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霊的な危険に対する恐れからの自由ものみの塔 1975 | 3月1日
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比類のない組合せは,この事物の体制の「終わりの時」にあるここ何十年かの間,その働きを続けてきました。その結果,わたしたちは現在にいたるまで,すばらしい霊的安全を楽しんできました。詩篇作者は次に,これがわたしたちの霊的安全にどのように役立っているかを示し,わたしたちがどんな危険から守られているかをわたしたちにより強く気づかせ,認識させてくれます。
「鳥を捕える者」の危険な「わな」
14,15 (イ)詩篇 91篇3節の中のことばはどんな種類のことばですか。なぜですか。(ロ)ダビデは詩篇 124篇の中で,これに似たどんな例えを語っていますか。そしてだれに適用していますか。
14 最初の二節の中で述べた事柄がいかに真実であり現実のものであるかを詳述するにあたって,詩篇作者は言います。「彼自身が,鳥を捕える者のわなから,災難を引き起こす疫病から,あなたを救い出してくださるからです」― 詩 91:3,新。
15 ここで使われていることばは,ひゆ的なことば,描画的なことばです。というのは,わたしたちは,文字通りの「鳥を捕える者」のわなの危険にさらされている文字通りの鳥ではないからです。しかしここでは,わたしたちを,「まさに全能者の影のもとにいる」鳥に例えることが行なわれています。詩篇作者ダビデは,自分と自分の仲間を,実際にわなにかかったにもかかわらずそのわなから救い出された鳥に例えています。詩篇 124篇1節から8節(新)の中で彼は次のように述べています。「今,イスラエルは言え,『人々がわたしたちに敵対して立ち上がった時,もしエホバがわたしたちに味方してくださらなかったなら……彼らはわたしたちをまさに生きているままで飲み込んでいたであろう。……エホバはほむべきかな。わたしたちを彼らの歯のえじきとして与えることをされなかった。わたしたちの魂は,えさでおびき寄せる者のわなから逃れた鳥のようである。わなは壊され,わたしたち自身は逃れた。わたしたちの助けは,天地を造られたかた,エホバの名にある』」。この場合,「えさでおびき寄せる者」は文字通りの「鳥を捕える者」ではありませんでした。また,壊れたわなから逃れた「鳥」も文字通りの鳥ではなく,「わたしたちの魂」,すなわちイスラエル国民の魂もしくは命を指していました。
16 詩篇 124篇は現代においてどのように成就しましたか。別の「わな」の危険がありますか。
16 この預言的な詩篇の成就として,エホバ神は確かに,霊のイスラエルの油そそがれた残りの者が捕えられていたわなを壊されました。それは,大いなるバビロンと,政治,司法,軍事の面の彼女の共犯者たちによって仕掛けられたわなでした。戦後の年であった1919年の春,悔い改めた残りの者のためにエホバはわなを壊して,「えさでおびき寄せる者」,すなわち象徴的な捕鳥者が,捕えられている「鳥」の肉を食べることをさせませんでした。それ以後,逃れ出た霊的イスラエルの残りの者は,「至高者のもとなる秘められた所」,そして「まさに全能者の影のもと」に入れられました。それでも「鳥を捕える者」は彼らを捕えようとしてまだ「わな」を張っています。それでエホバは,そのわなに捕えられる危険から彼らを救わなければなりません。
17 1904年および1927年の「ものみの塔」誌の中で指摘されているように,象徴的な「野鳥を捕る者」あるいは「鳥を捕える者」はだれですか。
17 では,その「鳥を捕える者」とはだれのことですか。また彼の「わな」とは何でしょうか。象徴的な「鳥を捕える者」が悪魔サタンであるということは,ずっと前から認識され,認められていました。1904年という昔の「ものみの塔」誌(英文)の3月1日号に掲載された,「至高者の翼のもとに」と題する記事は,詩篇 91篇3節について説明し,「野鳥を捕る者のわな」に関して,それは「サタンの欺きであって,保護されていない者はみなそれにつまずくであろう」と述べていました。(74ページ,第二欄)ずっと後の「ものみの塔」誌も同様の見解を示し,次のように述べました。「預言者がここで『野鳥を捕る者』と呼んでいる者が悪魔であること,そして彼のわなが,至高の神のしもべであることを公言する者たちを陥れるために種々様々に欺瞞的に働く,悪魔とその組織が用いる方法であることは,確かなようである」。(ジェームス王訳,詩篇 91篇に関する三つの一連の記事の最初の記事を掲載した「ものみの塔」誌の1927年8月1日号〔英文〕,231ページ,37節より)聖書の中で言及されている象徴的な「野鳥を捕る者」あるいは「鳥を捕える者たち」すべての中で,悪魔サタンは顕著な存在です。
18 エレミヤとホセアはだれを捕鳥者になぞらえていますか。彼らはどんな方法を用いますか。
18 象徴的な捕鳥者の用いる方法を説明して,エレミヤ記 5章26節は次のように述べています。『我が民のうちに悪しき者あり 網を張る者のごとくに身をかがめてうかがいわなを置きて人をとらう』。また背教したエフライムの国(十支族のイスラエル王国)において,偽預言者たちがどのように鳥を捕える者のように行動したかにつき,ホセア書 9章8節は,『預言者のすべての途は鳥を捕うる者の網のごと(し)』と述べています。大いなる「野鳥を捕る者」もしくは「鳥を捕える者」である悪魔サタンは,人々,すなわち「まさに全能者の影のもと」に宿っている人々を捕えようとしているのです。
19 大捕鳥者の象徴的な「わな」とは何ですか。
19 サタンの象徴的な「わな」,つまりエホバ神が,「至高者のもとなる秘められた所」に住み続ける人々を救い出して安全にしてくださるそのわなとは何ですか。エホバ神を自分の「避難所」また「とりで」として頼る人々を捕えようとして悪魔サタンが仕掛けた象徴的な「わな」とは,神の組織に敵対している地上の組織,すなわちサタンに属する見える組織です。神の大敵対者は,エホバの崇拝者たちをその中に捕え,犠牲者としてとどめ,彼らを霊的に損い,最後には破滅に追いやろうとしているのです。
20 (イ)神が組織を持たれることは,特にいつから指摘されるようになりましたか。また,もし人が神の組織に属していなければ,何に属していると指摘されましたか。(ロ)率直な声明によると,イエスとその弟子たちはどちらの組織に属していましたか。
20 特に1922年以来,次のことが,霊感によって書かれた聖書から指摘されるようになりました。つまりエホバ神は地上に,組織された「残りの者」を含む一つの組織を持たれるということと,また敵の組織,つまり目に見えない悪霊で成る部分と,目に見える地上の部分とを持つサタンの組織,があるということです。もし人が,エホバのものである見える組織に属していないなら,その人は敵の組織に属する者である,ということが指摘されました。詩篇 91篇が最初に適用するイエス・キリストは,エホバ神の組織に属していました。イエスの忠実な弟子たちも同じ神の組織に属していました。11人の忠実な使徒たちの先に立って祈られたとき,イエスが神に向かって,「わたしが世のものでないのと同じように,彼らも世のものではありません」と言われたのは,そのためです。(ヨハネ 17:14,16)だからこそ,世は彼らを憎むのだ,とイエスは言われました。―ヨハネ 15:18-20。
21,22 (イ)わなにおびき寄せる誘惑物として普通何が使われますか。大捕鳥者はどんな誘惑物を使いますか。(ロ)神はヨハネに霊感を与えて,偽りのえさを警戒させるどんな事柄を書き送らせましたか。
21 人にせよ動物にせよ,たいていわながあることを知らずに歩いていてそれにはまります。わなをかける者は,警戒心を持たない動物を,わなのとどく範囲内におびき寄せるためにそしてえさに食いつくとわなが落ちるように,えさをまくのが普通です。「鳥を捕える者」である悪魔サタンは大いなる,えさでおびき寄せる者です。彼は人々を自分のこの世的な見える組織の中におびきよせて,わなにかかった場合のように,その組織の中で被害者にならせようとして,どんなえさを使いますか。そのえさは,この世にある,人の利己心を引き付けるもの,つまり富,名声,地位,権力などを利己的に得る有望な機会です。エホバ神は,そのような偽りのえさについて警告し,クリスチャン使徒ヨハネに霊感を与えて,「まさに全能者の影のもと」に宿る人々に次のように書き送らせました。
22 「世も世にあるものをも愛してはなりません。世を愛する者がいれば,父の愛はその者のうちにありません。すべて世にあるもの ― 肉の欲望と目の欲望,そして自分の資力を見せびらかすこと ― は父から出るのではなく,世から出るからです。さらに,世は過ぎ去りつつあり,その欲望も同じです。しかし,神のご意志を行なう者は永久にとどまります」― ヨハネ第一 2:15-17。
23 (イ)わたしたちはなぜ,パウロに関連して述べられているデマスのようになりたくありませんか。(ロ)啓示 18章4節に従ったわたしたちは,どんな「わな」から連れ出され,何に入れられましたか。
23 ヨハネがこのことばを書いてから1,900年後の現在,そのわなのような悪魔サタンの組織は,ごく間近いうちに永久に過ぎ去ろうとしています。サタンに属する見える組織から出て「至高者のもとなる秘められた所」に入ったわたしたちが,滅びに定められている組織に再びおびき寄せられることを望む理由があるでしょうか。わたしたちは,かつてクリスチャンであったデマスのようになりたくありません。使徒パウロは,死ぬ前に書いた最後の手紙の中で,彼に関し次のように述べました。「デマスは今の事物の体制を愛してわたしを見捨て,テサロニケに行ってしまったからです」。(テモテ第二 4:10)キリスト教世界を含む,宗教の大いなるバビロンは,サタンに属する見える組織のわなに捕えられ,しっかりとつかまえられています。そしてまもなくそれと共に滅びるでしょう。わたしたちは,啓示 18章4節にある神の命令に従って,大いなるバビロンから,そして彼女の捕われているサタンのわなから,出て来ました。彼女のところに戻らないことにより,わたしたちは,「鳥を捕える者のわな」から救出された益を享受しつづけることができるのです。「まさに全能者の影」のもとで,わたしたちは霊的安全を得ます。
「難儀を引き起こす疫病」
24,25 (イ)詩篇作者は同じ節の中で,鳥を捕える者のわなと何とを結びつけていますか。(ロ)これは何を象徴しますか。それはなぜ適切と言えますか。
24 詩篇作者は同じ節の中で,「鳥を捕える者のわな」と共に,霊的安全を脅かす別の大きな脅威,すなわち伝染性の極めて強い,致命的な流行病を挙げています。彼はこう言います。「神自ら,鳥を捕える者のわなから,また難儀を引き起こす疫病から,あなたを救い出してくださるからである」― 詩 91:3,新。
25 鳥を捕える者の「わな」と同じく,難儀を引き起こすこの「疫病」も象徴的なものです。詩篇作者は,霊感のもとに,その二つを結びつけていますから,今日の象徴的な疫病は,鳥を捕える者のわな,すなわちサタンに属する見える地上の組織に協力する何物かです。事実,このひゆ的な「疫病」は,その利己的でこの世的な組織の中で発生し,培養されます。世界じゅうであらしのごとく荒れ狂うこの伝染性の強い「疫病」は国家主義です。
26 国家主義はいつから人々をとりこにしましたか。歴史家のトインビーは,国家主義について最近なんと言いましたか。
26 西暦1914年から1918年まで続いた第一次世界大戦以来,世界の人々が国家主義の精神にとりつかれている事実に,一般の歴史家たちは注目しています。それもごく当然のことと言えます。なぜなら,連合国は「民族自決のため」にその戦争をしたからです。イギリスの歴史家アーノルド・トインビーは,1972年11月21日というつい最近に,次のように語りました。
「第二次世界大戦終結以来,国家主義は地方主権独立国家の数を倍にし,その平均的大きさを半分にした。……人類の戦略上および衛生上の諸問題は世界的であり,緊迫した問題である。それらは地方国家の政府によって解決できるものではない。その解決には,圧到的権力を与えられた世界的権威の確立が要求される。人類の生存は政治的一致にかかっているが,それにもかかわらず,人類は現在ますます分裂して行く傾向にある。われわれは気でも狂ったのだろうか」。
27 国家主義はどのように「難儀を引き起こす疫病」のようですか。
27 この国家主義の波を高めているのは,イエス・キリストが「この世の支配者」と呼んだ悪魔サタンです。彼はそれによって,「あなたはわたしの避難所,わたしのとりで,わたしの信頼する,わたしの神です」とエホバに向かって言う人々を滅ぼすことを望んでいます。(詩 91:2,新)国家主義というこの政治的「疫病」は多くの,そして大きな「難儀」を引き起こしてきました。1920年に国際連盟が設立されたにもかかわらず,イタリアのムッソリーニ,ロシアのスターリン,ドイツのヒトラー,日本の帝国主義的精神を持つ政党といった極めて国家主義的な独裁者が出ました。国家主義は第二次世界大戦の推進力となりました。国家主義は,熱狂的な愛国主義,国家の象徴や表象に対する宗教儀式と言えるほどの熱烈な行為,重税を伴う軍備,国際的競争,エホバの宇宙主権とメシアの王国に従うことよりも国家主権に固執する精神などをあおりたてました。
28 この「疫病」は特にだれに大きな苦しみを負わせましたか。しかし彼らはどんな問題に関して妥協しませんでしたか。
28 こうした事柄すべてが一般人類に難儀をもたらしたことは言うまでもありませんが,エホバのクリスチャン証人に対しては,特別の苦しみを負わせる結果となりました。しかし全能者は,彼らが国家主義という「疫病」に感染して,クリスチャンの霊性に致命的影響を与えるその影響力の犠牲とならないようにしてくださいました。彼らは,666という数字を帯びる政治上の「野獣」や,その政治上の「像」,すなわち国際連盟の後継者である国際連合の崇拝におびき寄せられることも,また強制されてそれらを崇拝することもしませんでした。(啓示 13章; 15:2-4; 20:4)彼らはエホバに専心の献身を保ち,エホバの宇宙主権を支持する点で妥協しませんでした。
29 第二次世界大戦が行なわれていたにもかかわらず,これらの人々は1939年にどんなことに賛成しましたか。彼らの霊性にはどんな影響がありましたか。
29 1939年,第二次世界大戦が激しくなっていたにもかかわらず,彼らはこの世の政治および軍事的紛争に対し,全世界で一致して,クリスチャンの絶対中立の立場を取ることに賛成しました。(「ものみの塔」誌,1939年11月1日号〔英文〕の「中立」という記事をご覧ください)彼らは忠実であったがために苦しみ,一部の人々は死にましたが,エホバ神は彼らを,「至高者のもとなる秘められた所」で,また「まさに全能者の影のもと」で霊的に安全に守られました。
(次号につづく)
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増員された,エホバの証人の統治体ものみの塔 1975 | 3月1日
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増員された,エホバの証人の統治体
1974年11月28日,ブルックリンのベテル家族は,下記の兄弟たちがエホバの証人の統治体の成員とされたことを知り,大いに喜びました。今やそれらの兄弟たちは,既に統治体の成員として奉仕している人たちと共に奉仕することになりました。新しい成員は次のとおりです。日本の支部の監督W・ロイド・バリー; ものみの塔農場の事務所で働いているジョン・C・ブース; 国際聖書研究者協会の会計秘書である,英国ロンドンのエーワルト・C・チティー; ブルックリンの印刷工場の植字部門で働いているニューヨーク,ブルックリンのチャールズ・J・フェケル; 巡回監督として奉仕しているアメリカのセオドル・ジャラズ; ブルックリン・ベテルの事務所で働いているカール・F・クレイン; 王国宣教学校の教官として奉仕してきたアルバート・D・シュローダー; ブルックリン・ベテルの印刷工場で働いているダニエル・シドリク。これらの兄弟たちは全員,やがてブルックリンのベテル・ホームで生活し,水曜日,午前8時に開かれるエホバの証人の統治体の定期会合に出席します。それとともに,名字のアルファベット順にしたがって毎週交替でベテルの食卓の座長席に着きます。
統治体は今や,すべて油そそがれた十八人の成員で構成されることになりました。他の十人の成員は次のとおりです。フレデリック・W・フランズ,レイモンド・V・フランズ,ジョージ・D・ギャンガス,レオ・K・グリーンリース,ジョン・O・グロー,ミルトン・G・ヘンシェル,ウィリアム・K・ジャクソン,ネイサン・H・ノア,グラント・スーター,リーマン・A・スィングル。
統治体の成員としての資格で,世界中のエホバの証人に仕えるのは確かにこれらの兄弟たちの喜びです。また,今日エホバを愛する人たちがいる霊的なパラダイスを享受しているエホバの証人のすべてにとって,霊的な事柄に関してそれらの兄弟たちが行なう討議は,引き続き非常に有益なものとなるでしょう。
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読者からの質問ものみの塔 1975 | 3月1日
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読者からの質問
● 「新世界訳」は,その翻訳者たちの氏名や学者としての身分を序文の中で明らかにしていないのはなぜですか。
多年の間,アメリカ,ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会は多くの異なった聖書の翻訳を印刷してきましたが,印刷するに際して当協会は翻訳者の希望を無視したりはしませんでした。例えば,1972年に当協会は「現代英語聖書」をその翻訳者の望む体裁と判型で出版しました。―表題紙を参照のこと。
1949年9月3日,新世界訳聖書翻訳委員会は,クリスチャン・ギリシャ語聖書の完成した翻訳を当協会に提出しました。その原稿は,同委員会がその後続行したヘブライ語聖書の翻訳とともに当協会の合法的な所有物件となりました。このことに関して,「神の目的とエホバの証人」と題する本の258ページでは次のように述べています。「同翻訳委員会が要請した唯一の事柄は,その死亡後も各人の名を匿名のままにしてもらいたいということであった」。当協会はこの合意事項を守り,翻訳者たちの希望を尊重してきました。
しかし,どうしてこうした約定が設けられたのでしょうか。それらの翻訳者は目立つことを求めませんでした。自分たちに注意を引こうとは思わなかったのです。『すべての事を神の栄光のためにする』精神を持っていた彼らは,読者が翻訳者のこの世的な「資格」にではなく,神のみことばに信仰の基礎を置くことを願いました。(コリント第一 10:31)他の翻訳委員会も同様の見解を取ってきました。参照欄の付いた新アメリカ標準聖書(1971年)の表紙には次のように記されています。「われわれは参考のため,あるいは推奨するためであれいかなる学者の氏名をも用いてはいない。神のことばはその真価によって効力を保持すべきものである,とわれわれは信ずるからである」。
「新世界訳」の真価は容易に検討できます。その大型版にはおびただしい数の脚注が付されています。その多くは,特定の訳し方を決定するに際してどの聖書写本が関係していたかを示しています。また,それらの脚注は包括的な序文とともに,翻訳委員会の用いた資料やその翻訳に関して,他のたいていの翻訳に見いだせる以上の情報を注意深い研究者たちに供するものとなっています。
さらに,1969年,当協会はやはり新世界訳聖書翻訳委員会の翻訳である「ギリシャ語聖書 王国行間逐語訳」を発行しました。この希英対照翻訳を読めば,聖書のその部分に関して同翻訳委員会がどれほどの努力を払ったかだれでも詳しく調べることができるでしょう。
なかには,聖書中のそれぞれの書自体でさえ筆者の名が付されていると論じる人がいるかもしれません。多くの場合,それは真実です。しかし,聖書には筆者が自分の名前を記していない書が幾つもあります。同様に,筆者が自分の個人的な資格や教育的背景についてほとんど述べていない点にも注目できます。神のみことばを翻訳するに際して,新世界訳聖書翻訳委員会は,委員個人個人の卒業した大学その他,受けた教育に関する委細は重要なことではないと考えました。とはいえ,その翻訳自体,それらの委員の資格を証明しています。同委員会の翻訳を詳しく調べれば,読者の注意は翻訳者にではなく,聖書の著者,エホバ神に向けられるはずです。
また,その翻訳の脚注の中で同委員会側が,ある箇所を別の仕方で訳せることをも認めている点から同委員会の謙虚さにも注目できます。この点を認識して,当協会は常に他の種々の聖書翻訳を用いることを認め,またそうすることを勧めてきました。a それで,エホバの証人は新世界訳翻訳委員会の翻訳に深く感謝する一方,特定の土地の言語で入手できる聖書があれば,どんなものでも用います。それが現代語による明解な新世界訳,あるいは他の翻訳かどうかにかかわらず,当協会は,神のみことばをともしびとして用いて生活の道を照らすよう,すべての人に勧めます。―詩 119:105。
● 近年激しい嵐や洪水が人命や資産に大きな被害を与えてきましたが,そのあるものはサタンの働きによると言えるでしょうか。―アメリカの一読者より。
聖書は,サタンの引き起こした破壊的な嵐の例を確かに一つ記録しています。それは,忠実なヨブの子供たちの命が奪われた場合です。(ヨブ 1:12,18,19)しかし,これを根拠にして,サタンが破壊的な嵐すべてに直接関係している,と結論することはできません。なぜですか。ヨブの忠誠を試みることをサタンが許されたのは,神の特別の許可によるからです。
実際のところ,いわゆる「自然の」災害については,人間自身の責められるべき場合が少なくありません。人間が地球のさまざまな資源を正しく管理せず,自然の循環を乱してきたことは,天候や気象にまちがいなく影響を与えてきました。「大英百科事典」(1974年版)はこう述べています。「工業その他の活動によって大気中に大量に放出される熱・廃ガス・微粒子などが天候や気象に変化を来たしている証拠はしだいに増大している」。さらに,洪水による被害の多くは,浸食を防ぐはずの樹木の伐採や,河川に隣接した低地や洪水による堆積地に町を建設したことによっても起きています。多くの権威者は,こうした事を避けるようにと諸国家に勧告しています。それは自らに大きな苦しみをもたらすことになるからです。
また,忘れてならないのは,人類は一般に言って神の律法を無視する道を選んできたため,創造者は人間がただ自分の道を進むことを許してこられた,という点です。結果として,人間には,「なんであれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになる」という神の不変の法則が当てはまってきました。―ガラテア 6:7。
しかし,間接的には,サタンは人間に振りかかったさまざまな災害に責任を持ってきました。明らかに悪魔は危害を目的として人間に働きかけ,環境を破壊するまでに利己主義と貪欲の道を追い求めさせてきました。使徒パウロはエフェソスのクリスチャンたちに手紙を書いたさい,彼らがもはやそうした悪い影響に形作られてはいないことを指摘して次のように述べました。「あなたがたは自分の罪過と罪にあって死んでいましたが,そのあなたがたを神は生かしてくださいました。あなたがたはこの世の事物の体制にしたがい,また空中の権威の支配者,不従順の子らのうちにいま働いている霊にしたがって,一時はそうした罪のうちを歩んでいました」― エフェソス 2:1,2。
サタンはここで,「空中の権威の支配者」と呼ばれています。クリスチャンはもはやその影響下にいないことが示されていますから,彼が支配するこの「空中」とは,文字通りの大気を指していないことが明らかです。クリスチャンも,他の人々すべてと同様,文字通りの大気の乱れによる影響は受けるからです。しかし彼らは,サタンが権威を行使している「天の場所にある邪悪な霊の勢力」の支配もしくは影響の下にはいません。(エフェソス 6:12)したがって,この「空中」とは,これら「邪悪な霊の勢力」が活動している,地的領域を越えた場所を指しています。そして,真のクリスチャンのうちではなく,「不従順の子ら」のうちに働いている「霊」とは,サタンである「支配者」が思うがままに用いる,目に見えない活動力です。それは,この支配者から出るもので,彼と同じようにエホバ神に不従順な者たちに影響を与えています。
したがって,聖書的にも,また他の面から見ても,近年のある特定の嵐や洪水による災害を,超人間の勢力に直接に帰すべき明確な証拠はありません。
[脚注]
a 「ものみの塔」1950年,315ページ参照。(英文)
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どれほど長く生きたいですかものみの塔 1975 | 3月1日
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どれほど長く生きたいですか
今日のわたしたちの寿命よりはるかに長く生きることは可能ですか。すでに死んだ人々が再び生きることができますか。聖書は,神が約束された永遠の命の賜物について,また,復活によって死者でさえその賜物を受けられることについて述べています。
こうした約束を,「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」からお読みください。この堅表紙の聖書は,語句索引を含め500ページ以上から成っています。192ページの聖書研究手引き,「聖書はほんとうに神のことばですか」と一緒に,450円のご寄付でお求めになれます。郵送料発行者負担でお送りします。今すぐ下記にお申し込みください。108 東京都港区三田5丁目5番8号 ものみの塔聖書冊子協会(振替 東京 138022番)
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