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    ものみの塔 1960 | 7月1日
    • はバラクの活動がなくてもカナンの軍隊を打ち負かすことができたはずです。しかし,エホバは御自分の御名に関しての論争が生じたとき,自分の民が何ものをもさしひかえない,ことを見たいと欲せられました。彼の民が「命をすてて,死を恐れぬ民である」ことを欲せられたからです。それで,エホバは御自分のしもべたちの為に戦い,大水で戦車をしずめて,流し去つてしまいました。この戦争によつて別の女であるヤエルは,エホバに真心をこめて仕える機会を持ちました。彼女はシセラを恐れずに殺したのです。―シシ 4:14,21,新世; 5:18。ヘブル 11:32。

      16 サムソンの生涯中に,彼の専心の献身を証明する出来事を述べなさい。

      16 エホバの義のために戦つた別の人は,サムソンでした。ペリシテ人たちは,エホバの民を圧迫していた敵でした。それで,エホバはサムソンを起用して,「ペリシテ人の手からイスラエルを救い」始めました。エホバの御霊のみちびきをうけて,サムソンはペリシテ人の中から妻をめとりました。それは,多数の悪い者たちを滅ぼす機会を持つためでした。彼はたしかに悪い者たちを滅ぼしました。後日,エホバに全く信頼を置いた彼は,しばられてペリシテ人の手中に渡されるようになりました。エホバの御霊の助けをうけた彼は,その縄目を破り,素手で千人の敵を殺しました。シシ記の本は,悪いペリシテ人に対するサムソンのたくさんの手柄話しを記録しています。その最高潮は,幾千人というペリシテ人の頭上にダゴンの偽りの崇拝の家をくずし倒して,サムソンを捕えた名誉を悪鬼の神に帰させませんでした。目が見えなかつたという深刻な肉体的の障害にも,彼の心はくじけませんでした。エホバは,最後にいたるまで御自分の忠実なしもべを用いました。―シシ 13:5,新口; 16:30。ヘブル 11:32。

      17 なぜエフタは誓願を立てましたか。

      17 エフタは,新しい世のために真心をこめて戦つた者として,顕著な者です。彼が淫売婦の息子で,他の者から軽べつをうけても,彼はエホバの奉仕に不熱心でありませんでした。それは重要な論争ではありませんでした。彼の第一の関心は,エホバの崇拝者に対するアンモンの支配をのぞきとることでした。エホバの御霊のもとにエフタは出陣しました。しかし,敵と交戦する前に彼は有名な誓願をたてました。それは,エホバの御名に誉を帰する勝利に全く興味を持つ人の誓願です,「もしあなたがアンモンの人々を私の手にわたされるならば,私がアンモンの人々に勝つて帰るとき,私の家の戸口から出てきて,私を迎えるものは,だれでもエホバのものとなり,私はその者を燔祭としてささげねばならない」。―シシ 11:30,31,新世。

      18 エフタとその娘は,どのように今日の神権的な家族に対する模範ですか。

      18 戦争に勝利を得て,凱旋の帰還をしたとき,ただひとりの子供である娘が彼を出迎えました。エフタはこの娘をそだてるにあたつては,自分と同じく真心をこめて行うようにみちびいたことは明白です。彼女もエホバの勝利に第一の興味を示して,その誓願に従うという強い願望を述べました。彼女は,エホバにささげられたものとなり,シロの幕屋にいた祭司たちに渡されました。彼女は夫や家族を持つことが許されず,ギベオン人と共々に仕えてエホバの崇拝をいたしました。エフタとその独り子が,自己犠牲の精神を持つたことは,真心をこめて行なう例として聖書中に示されています。それはそのとき以来の神権的な両親や子供たちに対する模範であります。―シシ 11:34-39。

      19 生涯中のどんな出来事により,ダビデはエホバに全く献身していたことを証明しましたか。

      19 ダビデは,羊飼の少年から王になりました。彼は顕著な地位と権威を得てからは,真心をこめてささげるエホバ神への奉仕を止めましたか。少年のときのダビデは,万軍のエホバの名によつてゴリアテと戦い,盾と槍を手に持つ代りに,信仰を心にいだいていました。後日,彼はサウロ王から命を狙われるという危険や,ペリシテ人の土地での危険をも耐え忍びました。彼はつらい戦争をたくさん行い,エブス人を打ち負かし,エルサレムにおける自分の立場をかたくし,長年の敵ペリシテ人を支配し,そして戦争に勝つことによつて国の境界を拡大しました。彼の家庭内では,アブサロムが反逆したときに彼の家には剣がのぞみました。また,彼はサウロの娘である妻ミカルとも問題がありした。ダビデの真心のこもつた信仰,エホバの崇拝と立証に対する彼の愛,エホバの箱に対する彼の大きな興味,エルサレムの宮を建てる ― エホバはこの仕事をソロモンにゆだねました ― ために材料を準備したことは,ダビデがその全生涯を通して熱心な真の崇拝者であることを示します。ダビデがつくつた詩篇は,彼の献身を反映します。王座につく彼の後継者,ソロモンに,エホバのいましめを守れと,告げた彼の最後の言葉はエホバに全く献身している彼の心の状態を表わしています。ダビデのすべての経験から,彼がエホバに専心の献身をささげたもの,そしてしつかりとしてゆるぐことのないエホバの賛美者であることが証明されました。―列王紀略上 2:3。詩 108:1,3。ヘブル 11:32。

      20 一生涯をエホバに仕えるのに費やした顕著な例は誰ですか。彼はどんな試練を通りましたか

      20 キリストの時代以前には多くの預言者たちがいました。その中でも最も顕著な者は,サムエルです。彼は,乳離れした時から死ぬ時までエホバに専心して仕えた証者の例です。年若いサムエルは,シロの天幕で大祭司エリと共に奉仕しました。しかし,エリの息子たちの悪い例には従わなかつたのです。彼らは,集会の天幕の入口で仕えていた女たちと同棲していました。サムエルは,道徳的な清さを保ちました。彼はエホバの契約の民のなかで行なわれていた偶像崇拝の行いを非難し,正しい犠牲をささげ,一生のあいだイスラエルをさばきつづけ,そして巡回の僕として国内を定期的に旅行しました。国民が王を求めてエホバの支配権を捨てたとき,サムエルは心に悲しみを感じたのです。不従順なサウロ王が何をしようとも,そのようなことに恐れを持たなかつたサムエルは,次のような言葉をサウロ王に告げました,「ヱホバはその言にしたがふことを善したまふごとく播祭と犠牲を善したまふやそれ順ふ事は犠牲にまさり聴く事は牡羊の脂にまさるなりそはそむくことは魔術の罪のごとく……なんじヱホバの言を棄てたるによりエホバもまた汝をすてて王たらざらしめ給ふ」後日,サウロに殺されるかも知れない,という危険をおかしても,サムエルはダビデに油を注いで王にならせてエホバの御心をいたしました。この予言者が真心をこめて仕えたことは,エホバのよろこび給うところでした。―サムエル前 2:22; 7:16; 15:22,23。ヘブル 11:32。

      21 いま,考慮をするためにどんな比類のない記録が保存されていますか。それを学ぶとき,私たちはどのように答え応ずるべきですか。

      21 信仰とエホバへの真心をこめた献身は,エホバに受けいれられた昔の人々のうちに見出されました。彼らは,エホバの御霊により幾世紀にもわたつて一つの記録を作り上げました。他の群の人々すなわち,エジプトの力のある人々,バビロンの祭司たち,ペルシヤやギリシヤの君たちが,そのような記録をつくることはとうていできなかつたでしよう。エホバの忠実な証者のみが,次のような者と記述されるのです,「彼らは信仰によつて,国々を征服し義を行い,約束のものを受け,ししの口をふさぎ,火の勢を消し,つるぎの刃をのがれ,弱いものは強くされ,戦の勇者となり,他国の軍を退かせた。女たちは,その死者たちをよみがえらさせてもらつた。ほかの者は,更にまさつたいのちによみがえるために,拷問の苦しみに甘んじ,放免されることを願わなかつた。なおほかの者たちは,あざけられ,むち打たれ,しばり上げられ,投獄されるほどの目にあつた。あるいは,石で打たれ,さいなまれ,のこぎりで引かれ,つるぎで切り殺され,羊の皮や,やぎの皮を着て歩きまわり,無一物になり,悩まされ,苦しめられ,(この世は彼らの住む所ではなかつた),荒野と山の中と岩の穴と土の穴とを,さまよい続けた」。たしかにパウロの書いたとおりに,ヘブル語聖書中に記録されている信仰のすべての行いや活動を詳細に告げる時間はありません。しかし,良い目的のために記録は残されているのです。それは,真心をこめて奉仕したこれらの人々の例に私たちの心が動かされるためです。幾世紀もずつと昔の彼らは,いまや間近になつている正義の新しい世の設立にかたい信仰をいだいて行動しました。かくして,心をこめてエホバを愛し,専心の信仰を持つ人々のみが,大いなる復活者,生命の与え主の是認を得ると私たちは知ります。―ヘブル 11:32-38,新口。コリント前 10:11。

  • 心をこめて働く
    ものみの塔 1960 | 7月1日
    • 心をこめて働く

      「何をするにも,……エホバに仕えるように心をこめて働きなさい」。―コロサイ 3:23,新世。

      1 エホハとキリストは,何において人間の模範ですか。

      エホバ神とキリスト・イエスは働く御方です。「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」とイエスは言われました。イエスが地上に来る前にあずかつたエホバのすばらしい創造のわざは,日々見ることができます。しかし,地上の人間であられたときに,イエスはどんな種類の仕事をしましたか。彼は人々が聞えるところで御父の御名エホバをあがめました。彼のわざは最善の種類のものでした。イエスは,彼をつかわした御父のわざに専心の興味を持ち,機会のあるかぎり,このわざをするのに全く献身していました。イエス

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