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  • 安全 ― 達成しがたい目標
    目ざめよ! 1979 | 3月8日
    • 安全 ― 達成しがたい目標

      「大使館の機密漏洩事件としては近年まれに見る重大事件」。これは,昨年の五月,モスクワのアメリカ大使館で発見された電子スパイ装置について述べられた言葉です。古い組合せ煙突の中にある期間隠されていた皿型の盗聴装置によってどれほどの秘密情報が傍受されたかは,外交官たちも推測するしかありませんでした。

      もちろん,一般の人々にとって,高度な国家機密の保全というような問題は,日常の関心事とは縁遠いものです。しかし,個人の安全というもっと身近な問題には関心があるに違いありません。安全を求めることは,あなたの生活にどんな影響を及ぼしますか。

      個人の安全

      万一の場合に備えて,家族を少しでも安心させるため,生命保険に入る人もいます。また,インフレを考えて,不動産やその他の貴重品 ― 貴金属,宝石,古銭,美術品,果ては郵便切手に至るまで ― に投資する人のことを知っておられるでしょう。どこを見ても,人々は可能なあらゆる方法を駆使して自分と家族のために,財政上の安定を図ろうと努力していますが,必ずしもうまくゆくわけではありません。

      それに加えて,わたしたちは毎日,実際面で,安全とか用心とかいうことを自然に意識します。ご自分の生活様式をちょっと調べてみてください。

      外出する前に,いくつかぎを掛けなければなりませんか。それは,安全を図る初歩的な予防措置の一部にすぎません。それでも,英国諸島だけで毎年25万件の破壊侵入事件が発生しています。

      車で出掛ける前には,車のドアのロックを外しますが,その車自体,ガレージに入れてあってもロックしてある場合もあります。人ごみの中を歩く場合,スリにねらわれないため,さいふをできるだけしっかり身に着けておくでしょう。一日の仕事を始める前に,工場や事務所の敷地内に入るため,あなたも大勢の人のしているように“通行証”を見せねばなりませんか。

      また,『そのほうが安全だ』という理由で,お子さんを学校まで車で送り迎えしておられるかもしれません。暗くなってから無用心にあえて独りで外出するでしょうか。あるいは,訪問客がだれかを確かめないでドアを開けますか。

      ナイジェリアや他のアフリカ諸国では,あらゆる階層の人々が身体の安全を図る手段として,公然と,あるいはひそかに何らかの形のお守りを所持しています。こうしたお守りは,魔術や危険からの身の守り,また商売や農耕や狩猟を成功させるものとして用いられます。

      ナイジェリアを訪れる人は,大抵の家の主人が客のいる前で飲み物のせんを抜くのに気付きます。前もってせんの抜かれたびんから進んで飲もうとするナイジェリア人はまずいません。その理由はというと,それが何と,魔術で毒されることへの恐れによるのです。ところが,お守りを所持している人は,そのような害悪から全く守られていると感じています。実際のところ,お守りを持っていると,その人は武装した護衛に囲まれているよりも安全だと感じるのです。

      これらの例(そしてもっと多くの例を思い出せるでしょう)は,現在では当たり前のことのように考えられている日常の出来事です。しかし,個人の安全が決して容易に確保できなくなっていることは事実です。

      新しい“成長産業”

      近年,安全とかかわりのある産業は,新しい“成長産業”として認められるようになってきました。安全錠前や差し錠や掛け金などを置く店が増えると共に,より複雑な警報装置や万引き防止用の監視システムなどの売上げが急速に伸びています。また,自宅の敷地内の番をさせるために,特別に訓練された番犬を購入することを望まないのであれば,今ではどうもうな犬の鳴き声を録音したカセット・テープを買うこともできます。玄関のベルと接続されているテープレコーダーは,ベルが押されるとすぐに回りだします。

      それに加えて,訓練された(そして時には武装した)ガードマンを抱える警備保障会社の数が,世界中で激増しました。こうした事態に促されて,英国の議会は,英国諸島の私設の警備保障を引き締める特別立法を上程しました。私設の警備保障会社は,今や警察のほぼ二倍に匹敵する数の男女を抱えているのです。犯罪を抑え,治安を維持する上で,この新しい産業は重要な役割を果たすものと考えられています。

      時には国際的な規模で組織され,ハイジャックや誘拐と結び付いた犯罪は,最近,異例の仕方で保険業界を震撼させました。

      1932年に米国で起きたリンドバーグ誘拐事件以来,ロンドンのロイド船級協会を通して,初めて誘拐や身代金に対する保険保護を付けられるようになりました。最近の国際的なテロ行為によって,ロイド船級協会の現行の年間保険料は,今や,四年前の1,600万ポンド(約60億円)から5,500万ポンドないし1億1,000万ポンド(約200億円ないし400億円)へと引き上げられました。これは,ロンドンの保険市場で,誘拐と身代金を直接の保険対象にしたものだけでも,最低55億ポンド(約2兆円)の資金が動いていることを意味します。“安全の保障”を求める人々にとっては,確かに重い負担です。

      「危険や不安にわずらわされない」というのが,コンサイス・オックスフォード辞典の「安全<セキュアー>」の定義です。では,犯罪の増大する今日の世界にあって,あなたは正直のところ,ご自分の前途は「安全」だと言えるほど良いものとお考えですか。それとも,すべて手を尽くしても,なお不安が残るのを感じておられますか。次の質問を考えながら,記事をお読みください。

  • 現代はなぜ“不安定な時代”なのか
    目ざめよ! 1979 | 3月8日
    • 現代はなぜ“不安定な時代”なのか

      「恐れが心の底を流れているために,人々は,自分の面倒を見てくれそうな何らかの支配力に頼ることを望んでいる」。

      昨年四月,ロンドンのサンデー・テレグラフ紙は,オックスフォード大学の一学生が語ったこの言葉を伝え,大学生の間の宗教活動が予想外に増加していることを明らかにしました。従来の極端な政治的かかわり合いとは全く対照的なこうした傾向は,同紙が「不安を抱く世代の不安定な状態」と呼ぶものを反映しています。

      比類のない繁栄の時代にこのような事態は確かに矛盾しています。それは,トランプのカードで作った家のようなもので,明るくて,はなやかではあっても,かろうじて積み上げられており,必ず崩れ落ちるものです。人々はこの不安定な状態を感じ取ります。現在のこの時代がこれほど「不安」を感じる原因はどこにあるのでしょうか。この『心の底を流れている恐れ』の源を明らかにして,それを克服することは可能ですか。

      教育の価値

      第二次世界大戦の終戦以来,大抵の先進国では教育施設が大幅に拡張されてきました。しかし,教育そのものが安心感を与えるものとは言えません。目的のための手段である教育は,果たしてどんな結果をもたらしているでしょうか。それは重要な問いです。残念なことに,今日,多くの人にとって,教育という街道の行き着く所は袋小路になっています。勤め口はなく,暗い前途しかありません。一口に言えば,不安定なのです。

      現在,英国諸島の失業者は150万人を数え,その数は増加しつつあります。失業している若い人々はすでに戦後のどの時期よりも多くなっています。ある16歳の若者は,多大の努力を払ったにもかかわらず勤め口を確保できなかったことを悲観して,首を吊って自殺しました。この若者の出身地の教育委員会の一人は,「これは極端な例だが,多くの若者が経験する苦悩をよく物語っている」と語りました。学校を出てすぐに失業者の列に加わることは,若い人々の多くにとってまぎれもない脅威なのです。それは,不安感と直結する脅威です。

      香港<ホンコン>の進歩的な社会でも,その状態は若い人々に重圧を加えるものとなっています。大多数の人にとって,高収入の仕事に就職できるような教育こそ生活の安定のために期待をかけるものとなっています。当然のことながら,失敗は災いを意味します。それはざ折感だけでなく,抑うつ状態や悲劇をも招きかねません。

      香港サマリタンと名乗る団体は,1977年の8月中の六日間の期間中に,抑うつ状態に陥った学生から1,225件の電話を受けたと伝えられています。1977年8月13日付の香港スタンダード紙は,その状況を要約して次のように述べています。「我々の教育制度,そして人間の基本的な価値を各々にふさわしい長所から見ることを不可能にしている我々の社会の,金銭を追い求める物質主義的な態度は,若い人々を自殺へ追い込む大きな要因になっている」。しかし,学生の数は増えているのに,勤め口は減っているのですから,当然競争は激しくなります。

      現代の科学技術

      では,現代の科学技術はどうでしょうか。それによって新しい分野の仕事や勤め口が増えるのではないでしょうか。過去数十年間,そう信じ込んできた人は少なくありませんでした。しかし,もはや事情は異なります。事実,当局は,間もなく失業者が激増するであろうとの警告を発しています。英国ケンブリッジの経済学者の一グループは,最近,これからほぼ十年ほどの間に,英国諸島で約500万人の失業者が出るとさえ予告しました。どうしてこのような暗い予報が出されているのでしょうか。

      マイクロ電子工学の急速な発達は,これまで考えられなかったほどのオートメ化を促進しました。コンピューター技術は元々機械的作業の繰り返しを打破する手段として導入されたものですが,今では頭脳労働にも首尾よく取って代わることが知られています。一例として,熟練した製図工が一枚の設計図を書き上げるのには,設計をするようプログラムされたコンピューターの25倍の時間かかる場合があります。効率と利益を考えに入れれば,労働力としての人間の要素がどうなるかは目に見えています。

      様々な解決策が提出されてきました。早期の定年退職,週中労働日の短縮,毎年の休暇の増加と長期化,そして必然的なこととして学校を卒業する年齢の上昇などがそれです。しかし,そのいずれもまたそのすべてをもってしても,問題を解決することはできません。そして,根本にある,雇用の不安定という問題は依然残るのです。

      正常な状況下では,聖書の言うように,「働こうとしない者は食べてはならない」と言うのは正当なことですが,働くことを切に願っていながら,その機会を与えられない人の場合はどうですか。(テサロニケ第二 3:10)悲しいことに,今日,その部類に入る人は少なくないうえ,社会保障制度のない国では,果てしなく続く不安定な状態の下で細々と生計を立ててゆくしかないのです。

      非行

      「労働は,退屈と悪徳と貧困という三大悪を放逐する」。これは,18世紀のフランスの著述家,ボルテールが哲学的に言い表わした言葉です。訓練を受けた男女が能力があるのに,正直な労働の一日を送れないのだから,犯罪生活を送るようになる人が今日少なくないのも不思議ではありません。欲求不満にははけ口があります。それは,犯罪発生件数全体の38%が失業者によるものとされている英国諸島の例からも分かります。

      もっと危急なことは,世界中に見られる,それと関連した暴力テロ行為です。イタリアでの騒動は,不安定で疎外された若い世代(イタリアの大学卒業生の20%は,修得した資格を実際に活用できる勤め口を見いだせないでいる)によって扇動されたもので,ヨーロッパ諸国の不幸な事態を反映しています。しかし,力と威嚇で“体制”を変えようとすることは,自らの不安を生み出すに過ぎません。

      犯罪の波を抑えるために,より大規模で強力な警察力やより厳しい法律に頼る政府当局は少なくありません。確かに,そのような規制措置は犯罪活動を抑制する上で効果があるかもしれませんが,その結果,当然のことながら善良な社会人は自分たちの安全のために重い負担を抱えることになります。法律による重荷は税金の面で負わねばならないばかりか,様々な規制によって社会全体の自由がある程度制約されることになります。待望される安全を回復するのに,正直と忠誠心に代わるものはありません。

      国際的な緊張

      国際問題は制し切れないものになりますか。こうした恐れは,生活の計画を立てたいと願っている若い世代の人々にも影響を及ぼします。若い世代の人々は,自分たちの父親や祖父が,戦争によって生じた不安な事態を切り抜けてきたことを知っています。それでもなお,世界の指導者たちが依然として互いの間で合意に達しようとせず,国際的な策略や陰謀によって相変わらず平和が脅かされているのを見ています。

      軍備競争は衰えることなく,学生たちは科学者全体の四分の一が攻撃用の兵器の開発に自分たちの時間を費やしていることを百も承知しています。平均的な労働者が毎年,自分の賃金の二週間分を軍備競争のために支払っている,という事実は余り知られていないかもしれません。今日の世代の人々は,“愛し合おう ― 戦争はごめんだ”と言うかもしれませんが,国際安全保障というような世界的な重大問題になると,自分たちで自らの運命を左右できないことを悟っています。

      退職の問題

      短い人生の終わりを迎えようとしている人々にとって,不安はいつまでも付きまといます。自分たちの蓄えが継続的なインフレのために目減りしてゆくのを見て,どれほど多くのお年寄りは気に病んでいることでしょう。節約と貯蓄は,もはや賞賛に値する美徳ではなくなっているようです。一広告業者は,借金をし,ローンを利用するよう読者に勧めた中で,簡明にこう述べています。「最近のような物価高では,自分の欲しい物を買うために貯蓄をしていたのでは割に合わない」。

      こうした人生哲学は若い世代には当てはまるかもしれませんが,退職後の収入が限られていて,自分の蓄えに頼ろうとする人々はどうなるのでしょうか。国家の援助が容易に受けられる国でも,失意が原因でお年寄りの間から依然として犠牲者が出ています。米国では,自殺四件のうち一件は65歳以上の人によるものです。

      ありとあらゆる問題や不安を抱えたこの時代に住んでいながら,果たして安定感を見いだせるでしょうか。何が安心感をもたらしますか。次の点を自問しながら,証拠を検討してみるようお勧めいたします。

  • 今日,安心感を得られるのはだれですか
    目ざめよ! 1979 | 3月8日
    • 今日,安心感を得られるのはだれですか

      衣食住は生活の基本的な必要物です。これらのものがなければ命そのものもおぼつかなくなってしまいます。

      こうした必要物すべてを十分な量提供してくれるという人がいたなら,きっと,「どんな条件で?」とお尋ねになるでしょう。その代価が高すぎれば,そうした約束はとても贈り物などとは言えません。しかし,受け入れられる条件で提供されるなら,それは実にすばらしい祝福になるでしょう。

      正当な評価

      有名な山上の垂訓の中で,イエス・キリストは,生活の物質上の必要物を評価する点で非常に現実的でした。しかし,イエスが強調しておられたのは,そうした物を確保するために『決して思い煩ってはならない』という点でした。どうしてですか。それにはもっともな理由があります。あなたは,ご自分で,聖書のマタイ 6章31節から33節,あるいはそれと平行するルカ 12章29節から31節の記述を調べてみたいと思われることでしょう。

      イエスがその中で認めておられるとおり,大多数の人はその諭しに注意を払わないことにわたしたちは気付きます。むしろ,人々は物質の所有物を追い求め,『心配して気をもみ』ます。そのような人々にとって,そうした財産そのものが究極の目標になってしまうのです。しかし,これまでに見てきたとおり,そうした物は一体どれほどの安心感を与えてくれるでしょうか。

      その同じ文脈の中で,イエスは,『蛾とさびが食い尽くし,また盗人が押し入って盗む』所に宝を蓄えることについて語っておられます。(マタイ 6:19,20)今日,入手可能なありとあらゆる優れた財産をもってしても,過去にそれを持った人よりも大きな安心感を享受できるわけではありません。もっと重大な事として,そうした人々の例に倣うなら,より優れた種類の富をないがしろにすることになります。イエスはそのような短期的な人生観を戒めて,こう語られました。「たとえ自分の必要以上に持っているとしても,人の命はその所有している物によって安全にされるのではありません」― ルカ 12:15,エルサレム聖書。

      では,真の安らぎはどこに見いだせるでしょうか。単に,天の父がわたしたちの必要を十分知っておられるということを認めるだけでなく,天の父がそのすべてをわたしたちに供給することをご自分の義務とされた,という点を認めることに安らぎを見いだせます。それには,どんな条件がありますか。その条件は,わたしたちが,ただ『神の王国と神の義を第一に求める』ということだけです。(マタイ 6:33)以下に挙げる実生活の経験を検討し,それがいかに実行できるものであるかを評価してみてください。

      優先順位の選択

      世界各地には,神の王国を第一に求める,エホバのクリスチャン証人が225万人余りいます。その中には,『王国の良いたより』を宣べ伝え,教える業に毎年平均1,000時間を自発的に費やす,7万5,000人ほどの人も含まれています。(マタイ 24:14)そうした男女は“開拓者”と呼ばれています。多くの場合その割り当てられる区域が一風変わっていて,時にはへき地であることも珍しくはないからです。

      これらの人々の働く時間(約7,500万時間)を金銭価値に換算すると,時給1.10ポンド(約400円)として,その一年間の時間は8,250万ポンド(約300億円)分の働きに相当します。ところが,その時間はすべて無料で与えられているのです。しかも,そうしている人々は,その特権のために給料の良い職,中には知的職業をさえ後にしてきた場合が少なくないのです。

      宗教欄を担当する一記者は,それらの開拓者たちの働きを査定し,次のような結論に達しました。「大抵の場合,彼らの生活はつつましいながらも幸福である。……彼ら(エホバの証人)の行動は,全き信仰と深い責任感に支配されており,財政的な付帯条件も,物質的な報酬も付けられていない」。

      尊敬されていた一婦人科医の例を考えてみましょう。この医師は,日本の大病院で良い地位に就いており,この世の規準からすれば,“成功”していました。彼とその妻はエホバの証人と聖書を研究して,創造者に仕えるため,ともに献身し,水のバプテスマによってそれを表わしました。

      間もなく,この夫婦は,エホバの証人が数人しかいない別の町へ移って,その地域の人々に自分の信仰を分かちたいと思うようになりました。そのためにこの医師は病院での安定した地位を捨て,パートタイムの仕事を捜すことになりました。この医師もその妻も開拓者になりたいと考えていたからです。二人は現在,小じんまりした借家に住み,夫は母親を扶養しながら生計を立てるため,週二日,土地の診療所で働いています。

      この医師と一緒に働いていた同僚たちは,彼の考え方が理解できないと言い,ましてそのような生き方をしたいなどと思ってはいません。それでもこの夫婦は,自分の交わる,その地の会衆を援助し,さらにその新しい土地で聖書に基づく討議を数多く司会することに,思いの平安と満足という安らぎを見いだしているのです。

      霊的な特権を確保する

      英国のロンドンは,商業界の数々の専門分野にとって,世界的な中心地となっています。25年前,有名な国際企業に勤める一青年が,妻と共に,聖書を調べるようになりました。聖書の教理の真実性を確かめるために自分の住む町の宗教指導者すべてに尋ねて十分調べた後,この夫婦はすぐにエホバの証人として献身してバプテスマを受けました。

      この夫婦を援助した婦人自身,開拓者であり,その立派な模範はこの夫婦に消えることのない印象を残しました。夫婦はその地の会衆で一生懸命働きました。その後何年かの間に,この夫婦のチームは,ほぼ100人の男女が聖書の知識を得るのを助ける特権にあずかりました。そのうちの14人は,夫が部長として働き,世界中の幾千人もの従業員の面倒を見ていた会社に勤めている人でした。

      十年前には,俸給が四倍になる重役の地位が夫に提供されました。しかも,早い時期に社長になる見込みまで約束されていたのです。ところが,ちょうどその時,この夫婦には開拓奉仕に入る道が開けたのです。彼らには,この特権のために夫の安定した職とその将来性をあきらめる覚悟は十分できていました。結局,会社は半分の俸給で,パートタイムの仕事を提供することになり,しかも理事の地位は忠実な勤務に対する報いとして彼に与えられたのです。

      三年後,会社の編成変えがあり,このエホバの証人は,再び常勤するか,退職するかのいずれかを選ぶよう迫られました。彼は退職しました。後日,この人は,妻と一緒に各会衆を訪問する,エホバの証人の旅行する監督として奉仕するよう任命され,今でもその特権を保って,大いにそれを楽しんでいます。

      そのような商業面での有望な出世の見込みを捨てたことを現在どう思っているか,と尋ねられると,この人はその答えの中でパウロの次の言葉を引用しました。「わたしは実際のところ,わたしの主キリスト・イエスに関する知識の優れた価値のゆえに,いっさいのことを損とさえ考えています」。(フィリピ 3:8)このエホバの証人は,さらにこう述べました。「物質の富の代わりに霊的な富が得られるのは,実に大きな報いです。お陰で私たちには,これまでに味わったことのない,将来に対する安心感が与えられました」。

      しかし,こうした犠牲が払われたのは,将来に対する安心感だけのためですか。この“安心感”は,今日の実生活においてどれほど価値のあるものですか。では,今すぐに受けられる益の幾つかを検討してみましょう。

      安心感をもたらす,クリスチャンの交わり

      「一言ご注意: ― スリにご用心」。この注意書きは,昨年開かれた,エホバの証人の「勝利の信仰」国際大会に出席した幾十万もの出席者たちに与えられたものです。どうしてこのような実際的な助言が必要であったのか不思議に思われるかもしれません。実のところ,真のクリスチャンは,その道義的忠誠心ゆえに,明らかに不利な立場に置かれます。泥棒たちは,エホバの証人の間に明白な相互の信頼感を利用することで知られています。ですから,その警告は時宜を得ていました。しかし,正直な人々が,自分たちの信頼できる人々の中にあって安心していられるのは実に喜ばしいことではありませんか。

      「地上では,諸国民が悩み……人々は世界に起ろうとする事を思い,恐怖と不安で気絶するであろう」。イエスは,この古い世界体制が過ぎ去ろうとしている時における,大多数の人々のこうした悲観的な見方を,ご自分の真の追随者の見方と対照させてこう述べておられます。「身を起し頭をもたげなさい。あなたがたの救が近づいているのだから」― ルカ 21:25-28,口。

      今日非常にはっきりと見られ,イエスの言葉を成就している,懸念や不信や恐れを見くびろうとする人はいないでしょう。聖書預言の正しい理解に基づく信仰のみが,真の安心感をもたらすことができます。

      今日の差し迫った諸問題にもかかわらず,クリスチャンは全き確信を抱いて将来を見ることができます。将来に関する神の目的は不変であり,したがって,将来には何の不安もありません。イエスがご自分の追随者たちに祈り求めるよう告げられた神の王国の下で,人生はとこしえに絶えることのないクリスチャンの交わりで楽しいものとなるでしょう。

      全地の住民の最善かつ永続的な益を図って治める世界政府があれば,人間の労働は同胞を傷付けることには向けられません。仕事の祝福は喜びをもたらし,地は豊かに産物を出すので,人間の発明の才は積極的で,建設的なものになるでしょう。動物や他の地上の生物は全く一致調和します。人間の利己心による,土壌,海洋,そして大気の汚染について聞くことはありません。健康を守ることはもはや難問ではなくなるのです。人の死,病気,体を不自由にする病気などは,忘れ去られた過去のものになります。―イザヤ 65:17-25と比較してください。

      わたしたちの創造者の愛と目的を学ぶなら,常に『穏やかに住まい かつ禍害にあう恐れなく安らか』でいられることになります。(箴 1:33)永続的な安全は,捕らえどころのないものではありません。それは現実のものです。求めさえすれば,それはあなたのものになるのです。世界中のエホバの証人との交わりによって,今,その益にあずかってみるのはいかがですか。

  • こうすればかなり戦争を減らせるのでは……?
    目ざめよ! 1979 | 3月8日
    • こうすればかなり戦争を減らせるのでは……?

      UPIの報道によると,世界の軍縮に関する国連の特別総会で,サウジアラビアのヤミル・M・バルーディ大使は愛きょうのある発言をしました。同大使は,兵役に服する男子の年齢を40歳から60歳までの間に制限するよう提案し,さらに子供を持つ女性を国防省の幹部にするよう勧めました。同大使の述べるところによれば,そうすることは世界軍縮への大きな一歩になるはずです。それは,「普通,戦争をすることを決定する」のは中年の男性であり,自分たちも戦わねばならないとなれば,恐らく考え直すと思われるからです。

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