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    ものみの塔 1964 | 3月15日
    • 9 政治的諸国家は支配権の代償として何を支払いましたか。また神の証者に対してどんな態度をとりますか。

      9 私たちは,サタン悪魔が「悪鬼のかしら」であり,「この世の支配者」であることを決定的に述べた聖書のことばを受け入れます。私たちの指導者イエス・キリストはサタン悪魔から支配権を受けることを拒絶しました。しかしバビロンの王ニムロデの時以来,この世の政治組織は「この世の支配者」であるサタンから政治的支配権を受け,何時も変らないその代価としてサタンに崇拝と奉仕をささげてきました。決定的な年となった1914年以来,人間の手による政治組織はこの支配権を手離すことを拒絶し,また「この世の支配者」に奉仕するのをやめることを拒絶してきました。このゆえに神の恵みを失ったこの世の国々は暗黒にとざされており,増し加わる「諸国民(の)悩み」の中にあって採るべき道を人間の指導者に示す政治的な光は,どこからもさしてきません。悔い改めることをしない人々は自分の力で自分を救おうと躍起になっています。世は滅びに定められており,人間の手で世界の状態をいやすことは不可能です。神はご自身の証者をつかわしてこの事を人々に告げています。それを聞いて人々は苦しみを感じ,そのために神をのろっています。

      10 (イ)むかしのバビロンに今日,相当するもの,またその政治的な同盟者に関して,私たはち何を宣言しますか。(ロ)いま私たちはどのように振舞いますか。

      10 エホバ神に敵対したニムロデは,中東のユーフラテス河畔にバビロンの都の基をすえました。この都はユーフラテス河の水をその守りとし,自分を肥やす交易を営みました。昔のバビロンに相当するものが現代にも存在しています。それは象徴的な水である人々を圧迫してその上に座り,自らの保護と利益を図っています。そして地の政治的な王を支配する宗教的な国を動かすことさえしました。富をもたらし,保護を与える「水」を干上らせ,現代のバビロンを倒して滅ぼす神の時がきました。その政治的な同盟者は,「全能の神の大なる日の戦闘」を目ざして進んでいます。悪鬼の霊感を受けると共に,「この世の支配者」に仕える政治組織が叫ぶ宣伝ともくろみに導かれて,地の王たちとその軍隊はユーフラテス河にではなく,ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる戦場に向かって進んでいます。エホバの証者である私たちはこの軍隊の行進を妨げません。しかし地の王たちおよびその軍隊と共にハルマゲドンに行進することはしません。私たちは全能の神と,メシヤなるイエスによる神の国に敵対して戦うことを拒絶するからです。

      11 (イ)世にいるにしても,私たちは何をすることを拒絶しますか。(ロ)現代のビバロンは何をしませんでしたか。従ってどんな結果が期待されますか。

      11 現在,私たちはこの世にいることを余儀なくされていますが,私たちはこの世の精神を吸い込みません。それは神の御霊ではなく,「この世の支配者」である悪魔の精神だからです。人類の世界は,目に見えないその支配者の精神に導かれて,何千年のあいだ堕落した肉欲のわざにふけってきました。いまや世界は,サタン悪魔の精神を吸い込んで,神にさからう肉欲のわざにふけってきた報いを刈り取っています。現代の宗教的バビロンは,神の御霊をつちかうことを人々に教えませんでした。人は神の御霊の実を刈りとるとき,神の造る新しい秩序に永遠の生命を獲得するのです。ゆえに世界は,かつてないほど大きな艱難に直面しています。この大艱難にふるい動かされるとき,世のすべての政治組織と現代の宗教的バビロンはこなごなに砕け,たとえ山のような堅固な組織も,島のように遠く離れている組織も,人間の組織はみな滅びうせてしまうでしょう。

      12 (イ)この裁きの日に私たちはどこにいることを決意しますか。(ロ)最後に私たちは「永遠の福音」に関して何を決意しますか。

      12 したがって私たちは,人間の歴史で最も重大な時期に直面しようとしています。神の正義の裁きはまさに執行されようとしており,私たちにとっていまは決定を下すべき時です。滅びに定められたこの世の諸国家は,超人間的な悪鬼に導かれて行進しています。しかしそれを見る私たちの決意は,すでに設立された,メシヤによるエホバ神の御国の側に立ち,その立場を固く守ることです。同時に私たちの祈りは,神がますます豊かに御霊を与えて下さることです。神の御霊をつちかうことに努め,汚れのない清い崇拝を神にささげてゆくとき,私たちは神の武具で何時も身を固め,血肉に対してではなく,「天上にある悪の霊」に対して戦いつづけます。この戦いは,「この世の支配者」であるサタンとその悪鬼が,キリストの治める千年のあいだ底のない穴につながれるまで,つづけられるのです。イエス・キリストの下にある神の天使は,私たちのために働いています。私たちはこの事をエホバ神に感謝します。天使たちの助けと神の聖霊およびみことばの助けによって,私たちは差別なくすべての人に対して,メシヤによる神の国と神の裁きに関する「永遠の福音」を宣べ伝えつづけます。神に敵対する者にとり災となっても,神の裁きはかならず執行され,霊と真をもって創造主なる神に正しい崇拝をささげたいと願うすべての人々を解放します。(この決議は24のの大会において,合計45万4977人の出席者により可決されました)。

  • 偽りの宗教に対する神の裁きの執行
    ものみの塔 1964 | 3月15日
    • 偽りの宗教に対する神の裁きの執行

      「さあ,きなさい。多くの水の上にすわっている大淫婦に対するさばきを,見せよう」― 黙示 17:1,新口。

      1 各人にはどんな権利がありますか。この点において他の人にはどんな義務がありますか。

      自分の選ぶ宗教を実践する権利はだれにでもあります。極端に不道徳とかわいせつ,あるいは社会の良識に反する宗教を持つというのでなければ,この事は今なお真実です。自分の宗教を選んで実践する各人の権利を,すべての人が尊重しなければなりません。すなわち宗教に関しては寛容を示すことが必要です。

      2 (イ)宗教上の寛容は何を意味しませんか。(ロ)ヒンズー教の一著者は,多くの神々の名前についてどんな見解を述べていますか。どんな疑問が生じますか。

      2 すべての人が持つ宗教上の権利を認め,各人の宗教上の行為に干渉しないといっても,それは私たちが他の人の宗教を是認するとか,あるいは他のすべての宗教をよいものと認めるという意味ではありません。宗教的に寛容であっても,私たちはすべての宗教が正しく,有益であるとは考えません。すべての宗教が永遠の幸福な将来に通ずる道とはならず,どんな崇拝をしてもその神を永遠に楽しめるわけではないのです。またいろいろな名の神があるにしても結局は同じひとつの神を崇拝しているのであって,神に近づく道あるいは宗教的な儀式が違うだけなのだ,とよく言われますが,私たちはその考えにも同意できません。最近ヒンズー教に関する本の中に次のことが出ていました,「人の名前が人格とは無関係なように,神の名前は宗教に必須なものではない。……エホバ,バグワン,イシワール,アラー,ハリ,シバ,ラマその他何と呼んでも,人はおのおの育てられた環境に従って,宇宙の神秘および崇拝の観念をそれぞれ神に結びつけているだけで,名前は違っても神の本体は同じである」。a しかしこれは正しいですか。異なる神々

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