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六十年にわたって世の苦難を経たのちの今後の見通し世の苦難からの人間の救いは近い!
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する術を知っていることを示す証拠を加えるものとなりますか。人間は自分たちの問題を独力で解決できるのだという納得のゆく証拠を加えるものでしょうか。わたしたち七十代および八十代の理解力のある観察者は何もそのようなものを見ることはできません。それに,人間は自らその冷厳な事実を悟るようになりました。それでは,諸問題がどうしても解決されない場合,どうなるのですか。失敗に終わるだけです! 人は,「最初はうまく行かなくても何度でもやってみよ」という古臭い合い言葉で自らを励ませるものではありません。もう一度やろうとしても,問題は同じ状態のままとどまってはいません。一層悪化し,一層難しくなっているのです! わたしたちは次のように問わざるを得ません。人間は自らの存続を危うくしながら,いつまで失敗を続けてゆくのだろう。
15 共産主義国ソ連の例を考えると,唯物主義的な人びとが諸問題を解決する助けを求めて宗教に再び頼るようになる可能性はあるでしょうか。
15 人間は自ら招来した悲惨な諸問題からの救いを求めてだれに頼るつもりでしょうか。人間は自ら進化したとする理論を信ずる唯物主義的な人間は,頼るべき者として単なる人間しか認めません。そのような人びとが,寺院,モスク(回教寺院),大聖堂,教会建造物などの中で長年行なわれてきた,かつて広く受け入れられていた伝統的宗教に頼るでしょうか。例えば,ソ連の共産主義体制は,1917年に打ち倒したロシア正教会に再び頼り,「宗教は人民のアヘンである」という彼らの言説を捨てるでしょうか。ソ連はロシア正教会の国教制を廃して以来,同教会制度の残存物を国家の単なる侍女として用いてきましたが,このひ弱な宗教上の手先は共産主義ソ連のかかえる諸問題の解決策を供してはきませんでした。
16 宗教が今なおある程度尊ばれている国の場合,今後人びとが宗教の力に訴えるかどうかについてどんな疑問が起きますか。
16 共産主義国の外のキリスト教世界の他の国々では,政治家や科学者はカトリック,新教,東方正教会の僧職者に頼って救いを求めるでしょうか。国家はそれらの僧職者を用いて自国の戦闘部隊の従軍牧師とし,“聖者”として自国の立法部に神からの祝福が与えられるよう祈願を行なわせました。それら僧職者は純粋の宗教的福音から離れて社会的,唯物主義的福音に頼ってはきたものの,世の諸問題の解決策を何ら提供してはきませんでした。目下,儒教との戦いを演じている共産主義中国は,ついには,今はすたれた儒教に戻って助けを求めねばならないと考えるようになるでしょうか。また,キリスト教とは異なる大きな宗教組織を今なお持っている他の国々で,一国の政治家や支配者が,今日まで現在の世界の苦難の意味を何ら説明もせず,またそれゆえに苦難からの逃れ道を示せない,それら諸宗教の祭司たちに頼ってゆくでしょうか。
17 古来のあることわざが今後はたして適用されるかどうかについては,どんな疑問が生じますか。
17 多年存続してきた自分たちの宗教が期待はずれのものであることを知った政治および経済界の指導者は少なくありません。彼らは宗教に対する信仰をさえ失っています。では,今さら最後の手段として信仰復興を求めて,『犬は自分の吐いたものに戻る』という古来のことわざのように行動するでしょうか。c
18 そのようなことわざは適用されるものではないことが,どうして分かりますか。
18 そういうことはとても考えられません! 常識と道理からして,そうでないことが分かります。超人的な事,霊的な事に対する,それら世俗的な人びとの信仰は弱められ,あるいはもっと悪いことに破壊されてきました。こうした状況のもとで,彼らは単なる人間的方策にしか頼れないと感じています。ついには人間的方策がことごとく期待に背く時,彼らは途方に暮れるでしょう!
19 誘われるままにそのような人間と行動を共にするのを避けるには,教えをよく聴いて,何について知るべきでしょうか。
19 確かに今こそ,わたしたちは,彼らが余儀なく絶望に陥らされる時,それら困惑した人びとに仲間入りしたいと思うだろうか,と自問すべき時です。彼らは自分自身の益に逆らって戦い,不幸なことに他のあらゆる人の永遠の益をも危うくする道から離れようとはしません! わたしたちは誘われるままに彼らと行動を共にすべきでしょうか。そうする必要はありません。極めて信頼するに足る権威に基づいて,「世の苦難からの人間の救いは近い!」と確信をもって発表できるのです。わたしたちには,失望や挫折や滅びに陥る恐れなしに頼れる所があります。緊張の増大する時代にあって,よく教えを聴き,十分の満足を味わえるとの希望を抱いて頼るべき所を知るのは,いよいよ急を要する事柄です。
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世のこの苦難の意味を説明する,信頼できる解説者世の苦難からの人間の救いは近い!
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2章
世のこの苦難の意味を説明する,信頼できる解説者
1 1914年以来の世の苦難についてはどんな疑問が生じますか。その答えに関し,この世代の年老いた者たちは,何をする方がよいと考えていますか。
西暦1914年以来,絶えず経験してきた世の苦難には,意味があるに違いありません。その意味は人間が独力で判断すべきものとされているのでしょうか。それには,またそれがこれほど長く持続していることにはどんな理由があるのでしょう。それには始めがあったのですから,必ず終わりもあるはずですが,どのようにして終わるのでしょうか。人間はそれから救われる,またその救いは近い,と言う権利つまり権威を持っているのはだれですか。現在の人間の世の苦難について解説し,これらの重要な疑問に答え得るとすれば,それは並々ならぬ方であるに違いありません。世の苦難のすべてを1914年のその始めから経てきたわたしたち年老いた者はだれ一人として,たとえ各々あらゆる事を観察し,経験してはいても,自分がそのような人物だなどとは唱えません。むしろ,あらゆる人を資格のあるその方に注目させたいと考えています。
2,3 心霊術者による種々の予言があるにもかかわらず,わたしたちは,将来を予告する者としてだれに相談する方がよいと考えますか。なぜですか。
2 将来の時代に関し,幾多の男女,例えば心霊術者や易者によってさまざまの予言が行なわれてきました。しかし,世の苦難がわたしたちが考えたくないほどの恐るべき最高潮に達しようとしている
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