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あなたの立場を保ちなさいものみの塔 1961 | 12月1日
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ミカエル,キリスト・イエスは,神の神エホバに代わって,にせの神,竜なるサタンと彼の軍勢と戦いました。その結果,「大いなる竜……は地に落され,その使たちも共に落されたり」。このまぼろしの意味が地上にいる神の僕たちに示されたとき,サタンに対する嘲笑の歌が歌われ始めました。―黙示 12:9。イザヤ 14:4。
支配権と崇拝の論争
15 (イ)サタンの野心によりどんな論争が生じましたか。(ロ)崇拝は聖書的にどう定義されますか。
15 それぞれの立場に留意するとき,私たちは現在の状況に関連する論争と,イエスが私たちのために強い警告の言葉を与え給うた理由をはっきり知ることができます。サタンの高慢な野心は,高いところにのぼろうとするだけでなく,彼の座位をもあげようとしたことに気づかれましたか。座位があるなら,国も必ずあるにちがいありません。そして,座位に坐す者は,その国民を支配します。また,いつでもそうであるとは限りませんが,この場合に崇拝がふくまれていることは疑いありません。崇拝とは,敬虔な服従,尊敬および敬慕をささげることです。崇拝は崇拝の場所に行く者,なんらかの宗教的な儀式をする者だけに限られると考えてはなりません。自ら進んでするにせよ,強制的にさせられるにせよ,もしある者がある制度に従順な奉仕をささげ,それがすぐれた支配権と大きな権威ある地位を持つものと見なすなら,その者は聖書的に言って崇拝者であります。
16 サタンと彼の支配下にある制度の方針は何でしたか。
16 いま詳細なことはとりあげませんが,黙示録 13章から15章に記録されている支配と崇拝の論争ほど明白に示されているものは他にありません。最初,地上に住むすべての者は竜なるサタンと,サタンの目に見える全支配制度を示す「獣」を崇拝させられることに気をつけて下さい。この「獣」の公言している政策は,神と「彼の名前と彼の住居」をぼうとくすることです。ぼうとくするとは,神および聖なるものに対して,きわめて不敬な言葉,非礼の言葉を発するという意味です。ぼうとくは崇拝の反対です。(黙示 13:4-6)次に「獣の像」を見てごらんなさい。それは,国際連合(以前の国際連盟)に見られるように,現在の組織制度をしっかり保とうとする人間の大きな努力です。この制度も強制的な崇拝を要求する同じ方針を取っています。「それはすべての人々を強制」します。そして,人々がサタンの制度を支持して崇拝しないなら,その存在をほとんど不可能なものにしてしまいます。―黙示 13:15-17,新世。
17 (イ)それとは対照的にエホバの制度はどのような立場を保ちますか。(ロ)黙示録 14:6-12節にある音信の趣旨は何ですか。
17 黙示録 14章1-5節には,それとは正反対の描写がなされています。そこにはエホバの制度が述べられているのです。神の都「シオンの山に立つ」小羊として,キリストは王の御座につき,真の教会も彼と共にいます。彼らはエホバの崇拝者であることを明白に示し,「その額に……父の名が書かれていた」。「彼らの口には偽り(あるいは冒とく)がなく……」。それから「福音」がつづきます。いまエホバの証者が全世界で宣べ伝えている「この御国の良いたより」も,その福音の一部になっています。エホバの証者は,この正しいコースを発表しています。すべての人は自分の立場を保つためにその道に従わねばなりません。「神をおそれ,神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを,伏し拝め」。この直後にさばきが発表されています。強調のために二度言われているそのさばきは,サタンの都すなわち制度である倒れたバビロンに住む者たち,「獣とその像」を拝む者たちにのぞみます。彼らにはめぐみも是認も与えられません。彼らはよろめき倒れる制度に,こう叫びます,「さあ,われわれをおおって,御座にいますかたの御顔と小羊の怒りとから,かくまってくれ。御怒りの大いなる日が,すでにきたのだ。だれが,その前に立つことができようか」。―黙示 14:6-12; 6:16,17,新口。
18 なぜエホバは支配権を持ち,崇拝をうけるのにふさわしいのですか。
18 最終の光景として,「獣とその像……とに打ち勝った人々」が歌うすばらしい歌の言葉を読んでごらんなさい。彼らは次のように言います,「全能のエホバ神よ。あなたの御わざはまったく偉大ですばらしい。永遠の王よ,あなたの道は正しく真である。エホバよ,あなたを恐れず,あなたの御名をあがめない者がいるだろうか。あなたこそ愛ある御親切の御方である。あなたの正義のさばきは示されたので,すべての国民はきて,あなたを伏し拝むであろう」。ほんとうにエホバは支配権を保ち,崇拝をうけるのにふさわしい御方であります。―黙示 15:2-4,新世。
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落し穴を避けなさいものみの塔 1961 | 12月1日
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落し穴を避けなさい
1 ルカ伝 21:34-36節にあるイエスの言葉についてどんな質問が生じますか。
ルカ伝 21章34-36節に記録されている警告の言葉を注意ぶかく読むとき,いくつかの質問に対する答えを得たいと思います。イエスの言葉は,全部の者に適用しますか,あるいはある者たちだけに適用しますか。「食べすぎや,泥酔や,世の煩い」という言葉はどういう意味を含みますか。どのようにすれば,私たちは「これらの起ろうとしているすべての事からのがれる」ことができますか。また「目をさまして」いることができますか。このことにおいて,「祈っている」ことは,どんな役割を果たしますか。
2 (イ)その警告は,本来はだれに与えられましたか。(ロ)すると,天的な級だけが救われるという意味ですか。
2 イエスは最初にその預言をわずか4人の弟子だけに与えました。しかし,論理的に言えば,それは彼の再臨のときに地上に生存している同種類の弟子たち,すなわち「選民」級の者に与えられたのです。(マルコ 13:3,4。マタイ 24:22)すると,天的な希望を持つ真の教会の者だけが,人の子の前に立場を保てるという意味ですか。その答えを得るために,もう一度黙示録を読みます。こんどは黙示録 7章です。この章の最初の8節の中で,教会級あるいは「神のイスラエルである」会衆が明白に記録されています。それは,霊的なイスラエルを構成する選民たちであって,国民としての肉のイスラエルには得られなかった相続を得ます。これらの霊的なイスラエル人は,みな「額に……印をおされた者」で,黙示録 14章1節に述べられている同じ群れの者に相当します。しかし,彼らだけが救われるのですか。キリスト教国は,肯定的な答えをするかもしれません。しかし,聖書は何と答えていますか。―ガラテヤ 6:16。ロマ 11:7。黙示 7:3。
3 救いはそれ以外のだれにさしのべられますか。彼らは何と言いますか。
3 いま述べたことのすぐ「後」に,ヨハネは「あらゆる国民……から,数えきれないほどの大ぜいの群衆」を見ました。見なさい! 彼らはたしかにその立場を保ち,「御座と小羊との前に立って」います。これらの者たちはだれですか。彼らは霊的イスラエルの「小さな群れ」ではありません。彼らが御座の前に立って,恵みの地位を保つためには,天にいる必要はありません。彼らは主の「他の羊」であって,地上
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ホテル経営者に感謝ものみの塔 1961 | 12月1日
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ホテル経営者に感謝
バンクーバーの一致した崇拝者の地域大会が終りに近づいた頃,公共関係の部門では,各ホテルに特別な手紙を送って感謝の意を表しました。手紙を送った所を後でそれぞれ訪問しました。ひとりの支配人は,大会の団体客からこのように手紙をいただいたのは始めてだと言いました。ボーグ・ホテルの支配人は,手紙を受けとるやいなや電話をかけ,自分のホテルにこんなよい人たちを世話してくれて感謝していると言いました。大会の後,これらの支配人に約40冊の本が配布されました。支配人のうちの多くは,大会出席者たちが勘定を払ってホテルを出るまえに,すでに彼らから文書をいただいていると言いました。
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