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悪魔の巧妙な謀りごとを暴露するものみの塔 1983 | 4月15日
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悪魔の巧妙な謀りごとを暴露する
「あなた方の敵対者である悪魔がほえるライオンのように歩き回って,だれかをむさぼり食おうとしています」― ペテロ第一 5:8。
1,2 (イ)イエスご自身も直面されましたが,どんな状況は恐ろしいものですか。(ロ)人々がイエスを殺そうとしていたのはなぜですか。
だれかが雇われてあなたを殺そうとしていることが分かったとしましょう。その人が今まさにそっと近付いて,攻撃の絶好のチャンスを狙っていることが分かったとしたらどうでしょうか。それは恐ろしいことでしょう。イエス・キリストがそれと同じような状況に面したことをご存じでしたか。
2 聖書はこう述べています。「イエスは引き続きガリラヤの各地を回られた。ユダヤを回ることを望まれなかったのである。ユダヤ人たちが彼を殺そうとしていたからである」。それでもイエスは命の危険をも顧みず,西暦32年に幕屋の祭りのためエルサレムに上って行かれました。その時のことについてこう記されています。「エルサレムの住民のある者たちはこう言いはじめた。『これは,彼らが殺そうとしている人ではないか』」。(ヨハネ 7:1,25)人々はなぜイエスを殺そうとしていたのですか。そうするよう悪魔に唆されていたからです。ヨハネ 8章44節に記されているように,イエスご自身,『悪魔は,その始まりにおいて人殺しでした』と語られました。
3 悪魔に関する使徒ペテロの警告が今の時代に特にふさわしいと言えるのはなぜですか。
3 ですから悪魔が今,特に天から投げ落とされて以来,敬虔な人々を手中に収めようと躍起になっていても驚くには当たりません。聖書はこう説明しています。「地と海にとっては災いである。悪魔が,自分の時の短いことを知り,大きな怒りを抱いてあなた方のところに下ったからである」。(啓示 12:7-12)このことは,サタンと配下の悪霊たちが総力を挙げてわたしたちと戦っていることを意味します。したがって「あなた方の敵対者である悪魔がほえるライオンのように歩き回って,だれかをむさぼり食おうとしてい(る)」という警告は,今の時代に特にふさわしいものと言えます。あなたがエホバの証人であるなら,そのだれかの中にあなたも含まれます。そのためペテロは,「冷静さを保ち,油断なく見張っていなさい」とも述べました。―ペテロ第一 5:8。
4 (イ)悪魔はどんな目的でわたしたちに巧妙に近付くのですか。(ロ)悪魔が首尾よくわたしたちに近付ける唯一の方法とは何ですか。
4 しかし悪魔はどんな目的でわたしたちに巧妙に近付くのでしょうか。即刻死に至らせようというのではありません。悪賢くイエスに近付いたサタンの目的は,イエスをエホバへの崇拝の面で妥協させることでした。(マタイ 4:3-10)イエスを神に逆らわせようとした自分の試みが失敗するや,サタンは神に対するイエスの忠誠を弱めさせて,死の脅威からの解放を求めさせようともくろみました。今日でも同様に,サタンが近付くことの真の目的は,神とわたしたちとの良い関係を破壊することです。サタンは成功を収めるでしょうか。サタンが成功を収めることができる方法は一つしかありません。聖書は次のように述べて,その方法がどんなものかを示しています。「あなた方がエホバと共にいる限り,神はあなた方と共におられます。……[しかし],もしあなた方が神を捨てるなら,神もあなた方を捨てられるでしょう」― 歴代第二 15:2。
5 (イ)サタンの手だてが成功していることについて,どんな事実を挙げることができますか。(ロ)しっかり立ち向かいたいのであれば,何を絶えず意識すべきですか。
5 残念ながら,サタンの手だてに屈してしまう人が毎年出ています。彼らはエホバを捨てます。実際そのうちの多くは,自らの不敬虔な行ないゆえにクリスチャン会衆から排斥されなければなりません。(コリント第一 5:13)悪魔の組織に捕らえられることにより,言わば“捕虜”となる人もいます。エホバを捨てさせようとするサタンのすべての試みに,あなたはしっかり立ち向かいますか。そうするつもりであれば,悪魔の巧妙な謀りごとを絶えず意識している必要があります。
サタンが働きかける方法
6 なぜわたしたちは,サタンの謀りごとに関して無知の状態でいる必要はありませんか。
6 サタンが働きかけてくる方法について,わたしたちは無知な状態に置かれているのではありません。使徒パウロは,「わたしたちはその謀りごとを知らないわけではないのです」と説明しました。(コリント第二 2:11)これは,サタンがわたしたちに注意を向けており,わたしたちのことを考え,わたしたちを神に仕えることからそれさせようと,その鋭い思考力全体を用いているという意味です。これはわたしたちを真剣にならせる考えではないでしょうか。しかし聖書中には,サタンの謀りごと,つまりサタンの企て,術策,計略の全歴史が含まれているので,だれもこの点について知らずにいる必要はありません。良い兵士は,過去の歴史的な戦闘について学び,そこから学ぶ事柄を応用して益を得ます。同様に,「キリスト・イエスのりっぱな兵士として」,わたしたちはサタンの様々な戦術を学ぶことができ,それによってサタンのどんな働きかけにも乗ぜられることのないようにすることができます。―テモテ第二 2:3。
7 (イ)サタンは時々どのような正面からの接近作戦を用いますか。(ロ)サタンは他のどんな手だても用いますか。なぜですか。
7 結局サタンの手先はイエスに残虐な仕打ちを加えてイエスを殺しました。(ヨハネ 19:1。マタイ 27:49,50)またイエスはご自分の追随者たちに関して,「人々はあなた方を患難に渡し,あなた方を殺すでしょう」と予告されました。(マタイ 24:9)ところが,こうした正面からの接近作戦はしばしばサタン自身の身にはね返り,迫害を受けた神の僕たちは神への奉仕に一層強い熱意を抱くようになりました。(使徒 5:41,42)それでサタンは,神の僕たちの忠誠を打ち砕くために他の手だて ― 巧妙な謀りごと ― を頻繁に用いるのです。
8 サタンが巧妙な謀りごとを用いることを,聖書はどのように明らかにしていますか。
8 聖書は,『悪魔の策略にしっかり立ち向かうように』という勧めを与えて,そのような巧妙な謀りごとについて指摘しています。(エフェソス 6:11)ここで「策略」と訳されているギリシャ語は,「ずる賢い行動」を意味します。(ギリシャ語聖書の王国行間逐語訳)サタンが極めてずる賢く,こうかつで,欺きの大家であることは,「サタン自身が自分をいつも光の使いに変様させている」という聖書の言葉の中にも示されています。―コリント第二 11:14。
9,10 (イ)サタンの策略が最初に成功した例を調べると,どんなことを学べますか。(ロ)サタンが以前と同じこうかつでずる賢い手段を用い続けていることを何が示していますか。
9 サタンの策略が最初に成功した例を考えてみましょう。サタンはエバに近付いたとき,禁じられた実を食べても神はよしとしてくださるという論法を用いようとはしませんでした。エバにはもっと分別がありました。ですからサタンは,その実がエバの目にはなはだ望ましいものとして映るようにしたのです。その実を食べるならエバの立場は実際には向上するとサタンは述べ,魅力的な見込みをエバの前に置きました。サタンは,『あなた方は必ず神のようになる』と述べています。(創世記 3:5)エバはサタンからの誘惑に屈しました。悪い欲望を育て,その結果エバは罪を犯したのです。―ヤコブ 1:14,15。
10 サタンは今なおこうかつでずる賢い手段を用いています。使徒パウロはこう書いています。「わたしは,へびがそのこうかつさによってエバをたぶらかしたように,あなた方の思いが何かのことで腐敗させられて,キリストに示されるべき誠実さと貞潔さから離れるようなことになりはしまいかと気遣っているのです」。(コリント第二 11:3)サタンの進撃がこれほど巧妙なものでなかったなら,それほど多くの人がこの戦闘の犠牲になることはないでしょう。サタンは,魅惑的で気をそらせるものを終始わたしたちの前に置き,ついにはわたしたちの霊性を損なうような事柄に関心を抱かせようと巧妙に仕組んでいます。サタンの狙いは,わたしたちを弱くならせて,徐々にエホバから離れさせること,あるいは正面攻撃によって神への忠誠を首尾よく打ち砕くことができるようにすることです。
11 (イ)どのような点で,サタンの方法を釣人の手だてになぞらえることができますか。(ロ)わたしたちは決して何を忘れてはなりませんか。
11 サタンの手だては,魚を捕まえるため擬似餌を用いる釣人の手だてになぞらえることができます。釣人は,どの擬似餌が魚を引き付けるかを知るため,いろいろと試みます。もちろん,魚がえさに食いつくときには,その擬似餌のうしろに釣針があることなど分かりません。わたしたちはどうですか。サタンが使う擬似餌に気付いているでしょうか。“釣られて”しまうならどんな結果になるかを十分に認識していますか。欺かれてはなりません! サタンと配下の悪霊たちは,わたしたちを手中に収めようと躍起になっている実在の敵なのです。それで,「全世界が邪悪な者の配下にある」ことを決して忘れてはなりません。サタンはこの事実に関して大半の人々の思いをくらましてきました。あなたの思いがくらまされてはなりません。―ヨハネ第一 5:19。コリント第二 4:4。
巧妙な形の物質主義
12 (イ)サタンが用いる主要な擬似餌は何ですか。(ロ)目は何を望む場合がありますか。
12 サタンが用いる主要な擬似餌は物質と快楽に対する愛です。(テモテ第一 6:10)聖書は「目の欲望」に言及し,こうした欲望が「父から出るのではなく,世から出る」と警告しています。(ヨハネ第一 2:16)この現代の世界には,目の欲するものがかつてなく多くあります。最新式の住まい,乗用車,バンなどの車,ボート,衣服,テレビ,ハイファイ装置,腕時計,コンピューター,テレビゲーム,また他のあらゆる種類の電子装置などがあります。また,音楽,ダンス,映画,演劇,テレビを見ること,数多くの種目のスポーツなど,わたしたちが得られる楽しみはたくさんあります。
13 (イ)クリスチャンをおびき寄せて神への奉仕から引き離す点で効果的なものを,サタンはどのように用いることができますか。(ロ)わたしたちはなぜ敵としてのサタンを見くびってはなりませんか。
13 言うまでもなく,物質上のものや快楽自体が必ずしも間違っているわけではありません。エホバはわたしたちの視覚や他の感覚を楽しませるために,あらゆる美しいものの備わったこの地球を含め,喜ばしい物質宇宙を創造してくださいました。明らかに,様々な形のレクリエーションや娯楽は,正しい位置に置かれるなら有益なものとなり得ます。(テモテ第一 4:8)しかし同時に,サタンがまさにそれらのものをしばしば用いてクリスチャンをおびき寄せ,神への奉仕から引き離そうとしていることも認識する必要があります。サタンは自ら,確かにこれら現代の物質と快楽の発展,及びその用い方に深くかかわってきました。多くの人々はそれらの物質や快楽のためにエホバ神に仕えることからそらされてしまったのです。わたしたちの敵である悪魔を見くびってはなりません。悪魔は奇襲の名人になっています。
14 (イ)人が巧妙な形の物質主義に影響されていることを示す手がかりは何ですか。(ロ)神から流されることがほとんど感知できないのはなぜですか。
14 自分が物質主義というサタンの巧妙な擬似餌にかかっていることはどのように分かりますか。何かの気晴らしや物質的所有物の追求のために自分の聖書研究,クリスチャンの集会に定期的に出席すること,また週ごとの野外奉仕の活動が妨げられているなら,擬似餌にかかっていると言えます。確かに,油断なく見張っていることが必要です。物質主義的な擬似餌は,あなたの時間や関心やエネルギーを次第に多く奪って,あなたを流れ去らせることができます。(ヘブライ 2:1)ボートが流されるとき,それが動いていることははっきり分からないかもしれません。全く動いていないとあなたは言うかもしれません。しかしボートが流されている証拠は,ボートの位置が徐々に変わってゆくことから分かります。神とその組織から流される人の場合も同様です。
15,16 (イ)自分自身についてどんな点を吟味してみるのは賢明なことですか。(ロ)どんな状況から,そのような自己吟味を行なうのは賢明であることが分かりますか。
15 ですから,わたしたちは賢明な見方をして,自分のクリスチャンとしての活動を幾度も吟味すべきです。こう自問しましょう。「自分は以前と同じほど定期的に聖書を学んでいるだろうか。集会の出席は,以前と同じほど定期的だろうか。野外宣教に前と同じほど多くの時間を費やしているだろうか」。「今のほうが忙しい」と言う人がいるかもしれません。しかし何を行なっているために忙しいのでしょうか。テレビの画面の前にいるなど,快楽の追求に時間をより多く取っているということはないでしょうか。物質を蓄えてその世話をすることが,神への奉仕を助けるものではなく,その妨げとなっているでしょうか。物質的な事柄を思い煩うのではなく,神の王国を第一に求めなさい,というイエスの諭しに,あなたは本当に留意していますか。―マタイ 6:31-33。
16 世界中どこにでもこの戦闘の犠牲者がいます。つまり,悪魔の巧妙な形の物質主義に捕らえられ,神への奉仕から脱落してしまったクリスチャンのことです。あなたの会衆でも,かつては忠実な仲間の働き人であったのに,巧妙な物質上の擬似餌に屈服して徐々に流されてしまい,もはや神への奉仕を活発に行なっていない人のいることを思い起こせるかもしれません。(フィリピ 3:18)ですから,「冷静さを保ち,油断なく見張っていなさい」。悪魔にむさぼり食われてはなりません!―ペテロ第一 5:8。
巧妙な形の心霊術
17 (イ)み使いたちが天における自分たちの立場を離れたのはなぜですか。洪水の水が落下した時,彼らはどうなりましたか。(ロ)これらのみ使いたちは何に対して責めを負うべきですか。
17 エホバに反逆したサタンに他のみ使いたちが加わった時のことを覚えていますか。それは大洪水の少し前のことでした。美しい人間の娘たちが,そのみ使いたちにとって擬似餌になったことを聖書は明らかにしています。それらのみ使いの一部は,天における奉仕の立場を離れ,これら美しい女たちと性関係を持つために地上にやって来ました。彼らが行なったことは,ソドムとゴモラの人々が行なった同性愛行為と同じほど間違ったことでした。(創世記 6:1,2。ユダ 6,7)洪水の水が落下するや,み使いたちは物質化した体を捨てて天に戻りました。不自然な性欲を満たすために人間の体を着ける力はもはや奪い去られているとはいえ,これらのみ使いたちは人類を道徳的に腐敗させる面で大いに活動してきました。今日あらゆる種類の性の不道徳が急激に増加しているのは,彼らが天から投げ出され,地の近くに閉じ込められていることの直接的な結果です。―テモテ第一 4:1。啓示 12:9,12。
18 性の不道徳がエホバの僕たちを腐敗させるためのサタンの主要な手段となってきたことを,過去と現在のどんな証拠が明らかにしていますか。
18 性の不道徳という擬似餌は,エホバの僕たちを腐敗させるために悪魔が用いる主要な手段の一つとなってきました。神の民イスラエルが約束の地に入ろうとしていた少し前,サタンは魅力的なモアブ人の女たちをえさとして用い,イスラエル人をおびき寄せてエホバに仕えることから引き離そうとしました。幾千人ものイスラエル人が“釣られて”淫行を犯し,その結果自らの悪行のゆえに死に処せられました。(民数記 25:1-3)この時の事件に関連して,クリスチャンは次のように警告されています。「また,彼らのうちのある者たちが淫行を犯したように,淫行を行なうことがないようにしましょう。彼らは一日に二万三千人が倒れる結果になりました」。(コリント第一 10:7,8,11)サタンのこの巧妙な謀りごとはそのとき成功を見,それは今日でも成功しています。性の不道徳によって排斥される人は,ほかの理由で排斥される人を合わせた数よりも多いのです。
19 (イ)非常に多くのエホバの僕たちが,神の不興を買うと知りながら性の不道徳に関係するようになるのはなぜですか。(ロ)性の不道徳に関係することを避けるのに何が助けになりますか。
19 しかし,エホバの僕たちは淫行や姦淫が神の律法に反することを知っているのに,なぜそれほど多くがそうした行動に関係するようになるのでしょうか。では,エバが神の律法に背いたのはなぜですか。サタンが,神の律法に背くことを極めて魅力的なものに見せかけたからです。この機会を見過ごすことはできない,とエバは考えました。今日でも同様に,サタンの宣伝の経路 ― テレビ,映画,印刷物など ― により,淫行や姦淫は,ただ興奮と快楽とを与えるだけでなく,容認してよいもののように見せかけられています。それで,悪魔の宣伝の経路を通して提供される擬似餌に食い付くなら,どんなことになりますか。あなたも“釣られる”ことになるかもしれません!
独立的な考え方を避けなさい
20 (イ)悪魔のもう一つの巧妙な謀りごととは何ですか。(ロ)約6,000年間,この謀りごとをサタンはどのように用いてきましたか。
20 反逆のそもそもの始めから,サタンは神の物事の行ない方に異議をさしはさみました。サタンは独立的な考え方を奨励しました。『あなたは何が善で何が悪かを自分で決定できます。あなたは神に聴き従う必要はないのです。神は実際にはあなたに真実を告げていないのです』とサタンはエバに言いました。(創世記 3:1-5)今日に至るまで,この種の考え方によって神の民を堕落させることが,サタンの巧妙な謀りごととなってきました。―テモテ第二 3:1,13。
21 現代における独立的な考え方の例として,どんなものがありますか。どんな結果が生じてきましたか。
21 こうした独立的な考え方はどのように表わされていますか。ごく一般に見られるのは,目に見える神の組織が与える助言を疑問視することです。例えば,神の組織は,不道徳でいかがわしいある種の音楽を聴くことについて,またそのような音楽が演奏され,そこにいる人々が不道徳行為に携わることで知られているディスコや他の種類のこの世的なダンスホールに出入りすることについて時々警告を与えてきました。(コリント第一 15:33)しかしある人々は,自分のほうがよく知っていると唱えました。彼らはこうした助言に逆らい,自分の目に正しいと思える事柄を行なったのです。どんな結果になりましたか。性の不道徳に巻き込まれ,重大な霊的な害を被った人は少なくありませんでした。しかし,たとえ彼らがそのような影響を受けなかったとしても,他の人々がその手本に倣い,悪い結果を身に招くなら,彼らがその責めを負うべきではありませんか。―マタイ 18:6。
22 (イ)わたしたちは何を絶えず意識していなければなりませんか。(ロ)次の研究記事で何を考慮するのは適切なことですか。
22 次の事実はいくら強調しても強調し過ぎることはありません。つまり,わたしたちは超人間的な敵と戦っており,絶えずそのことを意識している必要があるということです。サタンと配下の悪霊たちは実在しています。彼らは単なる想像の産物ではないのです。彼らは「この闇の世の支配者たち」であり,わたしたちは彼らと霊的な闘いをしています。(エフェソス 6:12)わたしたちが彼らの巧妙な謀りごとをよく知り,彼らにだまされないようにするのは極めて重要です。それで,どのようにすればこれらの邪悪な霊者と闘うための武具を身に着けられるかを次に考慮するのは非常に適切なことでしょう。
次の質問に答えることができますか
□ 悪魔はどんな目的でエホバの民に巧妙に近付きますか
□ 悪魔が巧妙な謀りごとを用いるのはなぜですか
□ サタンが用いる種々の巧妙な謀りごとにはどんなものがありますか
□ これらの巧妙な謀りごとにだまされないために,何が助けになりますか
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邪悪な霊たちとの闘いのために武装するものみの塔 1983 | 4月15日
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邪悪な霊たちとの闘いのために武装する
「わたしたちのする格闘は,……天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するもの……です」― エフェソス 6:12。
1 クリスチャンにはどんな闘いがありますか。それはいつまで続けなければなりませんか。
邪悪な霊たちとその支配下にあるこの世が存在する限り,わたしたちはその影響を受けないようにするために闘わなければなりません。使徒パウロは書きました。「悪魔の[ずる賢い行動]にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい。わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです」― エフェソス 6:11,12。
2 (イ)悪魔の最初の試みの結果として,わたしたちにはどんな闘いが増し加わりましたか。(ロ)状況が非常に深刻で,その闘いのために武装する必要が本当にあることを聖書はどのように示していますか。
2 しかし,わたしたちが闘わなければならないのは,邪悪な霊たちによる外部からの攻撃だけではありません。わたしたちの闘いを特に難しくしているのは,アダムとエバが悪魔の最初の試みに抵抗しなかったために生じたもの,すなわちわたしたちが受け継いだ不完全さです。そのため,聖書が述べる通り,「人の心の傾向はその年若い時から悪い」のです。(創世記 8:21。ローマ 5:12)使徒パウロでさえ,正しいことを行なうために闘わなければなりませんでした。こう説明しています。「自分では正しいことをしたいと願うのに,悪が自分にある(の)です」。(ローマ 7:21-23)「心はほかの何物にも勝って不実であり,必死になる」と聖書は述べています。(エレミヤ 17:9)悪いことを行なわせようとする邪悪な霊たちの活動と闘うために武装する必要があることは,極めて明らかです。
物質主義的な欲望との闘い
3 (イ)エバに対する悪魔の最初の近付き方から何を学ぶことができますか。(ロ)物質を追い求めている人はもっともらしいどんな説明をするかもしれませんか。
3 邪悪な霊たちが,わたしたちの内に物質主義的な傾向を培わせようとすることは疑いありません。それらの霊は『目に好ましい』ものによってわたしたちが誘惑を受けるように謀ります。(ヨハネ第一 2:16)エバに対するサタンの最初の近付き方,禁じられた実がなっていても,見たところ何も悪いことのないように思えるその木にサタンがどのように注意を向けさせたかを思い起こしてください。その木とその実に対する関心を呼び起こされたエバは,『その木が目に慕わしいもので,確かにその木が眺めて好ましいものであること』に気付くようになりました。それからどんなことになりましたか。「彼女はその実を取って食べはじめた」のです。(創世記 3:6)邪悪な霊たちは同様の戦術を用い,表向き良く見える物事に対するわたしたちの自然の欲求に働きかけます。『もし生きるために働かねばならないのであれば,沢山のお金をもうけ,多くの物を手に入れた方がよい。そうすれば得たものを他の人と分かち合うことができる』というもっともらしい説明を時折り耳にしますが,そのような考え方をさせているのは確かに悪い霊たちです。
4 (イ)何を分かち合うのはほめるべきことですか。しかしどんな種類の贈り物をすることは間違っていますか。(ロ)過去の時代の神の僕たちは,わたしたちが避けるべきどんなわなに陥りましたか。
4 初期クリスチャンたちが愛餐で行なったように,物質面で多くを所有する現代のエホバの証人が所有物の少ない人と物を分かち合うのは確かにほめるべきことです。(ユダ 12)しかし,ある人が隠れた動機を持ち,相手がクリスチャン会衆内の何らかの特権を報いとして自分に与える立場にあることが分かっているために贈り物などをするのはどうでしょうか。それは本当に間違ったことです! さらに,そのような贈り物を受け取った人が,返礼としてその種の親切を示すのも間違ったことでしょう。そのようなことをするなら,それはわいろを取ることにも等しくなります。クリスチャンは賢明にもそうしたわなに陥らないように注意します。過去の時代のある神の僕たちは,責任ある立場をゆだねられた時にそのわなに陥りました。―サムエル第一 8:1-3。歴代第二 19:6,7。
5 物質が生活の中で重要視され過ぎるとき,どんな危険が生じますか。
5 表向きのどんな理由があろうと,人の生活において物質上のものに特別な重きが置かれ,それが非常に重要視されるなら,その人は大変危険な立場に立っています。どんなことが生じるでしょうか。霊性が徐々に損なわれる可能性があります。そして多くの場合,実際に損なわれています。イエスは一つの例えの中で,神の真理を学んでいた人のことを述べ,こう言われました。「[しかし彼らは]生活上の思い煩いや富や快楽にさらわれてしまい,すっかりふさがれて,何も完成させません」。(ルカ 8:14)しかし,物に重きを置き過ぎるクリスチャンの霊性が損なわれていないとしても,それは邪悪な霊たちによる巧妙な進撃が成功していないという意味でしょうか。
6 クリスチャンの物質主義的な歩みは,仲間の信者にどんな影響を与えかねませんか。
6 そうではありません。人の物質主義的な歩みが会衆内の他の人々にどんな影響を与え得るかを考慮してください。例えば,会衆内の感じやすい成員である若い人々が,沢山のお金をもうけたり良い品物を得たりするために身を費やしている他のクリスチャンを見るとき,彼らは神の王国を第一に求めるよう励ましを受けるでしょうか。あなたはどんなことを観察してこられましたか。真理の道を歩み始めてまだ間もない人が,物質的所有物があると有利な立場に立てそうなことを見て取り,同じように物質主義的な目標を追い求めがちになって,場合によっては自分自身に霊的な災いを招くようになるのは真実ではないでしょうか。
7 (イ)ドイツのクリスチャンの一長老の例は,なぜ良いものと言えますか。(ロ)この世は成功を何で計りますか。クリスチャンはそうした態度をどのようにみなすべきですか。(ハ)わたしたちは,上等な物質的所有物を持つ人々を批判すべきですか。
7 長老であり,また裕福でもあるドイツのクリスチャンの経験は注目に値します。あるクリスチャンの兄弟がこの長老の経済状況の一端を知り,なぜフォルクスワーゲン(比較的安価な自動車)に乗り,つつましいアパートに住んでいるのかと尋ねました。この長老は大変真剣になってこう答えました。『メルセデス・ベンツ(高級車)を運転し,派手な生活を送ったとしたら,私のクリスチャンの兄弟姉妹たちの霊性に有害な影響を与えかねないからです』。この態度はこの世の態度と何と異なっているのでしょう!「自分の資力を見せびらかすこと」はこの世の方法です。(ヨハネ第一 2:16)この世にしたがえば,成功の尺度は人が持っているお金の額や物質的な所有物の量ということになります。しかし,クリスチャンの組織内では決してそうであってはなりません。サタン的なこの種の考え方が,わたしたち自身の考えにも,クリスチャン会衆の考えにも入り込まないように武装する必要があります。同時に,わたしたち自身が敬虔な専心と満足感を抱いているなら,生活の仕方がぜいたく過ぎるように見える人々を批判することもありません。―テモテ第一 6:6-8。
8 (イ)イエス・キリストはどんな模範をわたしたちに示されましたか。(ロ)わたしたちがどんなことを自問するのはふさわしいことですか。
8 わたしたちの主人であるイエス・キリストの態度と模範を,いつも思いの中に保つ必要があります。偉大な栄光と富を所有することができ,ぜいたくな生活を送ることができたにもかかわらず,キリストはこうしたことを追い求めませんでした。多くの人々が生活必需品と考えるものをさえ,イエスは持っておられないことがありました。(マタイ 4:8,9; 8:20)イエスがこれほど自己犠牲的であったのはなぜですか。なぜなら,イエスの物事の優先順位は正しい順に従っていたからです。神のご意志を行なうことが他の何よりも優先されるべきであることを理解しておられました。(ヨハネ 4:34)わたしたちはイエスの模範を仰ぎ見,わたしたちの生き方においてそれに倣う努力を払っていますか。わたしたちは実際には何のために生きていますか。安楽で快適な生活を今送るためですか。それとも神の新しい体制で永遠の命を得るためですか。―ヘブライ 12:2,3。ペテロ第一 2:21-24; 3:14。
9 物質主義的な傾向と闘うために,どんな霊的武具が必要とされますか。この武具はどのようにわたしたちを守ることができますか。
9 邪悪な霊たちがわたしたちの内に物質主義的な傾向を培わせようとする事態を阻止するわたしたちの闘いには,武具,つまり霊的武具が必要とされます。「義の胸当て」を着けることが必要です。つまり神の観点から見て正しい事柄を行なうべきです。(エフェソス 6:13,14)そしてわたしたちが今行なうべき正しいこととは,『自分を捨て,キリストの模範に従う』ことです。なぜなら,イエスがさらに述べておられる通り,「全世界をかち得ても,それによって自分の魂を失うなら,その人にとって何の益になるでしょうか」。(マタイ 16:24-27。マタイ 6:33と比較してください。)非常に重要な別の武具の一つは,「信仰の大盾」です。(エフェソス 6:16)わたしたちは来たるべき神の新体制に純粋の信仰を置くべきであり,わたしたちの欲望を満足させるものとしてこの古い体制に頼ってはなりません。古い体制はやがて終わり,その富も一切終わるということを片時も忘れてはなりません。―ヨハネ第一 2:17。エゼキエル 7:19。
10 物質主義的な傾向と闘うには武具のどの部分が特に重要ですか。なぜですか。
10 しかし,巧妙な形の物質主義と闘うには,特に次に挙げる一つの武具が必要です。それは,「救いのかぶと」です。使徒による別の手紙には,わたしたちは「かぶととしての救いの希望」を着けなければならない,と述べられています。(エフェソス 6:17。テサロニケ第一 5:8)「救いの希望」を持つとは,神からの報いが与えられることを待ち望み,この事物の体制の安楽な生活が与える報いを探し求めないということです。
11 モーセは自分が「かぶととしての救いの希望」を着けていることをどのように示しましたか。
11 モーセはこのかぶと,「救いの希望」を着けていました。ファラオの娘の子として育てられはしましたが,モーセは王家での「罪の一時的な楽しみ」を好んだり,「エジプトの宝」を追い求めたりすることを避けました。「彼は報いを一心に見つめたのです」。モーセはエホバが約束された事柄を黙想し,それを深く考えました。モーセはエホバについて聞いたり読んだりしただけではなかったのです。「彼は,見えない方を見ているように終始確固としていた」と聖書は述べています。(ヘブライ 11:24-27)エホバはモーセにとって現実の存在であり,永遠の命というエホバの約束も現実のものでした。わたしたちがサタンの攻撃に首尾よく抵抗したいのなら,永久に生きるという希望は,わたしたちにとって同じほど現実のものでなければなりません。
性の不道徳との闘い
12 多くのクリスチャンに首尾よく攻撃をしかけるために,邪悪な霊たちは何を作り上げてきましたか。
12 前の研究記事で注目したように,邪悪な霊たちがこの戦闘の死者を出すために用いている主要な方法の一つは,クリスチャンを性の不道徳に加わらせることです。邪悪な霊たちは,神から与えられたわたしたちの性的な欲求 ― それは結婚関係においてのみ満足させるように意図された ― を腐敗させようとします。今日では事実上どこにおいても,結婚の取決めを離れたところで性関係を持つようクリスチャンを誘惑する環境や状況が,邪悪な霊たちによって首尾よく作り上げられてきました。邪悪な霊たちのこの攻撃に抗戦する上でどんな武具が助けになりますか。
13 ヨセフは「義の胸当て」を身に着けていたことをどのように示しましたか。
13 「義の胸当て」を身に着けることがどうしても必要です。エホバが正しいと言われることを行なう決意をいつも抱いている必要があります。(コリント第一 6:18)ヨセフはこの武具を身に着けていました。性に夢中になったポテパルの妻から,来る日も来る日も,「わたしと寝なさい」と迫られた時でさえ,ヨセフは,「どうしてわたしはこの大きな悪行を犯して,まさに神に対して罪をおかすことなどできるでしょうか」と言いました。(創世記 39:7-12)ヨセフの場合と同じく,わたしたちも,自分の『不実な心』が望まないとも限らない不道徳行為がどんな結果を生み出すか,考えなければなりません。―エレミヤ 17:9。
14 性の不道徳に巻き込まれないようにする点でわたしたちの助けとなるどんなことを考慮すべきですか。
14 まず,わたしたちが神の律法を破るなら,神にどんな影響が及ぶかを考えるべきです。サタンは,試練に遭えば人間は神に忠実を保てないと主張し,エホバを嘲弄しました。それでエホバはこう勧めておられます。「我が子よ,賢くあって,わたしの心を歓ばせよ。わたしを嘲弄している者にわたしが返答するためである」。(箴言 27:11)次の点を考慮してください。あなたは神の律法を破り,サタンを喜ばせて神を悲しませるでしょうか。(詩編 78:38-41)本当にエホバを愛しているなら,どうしてそのようなことができるでしょうか。行なうべき賢いことは何かを考えてください。永遠の命を与えることができるのは,エホバだけです。では神のご意志を行なうのが賢いことではありませんか。―ヨハネ第一 5:3。ローマ 6:23。
15 性的な悪行にかかわるようになる人々はどんな見解を思いに留めていないと言えますか。
15 サタンの攻撃に屈するクリスチャンは,霊的な視力を本当に失ってしまいます。彼らが霊的な視覚を失っている状態は,エリシャの従者の状況になぞらえることができます。エリシャがこの従者のためにどんな祈りをささげたか思い出してください。「エホバよ,どうぞ,彼の目を開いて,見えるようにしてください」と祈ったのです。そして従者が見ると,「見よ,山地はエリシャの周囲の火の馬と戦車で一杯であった」と記されています。(列王第二 6:15-17)だれがわたしたちを見守っているかご存じですか。エホバがそうしておられます。キリストとみ使いたちもそうしています。(詩編 11:4; 34:7。ヘブライ 1:14。マタイ 18:10)わたしたちは言わば劇場の舞台の上にいるようなものです。(コリント第一 4:9と比較してください。)この聖書的な見解を抱き,自分の行動そのものが上から見守られていることを知っている人が,どうして性的な悪行に携われるでしょうか。
16 さらにどんな事柄を考えるなら,性の不道徳を避ける助けになりますか。
16 また,不道徳な歩みを追い求めるつもりの人は,それがクリスチャン会衆にどんな影響を与えるかを考えてみるとよいでしょう。外部の人々は,エホバの証人もこの世と全く変わることがないと結論づけ,その結果これらの観察者たちは命を与える音信にこたえ応じなくなるかもしれません。(ペテロ第二 2:2)また,不道徳なそのような歩みがあなたの家族にもたらす悲しみについても考えるべきです。(箴言 10:1)そして,結婚している人はこう自問してください。「配偶者にとってこんなに残酷なことを,どうして自分は行なうことができるだろうか。自分は一体どんな人間なのだろうか」。すべてを考慮してみると,性の不道徳に携わることはどう見ても利己的で,近視眼的で,愚かなことではありませんか。
17,18 (イ)使徒パウロには生涯にわたるどんな闘いがありましたか。パウロはどのようにして勝利を収めることができましたか。(ロ)わたしたちが十分な武装をするため,どうしても必要なのは何ですか。わたしたちはその後,何を行なわなければなりませんか。
17 確かに,悪行を避けるのは必ずしも容易なことではありません。使徒パウロ自身にも,自分がかつて奴隷になっていた悪い欲望との生涯にわたる闘いがありました。こう書いています。「自分の体を打ちたたき,奴隷として引いて行くのです。それは,他の人たちに宣べ伝えておきながら,自分自身が何かのことで非とされるようなことにならないためです」。(コリント第一 9:27。テトス 3:3)パウロは自分に“厳しくしました”。自分の体が悪いことを望んだ時でさえ,パウロは正しいことを行なうよう自分にむち打ったことでしょう。闘いに勝利を収めるためには同じようにしなければなりません。
18 十分に武装するためには,いつもエホバに助けを祈り求める必要もあります。(エフェソス 6:18)しかし,助けを祈り求めておきながら,不道徳な読み物を読んだり,不道徳な映画を見に行ったり,異性に関してあれこれと空想にふけったり,異性と実際に悪ふざけをしたりしてはなりません。祈りの中で求めたことを目指して努力しなければなりません!
独立的な考えとの闘い
19 (イ)エホバは常にご自分の民をどのように導いてこられましたか。(ロ)一部の人々は独立的な考えをどのように示していますか。
19 聖書を研究し,わたしたちはエホバが常にご自分の僕たちを組織的な方法で導いてこられたことを学びます。そして,西暦1世紀に真のキリスト教の組織が一つしかなかったように,今日でもエホバは一つの組織だけを用いておられます。(エフェソス 4:4,5。マタイ 24:45-47)それでも一部の人々は,この組織がこれまで幾つかの調整を行なってきたことを指摘し,「この点からすると,わたしたちは何を信じるべきかについて自分で決定しなければならない」と論じます。これは独立的な考えです。この考え方が非常に危険なのはなぜですか。
20 (イ)独立的な考えは何の証拠ですか。(ロ)自分自身の見解を組織の見解よりも優先させることを避けるため,何が助けになりますか。(ハ)西暦1世紀のどんな模範に従うのは良いことですか。
20 この考えは誇りの証拠です。そして聖書はこう述べています。「誇りは崩壊に先立ち,ごう慢な霊はつまずきに先立つ」。(箴言 16:18)自分は組織よりもよく知っていると考え始める人は,こう自問してみるべきです。「自分は最初に真理をどこで学んだだろうか。組織の導きがなかったとしたら自分は真理の道を知っていただろうか。実際に神の組織の指導なくしてやってゆけるだろうか」。確かにやってゆけません!―使徒 15:2,28,29; 16:4,5と比較してください。
21 (イ)どのようにしてのみ,わたしたちは闘いに勝つことができますか。(ロ)何を決して忘れてはなりませんか。したがって今わたしたちはどんな生活を送る必要がありますか。
21 わたしたちと闘っている強力な霊の勢力について考えると,自分自身の力ではとてもそれに勝てないということを認めざるを得ません。しかし,神の後ろ盾,またその組織 ― 全世界のわたしたちの仲間の兄弟たち ― の助けと支持があるのでわたしたちは負けません。(詩編 118:6-12。ペテロ第一 5:9)しかし,わたしたちが霊的な戦いに携わっていること,そして戦いの最中はレジャーと生活の楽しみだけを享受してくつろぐ時ではない,ということを決して忘れないようにすべきです。むしろ今は,厳しい訓練の時,用心深さと自己犠牲を示すべき時です。敵は,わたしたちのうちのある人々の警戒を緩めさせることに成功し,それらの人々はこの戦闘の犠牲者となりました。こうしたことがわたしたちに生じませんように。「完全にそろった,神からの武具を」絶えず身に着け,『悪魔の[ずる賢い行動]にしっかり立ち向かい』続けるなら,そのようなことは生じません。―エフェソス 6:11,12。
これらの質問に答えることができますか
□ クリスチャンの生活の中で物質に特別な重きが置かれるようになると,当人及び会衆の他の人々にどんな問題の生ずることがありますか
□ 物質主義的傾向と闘うために何が助けになりますか
□ 性の不道徳に屈するのを避けるために何が助けになりますか
□ 独立的な考えの証拠となるのは何ですか。それを避けるために助けになるのは何ですか
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