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自由の民の祝いに出席してくださいものみの塔 1969 | 3月15日
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どう酒だけです。―コリント前 5:7,8。
昨年は249万3,519人の人々が全地のエホバの民の2万5,000余の会衆に集まってイエスの晩さんを祝いました。しかしそれらの表象物にあずかったのは,それら出席者中わずかに1万619人だけでした。表象物にあずからなかった人の大多数は,使徒ヨハネが預言的な幻の中で見た「大ぜいの群衆」の成員か,その成員になる見込みのある人々でした。彼らの希望は,天の栄光のうちにキリストとともに治めることではなく,もはや死も悲しみも泣くこともまた痛みもない,「義の住む」楽園の地上で永遠に生きることです。(黙示 7:9,新。ペテロ後 3:13。黙示 21:4)彼らは表象物にあずかりませんでしたが,その祝いに出席して話を聞き,行なわれた事柄を見守って豊かに祝福されました。今年も同様に祝福されることでしょう。
1969年4月1日の晩,イエスのご命令に従って主の晩さんが祝われる,全世界のエホバの民の集まりにぜひ出席してください。あなたが出席なさるべきところはその集まり以外にありません。この祝いに出席して,そこでなされる事柄を見聞きすれば,イエス・キリストがあなたのために行なわれたことをいっそう深く認識し,神の自由の民のひとりとなるように助けられるでしょう。
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邪悪な霊者が存在しますかものみの塔 1969 | 3月15日
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邪悪な霊者が存在しますか
霊界から地上に来たイエス・キリストは,邪悪な霊者の存在を認めておられました。読者は,イエスが時おり悪魔について語り,悪魔を「偽りの父」,また「殺人者」と呼んだのを覚えておられるでしょう。(ヨハネ 8:44,新)偽りごとや殺人行為がしだいに増加している今日,この問題を調べることは,わたしたち自身の守りとなるでしょう。
もとより,邪悪な霊の被造物の存在を認めない人はおおぜいいます。そして,聖書を用いていると唱える人の中にさえ,悪魔サタンは目に見えない霊者ではなく,単なる悪の性質のことであると言う者がいます。しかし,こうした考えは事実によって裏づけられていますか。
悪魔は実在する霊者ですか
悪魔の誘惑を受けた時のイエス・キリストの経験についてはどうですか。聖書によれば,悪魔は世界のすべての国をイエスに見せたのち,「ひれ伏してわたしを拝むなら,これらすべてをあなたにあげましょう」と言いました。イエスは悪魔にこう答えました。「サタンよ,離れ去れ!『あなたが崇拝しなければならないのはあなたの神エホバである……』と書いてある」。この時,悪魔はイエスを離れました。―マタイ 4:1-11,新。
この経験をした時,イエス・キリストはだれの誘惑を受けていましたか。実在する人格的なものによってですか。あるいは,単なる悪という性質によってですか。もしイエスが単なる悪の性質によって誘惑されていたとするなら,その性質はだれの中に宿っていたのですか。それはイエス・キリスト自身の中にあったのですか。もしそうであるとすれば,イエス・キリストには罪がなかったということを否定しなければなりません。しかし神の真理のみことばである聖書は,イエスが「偽りも汚れもなく,罪人から分けられ」ていたことを明らかにしています。(ヘブル 7:26,新)聖書はまた,「彼は罪を犯さず,その口に欺きはなかった」とも述べています。(ペテロ前 2:22,新)それゆえ,イエスが自らに内在する「悪」と問答をしていたということはあり得ません。イエスは生きた霊的な被造物と語っておられたのです。
神を恐れた人ヨブに関する聖書の記述の中に,エホバがサタンに語りかけた時のことが次のように出ています。「エホバ,サタンに言たまひけるはなんぢいづこよりきたりしやサタン,エホバにこたえて言けるは 地を行きめぐり,ここかしこへあるきてきたれり」。(ヨブ 1:6,7)さて,ここに出てくるサタンは実在する人格的なものではなく,単なる悪という性質でしたか。であるとすれば,神はだれに対して語っておられたのですか。ご自身に対してですか。とすれば,悪という性質が全能の神ご自身の中にあったことになり,悪がエホバから始まったことになります。そのような考えは聖書の他の部分すべてと矛盾し,合理的な考え方ではありません。―詩 145:17。黙示 4:8。
こうして,聖書と理性的な判断とからして明らかなとおり,サタンは目に見えない霊界にいる生きた実在者です。サタンは昔も今も実際に存在する生きた被造物です。それゆえ使徒ペテロはサタンの接近に対して警戒するようにとクリスチャンに忠告しました。「慎みて目を覚しおれ,なんぢらの仇なる悪魔,ほゆる獅子のごとくへめぐりてのむべきものを尋ぬ。なんぢら信仰を堅うして彼をふせげ」― ペテロ前 5:8,9。
完全な被造物がなぜ悪魔となったか
しかし,悪魔はどうして存在するようになったのですか。神の「みわざは完全」ですから,神が邪悪な者を創造されないことは明らかです。(申命 32:4)また,理知をもつ被造物でありながら,神と交わることのできないものを神が創造されるはずもありません。そのようなことは,道理また神の愛に反します。―詩 5:4-6。
それで,のちに悪魔となった目に見えない霊者は,ある時期には完全であり,神の創造物として欠陥のないものであったに違いありません。この点で彼は,地球が人間のすみかとして整えられるずっと以前に神によって創造された他の幾百万の「神の子たち」のようであったことでしょう。(ヨブ 38:4,7,新)では,この者はどのようにして悪くなったのですか。
この霊の被造物が神に対する反逆の道を歩みはじめたのは,最初の人間男女の創造ののちです。この者は自分が崇拝されたいという欲望を育て,その欲望に従ってアダムとエバをそそのかし,神に反逆させました。どのようにしてこれを行なったのですか。聖書は,1匹のヘビがエバに話しかけ,偽りを語ったと述べています。その結果,エバは神にそむきました。そしてエバは自分の夫をさそい,神への反逆に加わらせました。(創世 3:1-6。テモテ前 2:13,14)しかしエバの心に反逆の思いをいだかせたのは実際にはだれですか。発声器官をもたない単なるヘビがそうさせましたか。
そうではありません。ヘビの背後に何者かがいて,ヘビが語っているかのごとくに見せかけたのです。自分の口はほとんど動かさないで,近くの動物や人形が話しているかのように見せることのできる人がいます。超人間の見えない霊者であればはるかに容易にこれを行なうでしょう。たとえば神はバラムのロバにものを言わせました。聖書はそのことをこう述べています。「エホバろばの口をひらきたまひたればろばバラムにむかひて言う我なんぢに何をなせばぞなんぢかく三たび我を打つや」― 民数 22:28。
同じように,サタンはエデンにおいてヘビを用い,エバに語らせたのです。それで使徒パウロは「蛇の悪だくみによりてエバ(は)惑され(た)」と説明しています。(コリント後 11:3)それで聖書は,悪魔であるサタンを「元のへび」と呼んでいます。宙宇内に反逆と悪を持ち込んだのはこの者にほかなりません。―黙示 12:9。
しかし,高度の理知をもつこの霊者がほんとうに完全であったなら,他から誘惑する者もないのに,どうして悪を行なうようになったのだろうか,と考えるかたがおられるでしょう。それはこの者がまちがった事柄を考え続けたためであると聖書は答えています。「人はみな自らの欲に引かれ,それにいざなわれることによって試みに会うのである。欲は熟したときに罪を生み,罪は成されたときに死を生み出す」― ヤコブ 1:14,15,新。
ある事態における様々な可能性を考える事そのものは悪いことではありません。たとえば,人の家にはいったある人がテーブルの上にお金が置いてあるのを見たとします。この場合,その人はお金を手につかみ,自分のポケットに入れることもできます。しかし,それは盗みの行為になりますから,人はそのことについて熟考することさえすべきではありません。つまりその種の考えが心に浮かんだなら,すぐにそれを心から払いのけるべきです。しかしそうした考えを心に保ち,それが大きくなるままにしておくなら,まちがった欲望を育てることになるでしょう。やがてこれが人に悪行を犯させるものとなるのです。
完全な霊の被造物についても同じです。この者にとって,神の望まれることを果たすためではなく,自分の勝手な目的のために人間夫婦を利用する機会がありました。倫理的に自由な行為者として,彼はこのことを考えただけでなく,それを自分の心から払いのけませんでした。これが彼を罪に至らせたのです。初めは正直であった人が,盗みの行為によって自らを盗人とする場合のように,この霊の被造物は神への反抗者として行動したことによって,自らサタンとなり,また神をそしる者となったことによって,自ら悪魔となりました。サタンおよび悪魔(ディアボロス)という名にはそれぞれ右の意味があります。
もとより,「彼が犯したのは単なるあやまちではないのか。彼は謝罪し,事態をそこで収めることができなかったのか」と言われるかたもあるでしょう。これに答えるに際して,完全な者がわたしたちとは異なっていることを忘れてはなりません。その自由意志を行使して,なんらかの決定をする場合,その決定は弱さや不完全さによって影響されていません。不完全な人間は相続した弱さのゆえにあやまちを犯すことがあります。その人は自分のあやまちを認め,謝罪し,行ないを改めることができます。しかし完全な被造物が悪を行なうことを選ぶ場合,それは意識的に選ぶのであり,あとで善行にもどるということをしません。自らを悪魔とした者の場合がそうでした。
他の霊の被造物が自ら悪霊となる
悪と不従順とに走った霊の被造物は悪魔ひとりではありません。神は神聖な天使を非常に多く創造されました。ダニエル書 7章10節はその一部について1億という数を示しています。聖書の創世記 6章1-5節の記録は,ノアの日の洪水の前,それら霊者である「神の子たち」のある者が,肉体をつけて人間となった,つまり霊の被造物として天で与えられた自分の立場を離れ,肉のからだをまとったことを述べています。なんのためですか。
美しい人間の娘と結婚して,人間的な情欲にふけるためでした。これは神に対して不従順な行為であり,聖書はこれを,『不自然な用途のために肉欲を追い求めた』ソドムおよびゴモラの人々の行為と同様に扱っています。(ユダ 6,7,新)御使いが天から下り,性交を目的として人間の肉体を求めることも,彼らの天の自然に反しているのです。こうした天使の行ないは,ネピリムと呼ばれる「強大な者たち」,つまり奇形的な子供を生み出したことを含め,多くのいまわしい結果をもたらしました。これら霊者である神の子たちはその反逆の行ないによって自ら悪霊となり,悪魔の側にくみする者となりました。そして悪魔自身は「悪霊たちの支配者」となりました。―マタイ 9:34,新。
ノアの日の世界的な洪水によって悪い人間すべてが滅ぼされた時,不忠実な天使たちは肉のからだを解いて霊界にもどりました。しかし彼らは神聖な天使からなる神の組織に加わることをもはや許されませんでした。かわって,霊的な暗やみという卑しめられた状態にとじ込められたのです。聖書はこう説明します。「神は罪を犯した天使たちを罰することをさしひかえず,タルタラスに投げ入れることにより,さばきのために保存すべき者として暗黒の穴に引き渡された」― ペテロ後 2:4,新。
神は,これら悪霊となった天使たちが肉のからだをつけることを,洪水以来もはや許しておられません。それでも彼らは人間男女に対し,いまだに危険な力を振うことができます。事実,サタンはこれら悪霊の助けを得て「人の住む全地を惑わ」しています。(黙示 12:9,新)世界中で悪行が非常に増加している今日,わたしたちは悪霊に惑わされることがないよう十分に警戒しなければなりません。
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どうしたら悪魔の支配下にはいることを避けられますかものみの塔 1969 | 3月15日
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どうしたら悪魔の支配下にはいることを避けられますか
悪魔と配下の邪悪な霊者の攻撃から身を守るためには,彼らが用いる手だてについて正確に知らねばなりません。サタンは他の者を欺くことにおいてきわめて巧みです。したがって,サタンが背後で働く事柄のすべてが悪く見えなくても不思議ではありません。むしろ,人々を欺くためのサタンのたくらみは全く罪のないものに見えるでしょう。事実,それは人類を祝福するもののごとくにさえ見えるかもしれません。
それゆえ聖書は,神に仕え,人類の益のために奉仕していると自らは信じていながら,実際には自分の目的と企てを果たそうとする悪魔に用いられている者が多くいることを示しています。自分では神を正しく崇拝しているとまじめに考えていながら,実際には神のみことばである聖書が悪魔的なものとする事柄を信じたり,行なったりしている人々がいるのです。しかし,サタンが占める立場,またサタンがどのように人間に働きかけるかについて,聖書の述べる事柄を注意ぶかく調べることにより,わたしたちは悪魔の支配下にはいることを避けられるでしょう。
世から離れていなさい
イエス・キリストはご自分の追随者が悪魔の支配下にはいらないようにするのを助けるため,大いに心を用いられました。それで地上での生涯の最後の晩,イエスは神にこう祈られました。「わが願ふは,彼らを世より取りたまはんことならず,悪しき者[悪魔]より免れさせたまはんことなり。我の世のものならぬごとく彼らも世のものならず」― ヨハネ 17:14-16,脚注。
世のものでないとはどういう意味ですか。世から離れていることはなぜ大切ですか。この点を理解するため,悪魔が占める地位について神のみことばの教えを考えましょう。
ヨハネの福音書には,主イエス・キリストが「この世の支配者」ということばを使ったことが3回出てきます。そして,イエスがそのことばでだれをさしておられたかは全く明らかです。イエスのことばに注意してください。「今,この世はさばかれている。今,この世の支配者は投げ出されるであろう」。イエスはまた言われました。「わたしはあなたがたとはもはや多くを語らない。この世の支配者が来つゝあるからである。彼はわたしを支配することができない」。イエスはさらに言われました。「この世の支配者はさばかれてきた」。(ヨハネ 12:31; 14:30; 16:11,新)イエスに対して支配力のなかった「この世の支配者」が全能の神でなく,悪魔サタンであることは明白です。
使徒パウロも,悪魔が現存する世界的な事物の体制全体に対して支配力を行使していることを述べています。事実パウロはサタンを「この事物の体制の神」と呼び,神の霊感の下にこう書きました。「この事物の体制の神は不信者の心を暗くし,神のかたちであられるキリストに関する栄光ある良いたよりの光が輝かないようにしてきた」。(コリント後 4:4,新)「この事物の体制の神」はキリストがそのかたちである神とは別のものであることに注目してください。悪魔サタン以外のだれが人の心を神の真理に対してわざわざ暗くするでしょうか。
以上のことをさらに確証するのは使徒ヨハネのことばです。ヨハネは神の霊感の下に悪魔についてこう書きました。「全世界(は)邪悪な者の配下にある」。(ヨハネ第一 5:19,新)ヨハネはまた,「サタン(が)……人の住む全地を惑わ(している)」とも書きました。(黙示 12:9,新)こうして,悪魔は「世の支配者」として人間に大きな影響を与え,人々を欺き,国々の政府をさえ動かしています。―黙示 16:13,14。
黙示録 12章9節をごらんください。そこで悪魔は「大きな竜」として描かれています。次の章の1,2節はこの竜つまり悪魔が,海から出る「野獣」として象徴されるものに,力と王座と大きな権威とを与えたことが出ています。この「野獣」とはなんですか。
では,サタンは何に対して権威をもっていますか。サタンはイエス・キリストに何を提供しましたか。聖書はこう述べています。サタンは「イエスを高い所に連れて行き,人の住む地上のすべての国々を,またたくまに彼に見せた。そして悪魔は[イエス]に言った。『わたしはこれらの国々の権威と栄光のすべてをあなたにあげよう……わたしの前で崇拝の行為をするなら,それはみなあなたのものになるでしょう』」― ルカ 4:5-8,新。
「サタンは地上の国々すべてをほんとうに所有していたのだろうか」と言われるかたがあるでしょう。イエスはこの申し出をすぐに退けましたが,悪魔が地上の国々を支配しているということは否定されませんでした。
このことと一致して,黙示録 13章7節は象徴的な「野獣」に関し,「あらゆる部族,民族,国語,また国民を支配する権威を与えられた」と述べています。さらに預言者ダニエルは獣を何のたとえとしましたか。「国」もしくは政府です。(ダニエル 7:2-7,17,23)ダニエルの幻に出てくる象徴的な獣と黙示録の「野獣」とに同様な意味のあることは,両者に関する記述の中に,しし,熊,ひょう,10本の角をもつ獣など同種の動物が出てくることからもうかがえます。(黙示 13:1,2)それで「野獣」とは,これまで幾世紀にもわたり地上を野獣のように支配してきたサタンの全政治組織を表わしています。
イエス・キリストが,「わたしの国はこの世の一部ではない」と言われたのは当然です。(ヨハネ 18:36,新)そして悪魔の支配下にはいることを避けようとする人が,世から離れていなければならないことも当然ではありませんか。この点から考え,あなたは何をされますか。諸国家の政治的な問題に関係しますか。もとよりこれはあなた自身が決定すべきです。しかし,その決定にあたっては,イエス・キリストがご自分の真の追随者に言われたことを心にとめるのがよいでしょう。「汝らは世のものならず,我なんぢらを世より選びたり」― ヨハネ 15:19。
あらゆる心霊術を避けなさい
一種の楽しみ事として心霊術に手を出している人がいます。その人々は何か神秘的な,また超自然的な方法で自分の疑問に対する答えや啓示を受けることに興味を感じています。しかしこれは害のない単なる楽しみ事ですか。心霊術とはなんですか。
心霊術は,直接もしくは人間その他の媒介を通して,邪悪な霊の被造物と交渉することです。それは悪霊の影響下にはいることです。それで,神のみことばの中で,心霊術がどんな忌むべき行ないと同様に扱われているかに注意してください。「さて,肉のわざは明白である。つまり,姦淫,汚れ,不品行,偶像崇拝,心霊術を行なうこと,うらみ,争い,ねたみ,怒り,抗争,分裂,分派,そねみ,泥酔,宴楽などである」― ガラテヤ 5:19-21,新。黙示 21:8。
神は,いかなる形のものであれ,心霊術をすべて非としています。聖書は神が否認されるそうした事柄の例として,占い,魔法,魔術,吉凶のしるしを見ること,まじないをかけること(催眠術,黒魔術など),霊媒や易者に相談すること,死人にものを尋ねることなどをあげています。(申命 18:9-12。イザヤ 8:19)これらすべては悪霊崇拝であり,こうした慣行に頼るのは自らを神の敵とすることです。それで,悪魔の支配下にはいることを避けようとする人が,こうしたさまざまな形の心霊術すべてから離れているべきことは明らかです。―レビ 19:31。歴代上 10:13,14。
占いは広く行なわれている心霊術の一つです。これは兆または悪霊の力によって未知のあるいは将来の事柄を知ろうとすることです。一例として,聖書は悪霊の働きかけによって驚くべき予言の能力を備えていた一少女のことを述べています。弟子ルカはこう書いています。「それから,祈り場に行く途中,わたしたちは霊つまり占いの悪霊につかれたあるはしために出会った。彼女は予言をして自分の主人たちに多くの利益を得させていた」― 使行 16:16,新。
占い棒,振り子,水晶球,霊応盤,超感覚的感知などによるもの,手のひらの筋を調べるもの(手相術),ある鳥の飛び方を見るもの,夢そのほか生活上のでき事の縁起を見,それと将来とを結びつけるものなど,今日行なわれている占いにはいろいろなものがあります。このほか,星による占いである占星術があります。これは他のさまざまな魔術と同じく,古代バビロンで始まりました。そして聖書は,占いの行為すべてを神に対する罪としています。「逆らうことは占いの罪と同じであ(る)」― サムエル前 15:22-23,新。
邪悪な霊者が人を惑わす一般的な方法の一つは,霊媒を通じ,あるいは見えない所からの「声」によって,人に語りかけることです。その「声」は死んだ親族,あるいは善良な霊者を装います。しかしこれは欺きにほかなりません。その声は実際には邪悪な霊者が話しているのです。そのような「声」が聞こえてきたら,どうすべきですか。悪霊の支配者から語りかけられた時,イエス・キリストはどうされましたか。イエスは,「サタンよ,離れ去れ!」と言って,悪魔のすすめを退けました。―マタイ 4:10,新。
あなたも同じようにすることができます。「悪魔に立ち向へ,さらば彼なんぢらを逃げ去らん」。(ヤコブ 4:7)また,エホバに助けを求め,声を出し,エホバのお名前を使って祈ることができます。この賢明な方法に従い,見えない領域からのこの種の声に耳を傾けてはなりません。―箴言 18:10。
心霊術的な宗教や秘術にいくらか関係してきた人が,心霊術から離れようと思うなら,どうすればよいですか。魔術から離れようとしたエペソの初期クリスチャンの多くは何をしましたか。聖書によると,使徒パウロが伝えた「エホバのことば」を受け入れたのち,彼らは「自分たちの本を集め,すべての人の前でそれを焼」きました。それらは銀5万片に相当したにもかかわらず,彼らは焼き捨てたのです。(使行 19:19,20,新)心霊術と関係のある物を破棄したのは賢明であり,わたしたちはこの模範にならうべきです。
秘術的,また魔術的な事柄に対する世の人々の関心が高まっていても,これに欺かれてはなりません。邪悪な霊の被造物がそうした心霊術の流行を助長しているのです。しかし,悪魔を含め,こうした邪悪な霊者の勢力はやがて滅ぼされます。(マタイ 25:41)とこしえの命を望むなら,あらゆる心霊術を嫌悪し,悪霊の影響から離れていなければなりません。これによって,悪魔の支配下にはいることを避けられるでしょう。
偽りの宗教から遠ざかりなさい
信仰合同の下に幾多の教会が統合されているこの世界教会運動の時代にあって,人々は偽りの宗教が存在するということをあまり考えません。しかし,聖書はこの点でなんと述べていますか。偽りの宗教とはなんですか。
「偽りの父」である悪魔が人類を神から離すために用いている手段のうち最大のものは偽りの宗教です!(ヨハネ 8:44)偽りの宗教とは,偽りを基とし,神の真理のみことばである聖書と相いれない崇拝です。聖書が,神のみことばと一致しない方法で崇拝する人々を悪霊崇拝者とみなしている理由の一つはこれです。その人々は悪霊の願いどおりに行動し,神に逆らっているからです。―コリント前 10:20,新。申命 32:16,17。
たとえ偽りの宗教がもっともらしく見えても,暗黒社会や犯罪の指導者と同じく,悪魔がうわべを飾っていることを見落としてはなりません。悪魔サタンが人々を欺いて自分に仕えさせるのに,義をよそおった宗教を利用する以上にこうかつな手段がありますか。
悪魔が,表向きは神に仕えると唱える宗教によって人々を惑わすことは,聖書そのものの中に示されています。(マタイ 7:22,23)事実,クリスチャン使徒パウロは「サタン自らも自分を常に光の天使に変えている」と述べ,また「その奉仕者が自分を常に義の奉仕者に変えてい(る)」と語りました。―コリント後 11:14,15,新。
それで,悪魔を「この世の支配者」と呼んだイエス・キリストは単なる空想をしておられたのではありません。(ヨハネ 12:31,新)邪悪な霊者は実際に存在し,「人の住む全地」を惑わしているのです。しかし,悪魔とその配下の悪い天使とが活動を封じられる時までは,『短い時』しか残されていません。―黙示 12:9,12,新。
それまでのあいだ,わたしたちはこの世から離れ,心霊術とのいっさいのかかわりを避け,もっともらしく見えても実際には偽りに基づく宗教から離れていなければなりません。それはわたしたちにとって一つの戦いとなるでしょう。聖書もこう述べています。「悪魔のてだてに向ひて立ち得んために,神の武具をもてよろふべし。我らは血肉と戦ふにあらず,政治,権威,この世の暗黒をつかさどるもの,天の処にある悪の霊と戦ふなり……このほかなお信仰の盾を執れ,これをもて悪しき者の凡ての火矢を消すことを得ん」― エペソ 6:11,12,16。
悪魔の支配下にはいることを避けるには,このような確固とした行動が絶対に必要です。神の新しい事物の体制下でとこしえの命を受けることを願うなら,わたしたちはこのような道を取らねばなりません。人をとこしえの命に導くのは,ただ真理だけだからです。
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