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有効な奉仕を行なう権能を祭司職に与える ― その1ものみの塔 1968 | 10月1日
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「快いかおりのための」燔祭ですから,大いなるアロンがエホバにさゝげる祈りを表わしています。そして今や大いなるアロンは贖いのためのご自身の犠牲の益を,そのからだの成員である従属の祭司に適用できるように神に祈ります。こうして彼らは,神に近づこうとする他の人々のために御心にかなった務めを行なう立場に立てるのです。エホバに用いられ,かつ受け入れていいたゞきたいと願う油そゝがれたイエスの追随者は,自分たちの罪のためにさゝげられたイエスの犠牲の価値に全くたよっています。
21 その雄羊の血が祭壇につけられたことは,わたしたちにとって何を意味していますか。
21 雄羊の血の使用。(19節)「そののちモーセは雄羊をほふり,その血を祭壇の上で四方にふりかけた」。祭壇にふりかけられた血は,やはり神の祭壇の清潔さと清さを示しています。そしてイエスの流された血に伴う贖いの益はその祭壇を通して彼の従属の祭司たちにもたらされます。こうして,あらゆる国家および国語から来る正直な心を持つ大勢の人々のために,祭司の組織に集まる道が開かれているのです。エホバはその組織を通して,これらの人々を喜んで受け入れ,千年期のあいだ天の大いなる大祭司の下で教えと清めを受けられるように取り計らわれます。
22 燔祭の雄羊がことごとく処分されたことは,キリスト・イエスそしてその従属の祭司たちにどうあてはまりますか。
22 祭壇の上でことごとく焼かれた雄羊。(20,21節)「そして彼はその雄羊をばらばらに切り裂いた。そしてモーセはその頭と切り裂いたものと脂肪とを焼いた。また彼は腸とすねとを水で洗った。それからモーセはその雄羊をことごとく祭壇の上で焼いた。それは快いかおりのための燔祭であった。それは火で焼いてエホバにさゝげる供え物であった。エホバがモーセに命じられたとおりである」。こゝに見られる影は,イエスがご自身を犠牲として完全にさゝげられたこと,つまり,イエスが肉体的また精神的な力や内奥の思いと願いをことごとくさゝげ,また,非の打ちどころのない仕方で歩まれたことを意味しています。油そゝがれたその追随者も,イエスの歩まれた道を歩み,「真の幕屋」における奉仕に自分自身を心をこめてことごとくさゝげなければなりません。生活上の他のいかなるわずらいであれ,神の清い崇拝の事柄に対する献身の思いを曇らせることは決してできません。そして自分たちの指導者が行なわれたように,自分のことだけでなく,エホバに近づけるように緊急に助けを必要としている他の大勢の人々のことも考えなければなりません。
任職の雄羊
23 任職の雄羊がささげられることは実体において何を意味しますか。
23 さゝげられた任職の雄羊。(22節)「それから彼は二番目の雄羊すなわち任職の雄羊を近くに連れてきた。そしてアロンとそのむすこたちは自分の手をその雄羊の頭に置いた」。アロンとそのむすこたちがこの第三番目の動物の犠牲の上にも手を置いたことから,この供え物もキリストの下にある全祭司職にとってきわめて重要なものであると考えねばなりません。イエスの血はまず最初に人類の罪のためにさゝげられ,次に油そゝがれたご自分の追随者にその犠牲の益がもたらされるようにとの特別な請願がさゝげられたので,第三番目の段階は,この一団の祭司に,清い崇拝に関するさまざまな義務および責任を与えて,実際にその叙任式をとり行なうことです。こゝでもまた完全な供え物のことが強調されています。そして,神の崇拝の「真の幕屋」で有効な奉仕を行なう権能はこの供え物に基づいて祭司職に与えられるのです。
24 キリスト・イエスは,アロンがその右の耳と手足の親指とに血をつけられたことの影をどのように成就しましたか。
24 アロンの右の耳と手および足の親指につけられた血。(23節)「そののちモーセは雄羊をほふって,その血のいくらかを取り,アロンの右の耳たぶとその右手の親指と右足の親指とにつけた」。大いなる大祭司,キリスト・イエスは,犠牲となられるまでの地上における3年半の宣教に際して,ご自分の従属の祭司のために完全な模範を残されました。その耳は,文字になったみことばの中で述べられているエホバの導きを常に聞き分けました。イエスはその導きに最大の注意を払ったのです。イエスは肉体的また精神的な能力およびご自分に備わっているものを駆使して,割り当てられたわざを行なわれました。つまり最善を尽くされたのです。そしてその足は,忠実を保つ狭い道を決してそれませんでした。預言的に言って彼の歩みそのものはすでに定められていたのです。それで,「我につきモーセの律法・預言者および詩篇にしるされたるすべての事」が確かに成就したと言い得たのです。―ルカ 24:44。
25 アロンのむすこたちに血がつけられたことは,クリスチャンの祭司職にどうあてはまりますか。
25 アロンのむすこたちにつけられた血。(24節)「次にモーセはアロンのむすこたちを近くに連れてきて,その血のいくらかを取り,彼らの右の耳たぶと右手の親指と右足の親指とにつけた。しかしモーセはその血の残りを祭壇の上で四方にふりかけた」。イエスの油そゝがれた追随者は,大祭司イエスと同じ道を歩むように定められています。彼らもまた,聖霊によって明らかに示される,神のみことばからの命令に,最善の注意を払わねばなりません。そして,聞かされた事柄を遂行するわざに肉体的また精神的な最善の力を投じ,かつ,絶えず『みずからの足に直なる途を備へ』て,エホバの御前で正しい道をいつも歩まねばなりません。(ヘブル 12:13)彼らは,物を右手でつかむときのように,神からの奉仕をしっかりととらえ,自分たちに与えられた祭司の務めに全力をもってあたらねばなりません。
26 キリストの下にある天の祭司職にかんする知識は,命を求める人々にとって今日なぜとくに励みとなりますか。
26 メルキゼデクのさまに似た,エホバの用いられる高められた王なる祭司は,今や統治しており,祭司の務めを持つしもべたちで構成される組織を持っておられます。このことを知るのは,何と大きな励みであり,大きな喜びでしょう! 大勢の人々が,全宇宙の最高の支配者なる神に遂には完全に一致できるとの確固たる希望をいだいて,贈り物を携え,神に誓いをさゝげる時,それらのしもべはこれら大勢の群衆のために神に近づき得る者として,千年期の間,メルキゼデクのさまに似たその王なる祭司とともに奉仕するのです。
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有効な奉仕を行なう権能を祭司職に与える ― その2ものみの塔 1968 | 10月1日
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有効な奉仕を行なう権能を祭司職に与える ― その2
1 天の祭司職にかんする知識が今日きわめて大切なのはなぜですか。また,祭司たちが権能を受けるとは,どういう意味ですか。
あらゆる国民,部族,民族,国語から来る大勢の群衆の,現在の福祉と将来の見込みは,神の御目的にかんするかぎり,栄光に輝く天の大祭司とその従属の祭司たちから成る,神の是認を受けた祭司職に依存しています。そして,モーセを通して与えられた律法の中の,影となる事柄は,その祭司職を明らかに示しており,また,「定むるにたるは神によるなり」と霊感の下に述べた使徒パウロのことばどおり,その祭司たちが神によって定められていることをも示しています。(コリント後 3:5)ゆえにこうした点を学ぶとき,深い確信が得られます。この祭司職に権能を与えることについては,エホバご自身が,『彼らの手に力を満たす』と言及しておられますから,モーセの指示の下に行なわれた,影となるこの一連の事柄の次の段階に心をとめるのはきわめて興味深いことであり,そこから教えと励みを汲み取ることができるに違いありません。―レビ 8:33,新世訳。ヘブル 10:1。
2 任職の雄羊の大切な部分がエホバの前で左右に揺り動かされることは何を表わしていますか。
2 任職の雄羊の揺祭。(レビ 8:25-27)「それから彼はその脂肪と,あぶら尾と腸の上にあるすべての脂肪,および肝臓の付属物と,二つの腎臓とその脂肪そして右もゝを取った。また彼はエホバの前にある種のはいっていない菓子のかごから,種のはいっていない輪の形をした菓子一つと,油のはいった輪の形をした菓子一つと,せんべい一つとを取った。それからこれらのものをそれら脂肪のものと右もゝとの上に置いた。そののち彼はそれらのものすべてをアロンの手のひらと,そのむすこたちの手のひらにのせ,エホバの前で揺祭として左右に揺り動かしはじめた」。この雄羊の濃厚な脂肪の部分は,焼いた供え物はもちろん,その肝臓や腎臓そして右もゝとともに,大祭司アロンおよびそのむすこたちの手に載せられ,彼らはそれらのものをエホバの前で左右に揺り動かしたのです。揺り動かすことは,一度のしぐさとは異なり,継続的な動作を意味します。油そゝがれたイエスの追随者は,エホバの奉仕に身をさゝげて,自分たちの大祭司とともにたゆまず歩む特権にあずかります。その奉仕は,エホバの御名を思う熱心と,肉体的そして精神的に全力を尽くすこととできわだっています。このような特権は喜びを伴うに違いありません。それで使徒ペテロは,「[エホバの御名のために]キリストの苦難にあづかれば,あづかるほど喜べ,なんぢら彼の栄光の顕れん時にも喜び楽しまんためなり」と命じているのです。―ペテロ前 4:13。
3 揺祭に含まれている焼いたパン類は,実体において,キリストとその従属の祭司との宣教にどう結びついていますか。
3 この祭司職の成員は自分たちの大祭司とともに宣教に携わりますが,そのためには罪と偽りの宗教からの清め(種のはいっていないパン)を必要としており,また,聖霊による実(油のはいったパン)および最高の技量(せんべい)で特色づけられた実り多い奉仕を行なわねばなりません。彼らの大祭司はその宣教において,これらのすぐれた特質のすべてをみずから表わして手本を示され,また,ご自分の足跡にしっかり従おうと努める従属の祭司たちをいつでも助け得る立場に立っておられるのです。実際的な信仰のわざをこうして一身をさゝげて行ない続けるとき,次のように述べた詩篇の筆者のことばと一致した祈りが,「真の幕屋」の創始者にさゝげられるのはきわめて時宜を得たことです。「われは薫物のごとくにわが祈をみまへにさゝげ夕のそなへもののごとくにわが手をあげて聖前にさゝげんことをねがふ」― 詩 141:2。コリント前 5:8。
4 揺祭が祭壇の上で焼かれたことにはどんな意味がありますか。
4 祭壇の上で焼かれた揺祭。(28節)「それからモーセはこれらのものを彼らの手から取り燔祭の上に載せて祭壇の上で焼いた。それらのものは快いかおりのための任職の犠牲であった。それは火で焼いてエホバにさゝげる供え物であった」。揺祭は,モーセがアロンとそのむすこたちの手からそれらのものを取って,燔祭に載せて祭壇の上で焼くことにより完了します。この点を考えると,キリストの祭司職によって絶え間なく行なわれる忠実な宣教において,その全成員は,神ご自身の建てられる「真の幕屋」の事柄のために,人間としての自分自身をことごとく用い尽くさねばなりません。そして,この供え物も快いかおりと述べられていますから,エホバはご自分の愛された御子の援助の下に行なわれるこれら一団の祭司の奉仕を今や喜んで受け入れられ,また彼らの供え物を嘉納されることがわかります。
5 この2番目の雄羊の胸をモーセが揺り動かしたことは,実体における何を示していますか。
5 モーセによってさゝげられた胸の揺祭。(29節)「そしてモーセはその胸を取りエホバの前で揺祭として左右に揺り動かした。それは任職の雄羊のうち,モーセの分となった。エホバがモーセに命じられたとおりであった」。任職の雄羊の胸には心臓が含まれていたに違いありません。それが除かれたとは述べられていないので,そう言えるでしょう。モーセはこの胸を左右に揺り動かし,それから,供え物のうちで自分に属する分としてそれを自分のために取りました。モーセはこゝでエホバの特別の代表者として行動していると考えられます。そしてその胸を受け入れたモーセは,エホバご自身がイエス・キリストを受け入れられ,かつ御子自身の完全な供え物に基づいて祭司たちを受け入れられることを予表しています。その供え物は,御父の次の招きのことばに応じて喜んでさゝげられたのです。「わが子よ汝の心を我にあたへ 汝の目にわが途を楽しめ」(箴言 23:26)イエスの従属の祭司たちも,また「真の幕屋」における崇拝を心をこめて行ない,心からの喜びをいだいてその創始者なる神に賛美の歌をさゝげねばなりません。
6 血の混じった油をふりかけることは,クリスチャンの祭司職にどうあてはまりますか。
6 油と血による聖別。(30節)「そののちモーセは注ぎ油のいくらかと,祭壇の上の血のいくらかとを取り,これをアロンとその衣服,およびアロンとともいにるそのむすこたちと,そのむすこたちの衣服とにふりかけた。こうして彼はアロンとその衣服,そしてアロンとともにいるそのむすこたちと,そのむすこたちの衣服とを聖別した」。祭壇から取られた血と油とを混ぜて,アロンとそのむすこたちおよび彼らの衣服にふりかけることにより,彼らは聖別されました。この事は,より有効な祭司職を示しているように見えます。そして,その祭司職の成員が身分証明と権威を神から受けることは,霊に満たされて行なう宣教によって明示され,また彼らはキリスト・イエスの貴重な犠牲に対する堅い信仰に基づいて神に受け入れられるのです。人と衣服の両方にふりかけられることは,この祭司職の成員が個人的にも全体的にもまた内面的にも外面的にも,キリストの贖いの血の価値に全く依存し,かつ,エホバの聖霊の実を豊かに産み出す者であるとみずから証明しなければならないことを示しています。
7,8 任職の雄羊の残りがことごとく処分されたことは,実体の祭司職の創立にかんして何を意味していますか。
7 アロンとそのむすこたちはその肉を煮て食べます。(31節)「それからモーセはアロンとそのむすこたちに言った。『会見の幕屋の入口でその肉を煮なさい。そして任職祭のかごの中にあるパンとともに,それをそこで食べなさい。「アロンとそのむすこたちはそれを食べなければならない」という命令をわたしが受けたとおりである』」。こゝに見られる影は,任職祭の犠牲が完全に処分されることを示しています。それと同様に,キリストの下にある祭司職に権能を与えることが完全に成し遂げられるのもエホバの御心です。またこゝで,キリストの下にあるこの一団の祭司のために豊かな霊の糧がエホバによって備えられることも示されています。そして,彼らが祭司の務めを果たし続けるかぎり,物質上の日毎の必要も十分に顧みられると約束されています。それは,使徒パウロが言明しているとおりです。「なんぢら知らぬか,聖なる事を務むる者は宮のものを食し,祭壇に事ふる者は祭壇のものにあづかるを。かくのごとく主もまた福音を宣伝する者の福音によりて生活すべきことを定め給へり」。彼らが良いたよりを伝道し教えることに忙しく励むとき,神は,感謝の念をいだいて耳を傾ける人々の心を動かして,生活のため物質的に必要なものを分け合うように取り計らわれるのです。―コリント前 9:13,14。エペソ 3:16。ガラテヤ 6:6。
8 焼かれた,任職祭の犠牲の残り。(32節)「そして,あなたがたはその肉とパンの残りを火で焼かなければならない」。その任職祭の犠牲は,祭司たちが食べるにしても焼くにしても,完全に使い尽くされねばなりませんでした。実体において,キリスト・イエスは,ご自分の犠牲の価値を,神聖な祭司職を構成する人々に対して最大限に適用します。ゆえに祭司たちは神に十分に受け入れられ,命の源であられる神に近づこうと努める他の人々を効果的に助け得る十分の権能が与えられるでしょう。
9 「定められた不寝番」は,(イ)キリスト・イエスに,そして,(ロ)その油そそがれた追随者にどうあてはまりますか。
9 定められた不寝番を七日のあいだ守ること。(33-35節)「そしてあなたがたは,あなたがたの任職祭の日を満たす時まで,七日のあいだ会見の幕屋の入口から出てはならない。あなたがたの手に力を満たすには七日を要するからである。今日行なわれたとおりに,あなたがたのために贖罪をするようにとエホバは命じられた。そしてあなたがたは会見の幕屋の入口に七日のあいだ昼も夜もとゞまらねばならない。また,あなたがたは,死ぬことのないようにするために,エホバの定められた不寝番を守らねばならない。わたしはそのように命じられたからである」。神の模範的な大祭司であるキリストは,この地上で3年半にわたる務めの期間を満了し,霊の被造物としてよみがえらされ,創造者の下にある宇宙で最も高い地位に高められました。キリストの従属の祭司たちもまた,「真の幕屋」の事柄のためにみずからを全くさゝげて,自分たちの地上の宣教の期間を忠実に満了しなければなりません。そうすれば彼らもやがて霊の被造物としての命によみがえらされるでしょう。他方,なお地上に存在するこの祭司職には命を求める他の人々のための有効な「和解の宣教」がゆだねられてきました。その成員が肉のからだでとゞまって宣教を忠実に果たし,「第一の復活」にあずかる時,彼らの手は,千年期の間この地上で大勢の人々を祝福するという神の御目的のために有効な奉仕をする力で確かに満たされるのです。
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