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    ものみの塔 1954 | 7月15日
    • 彼を崇拝する者たちは,ヱホバが神であることを擁護宣明いたします,そしてその時に,彼らはヱホバの造られたものとヱホバとの間柄に関する事実,そしてまたヱホバと彼の啓示された言葉である聖書に関係する事実について人々の注意を呼びおこすことによつて,そうするのです。

      18 ヱホバは,この古い世の宗教のあいだに,彼の大義を擁護する者を見出しますか?

      18 この古い世の宗教のあいだに,ヱホバの大義を擁護する者をヱホバは見出しますか? もしあるならば,その擁護する者の名前を言いなさい! 一つもありません。このことを説明するものは,新教主義を代表するある著名な代弁者の書き記したものです。その人は最近に『革命時代にあつて伝道する』という本を書きましたが,その中で,教会での父と子について語つていた以前の筆者について話しが及び,この司祭はそのことがらを次のように詳細に述べています。『年を取つた教区長は,旧約聖書を読んだ,それで少年は,人々の上に災いを送り,人々を亡すために火の蛇をつくつたおそろしい神を知つた。その夜のこと,父親が少年の寝室を通り過ぎた時,少年は父親を呼んで,父親のくびに手を廻し,そばに引きよせてこう言つた「お父さん,お父さんはヱホバを憎むでしよう。僕もヱホバを憎む。ヱホバはきたないいやな弱い者いじめね。僕はあんなの大嫌い。』このことがらについてこの本の著者がした論評にいま注意してごらんなさい。そして著者である司祭が,聖書の神を擁護したかどうか,そしてまた神が古代においてなされた彼の立証の業についての聖書の説明を擁護したかどうかを決定しなさい。『我々は,憎むべき神についての考えと歴史的に結びついている和解についてこの考えを長いあいだ拒絶してきた。我々にとつて,神は怒りつぽい,おそろしい,復しゅうをするものであつて,そしてアダムが罪を犯したために,人間をやたらに殺してしまうようなものであつてはならない。正直な少年が,全くいやになるのも当然であつて,「きたない,いやな弱い者いじめ」と言うのも不思議ではない。』

      19 誰だけがヱホバの大義を擁護しますか?

      19 キリストは,ヱホバを常に擁護しましたが,そのキリストの名前を信じている者が,まだ分別もなく,しかも間違えて教えられている子供は正しいのだと支持して,そしてその子供の言つた言葉,すなわちヱホバ神は『汚ないいやな弱い者いじめ』というのを認めているとは,なんと恥ずべきことなのでしよう。しかし,このようなことは新しいことではありません。イエスの時から今日にいたるまで,地上にいるどんな人がヘブル語聖書の神を擁護してきましたか? 誰がその神の最高至上権を宣明し,その方に愛と献身をささげ,そして仲間の人たちにも同じことをするようにと呼びかけていますか? この今日にあつて,ヱホバ神の大義のためにこの行いを誰がしていますか? それらの人々とは,自分の意志で決定してから,理解と愛のうちにその生涯を変えることにより,その器官を『義の奴隷として,聖くして』捧げる者たちだけであります。それは,聖なる神の聖なる大義に奉仕することです。潔めは,人の献身した器官をヱホバにささげ,聖さに達することを含みます。この聖いことは,真のものであつて,私たちはその聖さを得ることができ,そして保ち守ることができます。

      どのようにうけますか?

      20 誰から潔めは来ますか?

      20 前に出ていて,研究した聖句は,他の聖句と一致しており,そして潔めはヱホバ神からのものであると示しています。ヱホバ神は,その真理の言葉によつてキリストを通じて人々を御自身にひき寄せられ,そしてその御自身の正義によつて人々をひきつけられます。ヱホバ神は,キリストの贖いの御準備をそなえられることによつて,不完全な人をして,神と和解した関係の立場を取らせることができます。それは,イエスの犠牲の恩恵により,そしてまたイエスの犠牲にたいして信仰を持つことにより,彼らは義と言明されたからです。『しかし,あなた方がキリストイエスと共におられるのは,彼(神)によるのである。キリスト・イエスは,私たちにとつて神からの智慧となり,また正義と潔め,そして贖いによる救済となられた。』(コリント前 1:30,新世)信ずる者たちが,自らを献身するのはヱホバ神にであります。それですから,潔めはヱホバから真にくるのです。イエスは,次のように言つた時,このことを示しました。『父が潔め,そして世につかわした私に対して,私は神の子であると言つたということで,「冒瀆するもの」とあなた方は言うのか?』― ヨハネ 10:36,新世。

      21 潔めをするにあつて,真理はどんな役割りを果しますか?

      21 また,潔めを得る手段を考えてみるときに,私たちはすぐにイエスの言葉を考えます。イエスは天の父にたいして次のように言つて,真理はその手段であると示しています。『真理によつて,彼らを潔めて下さい。あなたの言葉は真理です。』(ヨハネ 17:17,新世)それですから,神の表し示される言葉は,潔めの義しい道にたいして是非必要なものです。ヱホバは,キリストの体のクリスチャン会衆の献身した成員たちを潔めて,彼らに天の御国に入る召をあたえ,彼の聖霊でもつて彼らに油を注ぎ,彼らを彼の聖い神聖な奉仕だけに従事させ,聖別して,そして彼の真理の言葉によつて,彼らを導きます。そうです,しかし各人の生涯にあつて,最初に真理はどのように人々のところにきますか? ヱホバ神が降りてきて,彼らと一緒に坐り,彼らにその言葉を教えるなどということは全くありえません。またキリスト・イエスもそうされないでしよう。なぜならば彼は天の王だからです。使徒パウロは,テサロニケの同じ会衆に手紙を書き,潔めをする真理がどのように人のところに来るかを示しています。というのは,パウロはテサロニケにいた人たちに真理がどのように来たかを思い起して,このように言つているからです。『神は,御霊とあなた方の真理に対する信仰によつて,初めから救いのためにあなた方を選ばれたのである。私たちが宣べつたえる良い音信によつて,神はあなた方をこの運命に召されたのである。……それで兄弟たちよ,かたく立ちなさい。』― テサロニケ後 2:13-15,新世。

      22 潔めをするにあつて,クリスチャンの宣教のする役目を示しなさい。

      22 パウロが,テサロニケの人々に良い音信を宣べ伝えましたので,テサロニケの人々は神の真理の言葉に接し,そして信じて信仰を置き,その結果に神によつて選ばれ,潔められて救われるようになつたと考え理解すべきでしようか? そうです,全くその通りです! そのことは,クリスチャンの時代でもそうでありましたが,今日でもそうです。人々は,神との間に,彼への潔めまたは献身のこの祝福された関係に入りますが,それは,彼らよりも前にそのような関係に入つた他のクリスチャン奉仕者たちが,彼らのところに神の言葉の音信をもたらし,彼らに聖書の真理を伝道したからであり,そして彼らが聞いてそれに答え応じたからです。『私はキリスト・イエスの公けの僕となり,諸国民に仕え,神の良いたよりの聖なる仕事に従事する。それは献げもの,すなわちこれらの諸国民が神によつてうけ入れられると証明され,聖霊によつて潔められるためである。』― ロマ 15:16,新世。

      23 霊的な兄弟で『年上』と『年下』の今日の関係を説明しなさい。

      23 霊的に言うならば,パウロは彼らの兄であり,彼らはテサロニケにあつて弟たちでした,というのはパウロから彼らは神の言葉のこの音信をうけ取つたからです。そのクリスチャンの型は変つていません。それは,今日でも同じです。1914年に御国が設立し,1918年に主が裁きのために宮に来てから,そしてまた1920年以来に神の設立されている御国についての音信が地のいたるところで熱心に宣べ伝えられてから,ヱホバを崇拝する人々の数は今日まで増大し,いまでは143の国々や土地で,幾十万という人々になつています。それらの人々は,ちようどテサロニケの人々が,使徒パウロの伝道に答え応じたように,彼らよりも霊的に『年上の』奉仕者たちの伝道に答え応じたのです。永年のあいだヱホバの大義を擁護している奉仕者たちは,いまでも神の奉仕に熱心で積極的です。御国が1914年に設立される以前に良いたよりの奉仕者であつた者のうち,ある奉仕者は,いまでも強くなりつつあります。それらの多くの奉仕者は,現代のキリスト教聖書教育の仕事に従事しており,1919年に始まつている,現在の増加する繁栄をずつと経験しているものです。神のこれらの忠実な僕たちは,多くの伝道をしています,そして年月がたつにつれて,他の者たちも彼らに加わり,そうして業は増大します。地上にあつて,いま約2万人の人は残つている人たち,すなわち神の潔められたキリストの体の残れる者たちということを示しています。その数は,1954年の記念の象徴をいただいた数から示されています。

      24 何ののなかに,私たちは,私たちの『年上の兄弟』を認めますか?

      24 最近に,私たちは,聖書の真理で目が開いて,ヱホバのすばらしさを見ますが,これら年上の兄のような奉仕者たちは,使徒パウロがテサロニケの会衆に対して持つたのと似ている関係を私たちに対してもつているということを認めます。さらに,そしてもつと重要なことですが,その油注がれた残れる者の制度を,一人の愛ある年上の兄弟として認めます。そして,もし私たちがいま神に献身しているならば,私たちが救いに選ばれ,真理に信仰を持つている理由は,この『年上の兄弟』が良いたよりを私たちに伝道したからであると知ります。しかしながら,最も重要なものとして,私たちはみな真に一番年上の兄弟,キリストイエスの過去と現在の宣教を認めます。私たちは,このことをよろこんで認め,すべての感謝と讃美をイエス・キリストを通じてヱホバ神に捧げます。

  • みな『かたく立ちなさい』
    ものみの塔 1954 | 7月15日
    • みな『かたく立ちなさい』

      『それであるから,私の愛し慕つており,私のよろこび,また私の冠りである

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