ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 戦争に悩まされた世界で良いたよりの種をまく
    ものみの塔 1974 | 2月15日
    • 1:5,6)パウロは,世界的伝道という意味で言ったことを,少しあとの文章で証明しています。パウロは彼らが「自分たちの聞いた良いたよりの希望からそらされない」ことについて述べ,「その良いたよりは天下の全創造物の中で宣べ伝えられたのです。わたくしパウロは,この良いたよりの奉仕者となりました」と言いました。(コロサイ 1:23)もちろんこれは,天下の人びとすべてに,じかに宣べ伝えられたという意味ではありませんでした。それは,良いたよりの伝道が,天が下の,人の住む地の隅々にまで押し進められ,言語,皮膚の色,人種,国籍の別なく,全部の人間が王国のたよりを聞く機会を与えられた,という意味でした。制限はありませんでした。パウロは,前に書いたローマの会衆あての手紙(西暦56年ごろ)の中で,スペインに良いたよりを携えてゆく意図を表明しています。さらに西方の米州の存在は,当時彼には知られていませんでした。―ローマ 15:24。

      12 それは預言の成就の完了でしたか。それともそれはまだ将来に来るものでしたか。

      12 1世紀中に,アジア,ヨーロッパ,またアフリカで,キリストの弟子たちのそのころはまだ小さかった群れによって行なわれた「王国のこの良いたより」のこの伝道は,聖書の預言の成就でした。(マタイ 24:14。マルコ 13:10。使徒 1:8)しかしそれで預言の成就が完了したわけではありませんでした。ヨーロッパ人が米州を発見したあと,そして反逆的なエルサレムの対型である現代のキリスト教世界が滅びる前に,西暦1914年以来始まっている同世界の終わりの時に,その伝道はもう一度世界的な規模で繰り返され,最高潮に達しなければなりません。

      13 パウロによると,王国の希望を広めるわざは,コロサイの場合が示すように,どんな影響を及ぼしましたか。

      13 さて,王国の希望を広めるこのわざが及ぼす霊的影響は,西暦1世紀中のイエス・キリストの使徒たちの時代のそれと同じでなければなりません。それでパウロがその影響につき,小アジアのコロサイにあった会衆にかんして何と言っているかを考えてみましょう。彼は,コロサイ人に「良いたよりの真理が語り告げられ(た)」ことを述べ,「その良いたよりはあなたがたのところにもたらされましたが,世界じゅうで実を結んで増大しているのであり,それは……あなたがたの間でも起きていることと同じです」と記しています。(コロサイ 1:5,6)したがって,口で語られた「良いたよりの真理」のことばを『語り告げる』ことは,コロサイを含め全世界で「実を結んで」いたのです。

      14,15 (イ)こうしてパウロは,正しく伝えられた良いたよりを何になぞらえましたか。(ロ)ここで示されている状態は,イエス・キリストが話されたどんなぐう話的な例と一致しますか。

      14 使徒パウロはここで,彼らに正しく伝えられた「良いたより」を,地の中にまかれた種になぞらえています。地もしくは土は非常に肥沃です。そして種は根をおろし発芽して同種の実を結びます。この状態は,イエス・キリストが4種類の土の生産能力について語られたぐう話的な例と一致します。イエスはこう言われました。

      15 「ごらんなさい,種まき人が種をまきに出かけました。まいていると,幾つかの種は道路のわきに落ち,鳥が来てそれを食べてしまいました。ほかの種は,土のあまりない岩地に落ち,土が深くないのですぐにもえ出ました。しかし太陽が昇ったとき,それは焼かれ,根がないので枯れてしまいました。またほかの種はいばらの中に落ち,いばらが伸びて来てそれをふさぎました。さらにほかの種はりっぱな土の上に落ちて実をならせるようになり,あるものは百倍,あるものは六十倍,あるものは三十倍の実をならせました。

      16 この例にかんし,イエスご自身どのように説明されましたか。

      16 「ではあなたがたは,種をまいた人の例えを聴きなさい。人が王国のことばを聞きながらその意味を悟らない場合,邪悪な者がやって来て,その心の中にまかれたものをさらって行きます。これが道路のわきにまかれたものです。岩地にまかれたもの,これはみことばを聞き,喜んですぐにそれを受け入れる人のことです。でも,自分に根がなく,一時は続きますが,みことばのために患難や迫害が生じると,すぐにつまずくのです。いばらの中にまかれたもの,これはみことばを聞きますが,この事物の体制の思い煩いと富の欺きの力がみことばをふさぐ人のことであり,その人は実を結べなくなります。りっぱな土の上にまかれたもの,これはみことばを聞いて,その意味を悟る人のことです。その人はほんとうに実を結び,ある者は百倍,ある者は六十倍,ある者は三十倍を生み出すのです」― マタイ 13:3-8,18-23。

      17 (イ)コロサイ人の心は,イエスの話された例の中の何のようでしたか。だれが彼らに直接種をまきましたか。(ロ)実際に「種」は何ですか。それはどんな状態にありますか。

      17 使徒パウロが,彼を尋ねて来たエパフラスから聞いたところによると,コロサイのクリスチャン会衆の成員は,イエスが説明された「りっぱな土」のような心を持っていました。そのために彼らの心にまかれた「王国のことば」は実を結び,100倍,60倍,30倍というふうに,異なる量を生産しました。使徒パウロは,コロサイ人の心に王国の種をまいてはいませんでしたが,コロサイのエパフラスがそれを行なっていたようです。というのは,パウロが彼のことを,「キリスト・イエスの奴隷であり,あなたがたのところから来たエパフラス」と述べているからです。パウロはまた,「これはあなたがたが,わたしたちの愛する仲間の奴隷エパフラスから学んだ事がらです。彼はわたしたちのための,キリストの忠実な奉仕者であり,また霊的な面でのあなたがたの愛をわたしたちに聞かせてもくれました」と述べています。(コロサイ 4:12; 1:7,8。フィレモン 23)この「キリストの奉仕者」は単に,偉大な種まき人イエス・キリストの代理を勤めていたにすぎません。「種は神のことばです」とイエスは言われました。(ルカ 8:11)それは「王国のことば」です。しかしそれは倉庫の中の種ではなく,「まかれる」種,すなわち,伝道され,宣明され,教えられる神の「王国のことば」です。

      18 (イ)パウロはローマの監禁の家にいて,どのように「種」をまきつづけましたか。(ロ)この種はそれ自身の中に何を含んでいますか。それが人間の心の中に根をおろすには何が必要ですか。

      18 「王国のことば」の種をまき,伝道し,宣明し,教えることにおいて,偉大な種まき人イエス・キリストのもとで行動をともにする人びとは,使徒パウロが言っているとおりに,「神の王国のためのわたしの同労者」です。(コロサイ 4:11)ローマの監禁の家にいた間でさえ,パウロは,コロサイ人に送ったような手紙を書いただけでなく,それ以外のことも行ないました。彼は,「[エパフラスのように]そのもとに来る者をみな親切に迎え,妨げられることなく,全くはばかりのないことばで人びとに神の王国を宣べ伝え,また主イエス・キリストに関することを教え」ました。(使徒 28:30,31)この霊的「種」は「神のことば」であり,「王国のことば」ですから,それ自体が,良いたより,希望のおとずれ,全人類の祝福となる最も偉大な政府である神のメシアの王国にかんするおとずれを含んでいます。「種」の中に含まれるこのおとずれこそ,「種」を受ける人が理解し,その価値を認識しなければならないものです。その意味を,その意義を心で悟らねばならないのです。そのようにして「種」はその人の心に根をおろします。

      心の中の信仰と愛

      19 (イ)パウロによると,良いたよりを語り告げることは,コロサイ人の心の中でどんな効果を生じましたか。(ロ)まかれた「種」のために,なぜ心の中で信仰と愛の発達がなければなりませんか。

      19 正しく伝えられた「良いたより」は,コロサイの会衆を構成していた成員たちの心の中でどんな効果を生じたでしょうか。それは,パウロがそのことについて聞いた時に感動して彼らにすばらしい手紙を書いたほどの効果を生み出していました。パウロが述べていることこそ,彼らの心のうちに生じた効果でした。すなわち,「キリスト・イエスに関するあなたがたの信仰」「霊的な面でのあなたがたの愛」です。(コロサイ 1:4,8)「神のことば」の種が下に向けて根をおろし,上に向けて芽を出して外面にそれを表わすことをし,そうすることによって,もとの種の30倍,60倍,あるいは100倍という多くの新しい,生きた種粒を生産するためには,心の中でそのような信仰と愛が培われねばなりません。内部にまかれたものを産する外面での表現がある前に,まず心の中でこの発達がなければならないのです。

      20 (イ)なぜ異邦人は「種」を受け入れるために信仰を特に働かせねばなりませんでしたか。(ロ)ユダヤ人であれ,異邦人であれ,彼らはイエスにかんするどんな貴重な事実を受け入れなければなりませんでしたか。

      20 コロサイ会衆の多くの人がそうであった異邦人,すなわち非ユダヤ人について言うなら,彼らが神のことばの「種」を受け入れるには,信仰が必要でした。彼らが献身していた多くのギリシャやローマの神々を捨てて,エホバという名を持つ,天地とその中の万物の創造者である,唯一の生きた真の神に信仰を集中しなければなりませんでした。しかし彼らは,割礼のない異邦人であろうと,生来のユダヤ人であろうと,イエス・キリストをも,エルサレムのダビデ王の子孫であるこのイエスが約束のメシア,すなわちキリストであるということをも,信じなければなりませんでした。彼らは,この人が「全創造物の初子」であるということを信じなければなりませんでした。エホバ神がイエスを死人の中からよみがえらせて,天における不滅の命を与えられたので,イエスがまた「死人の中からの初子」であるということも信じる必要がありました。さらに彼らは,イエス・キリストが,彼らが所属することを望んだ「からだである会衆の頭」である,ということも信じなければなりませんでした。また,「彼のうちには,知恵と知識とのすべての宝が注意深く秘められている」ということも信じなければなりませんでした。ですから彼らは,異教哲学や人間がつくり上げた宗教的伝統にはもはや固執してはなりませんでした。―コロサイ 1:15-18; 2:3,8。使徒 14:11-18。

      21 (イ)コロサイ人は,彼らの口の中に入れられたその「種」をどうしなければなりませんでしたか。なぜですか。(ロ)外面で表現するよう彼らを動かすには,どんな特質を心から働かせなければなりませんでしたか。

      21 こうしたことは,「良いたよりの真理」の中に含まれている重要な事がらの一部でした。そして彼らはこれらの事がらに心から信仰を持たねばなりませんでした。使徒パウロが何年か前ローマ人に書き送っていたとおりでした。「信仰の『ことば』……わたしたちが宣べ伝えているものです。その『あなたの口の中にあることば』,つまり,イエスは主であるということを公に宣言[あるいは,告白]し,神は彼を死人の中からよみがえらせたと心の中で信仰を働かせるなら,あなたは救われるのです。人は,義のために心で信仰を働かせ,救いのために口で公の宣言[あるいは,告白]をするからです」。(ローマ 10:8-10)コロサイ人の心は「りっぱな土」のようだったので,彼らは確かに心から信仰を働かせて「王国のことば」,「神のことば」の種を受け入れ,それが心の中で根をおろし,また自らを表現するようにしました。

      22,23 (イ)それらのコロサイ人は,イエスがどんな公の立場を占めておられることを信じなければなりませんでしたか。ですから彼らは何の支配のもとにありましたか。(ロ)したがって彼らは,手紙の筆者のパウロのように,その政府に関連してどんな立場を占めていましたか。そしてイエスのどんな命令を行なうことにあずかりましたか。

      22 イエスはメシアすなわちキリストである,という信仰とともに,エホバ神がイエスを,昔のサレムの王メルキゼデクによって予表されていた王なる祭司のように,ご自分の右にすわらせたということを信じなければなりませんでした。その結果彼らはキリストの霊的王国の支配下にはいりました。そうです,彼らは,神が「わたしたちをやみの権威から救い出し,ご自分の愛するみ子の王国へと移してくださいました」ということを信ずることが要求されました。(コロサイ 1:13)彼らは,神の愛するみ子の,当時すでにあった王権のもとにいただけでなく,キリストによって「世をご自分と和解させ」る神の取決めにおいて,「キリストの代理をする大使」でもありました。(コリント第二 5:19,20)コロサイ人に手紙を書いた獄舎にいた間,パウロは,「少しもはばかりのないことばで良いたよりの神聖な奥義を知らせる」ことについて述べ,「その良いたよりのために,わたしは鎖につながれた大使となっています」と言いました。(エフェソス 6:19,20)したがってコロサイ会衆は,使徒パウロのように,「良いたよりの神聖な奥義」のための大使の一団でした。彼らは,マタイによる書 24章14節のイエスの預言の成就にあずかる義務がありました。

      23 「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう」。

      24 (イ)コロサイ人はいまやどの国民に属していましたか。彼らはどんな実を生み出さねばなりませんでしたか。(ロ)したがって,彼らの心にまかれた「種」が生み出していた実はどんな種類の実でしたか。

      24 神のメシアの王国のためにこの大使の活動に携わることによって,コロサイ人は王国の実を生み出していました。彼らは,「その実を生み出す国民」の一部であることを証明していました。生来の,割礼を受けたイスラエルの国民から取り去られた「王国」はいまや,それらコロサイ人のクリスチャンたちが属していた霊的イスラエルの国民に与えられていました。(マタイ 21:43)「王国のことば」,「神のことば」の象徴的な「種」は彼らの心にまかれていました。そして彼らの心はりっぱな土だったので,彼らは自分たちの心にまかれたものと同種のものを産出していました。つまり,彼らもまた「王国のことば」を他の人びとに,すなわちコロサイ会衆外の人びとにもたらし,宣べ伝え,教えていたのです。―マタイ 13:19。ルカ 8:11,15。

      25 コロサイ人が示した模範を考えるとき,わたしたちには,戦争に悩まされた世紀についてどんな質問が湧いてきますか。わたしたちは何に対して神に感謝するでしょうか。

      25 西暦1世紀の昔に,小アジアのコロサイにあったクリスチャン会衆に関連して,見習う価値のあるすぐれた模範が示されました。戦争に悩まされた20世紀の今日においてもそれは繰り返されているでしょうか。もしそうであれば,それはわたしたちが,宗教的状態にかんして神に祈るときに,使徒パウロのように,「いつもわたしたちの主イエス・キリストの父なる神に感謝」する理由となるでしょう。

  • 良いたよりを語り告げるわざは世界じゅうで実を結んでいる
    ものみの塔 1974 | 2月15日
    • 良いたよりを語り告げるわざは世界じゅうで実を結んでいる

      1 西暦1世紀に生じた身の毛のよだつような事件はどの事件でしたか。その事件が世界中に知られる前に,何が世界中に宣べ伝えられていましたか。

      西暦の始まった第1世紀における,身の毛のよだつような最も恐ろしい事件は,西暦64年のローマの大火ではなく,西暦70年のエルサレム市の攻囲と破壊でした。ローマの将軍チツスは,要害堅固なその町に対してめざましい勝利を収めたため,西暦71年にローマに帰還したとき凱旋行進をもって報いられ,その栄誉を記念して凱旋門が建てられました。しかしながら,反逆したユダヤ人との血なまぐさい戦いは,彼らの最後のユダヤのとりでである,死海を見おろすマサダの要さいが,西暦73年に攻略されてはじめて終わりました。このことは,何万というユダヤ人が奴隷として売られるに及んで,世界中のユダヤ人に大きな恥辱と,非難と,宗教的ざせつ感をもたらしました。しかし,割礼を受けたユダヤ人に対するこの悪いニュースが世界中に知られる前に,永遠の喜びの良いたよりは,当時知られていた世界全体に広められていました。それは神のメシアの王国,地上のエルサレムに依存しない王国の良いたよりでした。

      2 (イ)その西暦1世紀に良いたよりを広めたのはどんな人たちでしたか。(ロ)ローマが焼ける前,キリスト教は東から西にどのくらい広まっていましたか。

      2 その西暦1世紀に良いたよりを広めたのはどんな人たちだったでしょうか。それは,エルサレムを自分たちの宗教的中心地と見ていた,割礼のある生来のユダヤ人ではありませんでした。それは,皇帝ネロから,ローマを焼いたというぬれぎぬを着せられていた人びと,つまりシリアの町アンティオキアにおいて初めてクリスチャンと呼ばれた,平和で何の害も働かないキリストの追随

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする