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  • 悪魔の存在に対する疑い ― それは確かな根拠に基づくものですか
    目ざめよ! 1975 | 2月22日
    • ん。インド-イラン学の教授,ジャケス・デュチェン-ギレミンによると,アフラ・マズダ(ゾロアスター教徒の最高神)とその敵アーリマンは,両者とも「永遠の昔から存在しているもののよう」です。しかし聖書は悪魔についてそのように述べてはいません。反対に聖書は,悪魔に初めがあったこと,彼が『真理のうちにかたく立たなかった』ことを教えています。―ヨハネ 8:44。

      したがって,悪魔の存在に関して人々がいだいている疑問の多くは,世間に広まっている迷信や独断的な推理に基づくもので,それ以上の根拠を持つものではありません。そうした事柄は,悪魔の実在を否定するための,あるいはこの問題に関する信頼できる証拠を調べることを拒否するための有効な根拠とはなりません。しかし,そのような証拠はどこにあるのでしょうか。人はどうすれば,悪魔が本当にいるかどうかを,確実に知ることができるのでしょうか。

  • 悪魔の存在はどれほど現実のものですか
    目ざめよ! 1975 | 2月22日
    • 悪魔の存在はどれほど現実のものですか

      「百聞は一見に如かず」という有名なことわざがあります。どんな場合でも,信頼できる目撃証人の証言が最もよく真相を証明するものであることは,よく知られている事実です。わたしたちには,悪魔の存在はどれほど現実のものか,という問いに答えるのを助けてくれる,そのような目撃証人がいるでしょうか。

      そんな証人のいるわけがない,と思えるかもしれません。しかし,果たしてそうでしょうか。イエス・キリストは地に来られる前,天に住んでおられましたが,あなたはそのことをご存じでしたか。イエスは,霊の領域で起きた事柄の目撃証人で,悪魔についてはよくご存じでした。―ヨハネ 8:23; 17:5。

      イエスの証言を軽視することは,非常に愚かな行為です。イエスは常に真理を語られたからです。イエスは真理のために命を捨てられたのです。(ヨハネ 18:37; 8:40)イエスの知恵のことば,とりわけ山上の垂訓には,クリスチャンでない人々でさえ最高の賛辞を惜しみません。ところが,その垂訓の中で,イエスは弟子たちに,「邪悪な者から救い出してください」と祈るよう教えておられるのです。―マタイ 6:13。

      そして神ご自身はどうでしょうか。確かに神は悪魔がいるかどうかご存じのはずです。聖書はその全体が神のお考えを包含するものです。聖書にはまた信用できる証拠がそろっています。種々の事件を述べるに際しては,時と場所およびその事件に関係のある人物の名前を挙げています。聖書中の歴史的記録の正確さには,聖書の批判者さえ驚くほどです。幾百もの聖書の預言は,その細部にいたるまで成就しました。また,人間関係に関して聖書が与える助言は他に類を見ないすぐれたものです。

      では,イエス・キリストの証言も含まれている聖書は,サタンについてなんと言っていますか。「悪魔」は単なる抽象的な存在,原理,あるいは力にすぎないでしょうか。それともこのことばは,人間に影響を及ぼすことのできる,理知のある霊者を指すものでしょうか。聖書によると,悪魔の実在性はどれほど確かなものですか。

      抽象的な存在か,それとも人格的な存在か

      聖書は終始一貫して悪魔を人格的な存在として述べています。聖書のヨブ記は,エホバのみ前で行なわれた,『まことの神の』み使いの『子たち』の集まりに関する記述で始まっています。人間になる以前の形のイエスも出席しておられたにちがいないその集まりについて,ヨブ記は,『サタンもきたりてその中にあり』と述べています。(ヨブ 1:6)人格的な存在である,神の『子たち』の中にサタンがいたということは,彼もまた人格的な存在であるということを示しています。さらに,サタンがエホバと話をした事実も,そのことを表わしています。―ヨブ 1:6-12; 2:1-5。

      聖書の他の多くの箇所も,悪魔が人格的な存在であることを示しています。たとえば,歴代志略上 21章1節と,ゼカリヤ書 3章1,2節は,サタンが神の民に反対する者であること,したがって神ご自身に反対する者であることを示しています。(ゼカリヤ 2:8。ルカ 10:16)事実,サタンという名前はヘブライ語で,「反抗者,敵対者」という意味があります。

      マタイによる福音書の4章1節から11節には,イエスが「悪魔」に誘惑されたことが述べられています。悪魔に相当するギリシャ語には,「虚偽の非難をする者,偽り伝える者,中傷をする者」という意味があります。イエスの受けたこの三つの誘惑には,イエスと悪魔の間の会話が含まれています。イエスを誘惑して神に対する罪を犯させようとしたサタンは,詩篇 91篇11,12節を曲げて適用したりなどして,悪賢い論法を用いました。(マタイ 4:6)後ほどイエスは,悪魔を(ひゆ的な意味で)「父」,「人殺し」,また「偽り者」と呼ばれました。(ヨハネ 8:44)使徒パウロは,コリント第二 2章11節で,サタンがクリスチャンたちに対してたくらむ悪い「謀りごと」について述べています。

      知力と理性のある者だけが,考えたり,神やイエス・キリストに話しかけたり,人々に対して悪事を『謀ったり』することができます。また,歴史始まって以来,人類の大多数が,悪の元兇を,霊の領域にいるある者,あるいは者たち,としてきたことも注目に価します。

      神が悪魔を創造されたか

      ある人々は,義と愛に富む神が悪魔を創造することなどありえない,と言って反対します。神は非常に恵み深いかたであるから,そのようなことはなさらない,と彼らは言います。しかし,そのような推理は,悪魔が存在しないことを証明しますか。

      実際には,それは近視眼的な見方です。というのは,神が,ご自身とご自身の創造された人間とに反対する者を創造されたとは,聖書のどこにも述べられていないからです。悪魔は「真理のうちにかたく立ちませんでした」,というイエスのことばを思い出してください。(ヨハネ 8:44)彼はかつては神の真理に従っていました。しかし誇りと,人々に神よりも自分を崇拝させたいという欲望とに動かされて,義にかなった立場を捨て,神を中傷する反対者となりました。―テモテ第一 3:6。マタイ 4:9。創世 3:1-7。

      全知全能の神が,悪くなるような子を創造されるはずがない,と言い張る人たちもいます。しかし,そのように断定すると,神の理知ある創造物は,自由に選択することのできないロボットである,ということになってしまいます。人間は「神の像」に創造され,しかも完全に創造されましたが,それにもかかわらず悪くなったということは,そのような狭い見方を排除します。―創世 1:27,31。申命 32:4。

      それにしても神はなぜ悪魔の存在をこのように長く許してこられたのでしょうか。

      なぜ存在を許されたか

      人類の歴史の初めに,悪魔は一匹のへびを通して,人類の中に反逆を持ち込みました。(創世 3:1-7。啓示 12:9)彼はエバを欺き,神に対する反逆は,より優れた理性開発の道,と彼女が考えるように仕向けました。人類は,神の指示に従うよりも,自分で善悪の判断を下して自治を行なうほうが,うまくやってゆける,ということをサタンは暗示しました。また,神のことばを真っ向から否定し,アダムとエバが反逆しても彼らは死ぬことはない,と言いました。―創世 2:15-17; 3:1-5。

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