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支部の手紙王国宣教 1983 | 8月
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支部の手紙
王国伝道者の皆さん:
西暦1世紀,人種や背景を異にする人々によって構成されたクリスチャン会衆が,当時の世界の各地に存在していました。彼らを分裂させるこの世的な要素は数多くありましたが,彼らはすばらしい一致を保って王国の良いたよりの伝道に忙しく携わりました。彼らを一致させた一つの要素は,それら諸会衆が,使徒や年長者たちによって構成された統治体を通して与えられるエホバの指導に喜んで服したからです。例えば割礼に関する問題が生じた時,人々は統治体に問題を提出し,その決定をあおぎました。統治体は問題を慎重に考慮し,決定は全会衆に知らされ,諸会衆は一致してその指示に従いました。(使徒 15章)その結果「諸会衆は信仰において堅くされ,日ごとに人数を増していった」と述べられています。―使徒 16:5。
今日においても,わたしたちは全世界の業を監督,指導している統治体の指示に一致して従いたいと決意しています。例えば,統治体の勧めに従って,第1日曜日の伝道活動や第2,第4土曜日の雑誌活動はすばらしい支持を得ています。それに加え,不活発に陥った人を助けたり,開拓奉仕を拡大したり,雑誌経路を取り決めたりする活動は今年の目標になっており,優れた進歩がみられています。
5月の予約活動に際し,統治体は予約活動に積極的であるよう特別な折り込みを4月の「王国宣教」に含めてくださいました。皆さんが確かにその指示によく従ったことを記録は示しています。5月中に4万2,947件の予約が野外で得られました。昨年10月,11月の2か月の予約活動で4万9,000の予約が得られたことを考えると,5月の活動は本当にすばらしいものでした。伝道者合計,正規および補助開拓者,奉仕時間,雑誌配布それに家庭聖書研究も最高数に達しました。統治体を通して与えられるエホバの指導にこれからも喜んで服し,『りっぱな業を,うみ疲れずに行なう』なら,すばらしい収穫にあずかれるでしょう。
心からの愛を皆さんに送ります。
日本支部で奉仕する,皆さんの兄弟
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真理について証しする王国宣教 1983 | 8月
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真理について証しする
1 エホバは「真理の神です」。(詩編 31:5)そのみ言葉と律法は真理です。詩編作者は,「わたしをあなたの真理によって歩ませ,わたしに教えてください。あなたはわたしの救いの神だからです」と祈りました。(詩編 25:5)すべての人が真理を語り,その中を歩んだとしたら,世の中はどれほど変化することでしょう! 自分の仲間に不信を抱いたり,取り引きに不正がないだろうかと勘ぐる理由はなくなるでしょうし,法廷はだれの話していることが真実かを見極めようとしてぼう大な仕事を抱え込むこともないでしょう。
2 わたしたちすべてにとって特に重要なのは,神のみ言葉の中に見いだされる真理を知っているということです。それは永遠の命の約束を差し伸べているからです。(ヨハネ第一 5:13)とはいえ,ローマの支配者ポンテオ・ピラトは王国と真理に関するイエスの証を聴いた後に大いに戸惑いを覚えたらしく,「真理とは何か」と尋ねました。(ヨハネ 18:36-38)イエスに何の過失も見いだせなかったにもかかわらず,ピラトは真理に対する宗教上の反対者たちの圧力に自ら屈服しました。確かにわたしたちはピラトの生き方に従いたいとは思いません。
他の人々に真理をもたらす
3 この時代の多くの人々も,ピラトと同様,真理が目の前に示されるときその証を受け入れようとしません。それに反対する人々もいます。しかしイエスは,イエスからの音信が信仰を持つ人たちによってもたらされる時,一部の羊のような人々はイエスの声を聞くであろうと言われました。この霊的な自由と真理をそのような人々にもたらすには,真理の言葉を正しく扱うことが必要です。―テモテ第二 2:15。
4 このことを行なうために,皆さんは時間を割いて奉仕のための準備をしますか。自分の能力や効果性を向上させるために,野外で他の人々と一緒に働きますか。自分の証言をもっと興味深いものにするために何を行なえるでしょうか。一つの事は,前もって「会話するための話題」を復習することです。そうすれば,出かけて行く時に何を言えばよいかが分かるでしょう。熱意のある紹介の言葉を用意すべきです。証言は他の人々に訴えるものですか。こうした準備に関してご自分の家族をも援助してください。
「聖書物語」の本を配布する
5 8月中,わたしたちは「わたしの聖書物語の本」を用いて,人々に真理について証しすることができます。協会は最近すべての会衆と群れに「聖書物語」の本をまとめてお送りしました。十分な在庫がありますから,是非,積極的に提供いたしましょう。最近発表されたこの本の朗読カセットを聴いて,この本の内容に認識を新たにされた方々も少なくないことでしょう。聖書というものをあまり読んだことのない日本の多くの人々にとって,この本は聖書には何が書かれているかを知る優れた助けです。子供にばかりでなく大人の人々にもこの本から得られる益について話してみてください。
6 とはいえ,子供を持つ人に証言する場合と小さな子供のいない家の人に話す場合とでは,話す事柄もおのずと異なってくることでしょう。どうぞ両方のタイプの証言を用意してください。戸口に近づく時,その家に子供がいるかどうか観察したいと思われることでしょう。それから,分かったところに応じて用意した証言をすることができます。もちろん,「聖書物語」の本よりも別の本を提供したほうがよさそうだと思う場合もあることでしょう。そのような時のために,幾冊かのポケット版の本を用意しておくこともできます。
7 年若い伝道者の皆さんにとっても,8月は真理について証しする大変優れた機会です。学校が開かれている時は,真理について学んだり,親と共に野外奉仕の準備をし,野外で一緒に働いたりする時間は限られています。夏休み中,皆さんにはその時間が十分にあるのです。良い計画を立てて,霊的な活動にどうぞ十分にあずかってください。献身した若い兄弟姉妹は夏休みを利用して補助開拓奉仕をしたいと思われることでしょう。皆で誘い合ってこの奉仕を行なうことができるならどんなに楽しい思い出になることでしょう。この世の若者たちは夏休みの間,遊ぶことに夢中になります。度を過ごしたり,健全な導きを持たないために良くない事に携わって問題を起こす子供たちもいます。聖書の真理と健全な導きに注意を向けるよう世の若者たちを助けることができれば,それらの若者たちにとって永続する祝福となるのです。「聖書物語」の本を活用し,イエスと同じように勇気をもって真理を知らせ続けましょう。
8 「わたしの聖書物語の本」を提供し,神の言葉の真理を受け入れるようにさらに多くの人々を助けることはわたしたちの願いです。他の人々に光と真理を送り出してくださるようエホバに願い求めつつ,神の言葉の真理を伝えるこの出版物を提供することにより,あらゆる機会を捕えて真理について証ししましょう。―詩編 43:3。
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エホバに対するわたしたちの犠牲王国宣教 1983 | 8月
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エホバに対するわたしたちの犠牲
1 わたしたちは偉大な創造者に対して何をささげるべきでしょうか。イスラエルの時代には,様々な犠牲や捧げ物がエホバに差し出されました。エホバとの平和を表わす共与の犠牲がありました。感謝の捧げ物は神の備えと愛ある親切に対する感謝を表わすものでした。罪の捧げ物は種々の罪の許しを求めて差し出されたのに対し,罪科の捧げ物は人が陥った特定の罪のためのものでした。捧げ物は,犠牲をささげる理由およびその人の個人の事情に応じて幾つかのものの中から選ぶことができました。貴重な雄牛であることもあれば,羊ややぎ,また山ばとや家ばとであることもありました。上等の粉またはパン菓子からなる穀物の捧げ物がささげられることもあり,飲み物の捧げ物が用いられることもありました。そのすべてはエホバとの是認された関係の必要性を強調する役割を果たしたのです。
2 今日わたしたちにも同じ必要性がありますが,わたしたちはもはやユダヤ人に与えられた律法契約の下にいないため,わたしたちの犠牲は当然異なっています。クリスチャンは『賛美の犠牲,すなわち,[神]のみ名を公に宣明する唇の実』をささげることになっています。(ヘブライ 13:15)また,「神に受け入れられる霊的な犠牲をイエス・キリストを通してささげる」よう励まされています。(ペテロ第一 2:5)わたしたちの賛美の犠牲はどうでしょうか。それらはエホバに受け入れられるものですか。
3 わたしたち皆がささげることのできるもので,エホバに受け入れられるものがあります。イスラエルの時代と同じように,わたしたちは王国の関心事を促進するのに用いられる何らかの物質を所有しているかもしれません。(マルコ 12:41-44)しかし,物質面で自分の持つ物が多くても少なくても,わたしたちには時間とある程度のエネルギーが確かにあります。また,わたしたち皆にとって重要なものとして,真理に対する知識と認識があります。わたしたちは心に動かされて隣人とこの良いたよりを分かち合うでしょうか。王国の奉仕を始めたのが幾年も前であっても,ごく最近であっても,わたしたちの努力はエホバに大いに喜ばれるものとなり得ます。(マタイ 20:1-16)エホバはわたしたちの行なえることをご存じであり,わたしたちが自分の事情にしたがって良いたよりを他の人々と分かち合うのを見ることを喜ばれます。―ヨハネ 15:5。
わたしたちの奉仕を拡大する
4 奉仕において前進する方法は,自分に開かれた機会を活用することです。あなたはご家族との研究を定期的に司会しておられますか。それはお子さんが命の道にしっかりと歩み
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