-
安全の追求ものみの塔 1980 | 12月1日
-
-
安全の追求
アフリカにB ―― 夫婦と3人の十代になる子供が住んでいました。20年にわたってその家族は自分たちの美しい農場を築きあげ,自分たちの収入を,快適な住まい,作物,家畜,また農機具に投資してきました。そこは彼らの小さなとりでとなり,悩みと悲しみの時の逃れ場,日ごとの重労働がすんだ後のいこいと休息の源となりました。この家族には安心感がありました。
ところが一夜にして事情は変化しました。ここしばらくの間,反政府勢力は国内で力を増し加えていました。力によって変革をもたらそうと決意していた者たちはテロ行為に走り,農地のでこぼこした未舗装の道路に地雷を仕掛けていました。B ―― 氏は自分のランドローバーに乗って一週間にわたる町への旅から帰る途中,その地雷の一つを爆発させて即死してしまったのです。
B ―― 夫人と子供たちにはもはや安心感はありませんでした。近隣での暴力行為の増加,農場の世話をする心配,家に男手がないことなどから,夫人は,かつては安全を意味した農場を手放さなければならないと感じました。その家族は,より安全な生き方を見いだすことを願って別の国へ移りました。
前述のそのアフリカの国で,数年のうちに事態は驚くほど変化しました。豊かな熱帯植物に囲まれていた農場と“ようこそ”という立て看板は,上部に有刺鉄線を張りめぐらした高い鉄製の網のへいで囲い込まれています。家屋の外壁の周囲には砂袋が積み重ねられ,窓という窓は鋼鉄製の網で防備が固められていました。
町の生活も変化しました。ますます多くの人々がどろぼうよけの警報器を取付けたり,所有地の入口にある重々しい門に錠前やチェーンを取付けたり,望まない侵入者を追払うために番犬を飼ったりしています。店のショーウィンドーには,壊されないように特別なテープで処理が施されています。スーパーマーケットに入る買物客の所持品を調べるために,身体検査を行う警備員たちが配置されるようになりました。休暇を過す人たちは,留守中に自分たちの家を守ってもらうために警察官を雇います。
多くの地方で,アフリカのいなか道はかつては安全にドライブできたものですが,今では町から町へドライブするにも油断がなりません。旅行者は出発前に警官に届け出るよう勧められ,多くの人は装甲車に護衛されながら旅行しました。戒厳令や夜間外出禁止令などは日常茶飯事とみなされるようになっています。
こうした安全の手段とは別に,できる立場にある多くの人々は,金,銀,貴金属,美術品に投資したり,外国の銀行にお金を預けたりすることによって自分自身の安全を強化する策を講じています。そうした策が講じられているのは,万一物事がうまくゆかなかった場合でも,いくらかの資産が手元に残ることになるからです。
そのような動向はその特定な国だけに見られることではありません。おそらくあなたの住む地域社会においても,安全のための同様の取決めが設けられ,多くの人々が自分の家や家族の安全に一層の注意を払うようになっている様子を目にすることがあるでしょう。問題は,これらの努力は,わたしたちすべてが願っている心の平安と安全を実際にもたらすだろうか,ということです。
軍事力は解決となるか
安全のための同様の懸念は諸政府の行動にも表われています。自国の境界線を守ったり自国の外交官を保護したりするために先例のない手段をとっている政府は少なくありません。英国の女王がアフリカ南部を訪問した際,また法王がアイルランドを訪問した際には,警備上の目的のためだけに幾百人もの人々が動員されました。船舶,航空機,軍隊を戦略的に重要とみなされる場所に移動することは,ある国々によって自国の国家的安全に対する脅威であると解釈され,そうした移動にはそれに対抗する軍事行動がしばしばつきまといます。
たいていの政府はその国家的安全が軍備に依存していると一般に信じています。この点を例証するものとして,ユネスコ(国際連合教育科学文化機構)は最近,世界の軍事費が「1分間に100万㌦(約 2億4,000万円)近くにのぼる」こと,またそのうちの75%が第三世界によって占められていることを報告しました。(クーリャー誌,1979年4月号,19ページ)しかしこの膨大な軍事費は,飢きんや,水を媒介とする病気が毎日幾千人もの犠牲者を出しているそれらの国々に住む人々に真の安心感をもたらすでしょうか。
もう一度尋ねます。軍事力は本当に安全を意味するでしょうか。確かに,人はそのように思い込むこともできます。しかし世界中の政府にはわたしたちすべてを何度でも殺せるだけの爆発装置が備わっているという事実を真剣に考える時,本当に安心感が得られるでしょうか。例えで考えてみましょう。あなたのベッドの下には機関銃が置いてあります。一方,隣の家の人がそれと同じような機関銃を持っていてあなたの家にねらいを定めていて自分には危険がないと思える時をねらってそれを使おうと,機会をうかがっていることが分かっているとしましょう。あなたはそうした状態で夜安心して休むことができるでしょうか。
安全への願いはすべての人に共通のもの
わたしたちすべてが安心感を得たいと願うのはごく当然なことです。動物界においてすら安全を求める本能的な欲望があります。鳥は最も見わけのつきにくい,あるいは近づきにくい場所に自分の巣を作ります。リスは1年のうちの寒い時期のために木の実をたくわえます。出産を控えたネコは家の中のあらゆる押入れを調べて自分の子供を育てるための安全な隠れ場をさがします。
今日のわたしたちすべてが直面するのは,わたしたちはどこに安全を求めることができるか,という問題です。動物たちは本能的に安心感を物質的なもののうちに求めます。しかし人間はどうでしょうか。わたしたちの安全は物質的なもののうちにあるのですか。もしそうであればわたしたちは動物たちと変わらないことになります。わたしたちの安全は,仕事を持っていることあるいは金や銀や銀行預金という形で蓄積された富に依存しているでしょうか。軍備はわたしたちの生き方を安全なものとすることができますか。あるいは安全は,比較的安定しているように見える特定な政治形態のもとに見いだされるのでしょうか。
賢い王ソロモンは言った,
「実際的な知恵と思考力を守れ。そうすれば,それはあなたの魂にとって命となり,あなたの麗しさとなるであろう。そのとき,あなたは自分の道を安らかに歩み,足が何かにぶつかることもない。いつ身を横たえようと,少しも恐れを感ずることがない。あなたは確かに身を横たえ,あなたの眠りは心地よいものとなるに違いない。あなたは突然の恐ろしいことも,邪悪な者たちに臨むあらしも,それが到来しようとしているからといって恐れる必要はない。エホバが,事実上あなたの確信となられ,あなたの足を必ず捕らわれから守ってくださるからである」― 箴 3:21-26,新。
-
-
現在そして永遠にわたる安全ものみの塔 1980 | 12月1日
-
-
現在そして永遠にわたる安全
すべての物事の価値をご存じであられる創造者は,人々に霊感を与えて次のような助言を語らせました。「自分の富を頼む者は衰える」。「王はその軍勢の多きによって救を得ない。勇士はその力の大いなるによって助けを得ない」。「馬は勝利に頼みとならない。その大いなる力も人を助けることはできない」。(箴 11:28; 詩 33:16,17,口)イエス・キリストは適確にも,「たといたくさんの物を持っていても,人の命は,持ち物にはよらないのである」と言われました。―ルカ 12:15,口。
もとより,犯罪事情が悪化する一方の中にあって,わたしたちは自分の生命と財産を守るために,何らかの実際的な手段を講ずることが必要となるかもしれません。しかし,そうした手段は一時的なものにすぎず,決してわたしたちの安全を保証するものではないことを認めなければなりません。わたしたちが本当に必要としているのは,外部のいかなる状況も永続的な害を及ぼすことはないという保証です。そのような確信を持って生活することは可能でしょうか。わたしたちの生き方を,現在そして永遠にわたって安全なものにし得る力と権威の源がはたしてあるでしょうか。暴力や食糧不足や経済危機の脅威にさらされていても,安全に暮らすことはできるでしょうか。
真の安全を見分ける
次のことを考えてみましょう。古代イスラエルにおいて,敵対する国々に囲まれていながら,家族そろって無防備の家や村をあとにし,祭りのためにエルサレムへ旅をすることができたのはなぜでしょうか。エルサレムが強力なアッシリアの軍隊に包囲された際,イスラエル人の血が一滴も流されずに,一晩のうちに18万5,000人の敵の兵士たちが倒れたのはどうしてでしょうか。(列王下 19:32-35)およそ300万人に及ぶ男,女,子供たちからなる一国民が「大きな恐ろしい荒野,すなわち火のへびや,さそりがいて,水のない,かわいた地」で40年間も生きられたのはどうしてでしょうか。―申命 8:15,口。
彼らの生活を安全なものにしてくださったのはすべてのものの創造者であられる,彼らの神エホバでした。霊感を受けた詩篇作者ダビデが言っている通りです。「わたしは平安のうちに横たわり,そして眠ります。エホバよ,ただあなたのみ,わたしを安全に住まわせてくださるからです」― 詩 4:8,新。
わたしたちの天の父であるエホバ神が昔,イスラエルの人々を世話されたのと同じように,20世紀においてもわたしたちを顧みてくださることに疑いを持たれるでしょうか。仮に地元の銀行の頭取があなたに次のように言ったとしましょう。「あなたには何の心配もしてもらいたくないのです。必要なものは何なりと知らせてください。そうすればお世話をいたしましょう」。そのような約束は安全を気遣うあなたの心配を軽くしてくれるのではないでしょうか。もとより,銀行の頭取がこうした保証をするというのはありそうにもないことです。しかし,エホバ神は,ご自分の忠実なしもべたちすべてに対し必要物すべてを顧みてくださることを保証しておられるのです。(マタイ 6:31-33)わたしたちはこの保証の言葉に全幅の信頼を寄せることができます。なぜなら,至高者は,過去においてもまた現在においても実際の例によって示されているように,いつでもご自分の約束を果たされるからです。―ヨシュア 21:45。
賢王ソロモンは物質的な物事の価値には限度があることを認めるようになりました。それと同時に,安全のうちに暮らすことを可能にしてくれるエホバ神との密接な関係も味わいました。ソロモンはこう書いています。「富んだ人の貴重なものはその人の強固な町であり,それらはその想像の中では保護となる城壁である」。(箴 18:11,新)富める人は,災いに見舞われる時にそれら貴重な物が自分を保護してくれると考えます。しかし経験は,そのような「保護となる城壁」は真実のものではなく,経済不況,うなぎのぼりのインフレ,政治的動乱の際に,また末期症状の重い病気にかかっている際に保護を与えてくれないことを繰り返し示してきました。
箴言 18章10節(新)で,ソロモンはこれと対照を成す次のような言葉を記しています。「エホバの御名は強固な塔。その中に義人は走って行って,保護を受ける」。いかに深刻な危機であろうと,またどんな状況であろうと神の僕が神の援助を得られないということはありません。真の安全の源はここに,つまりわたしたちの愛ある父との個人的な関係にあるのです。―詩 59:16,17; 62:5-8。
どうすれば保護を確信できるか
このような確信は一夜にして得られるものではありません。ちょうど1本の木が嵐のたびにしっかりとそれに耐え,年ごとに力強く生長するように,わたしたちのエホバへの信仰は,神の義の道がわたしたちの生活に最善の結果をもたらすのを見る時,強められるのです。み言葉を日ごとに学ぶこと,「良いたより」を宣べ伝えるために費やす時間,定期的に祈りのうちに神を求めること ― これらすべては神との個人的なきずなに寄与します。
イザヤはわたしたちが願い求めている種類の安全を次のような言葉で描写しています。「その人こそ高い所に住む者であり,その堅固な高台は近づき難い切り立った岩場。その人のパンは必ず当人に与えられ,その水の供給は尽きることがない」。(イザヤ 33:16,新)しかし,この安全は他の人々の福祉に寄与する生活を送りたいと願う人々のためだけにあるものです。イザヤは次のようにも述べています。「絶えざる義をもって歩み,廉潔なことを語り,詐欺による不正な利得を退け,わいろをつかむことからきっぱり手を振り払い,流血を聴くことから耳をふさぎ,目を閉じて悪いことを見ないようにしている者がいる」。(イザヤ 33:15,新)神の保護を受けるためのこうした要求は現代においてどのように当てはまるのでしょうか。
「絶えざる義」は,エホバの義または正直さに関する基準を日々追い求めることを示唆しています。『不正な利得を退ける』という言葉は,この世の一獲千金を求めるやり方をまねるべきではないことを思い出させます。エホバの是認を得ようと願う人は,わいろを受け取らず,裁きを曲げるためにえこひいきや物質的な利得を決して許さない態度を取るだけでなく,「流血を聴くことから耳をふさぎ,目を閉じて悪いことを見ないようにして」いる人でなければなりません。20世紀の映画や書籍や雑誌は同預言者の手に入らなかったとはいえ,エホバとの密接な友情を願う人は,今日の暴力的で不道徳な娯楽を避けるでしょう。
義の原則に従うことは安全を享受するのに寄与します。賢王ソロモンはわずかな言葉でその事をまとめています。「忠誠をもって歩んでいる者は安全に歩む」― 箴 10:9,新。
時おり,エホバの証人の中にも,神の保護に違いないと思える経験をする人がいます。例えばZ ―― 兄弟の場合を考えてみましょう。彼はある日,自動車の中で「ものみの塔」誌を読んでいました。すると突然だれかが首をつかんだのです。その兄弟はエホバに熱烈に祈りました。襲った者の体は動かなくなり,手の力を緩めました。兄弟は車を動かし,さようならと言って,道路の真ん中に像のようにつっ立っているその男をあとにしました。
また,ケニヤからの一人の宣教者の例があります。彼女がエホバへの奉仕をはじめた時,両親はひどく反対しました。父親はエホバの証人のことを“白ザル”と呼んでいましたが,“白ザル”どもと手を切らないなら殺すと言って彼女を脅しました。父親は娘に危害を加えるため殺し屋を雇いました。彼女はこう伝えています。「エホバの保護があったおかげで,彼らの手に陥らずにすみました」。
これらの経験が示しているように,クリスチャンたちは危険な状況に対処しなければなりません。しかし,エホバに全幅の信頼を寄せている人は,何ものも自分たちに永続的な害を加え得ないことを確信できます。天の父はこのように約束しておられます。「わたしは決してあなたを離れず,決してあなたを見捨てない」。それでわたしたちは安全に対するどんな脅しにも確信を持ってこたえ応じ,次のように言うことができます。「エホバはわたしの助け主,わたしは恐れない。人はわたしに何をできようか」― ヘブライ 13:5,6。
近い将来,人間家族全体は,富や軍事力や政治勢力によって備えられている安全のための防壁と思われるものが粉砕される危機を経験するでしょう。エホバの,目に見えないとはいえ力強いみ手に信頼を寄せる人々のみが生き残り,神の王国の支配の下で永遠に安全を享受するでしょう。(啓示 21:1,4)このことが,至高者との個人的で密接なきずなを培ったことに対するあなたの幸福な受け分となりますように。
-
-
聖書の真理は安全への道を示すものみの塔 1980 | 12月1日
-
-
聖書の真理は安全への道を示す
― ドミニカ共和国からの報告
フロリダの東960㌔,キューバとプエルトリコの島々の中間にヒスパニオラ島というカリブ海の島が横たわっています。その島の東側3分の2はドミニカ共和国によって占められています。その土地は水が豊富で農耕地に向いています。産物には,砂糖きび,コーヒー,ココア,それにパパイヤ,バナナ,マンゴ,パイナップルのような果物もあります。
ドミニカ共和国の人々は親しみ深く,にぎやかな会話を楽しげに始めます。人々は手振りや顔の表情だけではなくて体全体で身振りを表わします。ドミニカにはプロテスタント信者が少なくありませんが,15世紀にスペインからヒスパニオラ島へ来たヨーロッパ人の移民たちがそうであったように,大半の人々はローマ・カトリック信者です。
このカリブ海の国の親切で謙そんな人々は聖書の真理にどのようにこたえ応じますか。1945年4月1日,ものみの塔ギレアデ聖書学校から遣わされた宣教者たちがその答えを見いだすようになりました。彼らはサントドミンゴの中心地にあるホテルに入り,その同じ日に一人の医師を捜しに出かけました。その医師は以前から聖書研究に関心を示しており,宣教者たちがニューヨークにいたときその人の住所は彼らに渡されていたのです。その医師の居どころがわかり,聖書研究が始まりました。近所の人が一人その話し合いに加わりました。その結果,フアン・ペドロ・グリーンとモイセス・ローリンスがドミニカ共和国の住民として初めてのエホバの証人になりました。
ドミニカ共和国の人々に聖書の真理を伝える業は,サントドミンゴだけではなく,まもなく内陸部へも広がっていきました。宣教者たちは聖書の真理を伝えながら北へ進み,同共和国第2の都市サンチアゴにまで行きました。それから,海に面したプエルトプラタまでさらに北に向かって精力的に進みました。これらの場所で多くの人々は教会では聞いたこともないような聖書の真理に喜んで耳を傾けました。
宣教者たちの宣べ伝える活動が始まって後間もなく,ドミニカ共和国のエホバの証人は,当時ものみの塔協会の会長であったN・H・ノアと副会長であったF・W・フランズの訪問を楽しみました。その訪問の結果,さらに多くの宣教者たちがこの国に派遣されました。やがて宣教者の家がサンチアゴ,プエルトプラタ,サンフランシスコ・デ・マコリス,ラロマナ,そしてサンペドロ・デ・マコリスに開設されました。
1946年の終わりには,同共和国に28人のエホバの証人がいました。同地の大半の人々は,その当時,聖書の基本的な教えにさえ通じていなかったため,この小さなグループによって宣明された音信は奇妙に聞こえたに違いありません。エホバの証人の数は最初はゆっくりと増えていきました。事実,彼らの業は,開始されて間もなくひどい反対に遭いました。しかし詩篇作者ダビデが語っているように,『エホバは,苦難の時の堅固な高みとなってくださいました』― 詩 9:9,新。
イエス・キリストの追随者たちは人間の政治に関係した事柄や政争に関しては中立の立場をとります。そのために,彼らはある場所において反対に遭遇しなければなりません。(ヨハネ 15:18-20)ドミニカ共和国におけるエホバの証人に対する反対は1948年に始まりました。当時この国の支配者は独裁者ラファエル・トルヒーヨでした。1948年中,トルヒーヨのパルティド・ドミニカ(ドミニカ党)の著名なメンバーがエホバの証人の宣明する聖書の音信を受け入れ,その人の人生における重大な変化を遂げました。その人は自分の故郷サンクリストバルにおいて,大胆にも聖書の音信を他の人々に伝えるようになりました。サンクリストバルの役人たちは,人々がその音信に快くこたえ応じるのを見て不快に感じました。一人のカトリックの司祭と何人かの地元の作家たちがエホバの証人の活動に反対の声をあげました。1950年の6月,エホバの証人は公式の禁令下に置かれました。その禁令は1956年に除かれましたが,1年後に再び敷かれました。禁令は1960年まで除かれませんでした。
禁令下で奉仕する
その禁令はエホバの証人による聖書の真理の宣明を根絶するのに成功しましたか。それとは反対に,この業は繁栄しました。先に述べたように,1946年当時ドミニカ共和国には28人のエホバの証人がいました。1960年に禁令が除かれた時,その数は460名にまで増加していました。
1961年と1962年は再教育の期間となりました。ものみの塔協会は,旅行する代表者が諸会衆を訪問して強める取決めを設けました。1961年には,17人の全時間福音宣明者たちが同国のいまだかつて証言されたことのない区域へと派遣されました。こうした努力は実りの多いものとなり,1963年までには1,000人以上のドミニカの人々が詩篇作者の次の言葉に対して深い感謝の念を表わしていました。『エホバよ,ただあなたのみ,わたしを安全に住まわせてくださいます』― 詩 4:8,新。
田舎の地方でも行なわれる
聖書教育の活動は1973年までにはこの国のすべての都市と町において行なわれていました。同年の12月に,協会は遠く離れた,田舎の地方に住む人々の霊的必要を顧みる取決めを設けました。諸会衆はそのような,田舎の地方で宣べ伝える業に2か月間費やすよう人々を招待する手紙を受け取りました。19人の“正規開拓者”(全時間伝道者)がこの特別な奉仕に参加したい旨,自発的に申し出ました。1973年12月から1977年1月までの間に,六つの群れが組織され,かつてエホバの証人の活動がほとんど,あるいは全く行なわれていなかった場所に遣わされました。これらの自発的な働き人はその業をどのように行なっていったでしょうか。そのうちの一人はこう述べています。
「まず最初に私たちは伝道することになっていた地域の中心部に移動しました。私たちは古い“台所”(家から離れて建てられた小さなわらぶき小屋)を借り受けました。そこに,小さなベッド,小型の天火,圧力がまなどを持ち込んで落ち着きました。毎日早く起き,おいしい朝食を取り,聖書の基礎的な教えを説明した文書を十分にそろえました。一日のはじめに私たちは文書をいっぱい持って行きました。しかしそれは長く持ちませんでした。人々は神の言葉に喜んで耳を傾けました。宣べ伝える業を続けるにつれ,文書の入ったカートンはだんだんと軽くなりました。
「聖書の音信を紹介し人々に文書を配布するのに1日を費やし,二日目は関心を示した人々に再訪問をするのに用いました。田舎の人たちはほとんどお金を持っていませんので,聖書の出版物をニワトリや卵や果物と交換しました。エホバに感謝すべきことに,私たちは空腹を感じたことは一度もありませんでした」。
これら郊外の地域の人々の反応は驚くべきものでした。聖書が読まれるのを耳にすることは多くの人にとって生まれてはじめてのことでした。宗教指導者たちが,エホバは悪魔であると人々に告げていたこともありました。それで次のような聖句を読んだ時に彼らはどんなにか驚いたことでしょう。『その名をエホバというあなたが,ただあなたのみが,全地を治める至高者です』,『ヤハ,エホバがわたしの力,わたしの偉力です。そして彼はわたしの救いとなってくださった』。(詩 83:18; イザヤ 12:2,新)幾つかの場所では関心があまりにも大きかったので,公開集会が組織されました。これらの集まりの一つには68名もの人々が出席しました。その人たちは神の言葉について学ぶことにたいへん熱心だったので,『教会を開く』ために1軒の家を借りることを申し出たほどです。彼らは本当に霊的な安全を求めていました。「私たちが去る時に泣いた人もいました」と,開拓者の一人は述べています。これらの場所で伝道活動を推し進めるための計画が進行中です。
ある時イエスは聴衆にこう語りました。「すべて,労苦し,荷を負っている人よ,わたしのところに来なさい。そうすれば,わたしがあなたがたをさわやかにしてあげましょう」。(マタイ 11:28)ドミニカ共和国の多くの人たちは,エホバの証人がこの国で「良いたより」の伝道を続ける際,霊的な安全とともに,そうしたさわやかさを見いだしています。―マタイ 24:14。
-