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すべての国の民の中から出て来る,生き残る人々新しい地へ生き残る
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「胤」によって祝福される人たち
10 エホバの崇拝者であった非イスラエル人はだれを予表していましたか。
10 神は特別な仕方でイスラエル国民を取り扱っておられた期間中,その国民の者ではなくても,心に動かされてイスラエル人と交わって真の崇拝を共にしたいと願う人たちのためにも,愛ある備えを設けられました。それらの人々のことが聖書の記録の中で言及されているのは注目に値します。今日,それらの人々にもまた,対応する人々がいますか。確かにいます。それらの人たちは多くの点で,霊的なイスラエル人ではないものの,神の王国の地的な臣民としてとこしえの命というすばらしい見込みを心に抱く人たちを表わしています。それらの人たちこそ,神がアブラハムに対して,「地のすべての国の民」の中から出て来て,その胤によって自らを祝福するであろうと言われた者たちなのです。―創世記 22:18。申命記 32:43。
11 (イ)ソロモンの神殿の献納式の際,このグループのことがどのように言及されましたか。(ロ)イザヤ 56章6,7節で予告されているとおり,今日,「異国の者たち」はどのようにして,「エホバに連なって」いますか。
11 全人類が真の崇拝において結ばれることは,神の常に変わらぬ目的でした。ソロモンによってエルサレムに建てられた神殿の献納式に際し,適切にも王は,イスラエルと一緒に受け入れられる崇拝をささげたいと願う異国の人たちの祈りをエホバが聞き入れてくださるよう祈りました。(歴代第二 6:32,33)また,イザヤ 56章6,7節で神はこう約束なさいました。「エホバに連なって,これに仕え,エホバの名を愛し,その僕になろうとする異国の者たち,……それらの者をわたしはまた,わたしの聖なる山に連れて来て,わたしの祈りの家の中で歓ばせる。……わたしの家はすべての民のための祈りの家とも呼ばれるからである」。現代の「異国の者たち」は,ここで表わされている精神を反映して,単にむとんちゃくな傍観者ではなく,『エホバに連なる』人たちとして,今やすべての国の民の中から集まって来ています。それらの人たちは自らエホバに献身し,その献身を水の浸礼によって象徴し,それから「エホバの名」とそのみ名が表わす事柄すべてに対する自分たちの愛を証明する仕方で奉仕することにより,そのことをしています。―マタイ 28:19,20。
12 モーセの律法は,神の王国の地的な臣民となることを望む人々が,霊的なイスラエルに当てはまる高い規準に従わなければならないかどうかを,どのように示していますか。
12 それらの人たちに対しても,霊によって油そそがれたクリスチャンに劣らず,同様の忠実さが求められています。モーセの律法のもとで,エホバは,真の崇拝を奉じた「外人居留者」に対して,イスラエルを拘束していた同じ律法に従うことを要求されました。(民数記 15:15,16)その両者の関係は単なる容認ではなく,純粋の愛の関係であるべきでした。(レビ記 19:34)同様に,外人居留者によって予表されていた人たちは,自分たちの生活をエホバのご要求に全く調和させることに努め,また霊的なイスラエルの残っている者たちとの愛ある一致を保って奉仕するよう努めます。―イザヤ 61:5。
13 もし「新しい地」に生き残りたいと思うなら,イザヤ 2章1-4節のどんな詳細な事柄を心に留めるべきですか。
13 エホバは,今日エホバの宇宙的な崇拝に群れをなして集まっている,「すべての国の民」から出て来る,熱心な人々の群れを,ご自分の預言者イザヤを用いて描写されました。こう予告しておられます。「多くの民は必ず行って,こう言う。『来なさい。エホバの山に,ヤコブの神の家に上ろう。神はご自分の道についてわたしたちに教え諭してくださる。わたしたちはその道筋を歩もう』」。その結果,彼らは『その剣をすきの刃に打ち変え』て,争いに悩まされているこの世のただ中にあってさえ,『もはや戦いを学んでいません』。(イザヤ 2:1-4)あなたはその幸福な人々の群れの中におられますか。あなたは,エホバのご要求を学び,それを自分の生活に当てはめ,戦いの武器に頼ることをやめたいという願いをそれらの人たちと共にしておられますか。神は,この歩みを追い求める大群衆が生存者として『大患難から出て来て』,平和な「新しい地」に入ることを約束しておられます。―啓示 7:9,10,14。詩編 46:8,9。
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救出への道を導くのはだれですか新しい地へ生き残る
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9章
救出への道を導くのはだれですか
1 (イ)「大患難」を切り抜けて無事に救い出していただくためには,わたしたちは何に服従しなければなりませんか。(ロ)神がモーセをお用いになった仕方は,このことをどのように例証するものとなっていますか。
わたしたちはイエス・キリストの指導を受け入れ,自分が本当にその言われることに聴き従い,その足跡に従って歩んでいる,説得力のある証拠を示してはじめて,この邪悪な世から救われ,生きたまま保護されて,来たるべき「大患難」を通過させていただけるのです。(使徒 4:12)西暦前1513年に生来のイスラエル人がエジプトから救出された時のその前後の出来事は,このことを実によく例証するものとなっています。エホバは奇跡的な仕方でイスラエルに紅海を渡らせて安全な所へと導き,追跡するエジプト人の軍勢を滅ぼされました。そのすべての事柄において,神はご自分の民を導くためにモーセをお用いになりました。―ヨシュア 24:5-7。出エジプト記 3:10。
2 (イ)イスラエルと共にエジプトを去った「入り混じった大集団」とは,どんな人々でしたか。(ロ)それらの人々の多くは何に引きつけられたに違いありませんか。(ハ)彼らはほどなくどんな事柄で試みられましたか。
2 イスラエル人が約束の地に入る見込みを抱いてエジプトから進み出た時,他の人々がその隊伍に加わりました。モーセが後に書き記したとおり,「入り混じった大集団も彼らと共に上って行き」ました。(出エジプト記 12:38)それはどんな人々でしたか。それはイスラエルと運命を共にしたエジプト人もしくは他の異国の人々でした。それらの人々は,エホバがご自分こそ唯一まことの神であること,またエジプトの神々は偽りの神々であって,これを崇拝する者たちを救出できないことを実証するために,圧制的なエジプトの国民に臨ませた,畏怖の念を起こさせる災厄を見ていたのです。それに,「乳と蜜の流れる地」での生活の見込みについてイスラエル人から聞いた事柄は,彼らにとって善いことだと思えたに違いありません。(出エジプト記 3:7,8; 12:12)しかし,それらの人たちはまた,モーセが神によってその民の支配者ならびに救出者として立てられた者であることを十分に認めましたか。彼らはほどなくして試みられました。―使徒 7:34,35。
3 (イ)モーセの指図に従うのは,どうして肝要なことでしたか。(ロ)「モーセへのバプテスマ」は何を意味していましたか。(ハ)それは霊的なイスラエル人にとってどうして重要な事柄ですか。
3 イスラエルが「入り混じった大集団」と共に紅海の岸に近づいた時,エジプトの王とその軍勢は彼らを引きずり戻して奴隷にするためにその後を追いました。救出してもらうためには,彼らは一緒にとどまり,モーセの指図に従わなければなりません。なぜなら,エホバは彼らを導くためにモーセを用いておられたからです。エホバは超自然的な雲によって敵を引き留めるとともに,海の水を引き分けて,海底を干上がらせました。後にエジプト人に起きた事柄とは著しく対照的な事柄として,イスラエルと「入り混じった大集団」のすべてはモーセと共にその乾いた海底を横切って逃れました。(出エジプト記 14:9,19-31)左右には水の壁があり,頭上には神の臨在を示す雲が立ちこめる中を,彼らが進んで行った時,ある重要な事柄が起きました。聖書はそれをバプテスマ ― 水による文字通りのバプテスマではなく,エホバの預言者であるモーセ,つまり神によって彼らの救出者となるよう遣わされた方への象徴的なバプテスマと呼んでいます。(コリント第一 10:1,2)同様に,この邪悪な世の滅びを生き残る霊的なイスラエル人は皆,救出者としてのキリストへの同様のバプテスマを受け,その指導にしっかりと付き従っている,説得力のある証拠を示さなければなりません。現代の『入り混じった集団』はそれらの人たちに付き添って行かなければなりません。
4 エホバがキリストにお与えになった権威はどれほど大きなものですか。
4 エホバはご自分のみ子,イエス・キリストに大きな権威をお授けになりました。神はこの方によってわたしたちを『現在の邪悪な事物の体制から救い出す』ことを可能にしてくださったので,わたしたちはその恐ろしい運命を共にする必要がなくなりました。(ガラテア 1:3-5。テサロニケ第一 1:9,10)エホバはモーセを通して,その民の当面の生活の見込みに影響を及ぼす律法をイスラエルにお与えになりました。彼らはその律法に従った時に,大いにその益を受けました。しかし,律法の中には,不従順に対しては死の処罰を定めたものもありました。後にイエスはモーセよりも大いなる預言者となられました。イエスの教えられた事柄は『永遠の命のことば』でしたから,それらのことばに故意に従おうとしないなら,死に陥ることになり,その死から救い出されることはありません。ですから,イエスの言われる事柄を心に留めるのは何と重要な事柄なのでしょう。―ヨハネ 6:66-69; 3:36。使徒 3:19-23。
5 イエスに対する服従を魅力的なものにするのは何ですか。
5 ある人々にとって,指導者に対する服従という考え方は望ましい事柄とは思えません。そのような人たちは権威が余りにも乱用されるのを見てきました。しかし,イエスご自身のことばは人を安心させるような精神を反映しています。イエスは温かさを込めて次のようにわたしたちを招いておられます。「すべて,労苦し,荷を負っている人よ,わたしのところに来なさい。そうすれば,わたしがあなた方をさわやかにしてあげましょう。わたしのくびきを負って,わたしから学びなさい。わたしは気質が温和で,心のへりくだった者だからです。あなた方は自分の魂にとってさわやかなものを見いだすでしょう。わたしのくびきは心地よく,わたしの荷は軽いのです」。(マタイ 11:28-30)何と魅力的な見込みなのでしょう。その温かな招待の言葉に留意し,この方に全幅の信頼を寄せる人たちは,失望させられることはありません。(ローマ 10:11)そのような人々は愛ある羊飼いの群れの中の羊のように,安心感を味わえるでしょう。
本物の立派な羊飼い
6 (イ)イスラエル国民はどのように囲いの中の羊に似ていましたか。(ロ)エホバはそれらの「羊」のための羊飼いに関してどんな約束をなさいましたか。それはどのように成就しましたか。
6 イスラエル国民はエホバに属する羊の群れのようでした。エホバは律法契約を設けてくださり,その契約は羊の囲いの保護壁のような役を果たし,不敬虔な世の諸国民の生活の仕方に接しないよう彼らを囲い込むものとなりました。それはまた,よく反応を示す人たちをメシアに導きました。(エフェソス 2:14-16。ガラテア 3:24)羊飼いで,王でもある,そのメシアに関してエホバはこう予告されました。「わたしは[わたしの羊]の上に一人の牧者を起こす。その者は必ず彼らを養う。それはすなわち,わたしの僕ダビデである」。(エゼキエル 34:23,31)それは,当時死んでいたダビデが再び神の民の王として個人的に支配することを意味してはいませんでした。むしろ,エホバはダビデの王統から王なる羊飼いを起こし,その王を通して神は安全を計ることになったのです。(エレミヤ 23:5,6)いろいろな時代に種々の人間が偽って自分が救出者なるメシアであると唱えましたが,西暦29年にエホバは,バプテスマを施す人ヨハネを用いて,イエス・キリストを本当に神によって遣わされた者,つまり真正の信用証明書を持つメシアとしてイスラエルの「羊」に紹介されました。その方は神の天的なみ子であって,その生命の本質はユダヤ人の一人の処女の胎内に移されて,彼がダビデの王統から生まれ出るようにされたのです。ダビデという名は「愛する者」という意味です。ですから,イエスが水によるバプテスマをお受けになった後,適切にもエホバは他の者に聞こえるように天から次のように言明されたのです。「あなたはわたしの子,わたしの愛する者である。わたしはあなたを是認した」― マルコ 1:11。
7 (イ)イエスは「りっぱな羊飼い」として,「羊」に対するご自分の愛ある関心の深さをどのようにはっきりと示されましたか。(ロ)それは以前の偽りのメシアの行ないとどのように対照的でしたか。
7 イエスは亡くなる4か月ばかり前に,こう言われました。「わたしはりっぱな羊飼いです。りっぱな羊飼いは羊のために自分の魂をなげうちます」。(ヨハネ 10:11)イエスはご自分の役割と以前にやって来た偽りのメシアのそれとを対照させて,こう言われました。「羊の囲いに戸口を通って入らず,どこかほかの場所からよじ登る者,その者は盗人であり,強奪者です。しかし,戸口を通って入る者は羊の羊飼いです。戸口番はこの者に対して戸を開け,羊はその声を聴き,彼は自分の羊の名を呼んで導き出します。自分のものをみな外に出すと,彼はその前を行き,羊はあとに付いて行きます。彼の声を知っているからです。よその者には決して付いて行かず,むしろその者からは逃げるのです。よその者たちの声を知らないからです」― ヨハネ 10:1-5,8。
8 (イ)イエスはご自分に付いて来たユダヤ人を,どんな新たな「羊の囲い」に導かれましたか。(ロ)イエスはこの囲いに何人の人々をお入れになりましたか。
8 ユダヤ人の羊の囲いの中にいて,律法契約の導きに答え応じた人々は,「戸口番」である,バプテスマを施す人ヨハネがイエスを紹介した時,この方をメシアとして受け入れました。彼らはイエスが「自分の羊」と呼ばれたものになったので,イエスは彼らをエホバのものである新しい比ゆ的な羊の囲いに導かれました。この囲いは霊的なイスラエルと結ばれて,イエスご自身の血によって有効なものとなった,新しい契約に基づいて築かれたエホバとの恵まれた関係を表わしました。彼らはこの契約によって,すべての国の民の人々に祝福をもたらす手だてであるアブラハムの「胤」としてのキリストと共に天的な命を得ることができるようになりました。(ヘブライ 8:6; 9:24; 10:19-22。創世記 22:18)神が死人の中からよみがえらせ,天的な命を回復させられたイエス・キリストは,この新しい契約という羊の囲いの「戸口」です。イエスはそのみ父の目的と調和して,限られた人数 ― ちょうど14万4,000人 ― の人々だけを,最初にユダヤ人の中から,また後にはサマリア人や異邦人の中からこの囲いにお入れになりました。立派な羊飼いであられるイエスは,ご自分の羊を各々名によって知っておられ,ご自分の羊を愛を込めて個人的に世話し,注意を払っておられます。―ヨハネ 10:7,9。啓示 14:1-3。
9 イエスが言及しておられる「ほかの羊」とはだれのことですか。それらの人々はいつ集められますか。
9 しかし,イエスは羊を世話する仕事を,天の王国を得るこの「小さな群れ」に限定しておられるのではありません。(ルカ 12:32)イエスはまたこう言われました。「わたしにはほかの羊がいますが,それらはこの囲いのものではありません。それらもわたしは連れて来なければならず,彼らはわたしの声を聴き,一つの群れ,一人の羊飼いとなります」。(ヨハネ 10:16)これらの人々はだれですか。彼らは新しい契約に入っていない人たちです。つまり,霊的なイスラエル人ではありません。しかし,彼らは霊的なイスラエルの成員と密接な交わりを持つよう導かれています。一方,それら油そそがれた成員は依然として地上におり,イエスが描写しておられるような仕方で羊として世話されることを必要としています。「ほかの羊」は,この終わりの日の期間中,イエスの血の犠牲の価値に対するその信仰に基づいて地上でとこしえの命を受けるためのエホバの備えの中に集められている人たちです。彼らは啓示 7章9,10,14節の「大群衆」と同一の人々です。ですから,彼らには来たるべき大患難を生き残る見込みがあります。
10 それら「ほかの羊」の一人となるには,何が求められていますか。
10 この立派な羊飼いによって保護され,存続させられる,このような「ほかの羊」に関する聖書の描写に合致するためには,人はその羊飼いの声に「聴き」従い,自分は本当に,天の王国の本物の相続人たちを含む「一つの群れ」の一部であるという証拠を示さなければなりません。あなたはそうしておられますか。あなたはどれほどその声に注意深く聴き従っておられますか。
11 ヨハネ 15章12節でイエスの言われた事柄にわたしたちが本当に「聴き」従っているという証拠を示すものとなるのは何ですか。
11 あなたはきっと,イエスが,「わたしがあなた方を愛したとおりにあなた方が互いを愛すること,これがわたしのおきてです」と言われたのをご存じでしょう。(ヨハネ 15:12)そのおきてはあなたの生活にどのように影響を及ぼしていますか。あなたが示しておられる愛は,イエスが模範を示されたような愛ですか。それは本当に自己犠牲の愛でしょうか。あなたの行動や感情は,クリスチャンの会衆内のすべての人々およびご自分の家の者に対するそのような愛を示す証拠となっていますか。
12 (イ)もしわたしたちが本当に『イエスによって教えられて』いるのでしたら,わたしたちはどれほどの変化を遂げてゆきますか。(ロ)ですから,わたしたちは聖書から物事を学んで,何をしているべきでしょうか。
12 使徒パウロは,もしわたしたちが本当にイエスのことばを「聴き」,『彼によって教えられて』いるのなら,わたしたちの全人格が変化すると述べています。わたしたちは自分の以前の生き方に合った人格を脱ぎ去り,エホバの優れた特質を反映する「新しい人格」を着けます。(エフェソス 4:17-24。コロサイ 3:8-14)聖書を研究する際,神を喜ばせるために,個人的に調整する必要のある分野について真剣に考えておられますか。良心的にそのような変化を遂げておられますか。あなたは,イエスがわたしたちの時代のためにお命じになった肝要な業 ― 設立された神の王国の良いたよりを宣べ伝えること ― に注目し,その業にあずかる方法を求めておられますか。あなたに対する神の過分のご親切を深く感謝するがゆえに,そうしたいという心からの願いがあなたのうちに引き起こされていますか。―マタイ 24:14。
13 (イ)もし注意しないなら,わたしたちはどのように自分の心によって誤導されるおそれがありますか。(ロ)それで,わたしたちはどの程度までキリストの足跡に従わなければなりませんか。
13 わたしたちは自分自身の心によって誤導されるままにならないよう,十分注意しなければなりません。何百万もの人々はイエス・キリストを信じていると公言し,その教えられた事柄の幾つかを引き合いに出すことができるかもしれませんが,それらの人々は,ただ自分にとって都合のよい事柄だけを適用します。中には,甚だしく間違っていると考えられる行ないにふけるようなことは避ける人たちもいるでしょう。そのような人たちにとって,神の王国のもとで楽園となる地球上の生活の見込みは結構なことだと思えるでしょうし,それらの人はキリスト教の原則を自分たちの生活に誠実に当てはめようと努力している人々といま交わることを喜んでいるかもしれません。しかし,もし「新しい地」に生き残る人たちの一人になりたいのならば,わたしたちはイエスの言われる事柄すべてに注意深く聴き従わなければなりません。わたしたちは自分自身の歩みを首尾よく導くことができないという事実を正しく認識するのは肝要なことです。わたしたちは神のみ子,つまりエホバによってその民の救出者として任命された方の言われることに聴き従わなければなりませんし,その方の足跡に注意深く従って歩まなければなりません。―エレミヤ 10:23。マタイ 7:21-27。ペテロ第一 2:21。
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『彼らはもはや飢えることがない』新しい地へ生き残る
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10章
『彼らはもはや飢えることがない』
1 食物にかかわる世界の問題はどれほど深刻ですか。
今日,世界が直面している主要な問題の一つは食糧にかかわる問題です。食物の価格が高いために多くの人々は困っています。他の人々は現実の飢餓に直面しています。最近の報告によれば,必要な食物がないために,毎年4,000万人 ― ある年には5,000万人もの多くの人々 ― が亡くなっています。この人数のおよそ10倍もの人々はひどい栄養不良のために苦しんでいます。中には食べきれないほどの食物を生産している国もありますが,政治的な抗争や商業上の貪欲のために多くの場合,食べ物を最も必要としている人たちに余剰食糧を届けようとする努力が妨げられています。―啓示 6:5,6と比べてください。
2 物が豊富な国でさえ,どうして人々には憂慮すべき理由がありますか。
2 物が豊富にあるように見える国でも,人々は不穏な将来に直面しています。それはなぜですか。多くの場合,農業の現行の生産方法は石油に依存しており,地球のその供給量には限度があるからです。また,市販の肥料に依存するあまり,地球の水資源は汚染されています。作物を守るはずの殺虫剤が余りにも大量に用いられているため,土壌の将来の生産性の頼みの綱である有機質が破壊されています。人間が努力を払っている,ほとんどあらゆる分野で重大な問題が増大し続けています。ある知識人の国際的な公開討論会の議長を務めたアウレリオ・ペッチェイは,この世界を「大災害から大災害へと傾きながら跳ね返って飛んでゆく弾丸」に例えました。このような記録を持つ世界に将来に対する希望をかけるのは現実的なことでしょうか。―エレミヤ 10:23。箴言 14:12。
3 全人類が十分の食物に恵まれるようにすることを保証できるのはだれですか。何があなたにそのような確信を抱かせますか。
3 何百万もの人々は,ただ神のみが与え得る助けを自分たちが必要としていることを認めてきましたが,それは分別のあることです。それらの人たちは聖書の預言を調べた結果,エホバ神がすでにその天的なみ子,イエス・キリストを即位させ,その方に地球全部を所有物としてお与えになられたことを知っています。(詩編 2:7,8)その方は,地の産物が全人類に寛大に供給されるようになることを保証する知恵と能力とを持っておられます。(詩編 72:7,8,16。コロサイ 1:15-17)現在の利己的な体制が取り除かれる時,キリストは生き残る人間の努力を導いて,全地が物をよく産する楽園となるようにされます。
4 そのような物質の備えから益を受けるには,わたしたちは今,何をしなければなりませんか。
4 しかし,その方の支配の益にいつまでもあずかる人たちは,人はパンだけで生きるのではないことを識別する人たち,つまり霊的な価値や,神のご意志を学んでこれを行なうことから力をくみ取る重大な必要性を正しく評価する人たちです。聖書は繰り返しこのことの重要性を強調しています。(ヨハネ 4:34; 6:27。エレミヤ 15:16)イエスも次のように述べてその点を強調されました。「『人は,パンだけによらず,エホバの口から出るすべてのことばによって生きなければならない』と書いてあります」。(マタイ 4:4)わたしたちも現在の世の終わりを生き残りたいなら,今そのような霊的な食物が必要です。ヨセフとその兄弟たちに関する聖書の記述は,どうすればそれを得ることができるかということをわたしたちのために例証するものとなっています。
「ヨセフのところに行け」
5 ヨセフはどのようにしてエジプトで奴隷になりましたか。
5 神は,アブラハムのひ孫,ヨセフに,ヨセフが生活の中で際立った役割を果たすようになることを示す夢をお与えになりました。この事と,彼がその父によって特別に愛されていたこととのために,ヨセフの10人の異母兄弟はヨセフを憎みました。彼らはヨセフを殺そうと謀りましたが,ついに彼を奴隷として売り渡し,彼はエジプトに連れて行かれました。さて,ヨセフに関する神の目的はどのようにして達成されることになりましたか。―創世記 37:3-11,28。
6 (イ)ヨセフはどうしてファラオの注意を引くようになりましたか。(ロ)ファラオを当惑させたのはどんな夢でしたか。
6 ヨセフが30歳の時,エホバはエジプトの支配者,ファラオに二つの夢を見させ,そのために彼は悩まされました。最初の夢の中で彼は「姿が美しく肉づきの良い」7頭の雌牛と,同時に「姿が醜く,肉づきも悪い」他の7頭の雌牛を見ました。すると,そのやせた雌牛は肥えた雌牛を食べてしまいました。もう一つの夢の中でファラオは,1本の茎についた「丸く膨れた良い」七つの穂と,「やせて東風に焦がされた」ほかの七つの穂を見ました。またもや,そのやせたのが丸く膨れたのを食い尽くしてしまいました。このすべては何を意味していましたか。エジプトの知者はだれ一人,その夢を解き明かすことはできませんでした。しかし,ファラオの献酌人が,かつて獄にいた時,仲間の囚人,ヨセフが夢を正確に解き明かしたことを思い起こしました。ファラオは早速ヨセフを呼び出しました。―創世記 41:1-15。
7 (イ)ヨセフはどのようにしてエジプトの食糧管理者となりましたか。(ロ)飢きんがひどくなった時,エジプト人は生きてゆくために何をしましたか。
7 ヨセフは己に誉れを求めることなく,ファラオにこう語りました。「ファラオの夢はただ一つのことです。まことの神はその行なおうとしておられる事をファラオにお告げになったのです」。(創世記 41:16,25)ヨセフは,2番目の夢も最初の夢と同じ意味であることを説明し,その確かさを強調しました。エジプトで7年の豊作の後に7年の飢きんが続くことになっていました。彼は飢きんに備えて豊作の年の間に穀物を貯蔵して管理する有能な人を立てるようファラオに勧めました。ファラオは確かに神がこのすべてをヨセフに明らかにしたことを認め,ヨセフを食糧管理者として任じ,エジプトにおいてファラオの権威に次ぐ権威を彼に与えました。予言どおり,異常なまでの豊作の7年が訪れ,ヨセフは膨大な量の食糧を貯蔵させました。それから,予告されていた飢きんがその地を固く捕らえました。人々がパンを求めてファラオに嘆願すると,彼は,「ヨセフのところに行け。何でも彼の言うところを行なうのだ」と答えました。それでヨセフは彼らに穀物を売り,最初は金で支払わせ,やがて家畜で支払わせ,そしてついには身柄と土地とを引き換えにして支払わせました。彼らは生き続けるために,その身をファラオへの奉仕のために完全に引き渡さなければなりませんでした。―創世記 41:26-49,53-56; 47:13-26。
8 (イ)ヨセフの異母兄弟は,必要な食糧を得るために何をしなければなりませんでしたか。(ロ)この記録はなぜ保存されてきましたか。
8 同時に,その飢きんはエジプトの周りの土地にも影響を及ぼしました。やがてヨセフ自身の異母兄弟がカナンから下って来ました。彼らがヨセフを奴隷として売り渡してから20年余りたっていたので,彼らはその兄弟を見分けることができませんでした。彼らはヨセフの夢の中でずっと前に予告されていたとおり,彼の前で身をかがめ,食糧を請い求めました。(創世記 37:6,7; 42:5-7)ヨセフは巧みに兄弟たちを試み,自分と父に対する彼らの態度が本当に変化したことを示す,納得のゆく証拠を見いだしました。ついに彼は自分がだれであるかを明らかにし,神が彼らに先立って自分をエジプトに遣わしてくださったのは,実際,「命を長らえさせるため」であったということを説明しました。ヨセフの指図で彼らは父と家族の者たちをエジプトに移動させました。(創世記 45:1-11)このすべてはわたしたちの益のために記録されており,その預言的な意義は今日の出来事と関係があります。―ローマ 15:4。
わたしたちの飢えと渇きを今充足させる
9 (イ)今日の世界はどうして霊的な飢きんに見舞われているのでしょうか。(ロ)これはなぜ人類の諸問題の根本原因の一つですか。
9 人類の諸問題の根本原因の一つは霊的な飢きんです。人類はエホバを見捨てたために,エホバはそのみ言葉を理解することを人類に許しておられません。その結果,彼らは『パンの飢きんではなく,水の飢きんでもなく,エホバの言葉を聞くことの飢きん』に遭っています。(アモス 8:11)霊的に飢えた人々は,人生にはどんな意味があるのか,人々はなぜ死ぬのか,将来に対する真の希望が果たしてあるのか,などという重要な疑問の答えを模索しています。そのような人々は霊的な飢えのために正気を失い,多くの場合,自分たちの渇望を充足させようとするあまり,不道徳な行為や犯罪行為にかかわって,自分自身と他の人々を傷つけています。
10 (イ)イザヤ 65章13,14節の成就として,エホバの僕たちの間にはどんな状態が見られますか。(ロ)霊的な飢きんと霊的な豊作の期間は,いつの時期に当たりますか。
10 これとは対照的に,エホバはご自分の忠節な僕たちのために霊的に豊かなものを与えてこられ,彼らの間には純粋の愛があります。エホバは,ご自分が霊感を与えて記させたみ言葉の中の人に満足を与える真理を明らかにして,彼らが理解できるようにさせ,ご自分の証人として行なうべき仕事を彼らにお与えになりました。彼らはそれらの真理を,霊的に飢え渇いて,神との関係において命を求める他の人たちと喜んで分かち合います。(イザヤ 65:13,14。ルカ 6:21)古代エジプトでは当時,7年の豊作に続いて7年の飢きんが生じました。しかし,現代においては霊的な飢きんと霊的に豊かに恵まれている期間は時を同じくして進行しています。
11 (イ)ファラオとヨセフはそれぞれだれを予表していますか。それはどうしてですか。(ロ)「大群衆」の取る道は,飢きんに見舞われたエジプト人のそれとどのように似ていますか。
11 今日,支配者はファラオではありません。大いなるファラオであるエホバ神は宇宙主権者です。エホバはイエス・キリストにご自分の権威に次ぐ権威をお授けになりました。大いなるヨセフであるイエスは,命を支える霊的な食物を分配する責任をエホバから委託された方です。この世の宗教的ならびに一般的な人生哲学のために人類は霊的な飢えで責めさいなまれるままにされています。ただイエス・キリストに頼り,イエスの指図なさる仕方で霊的な食物を得てはじめて,彼らは養ってもらうことができるのです。飢きんに見舞われたエジプト人によって予表されていた何百万もの人々は,そのようにして養われています。それらの人々はイエス・キリストを通してエホバに,時の限りを定めずに全く献身し,そのようにして来たるべき神の憤りの日に生き残る者となる見込みのある大群衆の中に含められています。
12 (イ)天におられるイエスは,どのようにして霊的な食物をこの地上のわたしたちが得られるようにしておられますか。(ロ)「忠実で思慮深い奴隷」の実体を,納得のゆく仕方で見分けさせるものとなるのは何ですか。
12 しかし,イエスは天におられます。どのようにして,この地上にいるわたしたちに益をもたらす霊的な食物を備えておられるのでしょうか。イエスはご自分の「忠実で思慮深い奴隷」を通してそのようにすると予告されました。(マタイ 24:45-47)それは,なお地上にとどまっている,霊によって油そそがれた者たちの会衆で成り立っている,複合的な「奴隷」です。(イザヤ 43:10と比べてください。)そのような人々の残りの者は依然として地的な舞台にとどまっています。この真のクリスチャン会衆は,その教えと行ないを聖書と比べることによって,容易に見分けることができます。その会衆は純粋に,イエスのお命じになった事柄を教えています。ですから,それは世の政治的な事柄にかかわりを持たず,かえってその成員はすべて神の王国を公にふれ告げる人たちです。それらの人々はキリスト教世界の諸教派の中で分裂したりしてはいません。それらの人々はイエスが言われたとおりに結ばれており,彼らはすべてその主に見倣ってエホバの証人となっています。(ヨハネ 17:16,20,21; マタイ 24:14; 28:19,20; 啓示 1:5を参照してください。)彼らは霊的に豊かなものを享受し,大いに喜んでそれを他の人々と分かち合っています。
13 (イ)多くの人々はどのようにして,自分がヨセフの10人の異母兄弟のような者であることを示してきましたか。(ロ)わたしたちはすべて,どうすれば,キリストが「奴隷」級を通して備えてくださる霊的な食物から益を受けられますか。
13 多くの人々はそれら油そそがれたクリスチャンをあざけって,『あなた方は自分たちのほうがわたしたちよりも勝っていると考えているのですか。自分たちだけが正しいのだと考えているのですか』と言ってきました。しかし,やがてある人々は,エホバが確かに地上に証人たちを持っておられ,それら証人たちは本当にエホバの言葉をふれ告げていることを謙遜に認めます。それらの人々は,唯一のまことのクリスチャン会衆があって,その成員は結ばれていることを聖書が示しているという事実を正しく評価するようになります。(エフェソス 4:5。ローマ 12:5)そのような人々は諸事実を正直に,また謙遜に調べて,その組織に導かれて来ました。ヨセフの10人の異母兄弟は,イエスの油そそがれた追随者たちを以前迫害したり,あるいはそうした迫害者たちを精神的に支持したりしましたが,今では本当に心を変化させたことを明らかに示している,そのような人々を予表していました。(ヨハネ 13:20)それらの人々はイエス・キリストがその『忠実な奴隷』級を通して備えてくださる霊的な食物を受け入れています。彼らは,ものみの塔の出版物の中で論じられている聖書の真理で自分を養い,エホバの証人の集会に定期的に出席し,そして神のご意志を行なう業に活発にあずかるにつれ,霊的な強さを得ています。あなたもこれらの謙遜な人たちの一人ですか。―ヘブライ 10:23-25。ヨハネ 4:34と比べてください。
14 この聖書劇から学べる原則にしたがって生活する人たちは,どんな霊的な状態を享受しますか。
14 こうして,愛の気持ちから自分の命をイエス・キリストを通して自分たちの創造者に自由に用いていただけるようにする人たちはすべて,人を幸せにし,さわやかにするものを享受します。霊的に,『彼らはもはや飢えることも渇くこともありません……み座の真ん中におられる子羊[イエス・キリスト]が,彼らを牧し,命の水の泉に彼らを導かれるからです』。―啓示 7:16,17。イザヤ 25:6-9。
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「バビロンの中から出て逃げよ」新しい地へ生き残る
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11章
「バビロンの中から出て逃げよ」
1 (イ)どんな崇拝が神に喜ばれるかは,どうすれば分かりますか。(ロ)神はわたしたちが何から逃げるよう促しておられますか。
人生に関する疑問の満足のゆく答えを求めて,一つの宗教から他の宗教へと遍歴してきた人たちは少なくありません。そのような人たちは信条や慣行にある種の類似点を見いだしていますが,また数多くの相違点をも見いだしています。しかし,神のみ言葉を指針として用いることによってはじめて,人はだれでもどの答えが真実か,どんな慣行が本当に神に喜ばれるものかを確かめることができます。創造者はご自身とその目的を聖書によってわたしたちに知らせてくださいます。創造者はまた,偽りの崇拝の根源を暴露して,わたしたちに見させてくださいます。そうすることによって,創造者はご自分が「大いなるバビロン」として描写しておられるものに気をつけるよう,わたしたちに警告し,その中から『逃げる』よう,わたしたちに促しておられます。あなたはその警告に留意しておられますか。―啓示 18:4,21。エレミヤ 51:6。
2 「大いなるバビロン」とは何ですか。
2 「大いなるバビロン」とは何ですか。総体的に見て,大いなるバビロンは,古代バビロンの宗教に根源を有する態度,信条あるいは慣行を唱道する宗教すべてによって構成されています。ですから,その実体を明らかにする特徴は,古代バビロンそのものの起源と宗教を調べることによって見定めることができます。
3 (イ)古代のバビロンはどのようにして始まりましたか。その創設者はどんな精神を助長しましたか。(ロ)今日,さまざまな宗教はその精神をどのように反映していますか。
3 ノアの時代の大洪水から優に1世紀以上たった後,バベル(後のバビロン)の都は一つの塔を中心にして築かれました。それは明らかにニムロデによって推進された企画でした。このニムロデはその仲間の者たちのうちにエホバに対する反逆の精神と自分自身を目立たせようとする欲望を生じさせました。(創世記 10:9,10; 11:1-9)あなたは今日,そのような精神に気づいておられますか。つまり,信心深い者であると唱えている人々でさえ神のみ言葉を軽視しており,自分自身に注意を引いたり,あるいは自分を目立たせようとさえしたりするために宗教が用いられていることにお気づきですか。
4 バビロン的な宗教は,神に関する真理をどのようにゆがめましたか。
4 バビロニア人の宗教の中では三つ組の神々が目立った存在でした。アヌ,ベルおよびエアで成る三つ組の神もありましたし,もう一つはシン,シャマシュおよびイシュタルで成るものでした。それに加えて,バビロンの各地の礼拝所は偶像で満ちていました。このすべては,エホバという名を持っておられる,ただおひとりのまことの神が存在するという事実からも人々の注意をそらせるものでした。(申命記 4:39。ヨハネ 17:3)命のない偶像が用いられるとともに,それらの神々に帰せられた特質や行為のために,多くの人々は創造者に関してゆがめられた見方を持つようになりました。―エレミヤ 10:10,14; 50:1,38。コリント第一 10:14,19-22。
5 (イ)死に関するバビロニア人の信仰は,実際にはエバに対するサタンのうそをどのように粉飾したものですか。(ロ)この事から他のどんな教えが生じましたか。
5 バビロニア人は死とは単に別の命に移ることにすぎないと信じていましたが,これは神がわたしたちの最初の二親に話された事柄と相反する考え方でした。ギリシャ人の哲学者たちはこの考え方を広げて,人間には不滅の魂があると述べました。悪魔の最初のうそは,たとえアダムとエバが神に背いても,二人は肉体においては『決して死なない』と言うことでした。今や,人々は,永久に生きるのは,自分たちの見ることのできない,自分たちの内部にあるものなのだと教えられたのです。この偽りの教えのために,地獄の火,煉獄,先祖崇拝その他さらに多くの事柄に対する信仰が生まれるようになりました。―創世記 3:1-5。伝道の書 9:5,10。エゼキエル 18:4。
6 (イ)今日,普通に見られる他のどんな慣行の根源はバビロニア人の宗教にありますか。(ロ)これはどれほど重大な事柄ですか。
6 バビロニア人の宗教にはまた,占星術,占い,魔術および魔法などの慣行も含まれていましたが,人々はこのような方法で,自分自身を富ませたり,他の人々を支配したりするために用い得る超自然的な導きを求めてきました。(ダニエル 2:27。エゼキエル 21:21)これらの慣行はみな聖書の中では気をつけるよう警告されているにもかかわらず,今日,何と一般的に行なわれているのでしょう。人々はそのようなことを行なって,直接悪霊たちの思うつぼにはまっていますが,それら悪霊たちは自分たちが授ける恵みに対する苛酷な代償を要求するのです。―申命記 18:10-12。イザヤ 8:19。使徒 16:16。啓示 18:21,23。
7 大いなるバビロンが,(イ)政治上の支配者たちとの不倫な関係と,(ロ)莫大な富を持っていること,また(ハ)流血の責任を持っていることを示す,どんな証拠がありますか。
7 聖書は大いなるバビロンの実体をさらに明らかにして,同バビロンと政治上の支配者との不倫な関係,その富,および神の真の僕たちに対する責任を含め,同バビロンの流血の罪に対する責任について述べています。(啓示 17:1-6; 18:24)これらの点での世界の諸宗教の記録は周知のとおりです。
真理に対するあなたの愛はどれほど大きなものですか
8 大いなるバビロンの神は実際にはだれですか。
8 もし人が大いなるバビロンの何らかの部分に属して,その祝祭にあずかったり,あるいはその道を見倣ったりするなら,だれが誉れを受けますか。確かにエホバではありません。それどころか,そのような人は実際には,人間の思いをくらましてきた「この事物の体制の神」の前で身をかがめているのです。―コリント第二 4:4。
9 サタンがそれほど多くの人々を宗教的に惑わすなどということがどうしてあり得るのでしょうか。
9 それにしても,それほど多くの人々がこのような仕方で惑わされるなどということがどうしてあり得たのでしょうか。それらの人々は,『真理への愛を受け入れなかったゆえに』サタンのわなの犠牲になってきたのだと聖書は答えています。(テサロニケ第二 2:9-12)これは驚くには当たりません。家庭でも,仕事をしている時でも,自分の欠点に直面する時でも,つまりいつでも真実を語る人々を,あなたは何人ご存じですか。聖書,つまり神の真実の言葉が述べることを示される時,どれほど多くの人々が自分たちの以前の信仰や習慣を喜んで捨てる,すなわち自分の生活様式を変えたり,聖書に合わせたりするでしょうか。あなたはいかがですか。
10 (イ)エホバはどのような人々を求めておられますか。(ロ)わたしたちはどうすれば,自分がそのような人であることを示せますか。
10 エホバは真理に対するそのような愛を抱く人々を求めておられます。エホバご自身が「真理の神」であられます。(詩編 31:5)そのみ言葉の教えは想像の所産ではありません。それは真理です。イエスはサマリアの一婦人に向かって,『真の崇拝者は霊と真理をもって父を崇拝するでしょう。……実際,父は,ご自分をそのように崇拝する者たちを求めておられるのです。神は霊であられるので,神を崇拝する者も霊と真理をもって崇拝しなければなりません』と言われました。(ヨハネ 4:23,24)あなたはそのような人になりたいと願っておられますか。
解放のための神の備え
11 (イ)イザヤ 49章8,9節には,どんな事が予告されていますか。(ロ)それはいつ最初の成就を見ましたか。(ハ)それはなぜわたしたちにとって興味深い事柄ですか。
11 エホバはわたしたちに対する導きを備えるため,バビロンの圧制的な支配からの救出に関する約束を,ずっと前に聖書の中に記録させておられました。その約束はキュロス大王がユダヤ人と共に非イスラエル人のネティニムをも解放した時に成就を見たので,彼らはエホバの神殿を再建するためにエルサレムに戻ることができました。しかし,それがその約束に関するすべてだったのではありません。当時起きた事柄は,大いなるキュロス,つまり主イエス・キリストによってもたらされる,それ以上の救出を指し示していました。その方の指導に従うなら,わたしたちは単に自分自身を目立たせようとするだけの人々によって惑わされないよう保護されます。次のように語られた預言は特にイエスに当てはまるものでした。「エホバはこのように言われた。『わたしは善意の時にあなたに答え,救いの日にあなたを助けた。わたしは絶えずあなたを保護した。あなたを民のための契約として与えるためであった。それは土地を復興させ,荒廃した世襲所有地を再び所有させ,捕らわれ人たちに「出よ!」と言い,闇にいる者たちに「現われよ!」と言うためだったのである』」。(イザヤ 49:8,9)この言葉はどのようにイエスに成就しましたか。
12 (イ)その預言はどのようにイエスに成就しましたか。(ルカ 4:16-18)(ロ)この事には,わたしたちにとってどんな励ましとなる事柄がありますか。
12 エホバはイエスの祈りにお答えになりました。そして,イエスが勇敢に宗教的な虚偽を暴露して,『人を自由にする真理』を知らせた時,確かにみ子を助け,保護されました。(ヨハネ 8:32)イエスを滅ぼそうとするサタン的な努力がなされたにもかかわらず,エホバは地上におけるみ子の業が成し遂げられるまで,み子の命を守られました。それから,イエスをよみがえらせて天で不滅の命を得させ,そこでその解放の業を続けられるようにされました。神はイエスを,人々が大いなるバビロンへの隷従から自由にされることになるという「契約」,もしくは保証としてお与えになりました。復活させられて,栄光をお受けになったイエス・キリストが確かに天におられるのと全く同様,正しい心を持つ人々が大いなるバビロンの宗教的な暗闇から救出されるのもまた,確かなことです。あなたもそのような救出の益にあずかりますか。
13 西暦36年以降,イエスはどのようにして「諸国民の光」となられましたか。
13 その解放の範囲に関してエホバは次のように予告されました。「わたしはまた,諸国民の光のためにあなたを与え,わたしの救いが地の果てに至るようにさせた」。(イザヤ 49:6)ゆえに,西暦36年には異邦人,つまりユダヤ国民ではない人々が霊的イスラエルの会衆に導き入れられるようになりました。こうして,異邦人が霊によって油そそがれたクリスチャンの会衆に加えられましたが,これで「諸国民の光」としてのイエスの役割が限界に達したわけではありません。
14 (イ)イエスは「諸国民」からのほかのどんな人々のためにも光となることになっていましたか。(ロ)それらの人々は古代のバビロンを去ったどんなグループの人々によって予表されていましたか。(ハ)イザヤ 49章10節の成就として,彼らはすでにどんな霊的な祝福を享受していますか。
14 イエスはご自分がさらに,地上でとこしえの命を享受する「ほかの羊」を集めるようになることをご存じでした。(ヨハネ 10:16)それらの人たちは,西暦前537年にバビロンから脱出するユダヤ人に加わった,ソロモンの僕たちの子らと,イスラエル人ではないネティニムによって予表されていました。(エズラ 2:1,43-58)現代におけるそれらの人々の大群衆はすでに,大いなるバビロンから「出なさい」という命令に留意してきました。それらの人たちは今,「彼らは飢えることも,渇くこともない。また,焼けつくような熱や太陽が彼らを打つこともない。彼らに哀れみを抱いている方がこれを導いて,水の泉のほとりに導くからである」と述べる,イザヤ 49章10節で予告されていた,人をさわやかにする霊的な祝福を享受しています。啓示 7章9,16,17節ではこれらの祝福が適切にも「ほかの羊」の「大群衆」に適用されています。
『わたしの民よ,彼女から出なさい』
15 聖書はなぜ,神の民となる人たちに大いなるバビロンを出るよう促していますか。
15 霊感によって見せられた幻の中で使徒ヨハネは,神の裁きの執行が大いなるバビロンにとって何を意味するかを示されました。その執行が確かであるゆえに,天からのひとりのみ使いは神に代わって話し,次のように促しました。「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄を共に受けることを望まないなら,彼女から出なさい。彼女の罪は重なり加わって天に達し,神は彼女の数々の不正な行為を思い出されたのである」― 啓示 18:4,5。
16 自分が本当にその命令に留意しているかどうかを示すものとなるのは何ですか。
16 霊的イスラエルの成員はその命令に留意してきましたし,今はそうするよう他の人たちを促しています。もし人が真の崇拝と偽りのそれとを一緒にするなら,神を喜ばせることはできないことを,それら成員たちは知っています。もし,だれかがエホバの証人と交わっていながら,依然として大いなるバビロンとの結びつきを断っていないなら,どうしてその人は大いなるバビロンの一部ではないと言えるでしょうか。たとえその礼拝式に決して出席しないとしても,もし職場で,あるいは親族と共に宗教的な祝日に参加するなら,その人は依然として汚れたものに触れていることになります。(イザヤ 52:11)もし,魂の不滅性に対する信仰や悪霊に対する迷信的な恐れを反映する家族的なしきたりに加わるなら,その人は依然として大いなるバビロンの罪にあずかっていることになります。どっちつかずの態度を取ることはできません。もしエホバがまことの神であることを信ずるのなら,ただその方だけに仕えなければなりません。―列王第一 18:21。
17 (イ)啓示 14章6,7節で示されているように,何をするよう,あらゆる場所の人々が招かれていますか。(ロ)受け入れられる仕方でエホバを崇拝するには,それらの人々はほかのどんな命令に従わなければなりませんか。
17 「唯一まことの神であられるエホバの崇拝に加わりなさい!」という魅力的な招待が,あらゆる国民,部族および国語の人々に差し伸べられています。(啓示 14:6,7)その招きに応ずるには,あなたもまた,「バビロンの中から出て逃げよ。各々自分の魂を逃れさせよ」という命令に留意した,古代の神の僕たちに見倣わなければなりません。―エレミヤ 51:6。
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滅びるか,生き残るか,どちらの人であることが明らかにされていますか新しい地へ生き残る
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12章
滅びるか,生き残るか,どちらの人であることが明らかにされていますか
1 この章ではどんな疑問を考慮するよう励まされますか。
今日存在する宗教事情からすれば,わたしたちは,心の中の本当の自分を示すよう求められています。わたしたちは本当にエホバとその道を愛していますか。そのみ子,イエス・キリストに対して,「あなたは義を愛し,不法を憎んだ」と言われていますが,わたしたちはそのような人でしょうか。(ヘブライ 1:9)わたしたちはそのことを喜んで公にはっきりと示し,他の人々がわたしたちの立場を知ることができるようにしていますか。エヒウおよびレカブの子エホナダブに関する聖書の記録は,自分の立場を吟味するのに助けとなります。
2 エヒウとエホナダブはどんな人でしたか。
2 西暦前10世紀のこと,エヒウはサマリアを首都とするイスラエルの十部族王国の王となるべく油そそがれました。彼は王妃イゼベルを含め,王アハブの邪悪な家に属する者たちすべてを滅ぼすよう任命されました。このイゼベルはイスラエルでバアル崇拝を促進し,エホバの崇拝を根絶することに努めていました。エヒウに会おうとして出てきたケニ人(したがって,イスラエル人ではない)エホナダブは,エヒウの刑の執行計画について知っていたに違いありません。しかし,エホバに対するエホナダブの愛はどれほど強いものでしたか。彼は自分が,まことの神であられるエホバだけが崇拝されなければならないと固く信じている者であることを公に明らかにしたでしょうか。
「あなたの心は,わたしと共にあって廉直ですか」
3 エホナダブはエホバの崇拝に関する自分の立場をどのようにして公に知らせましたか。
3 その二人があいさつを交わした後,エヒウはエホナダブに自分の立場を明らかにするよう求めました。エヒウは,「わたしの心があなたの心と共にあるように,あなたの心は,わたしと共にあって廉直ですか」と尋ねました。エホナダブはためらうことなく,「そうです」と答え応じました。エヒウは,「もしそうなら,あなたの手をぜひわたしに出しなさい」と言いました。そこで彼はエホナダブを自分の戦車に乗り込ませ,「ぜひ,わたしと共に進んで行き,わたしがエホバと張り合う関係を一切認めていないのを見なさい」と言いました。エホナダブは恐れてしりごみしたりはしませんでした。―列王第二 10:15,16。申命記 6:13-15を参照してください。
4,5 (イ)エヒウはどんな方法で,バアルの崇拝者たちに自分がだれであるかを明らかにさせましたか。(ロ)それから,エヒウはどんな行動を起こしましたか。エホナダブはどこにいましたか。(ハ)バアル崇拝者たちのその滅びに,あなたはどのように反応しますか。
4 サマリアに着いたエヒウは,バアルを崇拝する者たちすべてに自分がだれかを明らかにさせる処置を講じました。預言者,祭司およびバアルの崇拝者たちすべては,バアルの家における立派な犠牲の傍らに呼ばれました。彼らは,出席しない者はだれでも命を失うことになると通告されました。エヒウはバアル崇拝者すべてが着用して,自分がだれであるかを明らかにさせるようにするため,衣を支給するよう指示しました。エホバを崇拝していると唱える者もまた,こうして自分が実際にはだれに仕えているかを示すよう求められました。それはバアルとバアルが実際に表わしていた偽りの神である悪魔サタンにとって輝かしい時となるように見えました。
5 それはエホバの真の崇拝者たちのための場所ではありませんでした。ただバアルの崇拝者たちだけが居合わせていることを確かめるために調査がなされました。それから儀式が始まりました。その間,エヒウの部下たちは外で用意をし,エヒウの合図に従って行動を起こしました。彼は,「彼らを討ち倒せ! ひとりも出て行かせるな」と命じました。バアルの崇拝者たちはみな滅ぼされ,バアルの家は取り壊されました。「こうして,エヒウはイスラエルからバアルを滅ぼし尽くした」のです。エホナダブはエヒウ
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