-
武力闘争によらないで世に対する勝利を得るものみの塔 1974 | 2月1日
-
-
32 (イ)なぜイエスは夜のその時刻に世に対する勝利を唱える権利を有していましたか。(ロ)ピラトの前でなされたイエスの証言がその主張の正しさを裏付けるものであったことを述べなさい。
32 ニサン14日の晩のその時刻に,イエスには,全世界に対する勝利を唱える権利がありましたか。この時に至るまでの,忠実で愛のある生涯の歩みを見るとき,わたしたちは明確に肯定の答えをすることができます。イエスはその時,自分を高めて無意味な自慢をしていたのではありません。その後の数時間に示された,神に対する彼のゆるぎない従順がそれを証明しています。その土地におけるローマ皇帝の最高の代理者の前に立った時でさえ,イエスは自分が神から油をそそがれた王であることを否定せず,知事ポンテオ・ピラトに対してこう語りました。「わたしの王国はこの世のものではありません。わたしの王国がこの世のものであったなら,わたしに付き添う者たちは,わたしをユダヤ人たちに渡さないようにと戦ったことでしょう。しかし実際のところ,わたしの王国はそのようなところからのものではありません。……あなた自身が,わたしが王であると言っています。真理について証しすること,このためにわたしは生まれ,このためにわたしは世に来ました」。イエスがメシアなる王であるということ,イエスを憎む者たちはそのことを法律上の根拠としてローマ人に彼の処刑を求めたのであるにもかかわらず,イエスは神の王国との関係を否認しませんでした。―ヨハネ 18:36,37。
33 (イ)苦しみの杭の上でイエスの勝利はどのように全うされましたか。そのことは三日以内にどのように証明されましたか。(ロ)栄光を受けたイエスにはこの世に関してさらにどんな勝利が待っていますか。
33 そのしばらくのち,カルバリで苦しみの杭にくぎづけにされたイエスは,彼を憎む者たちがそばを通ってののしりのことばを語っても,そうした者たちと同じようにふるまって恨みを返すということはありませんでした。午後の三時ごろ,「成し遂げられた!」と言って頭を垂れ,最後の息を引き取られたイエスは,確かに全世界に対する勝利を,武力闘争によらないで得たのです。(ヨハネ 19:30。ペテロ第一 2:22-24)世はひとりの人間としての彼を殺しましたが,彼は打ち負かされることなく死にました。憎しみに満ちた世は彼の死からなんの満足も得ませんでした。イエスが世に対する勝利のゆえに栄光ある賞を受けることを世は阻みませんでしたし,また阻むことはできませんでした。まる三日もたたないうちに,全能の神は,死に対する驚嘆すべき勝利によって彼を死からよみがえらせ,そののち,その天の父の座の右に高めました。それは,神の足台にすぎないこの地上にある憎しみに満ちた世が決して達することのできない領域です。(フィリピ 2:5-11。ペテロ第一 3:22)彼らの前途には別の種類の勝利が置かれています。それは,ハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」のさいに,聖なるみ使いの戦士たちとともに得るものです。―啓示 16:14,16; 19:11-21。
-
-
「自由の旧国」でものみの塔 1974 | 2月1日
-
-
「自由の旧国」で
● 周囲をイタリアに囲まれているサンマリノは,「自由の旧国」と呼ばれている。約20人の伝道者から成るここの会衆は,この小共和国の1万8,000人の住民に,真の自由を人類にもたらすのは神の王国のみであることを理解させるには,どう援助したらよいのだろうかと考えた。最近完成したコンベンション・パレス(大会用ホール)で巡回大会を開くことはどうだろうか。1971年11月5日から7日にかけてこれは実行に移され,その建物の中で大会が開かれた。大会は前もってポスターやラジオで宣伝され,大会の開かれた週末には戸別に良い証言が行なわれた。その巡回区には929人の伝道者がいるにすぎないが,公開講演には1,749人が出席した。
-