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あなた方の敵対者である悪魔に用心しなさい!ものみの塔 1984 | 10月15日
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あなた方の敵対者である悪魔に用心しなさい!
「冷静さを保ち,油断なく見張っていなさい。あなた方の敵対者である悪魔がほえるライオンのように歩き回って,だれかをむさぼり食おうとしています」― ペテロ第一 5:8。
1 エホバの証人にはどんな敵対者がいますか。しかしその者を退けることは可能ですか。
あなたは,無条件で献身したエホバ神の証人ですか。もしそうであれば,あなたには腹黒い敵対者,極悪非道の敵がいることになります。しかし,このずる賢い敵にどれほどのことができようと,この敵を退けることは可能です。あなたは,至高者なる神エホバに対する忠実を証明できるのです。そのようにしてあなたは,天の父の比類のないみ名の立証にあずかることができるに違いありません。実に,エホバの心を歓ばせ,大いなる嘲弄者に対する答えをエホバに提出することができるのです。それだけでなく,楽園での幸福のうちに享受するとこしえの命という賞を得ることもできます。―箴言 27:11。ルカ 23:43。啓示 2:7。
2 使徒ペテロはわたしたちの主要な敵対者について何と述べましたか。
2 神に忠実を保つには,あなたの主要な敵対者に用心しなければなりません。この者について使徒ペテロはこう書きました。「冷静さを保ち,油断なく見張っていなさい。あなた方の敵対者である悪魔がほえるライオンのように歩き回って,だれかをむさぼり食おうとしています」。それでも,この敵から身を守ることは可能です。同使徒は続けてこう述べているからです。「しかし,堅い信仰をもって彼に立ち向かいなさい。……あなた方がしばらくのあいだ苦しみに遭った後,……あらゆる過分のご親切の神は……あなた方を確固とした者,強い者としてくださるでしょう」。(ペテロ第一 5:8-10)これらの言葉は特に,イエス・キリストの油そそがれた追随者たちに慰めをもたらしますが,地上の楽園で永久に生きることを望み見るエホバの僕たちにとっても本当に意義深いものです。
3 (イ)わたしたちをすぐにでも助ける立場にいるのはだれですか。(ロ)サタンは自分の邪悪な目的を果たすのにどんな敵を用いていますか。
3 わたしたちの敵対者に用心したいなら,その者の戦術に関する知識に加えて,助けが必要です。わたしたちすべてが忠誠を保つための助けをすぐにでも喜んで与えるのは,エホバ神,イエス・キリスト,聖なるみ使いたち,そしてクリスチャン会衆です。一方わたしたちには戦うべき相手として,自分自身の不完全な肉とこの邪悪な事物の体制があり,三つ目に,悪魔サタン自身がいます。この者は悪意を動機とし,自らの邪悪な目的を遂げるためにわたしたちに向かってくる他の二つの敵の協力をすぐにでも求めることができます。―ヨハネ 15:19。コリント第一 9:27。
4 (イ)サタンはどんな四つの名称で知られていますか。(ロ)「悪魔」,「蛇」,「龍」という呼称がサタンにふさわしいのはなぜですか。
4 聖書がこの敵対者に与えている名称そのものから,この者の方法,謀りごとをよりよく理解するための助けが得られます。この者はサタン,悪魔,蛇,龍として言及されています。(啓示 12:4,9,10)そのサタンという名は「反抗者」,あるいは「敵対者」を意味します。(ヨブ 1:6; 2:1)「悪魔<デビル>」とは「中傷する者」,「非難する者」,「悪口を言う者」という意味です。サタンはエデンの園でエバを欺くために蛇を用いたので,「蛇」とも呼ばれています。(創世記 3:1-7)さらには,物をむさぼり食うその性癖ゆえに,「龍」とも呼ばれています。
サタンの動機と目的
5 サタンはエホバに関しどんな立場を取ってきましたか。
5 元々は神の天的な子らのひとりであった悪魔サタンは,エホバに反対し,エホバを中傷し始めました。サタンの目的は,自分の利己的な目的に資するよう人類を神から引き離すことでした。悪魔の行動の歩みは,悪魔が神の真実性に,また命と幸福を持続させるために人間はエホバに頼りエホバを仰ぐ必要があるということに疑問を差しはさんだことを明らかにしています。サタンの歩みには,サタンが神の支配権と神の支配の仕方を疑問視していることも暗に示されています。エホバは,義のうちに支配を行なうという原則と,人間を神と義に対する愛ゆえに進んでご自分に仕えさせるという原則を固く守られます。それに反し,サタンは,利己的な利得のほうが望ましい動機であるという立場を取ってきました。言い換えれば,すべての理知ある創造物は自分と同じように利己的になるべきであり,実際に自分と同じように利己的であると主張します。―ヨブ 1,2章。
6 サタンの歩みはその動機に関し何を明らかにしていますか。
6 サタンがこのような道を取るということは,この者が極度の野心を激しい情熱また動機としていることを明らかに示しています。このことは,新しく転向した男子を監督の立場に任命することに対し使徒パウロが述べた,「誇りのために思い上がり,悪魔に下された裁きに陥るようなことがあってはいけないからです」という警告からも明白です。(テモテ第一 3:6)そうです,全能者,至高者,宇宙の主権者,とこしえの王であられるエホバ神にサタンがあえて対抗するのは,はなはだしいうぬぼれの表われでした。(創世記 17:1。サムエル第二 7:28。詩編 83:18。テモテ第一 1:17)悪魔にとって最も優先される感情が虚栄心であることと,理知ある創造物がエホバ神にささげていた崇拝をこの者がねたんだことは,もし自分に対する1回の崇拝の行為をすれば「世のすべての王国」を与えるとイエス・キリストに申し出た時に明らかにされました。―マタイ 4:8,9。
7 神はなぜ,反逆者のサタン,およびアダムとエバを直ちに処刑されなかったのですか。
7 もとよりエホバ神は,サタンと最初の人間夫婦を,違反を行なった直後に処刑することができました。しかし,サタンが提起した論争のために,そしてアダムのまだ生まれていない子孫に対する憐れみから,神は悪魔が生きて,そのごう慢な挑戦を証明する企てを許されました。同時にエホバはそのことにより,人類の中で,神と神の義の原則を離れて自らを治めようとする機会を欲した人々にその機会をお与えになりました。
自分の存在に関する欺き
8 サタンは,自分の存在そのものに関し,どのように人類を欺いてきましたか。
8 サタンはエホバ神の敵対者としての自分の目的を促進するため,そしてもし可能であれば創造者に対する正当な崇拝から全人類を引き離すために数々の変化に富んだ謀りごとに訴えます。それらの謀りごとの一つは,自分が存在してさえいないかのように思わせることです。このように思わせれば人々は容易にサタンのえじきになります。そのわけで今日,数多くの宗教団体では,悪魔サタンのような人格的存在者はいないと考えることが流行になっています。例えば,ニューヨーク市の政策研究センターの行なった調査は,1974年にアメリカ人の半数以上が人格的存在としての悪魔のいることを完全には信じていなかった,と伝えています。多くの僧職者でさえ,人格を持つ悪魔の存在は信じていません。
9,10 聖書は,悪魔が人格的存在者であるという事実をどのように確証していますか。
9 しかし聖書は,人格を持つ悪魔がいることについて何の疑念も残していません。聖書は,ある人格的存在者が蛇を通して語り,最初の女エバを欺いてたぶらかしたことを示しています。ヨブ記は,人格を持つ者としてのサタンの存在をさらに確証しています。ヨブ記は,その者がエホバ神と話し,神の僕ヨブの忠誠を攻撃しているからです。加えて,福音書筆者のマタイ,マルコ,ルカは,イエス・キリストが悪魔の誘惑を受けたことを記録しています。これらの誘惑が外部からイエスに臨んだに違いないことは,イエスの完全さと人格についてわたしたちが知っている事実のみならず,サタンの仕掛けた第三の誘惑の特色からも明らかになります。イエスが邪悪な原則や考えの前でひれ伏し,崇拝の行為をすることがどうしてあり得るでしょうか。イエスが繰り返しサタンを人格的存在者として,また「この世の支配者」として述べていることも重要な点です。―ヨハネ 12:31; 14:30; 16:11; 8:44。マタイ 4:1-10; 12:26。ルカ 10:18。
10 イエスの使徒たちも悪魔を人格的存在とみていました。パウロは,真のクリスチャンはサタンの「謀りごと」を知らないわけではないことを示し,「悪魔の策略」に対抗するよう彼らに警告を発しました。(コリント第二 2:11。エフェソス 6:11)すでに注目したように,ペテロは仲間の信者たちに,彼らの敵対者である悪魔に用心するよう勧めました。そして使徒ヨハネは,「全世界が邪悪な者の配下にある」ことと,「悪魔は[クリスチャンたち]のうちのある者たちを次々に獄に入れる」ということを証ししました。―ヨハネ第一 5:19。啓示 2:10。ペテロ第一 5:8。
偽りの宗教に関するサタンの計略
11 サタンは,崇拝に関する人間の本能をどのように扱ってきましたか。
11 人々を盲目にさせるためのサタンの謀りごとには,偽りの宗教を用いることが関係しています。(コリント第二 4:4)人間は崇拝という手段により創造者と絶えず接触する必要のある者として神により創造されました。サタンは利己心を突いて,また清い宗教に対する無知を促進して,この本能を誤った方向に向けてきました。自分の目的を果たすためサタンは「自分をいつも光の使いに変様させて」います。(コリント第二 11:14)こうした欺きの結果,人間は幾千幾万という異なった種類の偽りの宗教に加わっています。
12 わたしたちは偽りの宗教と信仰合同をどのように見るべきですか。
12 すべての偽りの宗教は事実上サタンの生み出したものです。パウロは,「諸国民が犠牲としてささげるものは,悪霊に犠牲としてささげるのであって,神にささげるのではない」と述べているからです。イエスは,「わたしの側にいない者はわたしに敵しており,わたしと共に集めない者は散らすのです」と言われました。さらにキリストは,信仰合同の余地を与えず,「わたしを通してでなければ,だれひとり父のもとに来ることはありません」と語られました。―コリント第一 10:20。マタイ 12:30。ヨハネ 14:6。
13 サタンはどのような方法でオカルトに関する人間の好奇心を利用してきましたか。
13 サタンはオカルトや死者の状態に関する人間の好奇心を利用します。死者と話すこと,心霊術,運勢判断,占星術,黒魔術など全く非聖書的な計略により,サタンは数え切れないほどの人々をわなにかけてきました。実際,今日ではこうしたことに対する関心がいよいよ高まっています。一部の人々が事実上悪魔自身を崇拝する程度にまで事態は進展しているのです。―出エジプト記 22:18。レビ記 19:26; 20:6。申命記 18:10-12。
サタンは誇りに訴える
14,15 (イ)サタンはどんな手段を用いて,自分の目的を遂げるためにエバとカインを利用しましたか。(ロ)聖書は同様の趣旨のさらにどんな実例を挙げていますか。
14 サタンは誇りにかかわる誘惑に負けました。したがってサタンは,至高者なる神と同じようでありたいという誇り高い利己的な欲望をエバの中に呼び覚まし,その方法でわたしたちの最初の親をエホバ神への崇拝から首尾よく引き離しました。サタンはカインに対しても類似の近づき方を用いたに違いありません。弟アベルが神の是認を受けたためにカインがどれほど悔しく思っているかを見て取った悪魔は,その悔しさを殺人を犯すほどのねたみへとあおることができました。―創世記 4:3-8。ヨハネ第一 3:11,12。
15 人間の歴史を通じて,サタンはニムロデやモーセの時代のエジプトのファラオやアッシリア王セナケリブなどの誇り高い人々を器として用いることができました。(創世記 10:8-12。出エジプト記 5:2。イザヤ 36:7-10,16-20)今日サタンは,人種の誇り,国籍の誇り,教育の誇り,社会的地位の誇りなどの誇りを利用して無数の人々を手中に収めています。このすべては,神の音信に対して人々の耳をふさがせることにより,悪魔の目的を遂げるのに役立っています。
物質主義的貪欲さという落とし穴
16 サタンは物質主義的貪欲さを用いる点でどんな成功を収めてきましたか。
16 人々をわなにかけるためにサタンが用いている別の計略は,物質主義,貪欲さ,金銭への愛,所有物に関する誇りです。イエスの時代の貪欲に金銭を愛していた僧職者たちもその方法によってわなにかかりました。(ルカ 16:14)物質主義的貪欲さという落とし穴を用いて,『サタンは[アナニア]を厚顔にならせて,聖霊に対して虚偽の振る舞いをさせました』。(使徒 5:1-11)それに悪魔は,デマスや他のクリスチャンたちをエホバへの奉仕からそれさせるために,物質上の物や世の快楽に対する愛を用いたに違いありません。―テモテ第二 4:10。
17 わなとして貪欲さを用いたサタンに負けた人に関し,特にどんな悪名高い実例がありますか。
17 人をわなにかけるためにサタンが貪欲さを用いたことを示すひときわ悪名高い例は,ユダ・イスカリオテに関するものです。ユダは貪欲な盗人になっただけではなく,貪欲さが一つの要因となって自分の主人を裏切りました。ユダの思いがその方向に傾いていたことは,マリアが高価な油をイエスの足に塗っていたときに抗議したことによく表われています。(ヨハネ 12:4-6。マタイ 26:14-16)物質主義的貪欲さという落とし穴によってサタンにだまされないよう,わたしたちは本当に注意深くあるべきです。
サタンは人間の弱点をねらう
18 (イ)神は,生活から快いものを得られるよう,人間のためにどんな備えをされましたか。(ロ)サタンはどのようにこれを利用して人間に害を及ぼしてきましたか。
18 サタンが突いてくる種々の弱点の中に,禁じられている肉体的快楽を渇望することが含まれています。エホバ神は,わたしたちが多くの快いものを楽しむことを意図されました。そしてそれらをわたしたちに対する神のご意志の枠内で楽しむなら,それらは多くの益と幸福をもたらすことができます。ところが,サタンはこれらのものを生活の中で第一にさせるよう,そして神の律法を犯すような不道徳な方法でそれらにふけらせようと人間を誘惑しています。このようにしてサタンは,2万4,000人のイスラエル人をペオルのバアルという落とし穴に落としました。(民数記 25:1-9)今日の世界は肉体的快楽を求めて夢中になっています。雑誌も,新聞も,映画も,テレビ番組も,わいせつな事柄にいよいよ露骨に訴えるようになっています。しかし,神の霊に導かれるクリスチャンとして,わたしたちはそうした誘惑を退けなければなりません。―コリント第一 14:20。
19 (イ)若いクリスチャンは特にサタンのどのわなにかかりやすいですか。(ロ)若いクリスチャンは何に用心すべきですか。
19 サタンが用いる別の計略は,刺激を与える愉快な事柄への渇望に訴えることです。特に若いクリスチャンはこのわなに陥りやすいものです。彼らはしばしば,観客としても参加者としても,さまざまな種類のスポーツに全力を傾けます。しかしこのために,彼らは「神を愛するよりも快楽を愛する者」となりかねません。(テモテ第二 3:4)他の若者の場合,刺激を与える事柄を渇望するこの気持ちは,不道徳と暴力を育むさまざまな形の音楽と歌に向けられます。確かに大いに注意する必要があります。このような事柄は若いクリスチャンたちを方正と徳の道筋から引き離す落とし穴となり得るからです。―詩編 16:11。ペテロ第二 2:20-22。
20 サタンはどのように恐れの気持ちを用いていますか。
20 サタンはほかにも人間に対する恐れというわなを用います。嘲られないようにしりごみすることや苦しみを避けようとするのは自然なことです。苦難の時期に少なからぬ人々がそのような恐れのために妥協してきました。(箴言 29:25。ヘブライ 2:14,15)神の助けを得て,わたしたちは自分たちの場合にそうしたことが生ずるのを決して許してはなりません。
21 わたしたちが,落胆の気持ちに打ち負かされる必要がないのはなぜですか。
21 サタンのもう一つの謀りごとは,神の僕たちがあきらめるよう,彼らを落胆させることです。悪魔はヨブに関して確かにこのことを試み,ヨブをして,自分は死んだほうがよい,生まれてこなかったほうがよかったと思わせました。サタンはモーセに関してもこのことを試みました。(ヨブ 3:1-13; 14:13。民数記 11:10-15)これら忠実な人々はいずれも落胆の気持ちにのまれてしまうことはありませんでした。むしろこの二人は神のご意志に従いました。わたしたちも彼らと同じく,どんな状況にあろうとそれに圧倒されてしまう必要はありません。エホバはわたしたちを支えることがおできになり,義なる者がよろめかされることを決してお許しにならないからです。―詩編 55:22。
しっかり立ちなさい!
22,23 サタンの「策略」にしっかり立ち向かえるため,またサタンの謀りごとに寄与しないですむために,わたしたちは何をすべきですか。
22 サタンが人類の大多数をエホバ神から離れさせることに成功したことを考え,わたしたちは何をすべきでしょうか。エホバの勇敢な証人として,「悪魔の策略」,その計略,その謀略,その戦術に『しっかり立ち向かわ』なければなりません。(エフェソス 6:11)そうすることによりわたしたちは,悪魔が実際には卑しく誇り高い偽り者であることを証明することができます。
23 しかし,わたしたちは自分の力だけでサタンにしっかり立ち向かうことはできません。サタンはわたしたちよりも大きな力と,広範な知識と,はるかに多くの経験を有しているからです。ですから,サタンにしっかり立ち向かうことができるためには,エホバ神がご自分の民のために備えておられるすべての助けを十分に活用する必要があります。そうすれば,あのずる賢い敵を退けることになるでしょう。
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サタンの計略にしっかり立ち向かいなさい!ものみの塔 1984 | 10月15日
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サタンの計略にしっかり立ち向かいなさい!
「悪魔の計略にしっかり立ち向かえるために,神が備えておられる武具すべてを身に着けなさい」― エフェソス 6:11,新英訳聖書。
1 自分たちに与えられている特権に恥じない生き方をするクリスチャンたちにはどんな分がありますか。
自分たちに与えられている特権に恥じない生き方をする献身したエホバの証人たちは,霊的パラダイスを享受します。彼らの現代の状況を預言的に描写し,神の預言者イザヤはこう書きました。「荒野には公正が必ず住まい,果樹園には義が宿る。そして,真の義の働きは必ず平和となり,真の義の奉仕は定めのない時に至る平穏と安全となる」― イザヤ 32:16,17。
2 わたしたちが警戒を怠ってはならないのはなぜですか。
2 この幸福な状態を維持するには,警戒を怠ってはなりません。悪魔サタンがわたしたちの幸福で繁栄した霊的な地所をうらやんでいるからです。悪魔はマゴグのゴグとして間もなくエホバの民に対する全面的な攻撃を仕掛けます。(エゼキエル 38:8-12)しかし,今現在も手をゆるめているわけでは決してありません。その証拠に,サタンは残されている時の短いことを知り,以前にも増してエホバの僕たちに対する怒りを深めています。―啓示 12:12,17。
3 サタンがエホバの僕たちに対して憤っているのはなぜですか。
3 サタンはこの不義の人間の世を支配しています。(エフェソス 2:1,2。ヨハネ第一 5:19)それらの人々は皆,宇宙主権の大論争に関してサタンの側に付いています。彼らは,だれか人間がエホバ神への忠誠を保てるかどうかとの疑いを差しはさんだサタンに積極的な答えを提出しています。(箴言 27:11)少数のクリスチャンが,悪魔はうぬぼれの強いほらふきで,卑しい偽り者であると証明することでさえ,悪魔を憤らせます。そのため,これらエホバの忠実な僕たちを征服するために,悪魔は自分の意のままになるあらゆる計略,あらゆる悪賢い手管を用います。ですから,「わたしたちのする格闘は,……天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するもの……です」。―エフェソス 6:12。
4 わたしたちが自分の弱点を克服するために努力しなければならないのはなぜですか。
4 したがって,『どうすればこの強力な敵対者にしっかり立ち向かえるだろうか』と自問するのは良いことです。これまで見てきたように,悪魔はクリスチャンをわなに陥れるために,堕落した肉の弱さを用います。わたしたち個人としては怠惰という弱点はないかもしれませんが,誇り高いかもしれません。肉体的快楽に関して放縦ではないかもしれませんが,物質的な利得に関しては貪欲かもしれません。ですから,悪魔がわたしたちから逃げ去るように悪魔に立ち向かい,自分の弱点を克服するために努力する必要があります。―ヤコブ 4:7。
わたしたちの霊的な武具
5 どんな理由のために,わたしたちは完全にそろった,神からの武具を身に着ける必要がありますか。
5 わたしたちの敵対者は同一の計略を何度も繰り返して用い続けています。それで,神の言葉を研究することにより,サタンが聖書時代以来用いてきた計略によく注意することができ,サタンにどのようにしっかり立ち向かえるかが分かります。使徒パウロは,「悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい」と書き,「完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです」とも勧めました。パウロが,「完全にそろった,神からの武具」を身に着けることを強調している点に注目しましょう。神から与えられるこの武具が一つたりとも欠けてしまうのは危険なことでしょう。サタンはその点に気づき,傷を受けやすいその場所にねらいを付けてくる可能性が十分あるからです。このことは霊的な意味でわたしたちの命を奪うものとなりかねません。―エフェソス 6:11,13。
6 『真理を帯として腰に巻く』ためには何が求められますか。
6 同使徒は,『それゆえ,真理を帯として腰に巻き,しっかりと立ちなさい』とまず最初に勧めています。(エフェソス 6:14,15)古代の軍人の帯は,腰あるいは臀部に巻いた革製のベルトでした。多くの場合,そのベルトには小さな金属板が鋲のように打ち込まれ,保護を強化しました。それは兵士の剣ないしは短剣を支えるのにも役立ちました。クリスチャンが真理を腰に巻くとはどのような意味でしょうか。神の言葉の真理を腰に巻くとは,様々な問題を解決するために聖書を用いることができるよう,それを非常にしっかりと身に着けることを意味します。軍人のベルトが保護の手段であったのと同様,真理は重荷を負うための確信をわたしたちに与え,わたしたちを保護します。ですから,わたしたちの思いを神の真理で絶えず満たしておくことは,確かにサタンにしっかり立ち向かうための助けになります。
7 「義の胸当て」を着けるとはどんな意味ですか。
7 次に使徒は『義の胸当てを着ける』ようわたしたちに告げています。(エフェソス 6:14)聖書時代の胸当ては,小札,鎖の輪,あるいは堅い金属でできており,特に心臓<ハート>を守るのに役立ちました。この義の胸当てを身に着けるために,何よりも『わたしたちの心<ハート>を守ら』なければなりません。(箴言 4:23)そうして初めて,わたしたちはエホバに仕えるための動機づけと,自分がエホバの民の間で道徳的に汚れた影響力とならないようにする清い生活を送るための動機づけとを与えられて,サタンにしっかり立ち向かうことができます。―ペテロ第一 1:14-16。
8 『平和の良いたよりの装備を足にはく』ことには何が関係していますか。
8 パウロは次いで,『平和の良いたよりの装備を足にはく』ことについて述べています。(エフェソス 6:15)それはこの場合どのような意味ですか。イエスは70人の福音宣明者たちに,「どこでも家の中に入ったなら,まず,『この家に平和がありますように』と言いなさい」と教えられましたが,それに倣った平和的な方法で王国の音信を宣べ伝える面で非常な熱心さを保つことを意味します。(ルカ 10:5)わたしたちは人々と議論をするために訪れるのではありません。むしろ,慰め・喜び・思いの平安・希望を人々にもたらすために訪れるのです。サタンは,一部の聴き手の中に,反対と議論好きな態度をかき立てようとし,わたしたちも同じような反応を示すように仕向けます。ですから,サタンの謀りごとにしっかり立ち向かうには,巧みで忍耐強くあり,「あらゆる人に対してあらゆるものと」なることが必要です。―コリント第一 9:19-23。
9 古代の盾と火矢はどのようなものでしたか。
9 使徒は次のように助言を続けます。「信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます」。(エフェソス 6:16)ここで「大盾」と訳されているギリシャ語は,体の大部分を保護するほど大きなものを指しています。「火矢」に関して言えば,ローマ人は燃えるナフサを満たした小さな容器の付いた中空の葦で投げ槍を時々作りました。パウロはそのような火の付いた投げ槍に言及していたのかもしれません。
10 サタンは「火矢」として何を用いていますか。
10 サタンはクリスチャンに様々な種類の「火矢」を放ちます。これらの「矢」の中には,神の民に敵が向ける嘲笑,非難,中傷などが含まれます。彼らの宣教活動の成果が上がっていないように思えたり,肉的な弱さを克服する面で進歩が見られなかったりするためにクリスチャンの兵士を落胆させようとする一部の人々の努力がその「矢」になることもあります。また,辛辣な言葉,皮肉,偽りの申し立てなどもそれに含まれます。時にサタンは世の知恵に対する好奇心をかき立てることにより,クリスチャンを傷つけてきました。世の知恵はオカルトや,人間の起源や運命に関する哲学に関係しているからです。こうした「サタンの奥深い事柄」を避けるために一生懸命努力すべきです。あなたはそうされますか。―啓示 2:24。
11 わたしたちの霊的な盾の大きさと効果性は何に依存していますか。
11 サタンの「火矢」からわたしたちの心を守るために,大きな強い信仰の盾が必要です。それがどれほど大きく,どれほど堅牢なものになるかは,大部分わたしたちに依存しています。聖書の個人研究,神の言葉の黙想,仲間のエホバの証人との交わりのためによい時をどれほど買い取るか,その程度に応じてわたしたちは必要な保護を得ることになるのです。言うまでもなく,『業のない信仰は死んだもの』ですから,わたしたちは学ぶ事柄を適用する必要があります。(ヤコブ 2:26)したがって,わたしたちの信仰を大きくし,強くし,それによってしっかり立つことができるための最善の方法の一つは,他の人に信仰を教え込むことに対して熱心な努力を払うということです。
12 わたしたちの霊的なかぶととは何ですか。それはわたしたちにとってどんな価値がありますか。
12 パウロは続けて,「また,救いのかぶと……を受け取りなさい」と述べています。(エフェソス 6:17)古代において,あるかぶとはイグサで,別のものは刺し子縫いした亜麻布や皮,さらには金属で作られていました。(サムエル第一 17:38)しかし,わたしたちの霊的なかぶとは何でできていますか。パウロはテサロニケのクリスチャンたちに,「冷静さを保ち,……かぶととして救いの希望を身に着けていましょう」と述べました。(テサロニケ第一 5:8)そうです,希望はサタンとその手下が加える様々な打撃や傷からわたしたちを守ることができるのです。聖書に基づいた強力な「希望が失望に至ることはありません」。(ローマ 5:5)このような希望は,物質主義的な宣伝に負けないようわたしたちを守ります。それは,まず神の王国を求めるようにとの動機づけをわたしたちに与えるからです。―マタイ 6:33。ルカ 12:31。
13 「霊の剣」とは何ですか。それにはどんな価値がありますか。
13 最後には,攻撃用の唯一の武具である「霊の剣,すなわち神の言葉」が挙げられています。(エフェソス 6:17)ここで「剣」と訳されているギリシャ語は,短剣に似た短めの剣のことであり,接近して行なわれる戦いを示唆しています。神の言葉の正確な知識があれば,偽りの教えを刺し通し,切り払い,そこに論理性が欠けていることや,特に聖書と矛盾していることを暴露することができます。(コリント第二 10:4)わたしたちはこれを誇りの気持ちからではなく,神と真理と仲間の人間に対する愛から行ないます。幸いにも,わたしたちはキリスト教の出版物の助けを得て,『命の言葉をしっかりつかむ』ことができます。―フィリピ 2:16。
助けとしての,クリスチャンの特質
14 (イ)わたしたちに誇るべき理由がないのはなぜですか。(ロ)サタンにしっかり立ち向かうために謙遜である必要があるのはなぜですか。
14 霊的な武具に加えて,クリスチャンの特質も,悪魔にしっかり立ち向かうための助けになります。サタンは誇りの気持ちを突いてくるので,わたしたちが謙遜さと健全な思いの霊を持つことは,サタンと闘う際の助けとなるでしょう。実際,クリスチャンはだれも,「自分のことを必要以上に考え」るべきではありません。割り当てられた事すべてを行なったときには,「わたしたちは何の役にも立たない奴隷です。わたしたちのしたことは,当然すべきことでした」と言えるようでなければなりません。加えて,サタンにしっかり立ち向かうには,神の過分のご親切が必要であり,その過分のご親切をいただくためには謙遜でなければなりません。「神はごう慢な者に敵し,謙遜な者に過分のご親切を施される」からです。―ローマ 12:3。ルカ 17:10。ヤコブ 4:6。
15 しっかり立つため,自制にはどんな価値がありますか。
15 サタンにしっかり立ち向かう上で助けとなるもう一つのクリスチャンの特質は,自制です。怒りのような感情を抑え切れず,飲食や性に耽溺するなら,わたしたちは悪魔の攻撃や巧みな扱いにさらされやすくなります。「自分の肉の欲望にしたがって生活し」ていたとき,わたしたちは実際には,「この世の事物の体制にしたがい,また空中の権威の支配者[悪魔サタン],不従順の子らのうちにいま働いている霊にしたがって」歩んでいました。(エフェソス 2:1-3)利己的で汚れた考えや感情の赴くままになっているなら,悪魔の意志を行なわせようとする悪魔のわなに陥る危険があります。(テモテ第二 2:26)サタンにしっかり立ち向かうために,わたしたちの言動に加えて,考えと感情をしっかりと制御しなければなりません。徳があり,義にかない,貞潔で愛すべき事柄について考えるようわたしたちの思いを訓練しなければなりません。―フィリピ 4:8。
16 利他的な愛が,しっかり立つための助けになれるのはなぜですか。
16 とりわけ,利他的な愛は,わたしたちが悪魔サタンにしっかり立ち向かうための助けになります。サタンはわたしたちのうちに何らかの利己的な傾向を見て取るや,直ちにその点を突いてきます。エホバへの奉仕と崇拝に利他的な愛ゆえにどの程度忙しく携わっているかに応じて,サタンの攻撃に耐えることができるようになります。わたしたちが心と魂と思いと力をこめてエホバを愛するとしたら,サタンにはわたしたちに関してどれほどの勝ち目があるでしょうか。愛があれば,他の人の救いにも気遣いを示すようになり,このことはわたしたち自身の救いを確実にするのに役立ちます。(マルコ 12:30,31。テモテ第一 4:16)わたしたちが様々な形の愛を表わし示す限り,目に見えるかどうかにかかわらず,サタンもそのどんな手下も,彼らに立ち向かうわたしたちの立場を弱めることはできません。―コリント第一 13:4-8。
17 しっかり立つ上で祈りが非常に重要なのはなぜですか。
17 サタンの計略にしっかり立ち向かうことができるためには,祈りを十分に活用することも必要です。なぜでしょうか。わたしたちは,自分自身の力だけでは全く勝利を収めることができないからです。高いところからの助けが必要です。パウロは霊的な武具について述べた後,「あらゆる祈りと祈願」を用い,「すべての機会に霊によって祈(る)」よう仲間の信者たちに勧めました。その目的のために,彼らは使徒パウロを含め『すべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめている』べきでした。―エフェソス 6:18,19。
18,19 (イ)賛美と感謝はどのようにわたしたちを助けますか。(ロ)請願と祈願にはどんな価値がありますか。
18 「あらゆる祈り」には何が含まれますか。一つの祈りの形は賛美です。エホバがどんな方かということや,その特質,宇宙におけるその立場を考えると,確かにエホバは賛美に値する方です。(詩編 33:1)別の形の祈りは感謝です。「あらゆる良い賜物,またあらゆる完全な贈り物」の与え主であられる方に感謝すべき理由は何と多いのでしょう!(ヤコブ 1:17)ごく当然のことながら,わたしたちは,「その愛ある親切に対して,人の子らへのそのくすしいみ業に対して,……エホバに感謝するように」と諭されています。(詩編 107:31)感謝の念に満ちた心と思いを持つとき,わたしたちはサタンにしっかり立ち向かう助けを確かに得ます。
19 請願は別の形の祈りです。知恵(ヤコブ 1:5),聖霊(ルカ 11:13),罪の許し(ヨハネ第一 1:9; 2:1,2),わたしたちの努力に対する神の祝福(詩編 90:17)などを願い求めるのはふさわしいことです。祈願もあります。それは,はなはだしい苦難や危険に面したときにエホバ神に熱心に懇願することを指しています。そのわけで,パウロは投獄された際,自分のために祈願をして欲しいと頼みました。(エフェソス 6:18-20)これらの形の祈りは,わたしたちがサタンにしっかり立ち向かうよう確かに助けてくれます。
しっかり立つよう決心しなさい
20,21 わたしたちはどのように,完全に勝利を収めることができますか。
20 今日,エホバの民は集団として確かに霊的パラダイスの祝福を享受しています。しかし,わたしたちが個人としてこの祝福に絶えずあずかるには,それを当然のこととみなしてはなりません。警戒を怠らず,わたしたちの敵対者である悪魔サタンにしっかり立ち向かわなければなりません。―ペテロ第一 5:8,9。
21 これまで見てきたように,悪魔は数々の計略を持っており,わたしたちの忠誠を打ち砕いてエホバ神への奉仕をやめさせることをその謀りごととしています。しかし,もしわたしたちが神からの霊的な武具を絶えず身に着け,愛や自制のような霊の実を培い続け,たゆまず祈るなら,わたしたちはサタンにうまくだまされることはありません。ですから,神エホバからの愛ある助けを得れば,サタンの計略にしっかり立ち向かうため十分に備えることになるのです。
覚えていますか
□ サタンがエホバの僕たちに対して憤っているのはなぜですか
□ クリスチャンの霊的な武具は何からなっていますか
□ サタンの「火矢」にはどんなものがありますか。しかしわたしたちにはそれらを防ぐどんな保護物がありますか
□ 悪魔にしっかり立ち向かうためにわたしたちが謙遜であるべきなのはなぜですか
□ しっかり立つために祈りが非常に重要なのはなぜですか
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