にとつて,ヱホバの証者は,異国の言葉できわめて奇妙な音信を述べているように見えます。キリスト教国は,その音信を嘲笑して馬鹿にしているのです。

      26 ヱホバがご自分の証者を用いてキリスト教国に語るということについて,キリスト教国はどんなことを確かに知らねばなりませんか。

      26 キリスト教国に一つのことを必ず知らせなさい。ヱホバ神はキリスト教国に対する寛容を永久に行使しないでしよう。ヱホバ神は,平和を愛して害を与えぬ証者たちを用いていつまでもキリスト教国に語るようなことをしない,ということです。ヱホバの証者は,キリスト教国より迫害を受けている者たちです。支配している御国とヱホバの報復の日についての伝道が十分に行われたと,ヱホバが決定されるとき,彼は刑執行の軍勢を用いハルマゲドンの戦場で処置を取られるでしよう。

      27 そのとき,キリスト教国は何を聞きますか。そして,キリスト教国の宗教指導者たちは,何を行つて絶滅を受けますか。

      27 『全能の神の大いなる日』の戦いの叫びの只中で,キリスト教国の聞くことがらは,いましめにいましめを加え,度にのりをくわえ,ここにもすこしく,かしこにも少しく,ということが執行されることです。そのとき,つらいきびしい仕方の中に,キリスト教国はヱホバの証者がヱホバの音信を語つたということ,および酩酊の気分でツオウ ラツオウ ツオウ ラツオウ コウ ラコウ コウ ラコウ ゼア シャム ゼア シャム!などと嘲笑すべきでなかつたと知るでしよう。私たちヱホバの証者はキリスト教国に警告を発して悔い改めるようにうながして来ました。しかし,キリスト教国は酔つぱらいの浮かれ気分をつづけてきました,そして神が滅びの宣告を執行するときまでその浮かれ気分をつづけるでしよう。その時,キリスト教国の宗教指導者たちや,その宗派の群れの人々は『すすみてうしろに仆れ,そこなわれ罠にかかりて捕えらるべし。』それは絶滅を意味します!

      28 ヱホバの証者は沈黙せず,予言者イザヤのどんな厳しい宣明を繰り返し行いますか。

      28 ヱホバの証者は,あらゆる嘲笑やあざけりを受けても,沈黙しようとはしません。彼らは預言者イザヤの厳しい言葉を繰り返し語ります,『なんじら此のエルサレムにある民(今日のキリスト教国を予表する)をおさむるところのあなどる者よ,ヱホバの言葉を聞け。なんじらは言えり,われら死と契約をたて陰府とちぎりを結べり。みなぎりあふるる禍害のすぐるときわれらに来らじ。それはわれら虚偽をもて避所となし,あざむきをもて身をかくしたればなりと。このゆえに神ヱホバかく言いたもう,視よわれシオンに一つの石をすえてその基となせり。これは試みをへたる石,とうとき隅石かたくすえたる石なり。これにより頼むものはあわつることなし。われ公平をはかり縄とし,正義をおもしとす。かくて雹はいつわりにてつくれる避所をのぞきさり,水はそのかくれたるところに漲りあふれん。なんじらが死とたてし契約はきえうせ,陰府(共通の墓)とむすべるちぎりは成ることなし。されば,みなぎり溢るるわざわいの過ぐるとき汝らはこれに踏みたおさるべし。その過ぐる毎になんじらを捕えん。朝々に過ぎ,昼も夜も過ぐ』― イザヤ 28:14-19。

      偽りに逃がれる

      29 なぜ霊的に酔つているキリスト教国の支配者たちは,安全であると感じていますか。誇り高ぶつていたサマリアとエルサレムの支配者たちは,そのことをどのように予表しましたか。

      29 あなどつて嘲笑をなし霊的に酔ぱらつているキリスト教国の支配者たちは,大丈夫と確信しています。彼らはあらゆる準備を整えており,神の怒りの日に対しては十分の守りをしていると考えます。そして,昔のサマリアとエルサレムに生じた事柄を避けることができると思つているのです。彼らは,殺されて葬られることは決してないと言います。どのように? ヱホバの証者が虚と言うところに逃れ,私たち証者がいつわりと言うことに身をかくすことによるのです。イザヤの時代では,酔つぱらつてあなどりの言葉を語つたサマリアとエルサレムの支配者たちは,三位一体の教理,永久の苦しみを受ける地獄の火の教理,私たちの地と宇宙が火で燃えて終つてしまうという教理,およびそれに類似の教理,というようないつわりに逃れましたか。アッスリアとバビロンの世界強国の攻撃を受けて包囲され,そして滅亡を受けるという事態に面して,彼らはそのような偽りの教理にかくれましたか。否であります。サマリアはシリアとの防衛同盟に助けを求めました。そしてエルサレムは最初アッスリアに助けを求めて,それが失敗してからは,エジプトに助けを願い,エジプトの馬や,戦車および軍勢のうしろに身をかくしました。パロの軍勢が来たためにバビロン人の包囲軍が撤退したとき,エジプト側についていたエルサレムの支配者や,祭司および予言者たちは,自分たちは安全な避けどころ,かくれ所を持つており,敵がその場所に来ることは決してないと確信しました。

      30 同様に,この終りの時において,キリスト教国は何にのがれて,自分の身をかくしましたか。

      30 同様なことはこの終りの時にも示されています。いまヱホバの証者は,神の刑執行の軍勢がハルマゲドンに来るということについてキリスト教国に特に警告しています。現在,祭司や預言者たちの後押しを受けているキリスト教国の支配者たちは,ヱホバの備え給うた休息の場所と安楽の場所に避難せず,この世の同盟に避難しました。第一に,キリスト教国は国際連盟を提唱して,1919年から1939年まで国際連盟にのがれました。そして1945年から現在にいたるまでキリスト教国は,世界平和安全制度である国際連合のうしろにかくれました。キリスト教国は,ヱホバの証者の言葉に注意を払わず,事実上,次のように言います。

      31 実際のところ,キリスト教国は安心しきつた態度で,そしてヱホバの証者に敵対の態度で何と言いますか。

      31 「あなた方証者たち,あなた方の神ヱホバの報復の日の音信を語つても,我々をおどかすことはできない。あなた方は,我々に死とショオールがのぞむと言うが,そんなものは我々に触ることもなく,また我々を害することもない。我々は死と仲の良い間柄であり,あなた方のヱホバ神の刑執行の軍勢により死が我々に触ることはない。我々は生き残るが,あなた方は生き残らない。我々はあなた方証者が共通の墓というショオールを良く理解するようになつた。我々はそれについてのまぼろしを持つている。我々は事態の結果をも同様に見ている。ショオールは,その口を開かず,我々を中に呑みこむこともしない。あなた方ヱホバの証者たちが,ハルマゲドンと言つている事柄の後に,あなた方が我々の骨を埋めるようなことは決してない。ハ!ハ!我々はかつて国際連盟と国際正義法廷をのがれ所にした。第二次世界大戦以来,我々は国際連合,その安全保障軍隊,武装解除委員,国際正義法廷,そして国際連合内でつくられたすべての防衛同盟や条約の背後にかくれた。あなた方ヱホバの証者が大々的に伝道している滅亡の軍勢が,我々のところに来るとか,我々を死またはショオールに投げるということはない。かえつて,それらのものは後ろに追いまくられ,我々のエジプトの避難所および隠れの場所は,持ちこたえるだろう。それらは我々の最後にして唯一つの希望である。そして我々の期待を裏切ることはない。それらは我々にその真実さを証明し,あなた方証者たちは災いを叫ぶ者,偽りの預言者と証明するだろう。あなた方はそのような者だと私たちが言つて来た通りである。」

      32,33 詩篇 62篇9節と33篇17-19節から証明されるごとく,(イ)キリスト教国の支配者たちは,何を自分たちの避難所にしたと,私たちヱホバの証者は言いますか。(ロ)のがれ所およびかくれ所として,国際連盟は何であると証明しましたか。国際連合は何であると証明しますか。

      32 しかし,神のたしかな言葉に立つ私たちヱホバの証者は,キリスト教国の政治支配者や宗教支配者が偽りと欺瞞の機構にのがれたと言います。彼らは偽りと証明するものにかくれました,すなわち偽りの神々や,信頼できない同盟や,また神の刑執行の軍勢にたいして対処不能のものにかくれました。私たちは詩篇 62篇8と9節(新口)を引用します,『神はわれらの避け所である。低い人はむなしく,高い人は偽りである。彼らをはかりにおけば,彼らは共に息よりも軽い。』

      33 私たち証者は,また詩篇 33篇17-19節を引用します,『(戦争用のエジプトの)馬はすくいに益なく,その大いなる力も人を助くることなからん。視よ,ヱホバの目はヱホバをおそるるもの,またそのあわれみをのぞむるのの上にあり。こは彼らのたましいを死より救い,飢たるときにも世にながらえしめんがためなり。』今日,キリスト教国は象徴的な『獣の像』を持つています。国際連合のどの成員国家も,それを設立してその維持に参加しました。そしてこの世の諸国民による偶像崇拝の対象にしているのです。それについて私たちはエレミヤ記(10:14,15)を引用します,『その鋳るところの像は,偽物にしてその中にたましいなければなり。これらはむなしきものにして迷いのわざなり,その罰せらるるときに滅ぶべし。』それで,私たち証者たちは次のように言います,実体的なエジプトの戦車は,キリスト教国を助けないでしよう。人間が悪魔の霊感を受けてつくつた,平和と安全を象徴する像は,いま諸国民によつて崇拝を受けていますが,しかし神々でないと証明するでしよう。キリスト教国の宗教が,この政治的な世界と同盟していることは,汚れたもの,不敬虔なあざむきです。ハルマゲドンの戦いが来なくても,避難所でもあり,かくれの場所であつた国際連盟は偽りであると証明しました。現在,『全能の神の大いなる日の実際の戦争』が間近になつているいま,国際連合は嘘であり,偽わりであります! ヱホバは,御自分の御言葉を通してそう言われています。

      34 ヱホバは,安定した永続の政府の基礎を何処に置きましたか。何時,彼はこの基礎をそこに置きましたか。

      34 人類の唯一つの希望,私たちの唯一つの避難所とかくれ所は,神の天的な御国であるシオンにあります。ヱホバは,安定した永続の政府の基礎として,たしかな基礎の尊い石,試みられた石,すなわち御自分の子にして王なるイエス・キリストをシオンに置きました。(イザヤ 28:16。ペテロ前 2:4-6。ロマ 9:32,33; 10:6-11)ヱホバはイエスに油を注いで試みと試練を受けさせました。このイエスは,神の主権に忠実なることを証明したのです。33年にユダヤ人たちは王なるイエスを排斥しました。しかし,ヱホバは死人の中から彼をよみがえして天的なシオンに置いたのです。使徒ヨハネは,自分に与えられた啓示の中で,イエスが14万4000人の忠実な油そそがれた弟子たちの会衆と共に立つているのを見ました。―黙示 14:1-5。

      35 ヱホバは,絶対の意味で,いつ御自分の尊い岩をシオンに置きましたか。そして,なぜその時?

      35 第一次世界大戦が最高潮に達した1918年に,キリスト教国は同様にイエス・キリストを拒絶しました。しかし,ヱホバは天的なシオンに御自分の尊い石を絶対の意味で置かれました。なぜ,そうですか。なぜなら,1918年までには,ヱホバの油注がれて御座についた王イエス・キリストは,神に尊い者と証明したからです。彼は1914年に天で始まつた戦争中の試みと試練をうけても成功を収めた者と証明しました。その戦争は,神の天より悪魔を追い払い,悪魔と悪鬼の使たちをこの地の近くに追い落しました。彼らはハルマゲドンで底のない坑に投げ入れられる前の短い時の期間,そのところに束縛されます。

      36 キリスト教国は,何のために自分の選びをしましたか。なぜキリスト教国はあわてふためいてそこに逃れ,身をかくしましたか。

      36 キリスト教国は,御座についたヱホバの王を排斥しました。第二次世界大戦前およびその後の両方で,キリスト教国は選びを決定しました。キリスト教国は,この世の同盟を支持しており,天的なシオンに不動に置かれたヱホバの王なる岩を支持していません。国際連盟の失敗にもかかわらず,キリスト教国のカトリック教会や新教徒教会は,いまでもシオンの山の王なる岩を見ません。ヱホバの証者は,特に1926年以来,その王なる岩について声高く宣伝したのです。キリストを奉ずると公言するそれらの宗教制度は,国際連合を選んで,国際連合に希望を置きました。世界共産主義の脅威および20世紀の現代の物質的な文明の破滅に直面したキリスト教国は,あわてふためいて国際連合に避難所を求め,その中にかくれました。キリスト教国の最後の希望は,多くの国家で構成されているこの制度の中にあります。その制度は,違つた政治思想や,キリスト教とかユダヤ教,マホメット教や異教,そして共産主義というような違つた宗教的な信仰を持つているものです。

      37 なぜヱホバの証者は,あわてふためいて国際連合に入りませんでしたか。私たちは,どこにのがれ所とかくれ場所を取るよう羊のごときすべての人を招待しますか。そしてなぜ?

      37 しかしながら,国際的な憎しみや迫害を受けようともヱホバの証者はあわてふためいて国際連合に入るようなことをしませんでした。1918年-1919年に,彼らは十分に試みを受けてシオンに置かれたヱホバの尊い岩に信仰を置きました。彼らは国際連盟に崇拝を捧げることを拒絶し,その滅亡を言明しました。いま私たちは国際連合を崇拝することと,国際連合に頼ることをも拒絶します。そして,同じくその来るべき滅亡を言明します。私たちはシオンの王なる岩に頼つて,私たちの避難所およびかくれの場所にします。そしてこの世の恐怖,悲哀,心配に参加しません。私たちは今でもここにおり,ヱホバの尊い岩にかたく依り頼んでいます。そして,ハルマゲドンに対する避難所とかくれ場所はヱホバの岩の中に求めよと,私たちは伝道し,全地の羊のごとき人々を招待します。私たちの希望は,キリストによるヱホバの御国にあります。避難所としてのその御国は,偽わりではありません。それは真実です。かくれの場所であるその御国は,嘘ではありません。それは依頼することのできる実際です。その御国は,真理がつづくかぎり ― 永久につづくでしよう!

  • ヱホバがその異常な業に立ち上るとき
    ものみの塔 1959 | 6月15日
    • ヱホバがその異常な業に立ち上るとき

      1 平和と安全を図るためにこの世の機構に不注意な安易さを求めようとする者の状態について,イザヤはどのように述べていますか。そしてなぜ?

      いまは平和,安全,繁栄,そして生存を図るこの世の機構に入つて,不注意な安易とか自己満足を求める時ではありません。この世の備える安易の寝床で身を伸ばすと,寝床は短くてその足は外に突き出て冷気にあたります。短い寝床に合わせて体を二つに曲げ,膝をあごの下に持つて行くと,こんどは寝床のふとんは狭くて十分に体を包まず暖く寝ることができません。それと同じく,来るべきハルマゲドンの戦い中におけるヱホバの行いと業が黒い影のようにしておおいかぶさつてくるとき,この世的な安易と休息を取ろうとしている人類の状態は,心胆を寒からしめます。それはふるえさせます。イザヤは(28:20,21で)こう言つているのです,『床みじかくして身をのぶることあたわず衾せまくして身をおおうこと能わざるがごとし。そはヱホバむかしペラジムの山にて立ち給いしがごとくに立ち,ギベオンの谷にていきどおりをはなちたまいしがごとくにいきどおり,而してその行為をおこないたまわん。奇しき所為なり。その工を成し給わん。異なるみわざなり。』

      2,3 (イ)イザヤの預言が言われて後の世紀中,なぜ状態はヱホバによる奇妙なもの,異常なものでしたか。(ロ)何時ヱホバは,信ずることのできないその業を成しとげましたか。ヱホバはそのことを繰り返し行うことをためらわないと,どのように示しましたか。

      2 その言葉が言われて後の次の世紀中に,ヱホバは立つてその言葉を最初に成就しました。それ以前にエルサレムが滅ぼされたことは一度もありませんでした。ダビデの家の王座がくつがえされたことは,以前に一度もありませんでし

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