ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 一生の目的を追い求める
    ものみの塔 1961 | 9月15日
    • を見にきました。ちょうどはじめてのヤンキー野球場の大会が,開かれていたからです。

      大きな大会が近づくと,本部ではもちろん非常に忙しくなり,期待で胸をふくらませます。大会の時に新しい出版物をだす準備をするのは,ベテルでの数ある特権のひとつです。しかしそれに関係している部門では,それぞれ秘密を守っているので,何が出版されるかは直接関係している者しか分かりません。それで大会での新しい出版物が発表される時,ベテルの家族の者でも,全く初耳だということは,よくあることです。だれもが「しづかにし,己の業をなし」という戒めによく従っています。

      1956年,「ものみの塔」と「目ざめよ!」を印刷するため,13階建ての新しい建物が喜びのうちに完成されました。コロンビア・ハイツにある日当りの良い私の部屋から,ごく最近まではその新しい建物を見ることができました。今では,コロンビア・ハイツ,124番地の建物の向う側には,協会の美しい12階立ての建物が立っています。それには緑の中庭がついており,建物の中には寮,学校そして事務所があります。中庭のところで,ベテルの家族のメンバーや,ギリアデの生徒が,仕事や勉強のために,いききしているのが見えます。ギレアデが今度ブルックリンに移り,家族の者が生徒を案内してまちをまわることになったので,ここ本部の私たちに喜びと特権が更にふえまし

  • 第7日は休息の安息日
    ものみの塔 1961 | 9月15日
    • 第7日は休息の安息日

      それは誰に与えられましたか。またどのように守られましたか。なぜそれは大切でしたか。

      イスラエルの国民にとって,週の第7日は常と異なる日でした。他の日とは違って,ラッパが6回,音高く吹き鳴らされ,この日の近づいたことを知らせました。そして太陽が地平線の下に没すると共に,人々は通常の仕事と労働を休む期間にはいったのです。第6日の日没から第7日の日没に至るまでは,どんな仕事をすることも許されず,薪を集めたり,火をたくことさえもできませんでした。

      彼らがこの日を定めて休息の時とすることは,神の律法によって命ぜられていました。その律法は,シナイ山でモーセに与えられた有名な十戒の第四番目にあります。人々は代々この律法を守るようにと命ぜられていました。「安息日をおぼえてこれをきよくすべし六日の間はたらきて汝のすべての業をなすべし,七日は汝の神ヱホバの安息なれば何のわざをも為すべからず汝も汝の子息むすめも汝の僕しもめも汝の家畜も汝の門の中にをる他国の人も然り,そはヱホバ六日の中に天と地と海とそれらの中の一切の物を作りて第七日にやすみたればなり是をもてヱホバ安息日を祝ひて聖日としたまふ」― 出エジプト 20:8-11。

      第7日にすべての仕事を休むといっても,全く何もしないでその日を過ごすという意味ではありません。宗教の行事はその日にも行なうことができましたから,祭司たちは他の日と同じく犠牲を捧げることをしました。ただ他の日には1匹を捧げたのにくらべて安息日には2匹の小羊を捧げたのです。また宮の至聖所におかれた12のそなえのパンを新しいものと取りかえ,8日目が安息日にあたるならば,安息日にも幼児に割礼を施しました。この日はまた祭司の1週間の奉仕の順番を宮において交代するときでした。従ってこの日は人々が仕事を休む日でしたが,祭司たちにとっては活動の時でした。肉体の労働を要する宗教的な奉仕をすることでさえ,安息日のとりきめと調和するものでした。

      人々は全く何もしなかったのではありません。公の崇拝を行ない,教えを受けるために集まって聖会すなわち大会を開くことが要求されていました。全くのところ,個人と公の崇拝のためにこの日を用いるのでなければ,安息日を正しく守ったことにはなりませんでした。会堂が設立されたときは,これらの集まりは会堂で開かれました。安息日毎に集まるとき,人々は神の言葉の朗読を聞いて霊的に強められました。このならわしについて使徒パウロは次のことを述べています,「古い時代から,どの町にもモーセの律法を宣べ伝える者がいて,安息日ごとにそれを諸会堂で朗読するならわしである」。(使行 15:21)安息日にふだんの仕事から解放されたイスラエル人は単に休むだけでなく,祈ったり,聖書から教えを受けたり,また創造主とその大いなるみわざに思いをめぐらすことができました。

      安息日は一つだけではない

      神が御自分の選民に守ることを命ぜられた第7日目の安息日の他にも,別の安息日があります。それらについても述べなければ,安息日を十分に考慮したことにはなりません。週毎の安息日を守っても他の安息日を守らなければ,神の律法をやぶり,あるいは無視していることになります。週毎の安息日のほかにイスラエル人は年に1度,ニサンの14日に過越を守るように命ぜられていました。過越の翌日は安息日で,その日から1週間にわたる種入れぬパンの祝が始まります。この祝の最後の日もまた安息日でした。初穂を捧げた日(ニサンの16日)から50日目も安息日でした。これは週の祝すなわち五旬節です。

      イスラエルにおいて7番目の月は特別な月でした。その月のはじめの日は安息日で,10日すなわち贖いの日も安息日でした。つづいて仮庵の祝の始まる15日も安息日であり,1週間にわたるこの祝の終わった次の日も安息でした。しかしそれが全部ではありません。7年目,50年目には1年にわたる土地の安息があって,土地を休ませたのです。これら多くの安息は,イスラエル国民に安息を守ることを命じた神の律法にことごとくしるされています。「あなたがたは必ずわたしの安息日を守らなければならない」。―出エジプト 31:13。

      何時与えられたか

      安息日を守ることを命ずるいましめは,エジプトの束縛から解放される直前,まだエジプトにいたイスラエル人に与えられました。最初の過越を命じたときに神は次のように言われました,「あなたがたは第一日(ニサンの十五日)に聖会を,また第七日(ニサンの二十一日)に聖会を開かなければならない。これらの日には,なんの仕事もしてはならない。ただ,おのおの食べものだけは作ることができる」。―出エジプト 12:16。

      1週間の1日を安息日として守ることが命ぜられたのは,イスラエル人がエジプトを出てからシナイ山に向かう途中でのことです。これは神が奇跡的にマナを降らせて,毎日の食物を与えられた時から始められました。「ヱホバモーセに言たまひけるは視よ我パンを汝らのために天より降さん民いでて日用の分をあつむべし……第六日には彼等そのとりいれたる者をとゝのふべし」。そのときモーセは人々に言いました,「汝等みよヱホバなんぢらに安息日を賜へり故に第六日に二日の食物を汝等にあたへたまふなり」― 出エジプト 16:4,5,29。

      安息を守ることについて神がここで言われたこと,および過越に関して神がエジプトで言われた事柄は安息日を守ることをイスラエル国民に紹介するものとなりました。後にシナイ山で安息日の律法が与えられたときには,これらの安息日を守ることに関してくわしい定めが与えられたのです。

      神の安息の日

      第7日目の安息日のことを命じている十戒の四番目のいましめは,神が創造の第七日に休まれたことを述べているので,週毎の安息日を守ることは最初の人間の時から行なわれたと結論する人がいます。その論議は,神が創造の第七日に休まれ,それを祝福して聖なるものにされたという事実に基づいています。そしてその日は文字通りの24時間であったとその人々は信じているのです。その人々が自分たちの考えを裏づけるため,もっぱら頼りにしている聖句は創世記 2章3節の次の言葉です。「神はその第七日を祝福して,これを聖別された。神がこの日に,そのすべての創造のわざを終って休まれたからである」。この聖句に関してロバート・ジャミエソンはその著「批評および実験的な注解」の中で次のように述べています。「この句は安息日の基本的な句であり,安息日を守ること

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする