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不安のない生活 ― どこに見いだせますかものみの塔 1984 | 7月1日
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不安のない生活 ― どこに見いだせますか
そのふたりの若者は悲痛な思いを抱き,失意のどん底にありました ― そして失業していました。タイム誌によると,ふたりは「排気管にホースをつないでそれを車内に引き込み,窓のすきまにぼろ切れを詰め込んで」いました。「だれにも仕事がない今となっては,生きている何の望みがあるだろうか」という,背筋の寒くなるような書き置きを残して,ふたりの若者は自殺したのです。
こうした記事を読むと,人々が今日抱いている挫折感が非常に深刻なものであることが分かります。わたしたちは皆,インフレ,失業,増加の一途をたどる税負担などのために,何らかの面で苦しい思いをしています。ある家では,主婦が,場合によっては子供たちまで,働きに出なければならなくなります。食習慣やレクリエーション,また住宅などを大幅に変えなければならなかった家もあります。インフレの影響で目減りするために,銀行預金さえも不安のない生活を保証するものとはなりません。この時代が「対処しにくい危機の時代」となるとは,聖書は実によく預言したものです。―テモテ第二 3:1-5。
裕福な人々さえも,インフレを誘発する物資の不足の影響を受けます。(啓示 6:6)インフレ“対策”に,株や不動産,外貨,貴金属などに投資する人々もいます。しかし,機を見るに極めて敏な投資家でさえ,予想もしない急激な変化に足をすくわれることがあります。例えば,1オンス875㌦という高値の金の価格が数日のうちに650㌦以下に落ち込み,その後さらに300㌦以下に下落したことがありました。ですから投資家たちは,投資に関していや応なしにいつも神経を使い,油断なく目を光らせていなければなりません。聖書の伝道の書 5章12節にある,「富んだ者の豊富さはこれに眠りを許さない」という言葉が思い出されます。
「逃げ道を知らない」
では,経済学者たちはこの混乱状態から逃れる道を示すことができるでしょうか。経済学者たち自身多くの点で意見が分かれているのに,どうしてそれができるでしょうか。隣り合う英仏両国を例に取ると,両国ともそれぞれ自国のトップクラスの経済顧問の助言に従ってきました。それにもかかわらずこの二つの国は全く異なる経済政策を推し進めています。英国は政府の支出を引き締め,高金利を許すことによってインフレを抑えようとしています。一方フランスは,“国庫を開け放って”多額の資金を費やし,インフレを高める危険を冒しても仕事をつくろうとしています。この不調和についてタイム誌は,「この二つの哲学ほど掛け離れたものはない。多くの人の目には,両国の成功のチャンスは五分五分のように見える」と評しています。
聖書は,「逃げ道を知らない諸国民の苦もんがある」ということをはっきり預言していました。(ルカ 21:25)もし世界の指導者たち自身が世界の経済難に困惑しているのであれば,普通の人には生き残るためのどんなチャンスがあるのでしょうか。信頼できる助言を与えてくれる筋が一つでもあるのでしょうか。不安のない将来を保証することのできる確かな投資先があるのでしょうか。
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不安のない将来のために今投資しましょうものみの塔 1984 | 7月1日
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不安のない将来のために今投資しましょう
率直に言って,自分の物質の財産を保護するために個々の人にできることはほとんどありません。お金の使い方をもっと慎重に考えたり,掛け買いを控えたりするなら,圧迫感はある程度和らぐでしょう。しかし,経済に影響する要因のほとんどは,個々の人には全く制御できないものです。しかし,自らの思いの平安と福利とを守るためなら,個々の人にできることが確かにあります。「金が身の守りであるように,知恵も身の守り……である。しかし知識の利点は,知恵がそれを所有する者たちを生きつづけさせることにある」と,聖書は述べています。―伝道の書 7:12。
この知恵は単なる世俗の学問よりも高いところまで達するものです。「エホバご自身が知恵を与えてくださるからである。そのみ口からは知識と識別力が出る」。(箴言 2:6)この知恵は聖書研究に投資することによって得られます。では知恵はどのように「身の守り」となるのでしょうか。一つには,聖書の知識を得ると,今日の経済危機に対して新たな展望を得ることができます。つまり,わたしたちが聖書の言う「終わりの日」に生きていることを認識するようになります。(テモテ第二 3:1-4)人々を当惑させ,混乱しているこの事物の体制は,やがて神の裁きの日に一掃されます。(ペテロ第二 3:12,13)そして箴言 11章4節で警告されているように,「貴重な品は憤怒の日に何の益にもならない」のです。
こうした事柄を知りまた認めるようになると,物質を追い求めるむなしい活動に伴うさまざまな思い煩いを避けることができます。富のはかなさを知っているので,今所有している物を失うまいとして狂奔することはありません。また,最新流行のぜいたく品が買えないからといって落胆することもありません。「わたしたちは世に何かを携えて来たわけではなく,また何かを運び出すこともできないからです。ですから,命を支える物と身を覆う物とがあれば,わたしたちはそれで満足するのです」― テモテ第一 6:7,8。
経済的に“不安のない”人々にとっても,神からの知恵は有益です。使徒パウロはテモテ第一 6章17,18節でさらにこう述べています。「今の事物の体制で富んでいる人たちに命じなさい。高慢になることなく,また,不確かな富にではなく,わたしたちの楽しみのためにすべてのものを豊かに与えてくださる神に希望を託すように。そして,善を行ない,りっぱな業に富み(なさい)」。聖書時代においても,物質の富はせいぜい「不確かな」ものにすぎなかったのです。ですから裕福なクリスチャンは,お金が生み出すとされる不安のない生活はすべて幻想に過ぎ
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