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  • 今日の子供たち,明日の世界
    目ざめよ! 1980 | 2月22日
    • 今日の子供たち,明日の世界

      それはどうなるか

      「学童の入場は一度に一人ずつに限る」。これは英国のある菓子屋の入口の掲示です。学童が余りにも多くの品物を盗むので,店主は一人一人を見張らなければならなかったのです。新聞の発表記事はさらに次のように続いています。

      「その周辺にある何の変哲もない学校から,これまで生み出された子供の中で,最も不作法で,利己的で,粗暴な種類の子供たちが毎日吐き出される。その子供たちは押し合いへし合いバスに殺到し,道路越しに卑わいな言葉を大声で投げかける。そしてうまくやりおおせれば,こそ泥もほむべきことと考えている」。

      英国の進歩的な“開放教室”実施校の一教師は,次のように述べて校長を非難しました。

      「校長は飛び入りが自由な雰囲気に変えてしまった。それは,全く放縦で,手前勝手の“その時自分のしたいことをする”式の雰囲気である。混乱と無秩序が支配している。しつけは時代遅れであるとしてひんしゅくを買う。子供たちは,何かを学んで進歩するという点にしても,反社会的な行為を生み出すという点にしても,自分たちに害となる方法で振る舞うよう惑わされている。子供たちは成長するにつれて,無知で,利己的で,粗暴で……怠惰で,退廃的になってゆく」。

      以上の報道は三,四年前のものです。最近の一報道も,変化の見られないことを示しています。「英国の打ちのめされた学校」という見出しを掲げたその記事によると,一般教養の学力の低下は驚くべきものです。生徒たちは,「読み書き,算数,意思伝達などの基礎技能の点で,最低許容基準に達していない」とされています。その記事は,“当世風”の教科の入り乱れる進歩的な方法を,「教育の掃きだめ」と呼んでいます。

      カナダでは,以下のような新聞の見出しが学校の実情を物語っています。「生徒の読書力は低下している」。「落第のない昨今,意味のない高卒の証書」。「生徒に好かれたかったら,落第させないこと」。「やる気のなさ,生徒の価値観の欠如について語る教師たち」。「教育委員会の妨げになる学校の蛮行と暴力」。

      オーストラリアから寄せられた報告。しつけが問題になっています。そのために教師たちは職場を去り,補充される教師の質は以前よりも低くなっています。社会の必要などおかまいなしに,自由放任と個人の権利の重視が第一にされます。時には暴力を伴う,仲間の圧力に負けて,酒や麻薬に手を出すようになる生徒が数多くいます。

      ソ連の学校では較差が見られます。学校教育の質は,地方では低く,都会では高いというように,大きく異なります。しかし,その制度はどこにおいても,すね者を生み出しており,「典型的な高校生は何も信じていない」と言われています。生徒たちはお金を積んで最も人気のある学校に裏口入学しており,本のやみ市は隆盛を極めています。

      中国は特筆すべき国のように見えます。訪問者たちは,子供たちの礼儀正しい,よくしつけられた振る舞いに感心させられます。生徒たちは歌と踊りで訪問者を自分たちのクラスへ迎えます。暗唱は立派なものです。麻薬の問題はないようです。とはいえ,見学は周到に計画され,徹底的に監視されているように思えます。一人の記者は見学コースを離れ,手洗いの中にたむろしている子供たちを見つけました。すると,一人の男の子が大胆にも近寄ってきて,記者の前に立ち,放尿しました。それからほかの者たちも皆,記者の前に来ては同じことをしました。このことがあってから,記者はその見学について,「ある事柄は特に人に見せるようにお膳立てがされている」という結論を出しています。

      日本では,教師たちが学力の低下を嘆いています。暴力と蛮行が広まっています。その一例を挙げましょう。ほとんどが中学2年生で成る30人の生徒たちが,木や竹の棒で六人の教師を打ちたたき,学校の窓やガラス張りのドアを壊しました。しかもそのうちの五人は女生徒でした。しかし,日本の学校で特に際立った要素となっているのは試験です。公立の学校の生徒は,高校や大学へ入るために難しい試験を受けさせられています。そして,どんな程度の学校に入れるかは,当人の成績にかかっています。有名私立校に入るための試験は,幼稚園に入るときから始まります。大学入試は幾日にもわたり,“受験地獄”と呼ばれ,春になると決まって数人の自殺者を出します。

      インドにおける大学の試験は実に驚くべきものです。インド人の学生は,カンニングや不正行為をするのは自分たちの生得権であると心得ています。昨年の七月,メーラト大学で行なわれた試験は暴動に終わりました。一新聞の発表記事は次のように述べています。

      「昨日,学生と警官がメーラトの市街,および隣接する大学町で激戦を交わし,二人の学生が死亡し,30人の警官を含む40人が負傷した。これは,不正行為をなくそうと,試験監督官を助けるため,試験場に武装警官が配置されたときに起きた。自分たちの“生得権”を奪われた学生たちは暴れ回った。

      「問題を起こした今回の試験は,大規模なカンニングと不正行為があったために無効とされた二月の試験の続編であった。二月の試験の際には,監督官たちがナイフや短刀で脅されている間に,学生たちが本やノートを写した。ほかの者たちは問題用紙と答案用紙を持って近くの家や食堂へ行ったが,そこには協力的な友人たちが答えを用意して待機している。試験場の外では,問題の解答が,書き取りのできるスピードで,拡声装置を通して読み上げられた」。

      その結果,ほとんどの大学の出す学位は無価値なものになり,雇用者も高等な教育機関もそれらを無視します。文字通り文盲の卒業生が,失業者の列をふくれ上がらせています。

      20か国ほどにまたがる,9,700校と25万人の学生を対象にした一調査は,工業国の学生の学力と開発途上国の学生の学力の間に途方もない開きがあることを明らかにしました。読み書き,算数の実力は工業国でも低下していますが,開発途上国ではさらにひどい状態が見られます。後者に属する国々では文盲率が高く,学校へ上がる児童の半分は三年生になるまでに退学します。

      今日の多くの子供たちの状態からすると,子供たちはどんな大人になるのでしょうか。そのような大人の管理する明日の世界はどうなるでしょうか。

      続く一連の記事を読む際に,そのことについて考えてみてください。以下に掲げるのは,世界でも主要な国々の学校で起きている出来事についての報告です。

  • 下り坂にある学校教育
    目ざめよ! 1980 | 2月22日
    • 下り坂にある学校教育

      米国では,社会が学校をだめにし,学校が生徒をだめにし,生徒は自らをだめにしています。親たちも優等生とは言えません。

      「だまされていたんだ」と一高卒者は叫びます。この人は大学へ二年行った後,退学を余儀なくされるまでそれに気づきませんでした。「何がいけなかったんだ。どうして自分には用意ができていなかったのだろう」と自問してから,この人は次のように述べています。

      「私は進歩主義の時代に高校へ通いました。その当時,教育学者たちは“楽しい教室”について語っており,私たちはこぞって“当面の問題に関連のある”(それが何を意味していたかはともかく)教科を要求しました。今にして思うと,教育者たちすべてが私たちに余りにも簡単に屈してしまったことに問題があったのです。……教育者たちは私たちの要求した“楽しみ”と“当面の問題に関連のある事柄”を与えようとしましたが,私たちが本当に必要としていたのは文の構造や多くの場合お尻に一鞭あてられることでした。

      一コラムニストは別の生徒が次のようにこぼしているのを伝えています。

      「10年生[高校一年生]になるというのに,ぼくはまともに字をつづることもできません。ぼくの通っている学校は,この州で一番良い学校だということになっています。でもぼくは5年生のときから,つづり方を教えられていません。毎年,担任の先生は,あればよいと思う教科を挙げるように,と言います。ぼくは,5年間続けて,“つづり方”と“文法”を挙げました。その結果,何が与えられたと思いますか。“教育的”とされる,くだらない映画です」。

      同国は,中学および高校にこれまでにないほど多額の資金 ― 年間約750億㌦(約15兆円)― をつぎ込んでいますが,それらの学校での教育は惨めなことに下り坂にあります。大学入試の得点は,これまでの15年間に徐々に低下してきました。

      成績の水増しと自動的な進級

      専門家たちは調査をして,次のように報告しています。進歩主義的教授法や無意味な選択科目のおかげで,読み書き,算数などの基礎教科が締め出されてしまった。子供は本を読めないだけでなく,書くことも,足し算や引き算をすることもできない。国語の授業はSFや映画に取って代わられ,作文はすたれている。教科書は,さし絵が増え,余白が多くなり,言葉が簡単になり,文が短く,以前よりもやさしくなっている。宿題は昔の半分しか出されない。欠席率は25%にも上り,欠席は大目に見られている。成績は水増しされ,進級は実力とは無関係に自動的に行なわれる。卒業証書は12年間学校へ通ったことを示すもので,学力を示すものではない。

      卒業証書の意味がなくなっていることは,裁判沙汰にまで発展しています。1978年5月9日付のウォール・ストリート・ジャーナル紙はこう述べています。「生徒が何を学んだかなどおかまいなしに学校が生徒を卒業させるなら,学校は訴えられることもある。米国各地で学校を相手取った訴訟が六件起きているが,いずれも教育過誤を主眼点としての告発である」。その結果,多くの州で,「生徒たちは自分たちが最低限の技能を身に付けていることを証明するよう求められる。これは大抵,読み書き,算数の三つの基礎科目の資格試験に合格することにより示される。その試験に落ちれば,高校の卒業証書を与えられないことがある」。

      一方,学校教育が下り坂にあることを報じたその同じ専門家たちは,事態の責任を校外にも求めています。破壊された家庭,片親しかいない家庭,親が共働きしている家庭,子供を甘やかす家庭 ― このような家庭の子供たちは精神面の障害を持ち,しつけもされずに学校へ来るので,教えるのが難しいというのです。

      テレビは知性を鈍らせますが,「16歳になるまでに,ほとんどの子供は1万ないし1万5,000時間テレビを見て過ごしており,それは子供たちが学校で過ごした時間をしのぐ」と言われています。一専門家は,「テレビは親代わりに,また代用教員になっている」と語りました。

      別の教育者は率直にこう語りました。「読み書きの能力に重大な問題があると思い,自分の子供の読み書きの能力を向上させたいなら,テレビやラジオを消し,電話や速記用録音再生機の電源を切り,読書欲が旺盛で筆まめな,ある程度裕福な親をあてがうことである」。

      引用文の最後に出て来る言葉は別の要素,つまり経済力の問題がからんでいることを示しています。1979年3月8日付のニューヨーク・デーリー・ニューズ紙は,「どこに住むかは成績にかかわる」という見出しを掲げました。その記事は次のように続いています。

      「クィーンズ区ジャマイカ・エステートにある第131公立学校は静かな街路と高級一戸建てのレンガ造り住宅に囲まれた所にある。そして,人々は道ですれ違うときにもほほえみを交わし,互いに手を振る。同校の生徒たちは市内全域で行なわれた読書力テストで最高の成績を上げた。

      「第75公立学校はブロンクス区のフェイル街にあり,スラムのまっただ中に位置している。校外へ出ると,教師も生徒も一様に追いはぎやヘロイン中毒者について心配しなければならなくなる。第75公立学校の生徒たちは読書力テストで最低の成績を残した。

      「エベリン・リーキーの息子は第75公立学校の5年生であるが,リーキーは次のように語っている。『これには意味があるはずだわ。あの学校では勉強なんかさせちゃいないのよ。でも,うちには息子をほかのところへやる余裕はないの』」。

      『社会が悪いのだ』

      テストの点数の低下を調べるグループの一員であるウィラード・ウァーツ元労働長官は,黒人の得点が,その置かれている社会的および経済的に不利な状況に対応して,白人よりも低くなっていることに注目しています。同氏は結論として,「その責任を学校だけに問うことはできない。社会全体が悪いのだ」と述べました。

      学校を出ても教育上の基本的な技能を身に付けていない人は,就職市場で不利な立場に立たされます。教師たちを対象としたゼミナールを司会した実業家たちは次のような点を指摘しました。

      「現実を直視しようじゃないですか。仕事のできない人を会社に置いておくわけにはゆきませんよ」。

      「私の審査した求職者の一グループ180人の申込書のうち,大体20%は文章が判読できないため破棄しなければなりませんでした」。

      「解雇される者のうち約8割は,欠勤や遅刻を常習にしたために自分たちの職を失っているのです」。

      「求職者の外見にはできるだけ捕らわれないようにしているのですが,皆さんも私たちが面接するような人々の幾人かにお会いになれば,どうしても外見にこだわってしまう理由がお分かりいただけると思います」。

      実業界は,下り坂にある学校教育の埋め合わせをするために,年間400億㌦(約8兆円)を費やしています。ある会社の幹部は次のようにこぼしています。

      「我々は教育者が当然していなければならないことを行なっている。大学を出た人間がレポートも書けない。高校を出た者が読むことも,つづることも,書くこともできない。タイピストは一分間に30語そこそこしか打てない。その上そろいもそろって,語彙が乏しいときている。12年と言えば,学校で過ごすにはかなり長い期間なのに,基礎的な学力も身に付けていない」。

      原子を分裂させ,人間を月へ送り込んで帰還させ,木星へ宇宙船を飛ばし,そこから映像を地球へ送らせた国に,求職申込書の書き込み方やスーパーマーケットの精算カウンターで釣り銭の計算をする方法も教えられていない大人がいる,というのは残念な話です。解決策があるに違いありません。

      でも,それはどんな解決策でしょうか。

  • 攻撃にさらされる教師たち
    目ざめよ! 1980 | 2月22日
    • 攻撃にさらされる教師たち

      教師失格といわれても仕方のない人もいれば,身代り<スケープ・ゴート>にされる人もいます。いずれにしろ,みんな深刻な職業上の危険にさらされています。

      「息子や娘が読み書き,算数ができないのは,教師たちができないからだ」。これは昨年ウォール・ストリート・ジャーナル紙が上げた大々的な非難の声です。同紙はそれを支持する幾つかの例を挙げています。ニューオーリンズでピケを張った教師たちの掲げた立て看板には,「人普みの賃金を求めてストライキ中」と書かれていました。バージニア州では,3年生用の印刷された学習の手引きに,「孝古学者はその彫刻からどんな事を知りましたか」という質問が見られました。アラバマ州の一教師は,一人の親に次のようなメモを送りました。「スコットは全く宿題に合確しません。詩を暗唱してくることになっていたのに,そうすることに失杯しました」。別の筋からの話は,一人の女の子が涙を浮かべて家へ帰って来たことについて述べています。書き取りのテストで正しく“花盛り”と書いたのに,教師はそれを直して,“花咲かり”としたのです。

      すべての教師がそうだというわけではありませんが,教師の能力不足は全米的な規模に及んでいます。結果として,多くの州で,新任教師に様々な資格試験を受けさせようとする圧力が生じています。教職員組合の幹部の中には,教師たちはテストの得点の全米的な低下のために,その罪を負わされている,と抗議する人もいます。この抗議は妥当なものと言えます。公立学校の多くが成果を上げていないその背後には幾つかの要素があります。また,有能な専門家としての能力を備えた教師も少なくありません。しかし,そうではない人も大勢おり,そのような教師をふるい落とすためのテストは正当なものです。

      もっとも,これらのテストは基礎的な教科に関してさえ,難しいものではありません。ニューヨーク・ポスト紙は,それを「子供のお遊びにすぎない」と決めつけ,「一研究調査によると,市立学校の教師志願者を対象にした国語の筆記試験は,至極容易にパスできるので,高校生でも,求職している大人たちとほぼ同じほどの成績を上げられるほどであった」と述べています。

      職業上の危険

      産業労働者で,20年か30年後に死をもたらす発ガン性の化学物質にさらされている人は少なくありません。教師の多くは,その場でけがをし,時には死ぬこともあるような危険にさらされています。米国の国立教育研究所の推定によると,毎月,中学や高校の教師5,200人が暴力をふるわれ,6,000人が強奪に遭っています。毎月,その生徒たちのうち約28万2,000人が暴行を受け,月々,11万2,000人が強盗に遭っています。暴行の多くは,生徒ではない侵入者によるものです。

      US・ニューズ・アンド・ワールド・リポート誌の1979年5月21日号は,暴行の幾つかを特に取り上げ,次のように述べています。

      「自分の担任する二年生のクラスの前で,カリフォルニア州の一女性教師は侵入者に銃をつきつけられて服を脱がされ,それから性的暴行を受けた。侵入者は出て行くときに,この女性の服とハンドバッグを奪って行った。子供たちは,自分たちのセーターや上着で先生を覆った。

      「ニューオーリンズの一教師は,二人の少年が自分たちよりも幼い子供を二階のバルコニーから投げ落とすのを指をくわえて見ていた。この女性教師は,手出しをすると自分が少年たちに襲われるのではないかと考えて,中に割って入るのを恐れたのである。

      「ロサンゼルスのある女子高校生たちは,自分たちの成績が悪かったことに腹を立て,火の付いたマッチを教師に向かってほうり,その女性教師の髪に火を付けた。その後,教師は感情的な虚脱状態に陥った。

      「バージニア州アレキサンドリアで,破壊行為を働く生徒たちは,高校の駐車場に止めてあった警察の車のタイヤをめった切りにし,図書館の壁に麻薬の落書きをし,学校の正門をもぎ取り,窓ガラスを壊し,ノリでじゅうたんを台なしにし,喫煙所で爆発物に火を付け,学校の金網べいに大きな穴を開け,廊下にモーターオイルをまき散らし,パイプ・カッターで学校の旗ざおを切り倒し,その旗ざおを校長室の窓へ突っ込ませた。その後学校は,放火と見られる壊滅的な火事に見舞われ,閉鎖された。

      「テキサス州オースティンで,前ホワイトハウス報道官ジョージ・クリスチャンの13歳になる息子が,30人の級友の前で半自動式ライフル銃を使って国語の教師を射殺した。その教師は,少年に落第点を与えていた」。

      幾年もの間,教師たちは暴力行為を通報しないよう圧力をかけられてきました。それは学校の評判を落とし,結果として学校の管理者の評判を落とします。そのような犯罪を減らすためのニュージャージー州対策本部の一メンバーは,「管理者たちは,確かに,職員を脅迫して暴力事件を忘れさせている」と語っています。暴力が警察の出動を見るに至ることを生徒たちが知ると,暴力は著しく減少します。

      戦線からの脱出

      教師の多くは,戦線の兵士たちがかかるような,不安やノイローゼの伴う,戦闘疲労症にかかっています。中には,催涙弾や呼び子そして短銃までつくえの中にしまっておくようになった教師もいます。しかし,教師の大半は抵抗しようとしない,理想主義的な傾向のある人で,そのような戦いには不向きで,戦いに加わる気持ちがありません。そこで,戦場から全く手を引くことを選ぶのです。近年の辞職や早期退職が原因で,経験の深い,献身的な教師の数が急激に落ち込みました。これは子供にとっても,親にとっても,学校にとっても,社会にとっても損失です。もっとも,それは自業自得というものです。その各々がみな損失を招いた一因となっているのです。

  • 基礎科目と自由選択科目 ― どちらになるか
    目ざめよ! 1980 | 2月22日
    • 基礎科目と自由選択科目 ― どちらになるか

      ある寒い晩,男の人は自分のラクダの頭をテントの中に入れてやりました。少ししてから首も,次には肩の所まで入れてやりました。やがてラクダはテントの中に入り込み,男の人は外に出されてふるえていました。と,物語は続きます。同様に,選択科目が学校の教育課程<カリキュラム>に入ってきた結果,読み書き,算数の三つの基礎的な科目は押し出されてしまいました。

      今日の学校では,基礎的な教科が嘆かわしいほど不足しています。そして,「フィンガー・ペインティングに熱意を示すことを,代替物として受け入れることはできません」と,以前教師だった人は語っています。この女性は次のように述べています。「学校側は,私たちの求めもしない活動を際限なく取り入れ,生徒の情緒面の必要や社会面の必要に気を配り,生徒たちの教育面の必要が顧みられるのは一番最後になります。家庭生活に関する話し合いは,大抵の場合,教室内でのもってまわったポルノ談義になっています」。

      この最後の非難を支持するものとして,1979年6月19日付のニューヨーク・ポスト紙は,第一面に,「学童に成人向き性教育」という見出しを掲げました。記事の詳細は以下の通りです。

      「教育委員会はその性教育課程を徹底的に再検討する備えをしており,以前はタブー視されていた教科を5年生の時から扱うことにしている。新たな“成人向け”の資料の中には,堕胎,同性愛,避妊,自慰などが含まれている。……学校当局者たちは早期の性教育が必要であると考えているが,それは望まれない十代の妊娠と性病が驚くほど増加しているからである。当局者たちはまた,生物学的過程を強調する現在の資料の代わりに,実際的な性知識を与えるよう提案している。例えば,まだ5年生にしかならない学童が,避妊の様々な方法について話し合うことになる」。

      どこかで聞いたことのある話ですか。学校に初めて性教育が導入された際にもその同じ論議,つまり性教育が乱交や妊娠を減少させるという論法が用いられたのではありませんか。しかし記録の示すところによると,減少したものといえば,読み書き,算数の能力だけでした。

      黒人英語

      昔は,貧しい黒人の女の子が文法に反する英語を話せば,教師に正されたものです。ところが,近年,これを“黒人英語”と呼び,それは文字のない言語であり,学校で教えられて然るべきだ,と主張する人がいます。多くの黒人の親たちはそれに反対しました。自分の子供が就職戦線で張り合ってゆくには,標準的な英語を流ちょうに話せなければいけないことを知っていたからです。

      多くの学校の教育課程はこれら無くもがなの選択科目で満ちています。そのような科目にはあまり価値はありませんが,履修するのは容易です。不安を抱く教師たちは,これを純粋に学問的な技能に対する脅威と見ています。社会科の一教師の次の言葉はその典型です。

      「多くの学校で頭をもたげている選択制度は,年端のゆかない生徒たちの勉強の習慣に破壊的な影響を与えている。15歳の生徒は,“スーパーマーケット”のような教育過程<カリキュラム>の中から,一番便利で,一番楽な科目を買いあさる名人になっている」。

      基礎へ戻れ!

      中学から大学に至るまで学力水準がむしばまれていることに対する驚きから,「基礎へ戻れ」運動は米国教育界の中でも特に大きな力となりました。1977年に,ギャラップ世論調査は,米国人に,読み書き,算数などの基礎的な科目にもっと重きを置くことを望むかどうか尋ねました。望むと答えた人々は,83%の多数を占めました。人々が公立学校の思わしくない成果に飽き足りなくなっているため,宗教的な学校を含む私立学校の人気が急激に上がっています。フロリダ州には300余りの宗教的な学校がありますが,同州の教育長は,それらの学校に満たすべき規準を定めないのはなぜか,と尋ねられて,次のように答えました。

      「公立学校をきちんと整えるまでは,我々はだれかほかの者の規準についてとやかく言う立場にはいない。ずうずうしくも,自分のことをたなにあげて人を責めることなどどうしてできようか」。

      大学入試での得点を一定水準に保っている,あるいは得点の上がった高校34校を対象にした調査が行なわれました。それらの学校は全国に散らばっており,富裕な地域にあるものも,勤労者階級の住む地域にあるものもあります。それらの地域は社会的にも,経済的にもアメリカのあらゆる階層を代表しています。これらの学校には,「いわゆる“開放教室の概念”に代表される,くつろいだ教育環境というような一時的流行」に同意しなかった,経験豊富で,高い規準を曲げない教師のいることが多いようです。良い点を取る生徒は,「得点が著しく低下している学校を出た受験者よりも,数学,外国語,国語,自然科学など,より学問的な科目を取っている」とのことです。そして,教師には父兄の強力な後押しがあります。

      学問に王道なし

      エドワード・T・ホールは,アメリカで28年間国語(英語)を教えました。そして1974年に,英語を教えるためにアフリカのボツワナへ行きました。ホールはこう語っています。「私が英語を教えている少年少女にとって,英語は外国語です。ところが,その子たちのほうが私のアメリカ時代の生徒たちよりも良い成績を上げています」。ホールは自由放任な取り組み方に異論を唱えており,ボツワナでのその勉強の予定は厳格なもので,無くもがなの科目が入り込むすきなどありません。

      「古臭い? 繰り返しが多い? 退屈?」とホールは尋ねます。その通りです。「協奏曲を演奏するようになるためにピアノの音階練習が欠かせないのと同じく,正しい英語を話したり書いたりするには退屈なドリルが必要なのです」。アメリカの教師たちは,生徒の英語を正すと,その子の“個性”や“創造力”を抑えてしまうのではないかと恐れています。ホールはこれを,ネットを張らずにテニスをすることになぞらえ,こう述べています。「もうネットを下ろしてテニスをすることはやめ,スポーツや音楽の場合と同じように,生徒には言語の練習をさせなければなりません」。

      ホールは,「ヒューマン・ネーチャー」誌の1978年8月号に掲載された,「どうしてアメリカ人はまともな文章を書けないか」という随筆の中で上記のような主張をしています。そして,自分の見解を証明する実例を挙げています。それはニューヨーク市の高校3年生とアフリカの15歳の生徒各々の宿題からの抜粋です。次の一節は,ユダヤ人少女アンネ・フランクの日記に関する,ニューヨーク市の高校3年生のレポートです。

      「これわ悲劇的な話で,それはアンネ・フランクがとてもつらい生き方を送ったからです。彼女の家族とアンネはドイツ人で,ヒトラーはドイツ人がきらいですから,ヒトラーはドイツ人を捕まえて,働かせて,時には殺すことさえする法律を通しました」。

      それでは次に,偏見という問題を扱った,15歳のアフリカ人ムブソの作文の一部を掲げましょう。

      「アフリカ南部では,幾世紀にもわたる歴史によって人種的偏見ができ上がっていった,というのが事の真相である。私たちがボツワナにおいてその長い歴史から抜け出したのは,独立後のここ10年間のことにすぎない。アフリカ南部の白人たちは,幾世紀にもわたってアフリカ人を家来,劣った人種とみなし,洗練された,教養のある仕方で考えたり行動したりすることのできない人間と考えてきた」。

      ニューヨーク市の国語の教師は幻滅を感じて,「教育の尺度は,1㍍の物差しから15㌢の定規に変わってしまったと言っても過言ではない」と語りましたが,それも不思議ではありません。自由選択科目の喜びが基礎教科の習得に道を譲ってはじめて,その尺度をもう一度1㍍の物差しにすることができるのです。

      [10ページの図版]

      大学出の人の中にも基礎に戻らなければならない人がいる

  • 二人の教師の経験談 ― 教職を離れた理由
    目ざめよ! 1980 | 2月22日
    • 二人の教師の経験談 ― 教職を離れた理由

      「私は,毎日おびえながら教壇に立つほどになり,このへんが教職を離れる潮時であることを悟りました」。

      教育者たちは幾十年にもわたって,「どうしてうちの子は字が読めないのかしら」という問題の解決策を模索してきました。一方,子供のほうは,「スポット(犬の名)がはしっているよ。はしれスポット,はしれ」(日本の「さいた さいた さくらがさいた」,に相当する)を足がかりにして,書物を征服するという骨の折れる仕事に取りかかります。ところが非常に多くの場合,最初の年に二人か三人先生が代わり,子供は早くも敗北を味わいます。それで,子供が「スポットがはしっているよ」で悪戦苦闘している一方,教育者は,犬ではなく教師が走って逃げ出して行く,という問題に直面しています。また,「どうして教師は教える能力がないのか」という問題もあります。

      教育界ではどんなことが起きているのでしょうか。経験豊富で,献身的な教師がその職場を去り,転職しているのはなぜでしょうか。私もそのような質問を受けたことがあります。定年まで十年もあるのに教職を離れたからです。

      昔の様子

      私は教師の家系の出でした。人形相手に学校ごっこをした幼かりし日から,縫いぐるみやクマの人形や中国人形が自分の教室の生きた生徒になる時を楽しみにしていました。結局,3年生の男の子たち,という形で願いはかなえられました。

      私が教職に就いたときには,その学年度も始まってから三か月が過ぎており,私はそのクラスの三人目の教師でした。子供たちはそのことを得意気に告げ,一人の小さな声が,「二人ともぼくたちが追い出しちゃったんだ」と言いました。私はそれには耳を貸さず,子供たちを会話に引き入れ,自分たちのことを話させました。その話し合いは,すぐに,家で飼っているペットの話になりました。私は,尽きることを知らない,ペットのおどけたしぐさに関する話に耳を傾けました。そして最後に,一人の小さな男の子に,「犬が遊ぼうとして君に飛びついてきても,君が遊びたくないときにはどうするの」と尋ねました。

      「うん,突き離してやるだけさ」。

      「でも,突き離してしまって,もう二度と来てくれなくなったらどうするの」。

      「そんなことにはならないもん」。

      「どうして」。

      「だって,うちの犬はぼくのことが好きだもん」。

      ひそひそ声に近い声で,私はこう言いました。「いいことを教えてあげようか。みんなの話を聞いているうちに,先生もきっとみんなのことを好きになるに違いないと思ったの。先生はそのワンちゃんと同じになるわ。時々先生のことを押しのけても構わないけど,先生はみんなのことが好きだから,逃げ出したりはしないわ。いいわね」。

      その瞬間,私は子供たちの心を勝ち得ました。それは終戦後間もないころのことでした。

      教師の例に漏れず,私にも自分で教えるのが好きな教科がありました。その中の主だったものは,6年生の社会科で教える「世界強国の興亡」です。私は,教科書が聖書の歴史と余りにもぴったり合致するので驚きました。「古代世界に生きる」という私たちの教科書の教師用注釈版には,ダニエル書 2章からネブカデネザルと,世界強国の興亡に関するその夢の話を生徒に読ませるよう提案されてさえいました。

      当時は毎日が楽しく,教えることは喜びでした。時がたつのは早いもので,出産で教壇を去るまでに十年以上の月日が流れていました。

      私が教壇に戻ったのは,1960年代の後半のことでした。私がかつて教えることから得た喜びは,昔よりも大きくなっていてしかるべきでした。自分の子供が学校に上がっていたからです。ところが事態は異なっていたのです。

      現状

      あらゆる面で,驚くべき敬意の欠如が見られました。確かに,教師に対する生徒の敬意はほとんど見られませんでした。が,その同じ姿勢は,校長に対する若い教師の態度にもしばしば反映されていました。昔だったらごく簡単に保てた規律も,今ではほとんど守れなくなっています。11歳の子供の口からいともたやすく出て来るのろいの言葉を聞いて,私は,こんなことがあって良いものか,と息をのみました。やがて私は,毎日おびえながら教壇に立つほどになり,このへんが教職を離れる潮時であることを悟りました。

      私は,かつて同僚だった教師や校長に会って話を聞いてみることにしました。また,今では学齢期の子供を抱えている場合が多い,かつての教え子たちにも会いました。

      しつけ,いえ,もっと正確にはしつけの欠如が,数々の苦情の中でも第一位を占めていました。一人の教師はこう語りました。「何のいざこざにも巻き込まれずに,廊下の端から端まで歩ければ,良い日だったと感じるわ」。

      しつけができていない理由について,それらの人々の意見はまちまちでしたが,異口同音に,「権威に対する敬意の欠如」を主要な理由として挙げていました。一人の校長はこんな意見を述べています。「子供たちの多くは,就学前に,親が政府に対して敬意を抱かず,多くの人が神を信じていないことを知ります。ですから,子供にとっては親が最高の権威者となります。ところが子供たちがその親にさえ敬意を抱いていないなら,我々,教師たちはどうなってしまうのでしょう」。

      私は,25年以上の経験を持つ現役の一教師に,道徳的な価値に現在どれほど重きを置けるか尋ねてみました。その女性教師は,若い教師たちが古参の教師たちと見解を異にし,経験を積んだ教師は宗教的な問題に足を踏み入れることを恐れて,なるべく事を起こさないようにしている点に注意を向けました。一人の教師は,「学校から祈りが取り去られた時,私たち教師は全く祈らなくなりました」,と語っています。

      多くの人は,服装の規準を下げたことが,学校における規律の弔鐘となったと考えています。次のような興味深い意見がありました。「それ以後子供たちは自分たちの服装と同じような考え方をするようになりました。そして私たちがこれ以上ひどくはならないと思うところまでゆくと,今度は自分たちの考え方と同じような服装をするようになったのです」。ほとんどすべての教師は,「身なりがよければ,生徒の質もよい」という言葉に同意します。一人の教師はこう述懐しています。「生徒たちが薄汚れたジーパンをはいて,シャツのボタンを上から九つ外したまま,前かがみのだらしない姿勢で座っていると,教師をにらみ返す生徒の顔が熱心な学習意欲を反映しているとはとても言い難い,という印象を受けます」。

      これからどうなるか

      以上の意見は否定的であるとはいえ,生徒という生徒が皆反抗的だというわけではありません。教師にとって喜びとなっている生徒たちには,「あなたたちがいるからこそ,まだ先生方がいるのよ。あなたたちは皆,変わりゆく世界の犠牲者なのよ」と言わねばなりません。昔のある教え子は事態を要約してこう述べました。「1960年代の初頭,世界はバランスを失ったジャイロスコープのようでした。そして,それ以来ずっと揺れ動いています。それが再び平衡を取り戻すかどうかが案じられます」。

      私は自分が6年生の社会科で教えた,まさに激しく揺れ動く現在に至るまでの世界強国の行進と興亡について思い出します。今の歴史書には載せられていない国,しかし人類最古の教科書,聖書の中で脚光を浴びている国,すなわちイエス・キリストの支配する神の王国の前に,その現在の世界強国も倒れ去る時,それは実にすばらしい時となります。そのとき,教職は再び喜ばしいものとなるでしょう。―D. B. 寄稿。

      「私は無関心な親や冷淡な教師や放任された子供たちが増えてゆく風潮を,自分でとどめようとしてももうむだだと思いました」。

      私が1950年代の初頭に,南部のある高校を卒業した当時,生徒たちはまだ学校の校長や教師を深く尊敬していました。教室の中では最高度の規律が保たれ,一番ひどい悪行と言えば,数人の男の子が茂みの陰でこっそりたばこを吸っていたことぐらいでした。私たちは,「暴力教室」というとても信じ難い映画を見て衝撃を受けるまで,ニューヨーク市がその時すでに直面していた問題に気づいていませんでした。このような種類の暴力と不敬がこの地で見られるはずはない,と思いました。

      その後幾年もの間,若い人々の反抗が増えているという報道を絶えず目にしました。そして,非常に心配になったので,上の子が学校に入学すると同時に,私も教師として学校へ入ることにしました。そうすれば,教育の動向をいつも見定め,その中で発言権を保てます。

      私が教壇に立った六年間に,がっかりさせるような数多くの変化が起きました。校長は権威をはく奪されたも同然でした。校長は人事に全く口を出せません。教育委員会が教師を派遣し,校長はそれを受け入れなければなりません。ある教師が何らかの点で,あるいはあらゆる点で,資格の欠如を示したとしても,校長は何をすることもできません。“昔かたぎ”の献身的な教師の多くは退職し,その代わりに来た教師たちは信じ難いような人々でした。それらの教師の多くは非常に低俗な英語 ― 汚い言葉 ― を使います。中にはほかの教師とあからさまに反目し,人種および宗教上の問題に対して狭量な態度を示す教師もいました。

      パートタイムの親

      私の勤めていた学校 ― 幼稚園から7年生(中学1年)まで ― へ通う学童の母親の90%以上は家庭の外へ勤めに出ており,その家庭の少なくとも50%は破綻をきたしていました。多くの親たちは,自分が遅刻しないようにするため,校門の開く一時間も前に子供を学校へ送ってきて降ろしてゆきます。

      私はまた,生徒たちが大人と話し合う機会をほとんど持っていないことにも気づきました。その子たちの親は,子供に向かって話しをしますが,子供と話し合うことがありません。子供たちの話に耳を傾け,子供たちをほめる大人と言えば,私ただ一人のようでした。ほとんど学校に来ることのない少数の父兄との面接を取り決めることができたときには,晩に少なくとも30分の時間を取っておき,子供たちの話に耳を傾け,その日がどんな日だったか,学校でどんな事が起きたかなどを尋ねるよう勧めたものです。働く母親を持つこれらの子供の多くが,平日の晩に親の顔を見る時間は二時間にすぎません。また,交替制で働く親もおり,その結果,子供が親の顔を見る時間は,週に二日,つまり週末だけになってしまいます。

      クラスの道化は不幸な家庭から

      クラスの道化,つまりクラスを混乱に陥れる子は,不幸な家庭の子供や鍵っ子のグループの一員であることに気づきました。そうした子供たちは愛と思いやりを必要としており,それを得るためなら何をもいといません。その子たちは自分の親に対してすさまじいまでの忠節心を示し,親についてほらばかり吹いていました。私は,その子たちが,「ぼくの言っているとおりのお父さんやお母さんであってほしい」と言っているのだ,ということを感じ取りました。

      もう一つ考えるべき事があります。家庭で親の作る規則は実行に移されることが決してありません。その結果,校則は軽視されます。子供たちは学校もその規則を実行に移すことはないだろうと高をくくっているのです。そして,それは多くの場合に真実でした。

      私は高校の教師になろうとは思いませんでした。高校の校舎の中では,そ撃事件や刃傷沙汰,強姦などが幾度かあり,盗みや麻薬の売買は日常茶飯事となっています。ほとんどの高校では保安警官を必要としています。しかし,マリファナの常用に関する限り,教育者も学校警察も見て見ぬふりをします。学年度中,ほとんどずっと“麻薬に陶酔して”過ごす生徒もおり,実際のところ,そのような生徒は少なくありません。

      学校で失望といらだちの毎日を送り,自暴自棄になって家へ帰って来るようになって,私は無関心な親や冷淡な教師や放任された子供たちが増えてゆく風潮を,自分でとどめようとしてももうむだだと思いました。私は教職から退き,その時間を自分の家族に対する責務と特権を果たすことに用いました。現在,私には以前よりも報いの多い,満足感の伴う科目を教える時間があります。それは,人類の諸問題すべてに対する解決策である,イエス・キリストの統治する神の新体制に関する話です。―S. F. 寄稿。

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