ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 人種間に見られる著しい相違
    目ざめよ! 1978 | 1月8日
    • 人種間に見られる著しい相違

      1955年,ドイツ,ニュルンベルクにおける国際的な集まりでのことです。アメリカから来た黒人の夫婦のまわりにヨーロッパ人の人がきができました。彼らがこの夫婦の来たことを喜んでいる様子はありありと見えました。彼らは二人の皮膚をなで,髪の毛に手を触れてみました。明らかに彼らはそれまで黒人を見たことがなく,その著しい相違に興味をそそられたのでしょう。黒人の夫婦は暖かく迎えられたことを喜びました。しかし彼らの故国では何世紀にもわたって培われた黒人に対する態度が,全く異なる情況をつくり出していました。

      ニューヨーク市でも良い場所に越して来た黒人のスペンサー一家を考えてごらんなさい。それは1975年の大みそかの事です。彼らの家にパイプ爆弾が投げ込まれ,それには「くろんぼ,今にひどい目に遭うぞ」と書かれたメモが付けられていました。「これは一家皆殺しを図ったものである」と,捜査にあたった警官は語りました。

      後日,白人の住民と話し合ったレポーターはこう説明しています。「あなたがたは黒人がここに住むことをなぜ好まないのですか。わたしはその答えをしきりに催促しました。『もし本当に知りたいのならば』と,旗を持った男は答えました。『根本的に言って彼らは野蛮だ。彼らの行くところ,必ず犯罪が増え,近隣の関係は崩壊し,白人は去らなければならない』」。

      黒人との交際について多くの白人はこれとは違ったふうに感じており,彼らと友好関係を培っています。米国南部においては人種関係を改善する面で大きな進歩が見られました。多くの学校や他の公共施設では人種による差別がなくなりました。それでもなお多くの人は,人種間の相違が非常に大きい以上,人種差別は当然と考えています。

      人種差別の根拠?

      1954年に米国最高裁判所は,公立学校における人種差別を非とする判決を下しました。しかし多くの米国人はこの判決に同意していません。また公立学校区における人種差別の「即時」撤廃を命じた1969年の最高裁判所命令にも同意していません。これは黒人が圧倒的に多い学校に通う黒人の子供の率を見ると1954年におけるよりも1960年代の終わり頃のほうが大きいという事実によって裏書きされます。

      また米国には,「人種の類別だけを根拠として人の婚姻を妨げる」のは違憲であるとした最高裁の1967年の裁定に同意しない人が大ぜいいます。異人種間の結婚を禁じた米国内のすべての法律は,この裁定により無効となりました。それでも黒人と白人は結婚すべきでないという言葉は,一般の人々の間でよく耳にします。

      教会で見られる事態は,人種間の相違のゆえに人種差別を当然と考える人が多いことをいっそう裏づけています。クリスチャン・センチュリー誌の編集者カイル・ハセルデンは1964年にこう書きました,「日曜日朝の11時は,米国人の生活の中で最も人種差別の徹底した時間である」。そして人種差別はなお根強く残っています。昨年,ジョージア州プレインズのバプテスト教会牧師は,「彼の辞職が,教会において人種差別を無くそうとした彼の努力に加えられた反動に端を発したものであると語」りました。―1977年2月22日付ニューヨーク・ポスト紙。

      人種関係の改善に著しい進歩が見られたとはいうものの,ある人々は最近その見聞きした事柄のゆえに懸念を抱いています。1976年4月28日号のクリスチャン・センチュリー誌上に,ある黒人は次のように書いています。「黒人と白人との関係が由々しいほど悪化していることに,わたしは不安それも非常な不安を感じている。黒人の友人たちもわたしと同様,いらだちと無力感を抱いている」。

      互いに敵意を燃やし,同じ人種の者がかたまって両極に分かれることがしばしば見られます。前述の筆者も次のことに注目しています。「エール大学の校庭を散歩していると,二人の白人の学生がわたしに加わった。黒人の学生が自分たちだけで食事をする生活を好み,白人の男子学生仲間とほとんど,あるいは全く交際しないので,我々は人種差別に追いやられていると,彼らは不平を言った」。

      どれほどの相違があるか

      実際のところ,人種間の相違はどれほど大きいものですか。それは人種を異にする人々が同等の立場で生活を共にし,互いの交わりを心から楽しむことを不可能にするほどのものですか。例えば,人種の異なる人々の間では知能に大きな隔たりがありますか。あるいは人種によって特有の体臭があり,黒人と白人が起居を共にするのは不愉快なことですか。

      確かに相違があるのは明らかです。中でも皮膚の色と毛髪の手触りはいちばん目につきます。また鼻の形,まぶた,唇にも相違が認められるでしょう。厚い唇は黒人に共通に見られ,一方,他の人種の人々の唇はもっと薄いのが普通です。

      それでも一部の白人は,彼らの言う「もっと重大な相違」を速やかに指摘します。前に触れたように,黒人は『根本的に言って野蛮』であるという主張がそれです。「彼らは道徳が低い」と言われています。黒人の間で私生児出生率の高いことが,この主張の根拠とされています。しかし一般に行なわれている説が他にもいろいろとあります。

      その一部を挙げると: 「黒人は家族をあまり世話しない」。そしてその証拠として黒人の家庭に離婚の多いことが指摘されています。「黒人が移って来ると犯罪も増える。近隣の関係が崩壊する」。この主張を裏づけるために,人は一般的に荒廃の程度が著しい黒人居住地や,人口と比べて黒人の間に犯罪が多いことを示す統計を指摘します。「黒人は白人よりも知能が低い」。社会的,経済的地位の点で同程度の白人と比べた場合,平均すると黒人は知能指数が低く,一般に学業の面で劣ることは事実です。

      しかしこのような比較をした場合,黒人があまりぱっとしないのはなぜですか。公民権に関する米国委員会の一出版物は,問題のありかに焦点をあてています。それは次のように述べていました。「白人でない人の地位」が明らかに劣っているのは「二つの要素に起因するに過ぎない。白人でない人が個人として劣っているのか,さもなければ米国において300年以上の間,白人の行なった人種差別のために,生来,白人と同等な彼らの才能が現実に表われるのを妨げられたか,そのいずれかである」―「米国における人種差別 ― それとどう戦うか」。

      あなたは何が答えであると思いますか。

      かつて広く行なわれた説

      黒人は個人として劣るという考えが,かつては広く行なわれていました。1884年の大英百科事典第9版には次のことが出ています。「純粋の黒人で科学者,詩人あるいは芸術家として秀でた人は一人もいない。基本的には黒人を同等と見る無知な人類学者の誤りは,歴史時代を通じての黒人種の全歴史によって証明されている」。また「黒人は生来,知能が劣っており,これは身体面での相違よりもいっそう著しい」とも述べられています。

      この百科事典によれば,黒人も白人も子供の時の知能に優劣の差はありません。「黒人の子供が全体として他の人種の子供と同じ知能を有することは,ほとんどすべての観察者によって認められている」。しかし黒人の場合は「頭蓋骨の骨化が早過ぎて脳のその後の発達を妨げてしまう」と言われていました。それで大英百科事典は次のように断言していたのです。「思春期に達すると,[黒人の]それ以上の進歩は抑えられてしまうようだ」。1882年のチェンバー百科事典は大英百科事典と同じ説をとっていないものの,「黒人は高等な猿と人類をつなぐ環を成す」という見方について述べています。

      今日でも,ある人々は黒人を個人として劣った者と見ています。その見方は消滅していません。ある人は自分が育った土地で一般にされていた見方についてこう書きました。「わたしが育った南部の田舎町では,黒人は神にのろわれており,そのために黒いのだと言われていました。……事実,黒人は結局のところ人間ではなくて動物界の一部であると言われていました」。

      今日,科学者の中にさえ,黒人は生物学的に白人に劣ると考えている人がいます。1974年,著名な教育者たちの賛同を得て権威ある書物の体裁を整えた大部の著作が,この見方を支持する論議をしていました。1974年4月6日付ガーディアン紙は著者ジョン・R・ベーカーについて次のように述べています。「文体によってかもし出される非常にいとわしいふんい気の中で受け取ると,『黒人種』をあまり知らない読者であれば,黒人が人間以下であるような印象を受けるに違いない引用と言及をデータに見せかけて随所に巧みに用いている。(例えば,『ロングによれば,黒人は「動物的あるいは臭いにおい」で区別される』)」。

      それで人種間の相違についてはどうですか。実際にそれはどれほど大きいものですか。

  • 人種的優越性なるものについて
    目ざめよ! 1978 | 1月8日
    • 人種的優越性なるものについて

      あなたは人種をどのように見ていますか。もっとはっきり言えば,白人を生まれつき黒人に勝るものと考えていますか。口でどのように答えるかは別として,あなたの態度と行動は何を示していますか。

      人はよく自分は人種的偏見を持っていないと言います。それでも民族的優越感を抱く人々の見方が長い間まかり通ってきたというのが実情です。それで黒人が生来,白人に劣っていて,永久に低い地位に甘んずるように定められているという考え方は,多くの人の間に根強く残っています。

      このような考え方はどこに端を発しているのでしょうか。またこれほど根強いのはなぜですか。

      宗教の役割

      白人を生まれつき勝った者とする現代の考え方は,アフリカの黒人を征服して奴隷にしたことに端を発しています。奴隷貿易には正当化が必要でした。それに従事した人々が自称クリスチャンであったため特にそう言えます。フランスの法学者また政治哲学者であったシャルル・デ・セコンダ・モンテスキューは,奴隷売買者の理屈をこう説明しています。「奴隷たちを人間と考えることは我々にとって不可能である。彼らが人間ということになれば,我々自身クリスチャンであるという事が当然疑われてくるからだ」。

      米国の自称クリスチャンも奴隷制度を正当化することが必要でした。南部の綿花栽培者の経済が黒人奴隷を所有することに依存していたからです。それで米国の一歴史家は次のように述べています。

      「南部諸州はこの慣行を聖書的に裏書きするために聖書をくまなく調べた。……奴隷制度は聖書の中で是認され,事実,命ぜられてさえいる,そして神によって定められた,また特に黒人を益する制度であるというのが,南部諸州のおきまりの論議であった」― クレメント・ウッド著「米国史大全」,217,337ページ。

      教会は率先して奴隷制度を正当化しました。黒人はのろわれた人種であり,そのために皮膚が黒いのであると教えられました。1844年にメソジスト教徒は奴隷制度をめぐって南北に分裂しました。バプテスト派は1845年そして同じ頃に長老派教会も政治的なメーソンディクソン線に沿って分裂しています。1902年に至ってさえ「“黒人は獣”かそれとも“神の像”か」という広く読まれた本が,セントルイスの一聖書館から出版されています。この本は「黒人が人類に属するものでない事を示す聖書および科学上の決定的な証拠」と題する章を含んでいます。

      それで教会の是認の下に,黒人は生まれつき白人に劣るものと見られてきました。大英百科事典は次のように嘆いています。「米国でクリスチャンの手により奴隷とされたのはアフリカ人にとって不幸な事であった。これら米国人は奴隷所有者の慣行を自分たちの信条と調和させることができないため,黒人の概念を鋳直して黒人を財産とみなすようになった。権利と自由を持つ人間とは見なかったのである」― 1971年版第16巻,200ページD。

      しかしこのような見方を擁護したのは教会だけではありません。この点では哲学者も科学者も同様でした。

      他の人々も白人の優越を擁護する

      1830年代に米国南部の哲学者たちは,人間が生来,不平等であるとの原理を確立しました。これは当時すでに南部のたいていの人が受け入れていた考えです。そして当時の米国で一流の自然人類学者ジョサイア・C・ノットは,この考えを生物学的に裏づけることを試みました。さまざまの人種は別々に進化したのであって,黒人はいっそうサルに近いという見方を一部の人々はするようになりました。証拠とされるある特徴を挙げて大英百科事典は次のような見解を述べています。「黒人は白人よりも低い進化の段階に位置しており,最も高等な類人猿にいっそう近いものと思われる」― 1911年版第19巻,344ページ。

      同様な考え方をしている人は,米国自然人類学協会の元会長チャールトン・S・クーン教授を含め,今日でもいます。同教授の主張によれば,人間の五つの人種は互いに交流することなく「別々にホモサピエンスに進化した。すなわち進化は一回ではなくて5回である」とされています。全米テレビ放送において一スポークスマンは,クーン教授が証拠を提出しており,黒人種は進化の段階において白人種よりも20万年おくれているとの立場をとっている」と公言しました。

      黒人に対してこのような考えが長い間抱かれてきたことを知る時,初期米国人が「万人は平等に創造されている」と言いながら,人間を劣等視する奴隷制度を是認していた訳を理解できます。ポール・B・ホートン,ジラルド・R・レズリー共著「社会問題の社会学」第3版は次のように説明しています。

      「『万人は平等に創造されている』との格言は黒人には適用されなかった。彼らは“財産”であって人間ではなかったからである。黒人を劣等者として扱うことを正当化するため,聖書に記されたハム族ののろい,不完全あるいは別個の進化,地理的決定論,知能テストの証拠などの論理が次々と提出された。このような考えが信じられている限り ― そしてたいていの人はそれを信じきっていた ― 差別を行なう一方で民主主義の理想を唱えることに何の不都合もなかった」。

      黒人は「人間でない」などと主張する人は,今日ではまずいないでしょう。それでも多くの人は,黒人が生来劣った者であると今なお信じています。彼らの高い文盲率と犯罪発生率,低い経済的,社会的地位そして特に知能テストの成績の概して低いことが,生物学的に見て黒人の劣る“証拠”であると考えられています。しかしこの証拠は生物学的に劣ることを本当に証明するものですか。白人と比べた場合,黒人が概して白人に及ばないのは,環境の面で何か理由がありますか。

      米国の黒人の起源

      アメリカ黒人のアフリカにおける先祖は文化あるいは文明を持たない野蛮人であったと考えている人が米国には多くいます。彼らは知性に乏しく,子供のようで,込み入った事柄を成し遂げたり,あるいは進んだ文明を発達させる能力に欠けていると考えられています。しかしワールドブック百科事典の説明によると,事実はそうではありません。

      「何百年も前にアフリカ各地には,高度に発達した黒人の王国が存在していた。……黒人の王や貴族の中には,富と栄誉をほしいままにした人々もいた。彼らの首都は時として文化と交易の中心地になった。1200年から1600年の間に西アフリカのチンブクツには黒人とアラビア人の大学が栄え,スペイン,北アフリカ,中東にその名を高くしていた」― 1973年版第14巻,106,107ページ。

      アフリカの文化がヨーロッパのものとかなり異なるのは事実です。しかし異なるという点では東洋の文化も同じです。また不幸なことにある人々は異なる事と劣る事とを同一視しています。しかしそれと同時にアフリカ人の生活と文化が最近の世紀において抑えられたことも否定できません。進歩の停止,一種の退歩が見られました。しかしなぜですか。

      その理由は主として奴隷売買のためです。これについてアメリカ百科事典に次の記述がありました。「それは黒人の文化と産業の組織を破壊し,芸術の進歩を阻止し,政府を覆し,1600年以来の暗黒大陸を特色づけた,現代における文化の停滞を招いた」― 1927年版第20巻,47ページ。

      奴隷売買の規模と,それがアフリカの社会に及ぼした衝撃は想像を絶するものです。1976年版新大英百科事典によれば,「船に乗せられて大西洋を渡った奴隷の人数は3,000万人から1億人に上るものと推定され」ています。もっと内輪の推定ではその数を「約1,500万人」としています。しかしこの少ないほうの人数でさえも驚くべきものです。死亡した人の数を考慮に入れるならば特にそう言えます。

      アフリカ人を捕えることは白人が直接に行なった場合と,戦争や狩込みによって黒人が同胞を捕え,これを白人の奴隷商人に売った場合と両方あることを認めねばなりません。最初の責任がだれにあったにせよ,捕えられた者たちは海岸へと行進させられ,船積み地点に抑留されました。それから二人ずつ鎖でつながれ,船倉に詰め込まれたのです。そこはやっと横になれるだけの広さしかなく,光も新鮮な空気もないまま彼らは,大西洋を渡る50日間の航海の大部分をそこで過ごしました。捕えられた者たちの約三分の一は船に乗せられるところまで行かないうちに死亡したものと推定されています。そしてもう三分の一が航海中に死亡しました。

      鉱山や大農園で働く奴隷が西インド諸島と南アメリカに初めて連れて来られたのは,1500年代の初めでした。1619年にはオランダの奴隷船が北アメリカに初めて黒人をもたらしました。しかし彼らは奴隷としてではなく契約労働者として連れて来られたのです。しかし1600年代の後の時期に奴隷制度は確立され,やがて米国に約400万人の黒人奴隷を数えるまでになりました。

      奴隷制度が彼らに被らせたもの

      アフリカ人は西インド諸島にまず連れて行かれるのが普通でした。そこで彼らは“慣らされ”,奴隷として仕込まれてからアメリカに船で送られたのです。集団的な反抗を防ぐため,同じ部族の出身者を別々にする方策か採られました。家族でさえも引き離され,売買人や新しい主人によって新しい名前が奴隷に与えられました。黒人を卑屈にさせ,従順にならせることが目的とされました。そうする過程において彼らの人格はゆがめられ,知性は抑圧され,そして反抗の空しいことを悟った時に,多くの場合,黒人は自分たちが劣等者であるかのように振舞い始めたのです。

      黒人を完全に服従させ,またそれを確実にするために奴隷抑制法が制定されました。アメリカ百科事典に次の事が出ています。

      「奴隷は,財産を所有すること,火器を所持すること,商業に従事すること,主人の許しを得ずに農園を離れること,他の黒人に不利な証言をする以外に法廷で証言すること,契約を結ぶこと,読み書きを習うこと,あるいは白人の同席なしに集会を開くことができなかった。……白人が奴隷または解放された黒人を殺しても,あるいは強姦しても,それは重大な犯罪とはみなされなかった」― 1959年版第20巻,67ページ。

      奴隷所有の行なわれていた州の大多数において,黒人に読み書きを教えると,罰金,むち打ち,投獄のいずれかの刑を課せられたのです。

      1808年に米国では奴隷売買が禁止されました。しかし法律を無視して売買は続けられました。奴隷の需要はそれまで以上に大きかったからです。これは遂に邪道の極み ― 売るために奴隷を生産するという結果になりました。アメリカ百科事典は次のように説明しています。

      「もうけの多い大規模な国内奴隷売買が発達した。それには奴隷制度の最も残酷かつ冷酷な一面が伴っていた。古くからの州では,さらに南の州で売るために奴隷を繁殖させたこと,家族の者を別々に売って家族のきずなを絶えず引き裂いたことなどがそれである」― 1959年版第20巻,67ページ。

      黒人は「人間ではない」という考え方のため,遂には家畜と同様,彼らを繁殖させて売ることまで行なわれるに至ったのです。次いで1865年に米国の奴隷制度は突然に廃止されました。それでも従来からの態度は根強く残り,差別のための法律や他の手段によって黒人は“彼らの立場”― 白人への隷属という地位 ― に置かれたままでした。

      絞首刑という私的制裁は支配のための重要な手段のひとつでした。1890年から1900年までの間に年平均166件のリンチが行なわれました。またアメリカ百科事典に次の記述が見えます。「白人男子が黒人の女を性的に利用することは,ひきつづき大目に見られた。黒人は警察の手で,また多くの場合,法廷においてもはなはだしく不公平で差別のある扱いをされた」― 1959年版第20巻,70ページ。

      これは古代史の話ですか。そうではありません。今生きている黒人で祖父母が奴隷であった人は大ぜいいます。そして今生きている人は,かつて奴隷であった人の口から当時の生活がどんなであったかを聞いているのです。1950年代に入ってもなお米国のマスコミは黒人を劣等者として描き,白人の従者という彼らの役割を動かし難いもののように扱っていました。

      しかし一般に黒人は雑誌にしてもテレビ,新聞にしても犯罪の場面以外には登場しませんでした。彼らは,二流の学校教育に甘んじ,ある種類の職業から閉め出され,白人ならば受けられる多くの恩典を与えられずに,至るところで差別されました。事実上どこにおいても機会のとびらは彼らに閉ざされ,境遇を改善する望みは多くの黒人から全く奪われていたのです。

      これらの実情に照らしてみる時,学業その他における黒人の成績が平均して白人と同じ程度に良いことを実際に期待できるでしょうか。ある一定の水準に達しないからといって,彼らを劣った民族であると考えるのは公正なことですか。彼らにも機会の開かれる時,何が見られますか。

      機会と動機づけ

      1947年以前の米国で野球の大リーグは黒人に門戸を閉ざしていました。その年,人種問題の緊張が高まるにつれて一人の黒人がプレーを許されました。ほどなくして黒人たちが野球界に頭角を表わし始め,1971年,ピッツバーグ・パイレイツが世界チャンピオンとなった年,守備についたこのチームの選手9人の全員が黒人であった試合もあります。他のスポーツにおいても同様な事態が見られ,今年のニューヨーク・タイムズ紙にも,「プロのバスケットボールは事実上,黒人の試合である」と書かれているほどです。

      これは何を意味するものですか。生物学的に見て黒人は身体面で白人に勝るという事ですか。それとも機会が開かれ,教育を授けられ,動機づけの与えられる時,黒人もひけをとらないという事ですか。明らかに後者のほうです。野球選手,音楽家,科学者,大学教授などの才能を生まれつき持っている人種がある訳ではありません。これらは学んで身につけるものです。

      生来,愚鈍な人種もあれば,侵略的で好戦的な人種もあり,さらには温和で卑屈な人種もあるなどと言って人種を型にはめるのは間違っています。人種それぞれにあるがままの姿は,特に彼らが受ける教育と訓練および動機づけに由来するものです。例えば,温和で屈従的なのが中国人生来の特性であると一般に考えられていました。しかし過去数十年間にわたり共産主義の下で異なる教育と動機づけを授けられた今日の中国人をそのように見る人はまずいないでしょう。

      とはいえ,生まれつき,生物学的に黒人は白人よりも知力の点で愚鈍であり,知能の劣る人種であるという考えが根強く残っています。はたしてその通りかどうか,確かな証拠がありますか。

      [9ページの図版]

      次ページのさし絵の中にある言葉: 右上,「黒人はいかが 署名者はバージニア州よりルムプキンに着いたばかりで,変化に富んだあらゆる色合いの,総数40名ばかりの,あつらいむきな黒人の一団を引き連れています。同人は針女,女中,作男をとりそろえ,いかなる買い手の注文にも応ずる自信があります。同人はこの地域の,それもほとんど当郡内において200名余の奴隷をすでに売っており,今までのところ顧客の満足を得ているものと自負しております。当市場において常に取り引きしている以上,表示を偽っても彼には何の得にもなりません。したがって売られる奴隷はすべて掛け値なしの優良な者ばかりであることを保証します。連絡は同人の競売室まで。 J・F・モーゼズ 1859年11月14日 ジョージア州ルムプキン」。

      中央,「わたしも人であり兄弟ではないのか」。

      左下,「黒人売りたし 次期公判の火曜日,11月29日に,価値ある八人家族の召使いを競売にかけます。内訳は次のとおりです。黒人の男で優秀な作男一人。17歳になる,飛び切り上等の少年で信頼の置ける下僕一人。上手なコック一人,女中一人,針女一人。残りは12歳未満の子供。彼らを売りに出すのは欠陥があるためでなく,私が北部へ行くことになったためです。また,家具や台所用品,馬屋用具一式なども数多くあります。条件に融通性あり。および,……は競売当日お知らせします。 ジェイコブ,P・J・ターンブル,……1859年10月28日」。

      [クレジット]

      ションブルグ黒人文化研究センター,ニューヨーク公立図書館,アスター,レノックス,ティルデン財団提供

  • 黒人よりも白人のほうが知能程度が高いか
    目ざめよ! 1978 | 1月8日
    • 黒人よりも白人のほうが知能程度が高いか

      その通り,と答える人は少なくありません。白人は,人種として,黒人よりも優れた知能を受け継いできていると言うのです。

      ノーベル物理学賞の受賞者ウイリアム・ショックリーは,それが事実であると強く主張し,こう語っています。「私の研究からすれば,アメリカの黒人に知的および社会的欠陥の見られる主要な原因は……元来人種的な遺伝によるものであるという見解を出さねばならない」。

      カリフォルニア大学バークリー校のアーサー・R・ジェンセン教授は,生物学的に言って,白人のほうが黒人よりも知能の点で優れている,という意見を唱える代表的な人物です。同教授は,「全体的に見て,白人よりも黒人のほうが,知能遺伝子の数は少ないようである」と述べています。

      そのような主張にはどんな根拠がありますか。

      その主張の根拠

      人種の相違は,遺伝と大いに関係があると指摘する人は少なくありません。黒人は,色の黒い皮膚,厚いくちびる,そして縮れ毛を受け継ぎ,白人は全く異なった特徴を受け継ぎました。ですから,一群の人々がそれほど異なった身体的特質を受け継いだのであれば,人種によって異なった度合の知能を受け継ぐのは当然である,と論じる人もいます。しかし,本当にそうなのでしょうか。人種として黒人の受け継ぐ知能は白人のそれよりも劣っていると言われるのはなぜですか。

      それは,主に,知能指数(IQ)検査の結果によります。こうした検査の結果を見ると,黒人の知能指数を白人の知能指数と比べると,平均15ほど低くなります。社会および経済上の地位のほとんど変わらない白人と黒人を検査した場合でさえ,平均すると白人の知能指数のほうが黒人の知能指数よりもはるかに優れています。そのような証拠からジェンセンは,「アメリカの黒人と白人の平均知能指数の相違の二分の一ないし四分の三ほどは,遺伝的な要素による」と結論しています。

      知能検査の結果が進化論に基づく結論と結び付いて,黒人の知能は劣っているという多くの人々の意見を強めてきました。科学者の中には,人種は幾十万年もの間かなりの程度別個に進化してきた,と論ずる人もいます。黒人は白人よりも遅く,ホモサピエンスの類に入る進化論上の戸口を通過したのだ,と言うのです。

      黒人の知能が遺伝的に白人よりも劣っているという主張の主な根拠は今日の知能検査にあるのですから,その検査について調べてみましょう。

      知能と知能検査

      まず最初に,知能とは一体何を意味しているのでしょうか。

      これは意外に難しい質問です。知能と呼ばれるものには,非常に多くの異なった特質の含まれることがあります。人は,名前や日付を容易に覚えられるなど,ある面では“知能的”であっても,数学の問題を解くなど,別の面では“足りない”ところを見せるかもしれません。ですから,何をもって知能と言うか,普遍的に受け入れられる定義はありません。

      では,知能検査はどうですか。その検査によって,知能を測定することができますか。英国のリーズ大学の精神物理学教授パトリック・メレディスはこの点に関して,次のように注解を述べています。「フランス人はピグミー族より頭が良いとされているかもしれない。しかし,ピグミー族が自分たちの自然環境の中で,繊維を用いて橋を作り,首尾よく生活しているのを見ると,知能とは一体何なのかと自問したくなる。知能指数は,一定の情況の下で人がどのように行動するかを示すものではない。知能検査は全く非科学的な概念である」。

      知能検査では知能に含まれる数多くの要素の全容を把握できないということは,一般にも認められています。人々の境遇や背景があまりにも多岐にわたるため,知能の全容を把握できないのです。では,知能検査は何を測定するものなのでしょうか。

      米国南部のある大学の心理学教授アーサー・ウィンビーは,「様々な研究結果から,知能検査は先天的な知力を測定するのではなく,教室や家庭で教え込むことのできる技能を測定するものだ,という結論に到達する」と語っています。

      この点を確証するものとして,知能検査の受け方を教えられると,めざましい結果の得られることが示されました。一調査員の報告によると,ミシシッピ州に住む一人の黒人学生は,そのような検査の受け方について指導を受けたところ,六週間で知能指数を飛躍的に向上させました。

      人は知能指数に基づいて誤った結論を出す場合があり,それが大きな影響を及ぼしかねないことは容易に想像できます。今では大学教授になっている,アメリカの一黒人は次のように書いています。

      「15歳の時,私の知能指数は82だった。……この知能指数に基づいて,指導教師はれんが工になるよう私に勧めた。『手先が器用』だから,というのがその理由であった。……それでも私はフィランダー・スミス大学へ行き,同校を優等で卒業し,州立ウェイン大学で修士号を,そしてセントルイスのワシントン大学で博士号を得た。私と同じほどの能力のあった他の黒人たちはまっ殺されてしまった」。

      しかし,知能検査で白人の知能指数が黒人を平均して15上回るという事実は厳として消えません。それはなぜでしょうか。黒人には生来白人と同じほどの知能があると論ずるなら,どうして黒人の知能指数が白人の知能指数を上回らないのですか。

      情況に照らして問題を検討する

      黒人の平均知能指数が低いことには数多くの要素が関係しています。特にアメリカの黒人は,白人よりも劣った,好ましくない者として扱われた結果,非常に不利な立場に置かれています。米国の前連邦最高裁判所長官アール・ウォーレンは,アトランティック誌の1977年4月号の中で,人種に対する現代の態度を例示しています。

      1950年代の半ばごろ,最高裁判所で学校での人種の分離に関する判決が下されようとしていたとき,米国のアイゼンハワー大統領は,分離法維持に好意的な判決を下すよう影響を及ぼすため,ウォーレンをホワイトハウスの晩さんに招きました。ウォーレンは次のように書いています。「大統領は私に腕を回し,歩きながら南部諸州の差別問題について話し,こう語った。『あの人たち[南部人たち]は別に悪い人たちではない。ただ,自分たちのかわいい娘が学校で大きな黒人の隣りに座らなくてもいいようにしてやりたいと思っているだけなのだ』」。

      この大統領の言葉に表わされているように,白人は一般に,“黒人に身のほどをわきまえさせる”よう努めてきました。それは,白人の享受している様々な益を受けられない,差別された,従属の地位です。奴隷制の時代,およびその後差別が法的に認められていた時代に,そうすることは比較的容易でした。反抗的な黒人は,むち打ちやリンチやその他の方法で処罰されました。その結果,子供のような,屈従的で,物わかりの悪い“サンボ”のような人格が形成されました。白人は一般に,黒人がこうした人格を遺伝的に受け継いできたと考えてきました。しかし,ハーバード大学のトーマス・F・ピティグリュー教授はこう説明しています。

      「アフリカ人に関する人類学的データで,サンボのような型の人格を示すものは何もない。また,[ナチ・ドイツの]強制収容所は,様々な民族に属する白人の囚人にも同様の人格を形成させた。またサンボは単に抽象的な意味での“奴隷制”の所産なのでもない。米国の場合ほど害のなかったラテン・アメリカの[奴隷]制度は,そのような型の人格を生み出さなかったからである」。

      ですから,知能検査の結果は,300年に及ぶ抑圧というこの情況に照らして検討しなければなりません。その期間に,黒人の多くは,自らを守って生き抜くために,屈従的な人格を身に着けていったのです。そして,19世紀の後半までは,米国内の多くの土地で,黒人が読み書きを学ぶのは違法とされていたことを忘れてはなりません。それ以後も,黒人は全体として,白人と同等の教育を受ける機会に恵まれませんでした。

      環境の影響

      就学前の家庭教育の質も,知力の形成に直接関係しています。米国では,子供たちが学校に上がる前の五歳の時点で,すでに白人と黒人の知能指数の差である15がそのまま出ているのは興味深いことです。中には,これをもって黒人は生まれつき白人より知能が劣っている証拠だと唱える人もいますが,ほかにも要因のあることを示す証拠があります。

      幼年期は,知的成長にとって大切な期間です。シカゴ大学のベンジャミン・ブルーム博士および他の教育者たちの説によれば,子供は5歳になるまでに,その後の13年間に匹敵するほどの知的成長を遂げています。そのような結論に同調するものとして,サイエンス・ニューズ・レター誌はこう論評しています。「幼年期に子供の知能は,学んだり探求したりすることを促す,反応しやすい環境に大いに影響される場合がある」。

      しかし,アメリカの黒人の多くが置かれている家庭環境を考えてみてください。黒人の家族は,白人の家族に比べて多くの場合に,一家が離れ離れになっています。父親は大抵家にいません。勤め口を捜してほかの土地へ行かねばならないのでしょう。多くの黒人家庭では,母親独りで子供を育ててゆかねばならないのです。そのような環境の下で,白人に匹敵するような知力を形成させる,幼年期の教育的訓練が受けられると思いますか。

      さらに,最近の調査の示すところによると,黒人白人を問わず,親が子供たちに個人的な注意を十分に向けてやれない大家族では,子供たちの知能指数が低くなっています。黒人の家族は平均的に見て白人の家族よりも大きいので,それも黒人の知的能力が低いことの一因となっているのかもしれません。

      考慮すべき別の要素は,家庭環境が異なっているという点です。白人と黒人の文化には相当の開きがあります。そして伝統的な知能検査には,白人に有利な文化的偏見が確かにあります。例えば,絵を用いるスタンフォード-ビネー検査では,取り澄ました白人女性と,黒人の容ぼうをした,余り髪の手入れの良くない女性を見せられます。子供が“美しい”ものとして,白人女性を選べば“正解”とされ,黒人を選べば“誤り”とされます。

      忘れてはならない別の事柄は,数多くの黒人の知能指数が,白人全体の平均知能指数をはるかに上回っているという点です。事実,第一次世界大戦中,米国北部のある地方出身の黒人たちは,知能検査で,南部のある地方出身の白人たちよりも高い知能指数を示しました。これは,黒人が生まれつき白人よりも知能が劣っていないことを示しています。アメリカの生物学者テオドシウス・ドブザンスキーは,事実を明らかにする次のような所見を述べています。「平均してみると人種間の相違は,各人種内の個々の人の間の差よりもずっと小さい。言い換えれば,どの人種であれ,脳が大きく,知能指数の高い人は脳の大きさや知能指数の点で,自分の属する人種や他の人種の平均値をもしのいでいる」。

      医師で大学教授でもあるロバート・カンクロの編集した,「知能 ― 遺伝および環境の影響」という本は,黒人の知力が低い一因として,環境面の要素を,かなりの紙面を割いて検討しています。黒人の経験してきた不利な状況すべてを考え,筆者はこう結論しています。「アメリカの黒人の平均知能指数がアメリカの白人の平均にわずか15及ばないだけであるということは本当に驚くべきである。この相違が生物学的に必然的であるとみなす理由は全くない」。

      著名な人類学者アッシュリー・モンターギュは同様の結論に到達しました。彼はこう書いています。「栄養が悪く,健康管理が不十分で,住居の質がひどく,家族の収入が少なく,家庭の崩壊が行き渡り,懲らしめが与えられず,どちらかと言えばゲットーに完全に閉じ込められ,個人としての価値が常に卑しめられ,ほとんど何の見込みもなく,願望はざ折し,その他の様々な環境面の不利な条件を抱えていれば,大抵の場合に遺伝的な要素のせいにされる,知能面での欠陥が必然的に生ずるはずである」。

      モンターギュは結論として,「どんな人種も,いかなる仕方であれ,生物学的あるいは精神的に他の人種よりも優れているとか劣っているとかいうようなことはない」と述べています。

      しかし,人種間の平均知能指数の差は,白人が黒人よりも優れた知能を受け継いだためではないことを示す証拠がありますか。

      証拠から導き出せる結論

      白人が黒人よりも優れた知能を受け継いだことを示す証拠も,そうでないことを示す証拠もありません。しかし,はっきり言えるのは,環境が知的成長に大きな影響を及ぼすということです。例えばイスラエルの恵まれない東洋系ユダヤ人の子供で,キブツと呼ばれる生活共同体に入れられ,集団で育てられた子供は,同じような背景を持って生まれて自分の親たちに育てられた子供より高い知能指数を示しました。また,白人の養家で育てられたアメリカ・インディアンの子供たちは,インディアン保護特別保留地にいる自分の兄弟や姉妹たちよりもかなり高い知能指数を示しました。しかし,黒人に関しても同じことが言えるでしょうか。

      白人家庭で育てられた黒人の子供たちに関する最近の調査は,黒人の場合も同様であることを明らかにしています。幼いうちに黒人の子供を養子にして自宅で育てた,百余りの白人家庭をも対象にしていたその調査は,それら養子にされた黒人の知能指数が白人と比較しても引けを取らないことを示しています。調査に従事した人々は,「全般的に見て,我々の調査は環境的要素の効力を印象づけるものであった。……もし異なった環境が黒人の子供たちの知能指数を平均90ないし95から110へ引き上げることができるなら,遺伝決定論者の推進する見解は,黒人と白人の間に現在見られる知能指数の隔たりを説明するものではなくなる」と書いています。

      ですから科学的な見解は,黒人の平均知能指数の低いことの原因すべてとは言わないまでも,その大半は環境的な要素によって説明できるとしているようです。ニューヨークの人口協議会のフレデリック・オスボーンは,「人種の生物学的および社会学的意味」という本の中で次のように要約しています。「今日まで行なわれてきた諸調査から引き出せる結論はただ一つしかない。主な人種間の知能検査の結果に見られる違いは,その環境に関して知られている相違に起因する違いよりも大きいものではない。この点に関しては,科学的に意見の全般的な一致を見ている」。

      黒人への機会が開かれるにつれて,事業,教育,医学などの分野で成功を収める黒人が増加しているのは興味深いことです。

      しかし,人種間の知能の比較という問題について,明確な答えは出せないことを認めねばなりません。証拠は現在のところ決定的なものではなく,様々な解釈が引き出せます。一人の著述家の述べるとおりです。「同じ証拠から,百の異なった結論を出すことができ,実際に出されてきた。人の到達する結論は,理性と同じほど感情に左右される」。

      それでは,黒人は白人よりも知能程度が低いことを証明しようとして,どうして知能指数の問題を取り上げるのですか。英国のオープン大学の生物学教授スティーブン・ローズは,ある人々がそれを取り上げる理由をこう説明しています。「知能指数の人種的および階級的相違に関する遺伝学的な根拠の問題は,……自分たちの差別的な慣行を観念学的に正当化しようとする人種差別的社会あるいは階級差別的な社会においてしか意味をなさない」。

      黒人が遺伝的に低い知能を受け継いでいるという説に関して激しい論争があった結果,全米科学アカデミーは次のように言明しました。「黒人と白人の知能の間に,実質的な遺伝性の相違があるという説にも,ないという説にも,科学的な根拠は存在しない。環境のあらゆる面を平等化する方法など現在では予想もできないような方法がなければ,この問題の答えは理知的な推量の域を脱しない」。

      しかし,一つのことは確かです。それは,別の人種に属する人を劣った者とみなす確かな根拠はないということです。聖書は,人種の別を問わずわたしたちすべてに,「他の者が自分よりも上であると考えてへりくだった思い」を持つよう健全な助言を与えています。―フィリピ 2:3。

      しかし,人が聖書のこの優れた助言を当てはめるのを妨げる,根強い見解がまだあります。その顕著なものは,自分の属する人種以外の人種の人々には,不快な体臭があるという考えです。

      [13ページの拡大文]

      「ピグミー族が自分たちの自然環境の中で,繊維を用いて橋を作り,首尾よく生活しているのを見ると,知能とは一体何なのかと自問したくなる」。

      [15ページの拡大文]

      「第一次世界大戦中,米国北部のある地方出身の黒人たちは,知能検査で,南部のある地方出身の白人たちよりも高い知能指数を示しました」。

      [16ページの拡大文]

      「主な人種間の知能検査の結果に見られる違いは,その環境に関して知られている相違に起因する違いよりも大きいものではない」。

      [14ページの写真]

      子供の育った環境は知能の形成に大きな影響を及ぼす

  • 体臭と人種
    目ざめよ! 1978 | 1月8日
    • 体臭と人種

      それは1960年代初頭のある夏,アーカンソー州で起きたことでした。8歳と10歳ぐらいになる,二人の黒人の少女が,間もなく白人と同じ学校へ入学しようとしていました。それまで2人は,田舎の分離学校に通っていました。

      ある日のこと,この二人と友だちになった一人の白人女性が,小さい方の子供に,「パム,白人の子供と一緒に学校へ行くことをどう思っているの」と尋ねました。その子はためらいがちに,「分かんないわ。クルーダーさん,あなたのことではないんだけど,白人って,変なにおいがするのよ」と答え,先のことを予想して,小さな鼻にしわを寄せました。

      黒人は一般にそのような考えを持っています。子供たちは,自分たちの体験からというより,自分たちの聞いた事から,そのような考えを持つようです。しかし,白人は自分たちと異なるいやなにおいがする,というこの考えはどのようにして始まったのでしょうか。それは,黒人に関して白人が長い間抱いてきた見解に対する反動であるということも大いに考えられます。

      黒人が奴隷として使われ,財産の一部とみなされていた,過去の幾世紀もの間,白人はしばしば黒人の体臭について話してきました。ジョン・R・ベーカーは,新刊の自著「人種」の中で,次のように述べています。「過去の世紀の作家たちは,この問題に関して現代の作家たちよりもずっと自由に発言している。それで,ヘンリー・ホームは,自著『人間の歴史の短篇集』の中で,黒人の“どぎついにおい”について述べている。同じ年(1774年)に出版された作品,『ジャマイカの歴史』の中で,ロングは,『黒人すべてが多少にかかわらず持っている,獣のようないやなにおい』によって,黒人を識別できると述べている」。

      この見解は,白人の間で一般に受け入れられるようになりました。黒人は人間になる進化論上の戸口と言われるものを白人よりも後から通過し,生物学的に白人よりも劣っていると信じられてきたのですから,白人がそのような結論に達したとしても驚くには当たりません。

      広く受け入れられている信念

      しかし,他の人種には自分たちとは異なる,不快な体臭があると思い込んでいるのは,何も黒人と白人に限ったことではありません。メルビル・ジェーコブスとバーンハード・J・スターンは,共著「人類学概論」の中で,「人種の相違に関する概念で,各人種にはそれぞれ独特のにおいがあるという概念ほど広く信じられているものは少ない」と述べています。

      その一例として,過去の幾世紀にもわたり,ユダヤ人特有のにおいについて多くのことが書かれてきました。また,日本の解剖学者,足立文太郎も,ヨーロッパ人の体臭がとても鼻につくと感じたことを書いています。それは彼がヨーロッパに住むようになったときの第一印象でしたが,後日,そのにおいにも慣れ,かえってそれが好きになった,と語っています。

      インドのボンベイに赴任した一人の英国人医師に関して語られた経験も啓発的です。この人は,医師としての自分の重要さを教会員に印象づけるため,毎日曜日の朝,インド人の召使いに,自分を呼びに教会まで来させました。ある日,この医師はインド人の大きな政治集会に出席しましたが,少ししてからその場を離れました。そして,召使いに,「ああ,あそこから抜け出せてほっとした。あと10分もあそこにいたら,参ってしまうところだった。ひどいにおいだ」と説明しました。すると召使いは,「さあ,ご主人様,これで毎日曜日の朝,教会の真っただ中へ入って行って,ご主人様を呼び出すのが,わたしにとってどれほどつらいかお分かりになったでしょう」と答えました。

      では,どんな結論を出すべきでしょうか。別の人種にはにおいがあるなどという考えは,想像の所産にすぎないという結論ですか。もしそうでないとすれば,ある人種に他とは異なった体臭があるのはどうしてですか。それは人種として受け継いだものなのでしょうか。

      体臭は確かにある ― なぜか

      体臭というものの存在を否定する人はいません。デオドラントや発汗抑制薬品などの膨大な売り上げは,そのことを証明しています。そして,黒人と白人の別を問わず,他の人々に不快感を与える強い体臭の持ち主がいることは明らかです。なぜでしょうか。こうした体臭の原因は何ですか。

      ある人々は汗そのものが原因であると考えるかもしれませんが,そうではないようです。種々の実験は,体から出る汗には菌がおらず,においもないことを示しています。バクテリアが汗に働きかけることにより,においが出るのです。

      毛,特にわき毛は,汗の集積所となり,いやなにおいを引き起こすバクテリアの成育に絶好の場所となります。衣服も一つの要因となります。微生物が服に付着し,汗と一緒になり,その結果,体臭の元となる,バクテリアによる分解が起きるからです。

      人が常食とする食べ物も体臭の一因となっています。ジェーコブスとスターンは,「人類学概論」の中で,こう述べています。「化学者に知られているにおいの中でも特に臭気の強いものは,吉草酸と酪酸およびそれらと関連した化合物である。これらの物質は,前の時間に牛乳,バター,チーズ,および様々な種類の脂肪を消化した人すべての皮膚から蒸発して出てゆく。……にんにくをよく食べる国民も別の独特なにおいがする。玉ねぎも別のにおいをかもし出し,サケのくん製,シカ肉,ニシンの酢漬け,そしてやまいもなどはさらに別のにおいの原因になる」。

      しかし,上記のような要素が体臭の原因となっているという証拠があるにもかかわらず,依然として,体臭は特に人種的な遺伝のせいであると考える人は少なくありません。J・W・ジョンソンは,自著「こちらへどうぞ」の中で,この問題に関して自分が交わした興味深いやり取りについて書き,こう説明しています。「ある時,一人の男が立ち上がって,『率直にお尋ねしますが,黒人に対して不快感を抱く主な原因は,そのいやなにおいにあるのではありませんか』と言った」。

      著者はこう述べています。「それに答えて,私はいやなにおいのする黒人が大勢いることを認めた。しかし,私は質問者に,“体臭”に関する,高価な雑誌の広告は専ら黒人の顧客を対象にしていると考えるか,と切り返した。そうした広告の写真に載っているのは,比較的美しい白人の女性であるので,黒人を対象にしているとは思わないと私は述べた」。

      しかし,特定の食物を常食とし,特定の生活様式に従って生活していれば,黒人の地域社会も白人の地域社会も全体として不快なにおいがするはずではありませんか。その通りです。奴隷船の船倉に幾週間も閉じ込められていた黒人たちは非常にいやなにおいがしました。また,畑仕事をしていながら,定期的に入浴することのなかった多くの黒人奴隷の場合も同じです。今日でも,黒人と白人の別を問わず,衛生状態が悪く,その常食が他の人々が普通に食べる物とは異なっているような階級に属する人々がいます。そうした人々は,普段その周囲にいない人々からすれば,大抵の場合,異なった,不快なにおいがします。しかし,それだからと言って,すべての黒人,あるいはすべての白人にそのようなにおいがあるわけではありません。

      しかし,大学の学者でさえ,体臭は人種間の相違の中でも特に際立ったものであると主張しています。この説が真実でないことを示す証拠がありますか。

      実験の示唆する事柄

      その答えを出すために,幾つかの実験が行なわれました。人種心理学の分野では指導的な権威者である,オットー・クラインバーグ教授は,未発表の研究結果について語っています。実験者は,体育館で運動してきたばかりの,白人と黒人の学生の汗を試験管に集めました。それから白人の審査員に試験管が渡され,彼らはそれをにおいのましな順に評価するよう求められました。

      クラインバーグはこう報告しています。「その結果は,必ずしも白人の汗のにおいのほうがましだったというわけではない。最もましなにおいの汗も,最も不快なにおいの汗も,白人からのものだった」。

      遺伝心理学ジャーナル誌の1950年版257ページから265ページは,別の実験について述べています。実験台になったのは二人の黒人と二人の白人でした。四人は皆,大学生で,同じ食堂で食事をし,ほとんど同じ宿舎で生活し,同じ学校活動に携わっていました。実験のために,四人は同じシャワー室を使ってシャワーを浴び,同じ種類の石けんを使いました。

      実験の前半では,四人はシャワーを浴びたばかりのところでした。そして,後半では,激しい運動をして汗をかいていました。実験は,どんな偶発的な要素が入り込むすきも,実験台となっている人を見分ける可能性も排除して行なわれました。シーツで覆われた,実験台となった人の体のどの部分のにおいをもかぐことを許された結果,合計59人の人々が715回判定を下しました。

      実験の結果,368回の判定,つまり全体の半分以上の判定に関して,審査員たちは「分からない」と記しました。こうして彼らは,白人と黒人の体臭を何らかの特色のあるものとして識別することは不可能だと認めました。そして,残る判定の半数近く,すなわち157回分については,体臭の源を識別できると考えた人は誤っていました。単なる当て推量でも,これと同じほどの正確さが得られていたことでしょう。

      興味深いことに,毎回体臭の源を識別できるという確信を示した審査員は59人中7人しかいませんでした。その人たちは,一度も「分からない」と記さずに,その確信のほどを示しました。しかし平均すると,その判定のうち正解は約半分にすぎませんでした。これも当て推量の結果を上回るものではありません。

      遺伝心理学ジャーナル誌上で報告をした,ジョージ・K・モーランはこう述べています。「我々の実験は,体臭に関して“人種的”相違があることを証明するものでも,否定するものでもない。しかし,そのような相違が存在するとしても,白人と黒人が食べ物,清潔さなどの点で同等になれば,白人がある程度信頼のできる正確さをもってにおいを識別できるという見解は,我々の得た証拠からして全く成り立たない」。

      偏見の役割

      不快な体臭の原因は,貧弱な衛生管理や常食であるというよりも,特に人種にあると全く誠実に考えている人は少なくありません。別の人種はいやなにおいがすると信じ込まされているため,実際には,そのようなにおいがあるのだと思い込んでいる,という可能性もあります。ハーバード大学の元心理学教授ゴードン・W・オールポートは,この点について論じ,次のように書いています。

      「においが連想を引き起こす力は強い。……自分が出会ったイタリア人とにんにくのにおいを,移民と安い香水を,密集した共同住宅と悪臭をひとたび関連づけてしまうと,今度そのにおいをかいだとき,イタリア人,移民,共同住宅居住者のことを連想する。イタリア人に会うとにんにくのにおいを連想し,実際にその“においがする”ことさえある。(そのような連想のもたらす)幻臭は珍しいものではない。この理由で,においの関連づけをした人は,黒人や移民はすべてにおうと言うのである」。

      人がいったんそのような見解を持ってしまうと,それを変えるのは大抵容易なことではありません。偏見は根深いものとなり得ますが,客観的に見ればこっけいな態度と言えます。例えば,「いやなにおいがするので」黒人が自分の家の近くに住むことを望まない,と語った婦人について考えてみてください。そう言いながら,この婦人は家で黒人が召使いとして自分のために働くことに何の異存もなかったのです。エール大学の元心理学教授ジョン・ドラードは,「そうした考えが存在しなかったとすれば,黒人のにおいが差別の対象になることもなかったとも十分考えられる」と述べましたが,これは実に当を得た言葉です。

      大英百科事典1971年版は,この問題について論じた後,次のような結論を出しています。「汗のにおいに著しい相違があるかどうかは疑わしい。種々の実験結果は,黒人と白人の汗を識別するのは極めて困難なことを示している。この問題は複雑であり,その上,少しでも違いを感知すると,すぐにそれを“人種的”な要因のせいにしようとする傾向が一般に見られる。しかし,多くの場合に,その相違は社会的要因および人種とは関係のない他の要因に端を発している」。

      証拠を検討する前に人を批判する人がいるのは残念なことです。しかし,証拠を検討した後でさえ,そうした見解に固執する人がいるのはさらに残念なことです。人種全体が偏見のゆえに差別されてきました。しかし,いかなる人種に属する人々に対してであれ,偏見,つまり差別意識を持つべき確かな根拠が本当にあるのでしょうか。

  • 人類は一つ
    目ざめよ! 1978 | 1月8日
    • 人類は一つ

      確かに,地球上には,身体的な特徴の著しく異なる様々な民族が存在しています。そのすべては同一の人類に属しており,人々は各人の真価に応じて受け入れられるべきであると考えておられますか。

      当然そうあるべきです。創造者は,わたしたちが人々に対してそうした見方を持つよう望んでおられます。どうしてそのことが分かりますか。神はご自分のしもべの一人である,クリスチャンの使徒パウロに霊感を与え,次のように語らせたからです。「世界とその中のすべてのものを作られた神(は)……すべての人に命と息とすべての物を与えておられ[ます]。そして,ひとりの人からすべての国の人を作って地の全面に住まわせ……ました」― 使徒 17:24-26。

      しかし,ある人種に属する人々は,他の人種に属する人々よりも神の目から見て貴重な存在ではありませんか。多くの人はそのように考えてきました。しかし,神の公平さの証拠を見せられた後,クリスチャンの使徒ペテロは,心を動かされてこう語りました。「わたしは,神が不公平なかたではなく,どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられるのだということがはっきりわかります」― 使徒 10:34,35。

      この言葉を信じておられますか。すべての人がこの言葉を信じているわけではありません。

      本当に一つの家族か

      中には,聖書を曲解し,聖書が,「黒人,下等な類人猿,そして四足獣は皆『一つの肉』すなわち『獣の肉』に属している」と教えていることを示そうとする人さえいます。チャールズ・キャロル教授は,自著「“黒人は獣”かそれとも“神の像”か」の中でそのような説を唱え,その本は20世紀の初頭に広く頒布されました。一方,進化論者の中には,黒人は『人間という種の中の下等な人種』であると唱える人もいます。

      しかし,黒人の中には全く異なった説を唱える人がいます。「ブラック・ナショナリズム ― アメリカにおける主体性の追求」という本はこう述べています。「白人はこの地球の元々の住民ではなく,黒人から“移植された”のである。……元来の人間(いわゆる黒人)と比べると,白人は肉体的にも,精神的にも劣っている。白人は黒人から移植されたゆえに,ひ弱である。白人こそ真の“有色”人種である。すなわち,黒い色という標準から外れている」。

      事実はどんなことを示していますか。わたしたちは本当に一つの人間家族なのでしょうか。わたしたちは一つの家族ではないという説にはいささかなりとも真理が含まれていますか。

      表面だけの相違

      血液や肉について考えてみてください。中には,黒人と白人の血液や肉は異なっていると論ずる人もいます。しかし,ワールドブック百科事典はこう述べています。「科学者たちによると,人体を構成する細胞は,どの民族のものであれ同じである。……同じように,生物学者は人間の血液と下等動物の血液を見分けることができる。しかし,人間の様々な血液型は,人類の中のあらゆる民族や人種の中に見いだされる」。

      黒人と白人の体の構造の違いについては多くの事が書かれてきました。しかし,事実はどうですか。人類学者アッシュリー・モンターギュは次のように書いています。「綿密な解剖学的研究は,身体的な相違がかなり表面的な特徴に限られていることを示しているようである。黒人の体から,皮膚,頭髪,鼻,そしてくちびるなど表面的な特徴すべてを除いてしまえば,単独の事例において,自分が黒人の体を扱っているのか,ヨーロッパ人の体を扱っているのか,断言できる解剖学者はいないと思う」。

      脳の大きさも,白人と黒人の間の根本的な相違の証拠として指摘されます。平均すると,黒人の脳は白人の脳よりもわずかばかり小さいと言うのです。しかし,たとえそうだとしても,脳の大きさの正常な範囲内での差が知能に影響を及ぼさないことは明らかです。もし影響を及ぼすとすれば,白人は,平均して白人よりも大きな脳を持っているエスキモー人やアメリカ・インディアンより知能が劣っていることになります。

      人種の間には,基本的に言ってそれほどの相違がないことを強調するため,ベントレー・グラス教授は,自著「遺伝子と人間」の中にこう書いています。「白人の遺伝子と黒人の遺伝子を比べると,普通の意味で著しく異なっているものは,すべてを合わせても,せいぜい六組である。しかし,白人や黒人各々の間で,遺伝子の数の相違がそれよりも大きくなることがよくあるという点に疑問の余地はない。この事実は,我々の抱く人種的偏見が生物学的に不条理であることを明らかにしている。……人種や民族の相違が存在するとすれば,それは心理的また社会的なものであって,決して遺伝的なものではない」。

      科学著述家アムラム・シェインフィールド著の新刊書,「遺伝と人間」の述べる次の言葉は注目に値します。「今や科学は,大抵の大きな宗教団体が長い間説いてきた事柄,すなわち,人間はどの人種に属していようと……同一の最初の人間の子孫である,ということを確証している」。

      そうであれば,皮膚の色や髪の毛の質など,目に見える相違が人種間に見られるのはなぜですか。

      人種間の相違がある理由

      最初の人間夫婦は,今日見られる人種の相違すべてを作り出す多くの要素をその遺伝的な構造の中に秘めていました。最初の人間夫婦は白人でも黒人でもなくその混血児のようであったか,あるいは現在様々な人種に見られる,膚の色を組み合わせたようなものだったとも考えられます。人類に関する初期の歴史的記録は,「民は一つで,みな同じ言葉である」と述べています。(創世 11:6,口語訳聖書)しかし,こうした状態は突然変化しました。

      人類家族の大半は,その歴史の初期に,政治・宗教上の目的で一つの場所にとどまろうとしました。この意図をくじくために,創造者は突然これらの人々に異なった言語を話させ,互いに理解できないようにされました。どんなことが起きたか,想像してみてください。

      言語の障壁で隔てられてしまった幾つもの小さなグループは,一つの民として意思の疎通を図れなくなりそれぞれが独自に移住してゆきました。人々が遠くへ離散してゆくにつれ,距離的な隔たりが意思の疎通を妨げる別の障壁となりました。言語と距離的な隔たりによって孤立したまま,各グループの子孫は増えてゆき,長期間を経て各々の“人種”の異なった特徴をさらに伸ばしてゆきました。しかし,親から子へと代々伝えられていったこれらの身体的な特徴は,いずれにしても,ある人種を別の人種より優れたもの,あるいは劣ったものとはしませんでした。―創世 11:7-10。

      実を言えば,こうした人種上の差異は実際のところ大きなものではありません。ハンプトン・L・カーソンが「遺伝と人間の生命」という本の中で,次のように書いているとおりです。「我々の直面する矛盾は,人間の各グループは外見が異なってはいるものの,そうした差異を一皮むけば根本的な類似性が現われるという点である」。

      では,人間すべてが本当に一つの家族の成員であるとすれば,どうして悲惨な人種問題が存在するのでしょうか。

      責任の所在

      神がわたしたち人間の先祖である最初の人間夫婦,アダムとエバを完全な者として造られたにもかかわらず,二人は自分の子孫に悪いスタートを切らせました。彼らは,神に対して意識的に反逆し,神の支配下から離脱することによって,子孫に悪いスタートを切らせたのです。神から切り離されたアダムとエバは,こうして不完全で,欠陥のある身となりました。その結果,二人はこの不完全さ ― 悪への傾向 ― を自分たちの子孫に伝えました。―ローマ 5:12。

      ですから,すべての人間には生まれつき欠陥があり,利己心や誇りを抱きやすい傾向があります。その上,最初の人間が神の統治から離脱した際,彼らは,聖書がサタン,あるいは悪魔と呼ぶ邪悪な霊の被造物の支配下に入りました。(啓示 12:9。コリント第二 4:4)偏見にさいなまれた,人類家族の今日に至るまでの歴史の根本には,こうした出来事があったのです。

      率直に言えば,サタンの支配下にある利己的で,不完全な人間たちが,悲惨な人種問題の原因となった,人種に関する偽りの教えすべてを広めてきたのです。

      あなたはどうしますか

      この世の流す偽りの情報の影響に屈して,他の人種の人々に対して誤った見解を持つこともできます。しかしまた,真理,特に神の言葉である聖書に基づいて自分の考え方を形作り,他の人種の人々に対して,健全で,ふさわしい見方を持つこともできます。

      長い間抱き続けてきた偏見を正すのは容易なことでない,というのはもっともなことです。そうした偏見が根強いこともあるからです。しかし,わたしたちの創造者であられるエホバ神を喜ばせるためには,仲間の人間に対するふさわしい見方を身につけ,そうした見方を保つことが肝要になります。わたしたちは,神の見方を念頭に置いておかねばなりません。それは,「どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられる」という見方です。―使徒 10:35。

      神が,裁きを行なうというご自分の約束を果たされるのは,遠い将来のことではありません。神は,人類世界全体の中で,人種を問わず,ご自分の意志に逆らう者すべてを含む,腐敗要素すべてを地球上からぬぐい去られます。義を行ない,神の是認を受ける人だけが,生きながらえます。(ヨハネ第一 2:17)聖書は,そのような人々の中に,「すべての国民と部族と民と国語の中から来た……大群衆」が含まれていることを保証しています。(啓示 7:9)これらの人々は皆一緒に,一つに結ばれた人間家族に属する兄弟姉妹として,平和と一致のうちに生活します。

      しかし,自らの内に人種的な偏見が深く刻み込まれているような人々はどうですか。そのような人々は,どうしたら自分の考え方を正すことができるでしょうか。

      [22ページの拡大文]

      「人間の様々な血液型は,人類の中のあらゆる民族や人種の中に見いだされる」。

      [22ページの拡大文]

      「今や科学は,大抵の大きな宗教団体が長い間説いてきた事柄,すなわち,人間はどの人種に属していようと……同一の最初の人間の子孫である,ということを確証している」。

      [23ページの拡大文]

      聖書はこう述べています。「どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられる」。

      [21ページの図版]

      『人間から皮膚,頭髪,鼻,そしてくちびるなど表面的な特徴すべてを除いてしまえば,解剖学者は自分が黒人の体を扱っているのか,ヨーロッパ人の体を扱っているのか断言できない』。

  • 彼らは人種問題の解決策を見いだした
    目ざめよ! 1978 | 1月8日
    • 彼らは人種問題の解決策を見いだした

      今日,生涯抱き続けてきた人種偏見を克服した人々が幾千幾万人もいます。彼らは,人類を常に苦しめてきた問題に対する解決策を見いだしました。どのようにですか。解決のかぎは,正しい教育,すなわち正確な情報を得ることにあります。

      このかぎがないとき,しばしば偏見が生じます。偏見とは早まった判断のことであり,関連した問題について実際に証拠を調べる前に下す判断のことです。それで,人は偏見のために他の人を差別する傾向があります。

      こと人種の問題となると,証拠はすでに調べてある,といった考えが往々にして見られます。そうした考えの人は,自分は正確な情報に基づいて行動している,と思っているかもしれません。しかし実際のところ,人々は大抵子供のころから,他の人種や国籍の人々について誤った情報を与えられています。その結果は実に悲しむべきものです。

      当事者の語った次の話はその点を明らかにしています。ある黒人は,人種偏見や人種差別の犠牲となることがどんなものかを語り,また,こうした問題の解決策を見いだしたことを述べています。しかし初めに,ある白人の話に注意を向けてみましょう。この話は,しばしば一つの世代から次の世代へと偏見が伝えられてゆくことを例証していますが,一方,人が正しい源から正確な情報を得るなら,健全な変化や益が得られることをも示しています。

      南部出身の白人は解決策を見いだす

      白人として生まれた私は,1920年代から1930年代に最南部地方で育ちました。人種差別は当時の国の法律はもとより,私の家族や近隣の白人たちの心の中にも刻み込まれていました。私たちは幼いころから,黒人は劣っている,という考えを教え込まれていたので,そうしたことを信じるのはごく当然のことでした。だれもがそう信じていたのです。さらに,私たちは成長するにつれ,その証拠と思わせるような事柄を知りました。第一に,黒人は黒い色をしています。どんなに洗っても,“のろわれた人種”であることを示すこの証拠はぬぐうことができない,と白人の大人たちは言いました。

      黒人に仕事が与えられる場合,必ず白人の監督がいて,何をすべきか,どのようにすべきかを指示したものです。「彼らは頭が悪いから,知的な仕事は何一つできない」というのがその理由でした。「黒人はサルと人間の中間に違いない。人間に似ているだけだ」といったことを私たちは教えられていたのです。

      学校へ行くようになると,こうした考えは進化論によって強められました。黒人は,単純で力の要る畑仕事か召使いにしか向かないのだから,“動物”も同然だ,と言って,黒人を嘲笑する人々がいました。神は確かにある人種を僕として創造され,余り利口ではないが,体力があり,炎天下での重労働にも耐えられるように創造された,と言う人さえいました。それで,時折り黒人が自己を主張し,神から課せられた任務から逃れようとするなら,“自分の持ち場”に戻らせるために,厳しくしかったり殴ったりしても構わないではないか,と言うのです。

      そうです,教会までがこうした態度を助長していました。黒人は崇拝のために私たちと共に集まることを許されていなかったのです。黒人には彼らの教会があり,それは大抵,綿畑の真ん中に建てられた小屋にすぎませんでした。黒人の行なう礼拝は,意味のある説教や日曜学校というより,むしろ大声で叫んだり歌ったりする集まりだ,と聞かされていました。

      うわさ話をする人々の間では,「動物より少しましな黒人の暮らし向き」がよく話題になりました。不品行や私生児の例がよく話し合われたものです。黒人の男女が新しい配偶者と暮らすために離婚手続きをしなくても,それを気にかける人はだれもいませんでした。それは黒人の考え方なのだ,というのです。ほんの数世代前,奴隷制が認められていた当時,黒人の家族が互いに引き離されて別の主人に売られたことや,体格の良い奴隷と自分の奴隷女とを一緒にならせ,奴隷市場で売るために子供を産ませた白人の主人がいたことについては,教えられていませんでした。

      私は以前,同じ年ごろの黒人の若者と,木を切り倒すために横引きのこを引いていたときのことを覚えています。彼の体が汗ばんできたとき,本当にいやなにおいがしました。黒人には独特の体臭があると聞いていましたが,そのとき私はなるほどと思いました。しかし,自分はその日入浴をすませていましたが,その黒人のみすぼらしい家にはごく粗末な入浴設備しかないことを,私は考えてみようともしませんでした。また,幼いころ衛生に関するしつけを家で受けていなかったので,余り入浴しなかったのかもしれません。

      確かに私は,成長期に周囲にいた白人たちの一般的な態度から影響を受けていました。十代の半ばにエホバの証人と聖書を学び始めた当時,人種に関する聖書の教えに自分の考えを合わせるために,時折り大きな努力が必要でした。偏見を“忘れる”ことは容易ではありません。私は自分の考えを調整するに当たって,複雑な気持ちを抱いたのを覚えています。

      本来人間には,古い概念に固執する傾向がありますが,誤った古い概念が論破されるごとに,私は本当に心から喜びを感じました。この人種の問題に関して聖書がいかに真実であるかを知り,信仰を強められました。というのは,他の面で聖書が信頼の置けるものであることを私はすでに理解していたからです。すべての人種は一人の人間アダムの子孫であり,神の前にはすべて同等です。神からのろわれている人種はないのです。私は黒人や世界中の他の人種の人々も受けている扱いを見るにつれ,能力や知力などに差があるのは,外の理由があるとしても,偏見のために彼らが様々の特権を奪われていることに主な原因があると確信するようになりました。

      30年余りの間,黒人と白人と共に働き,楽しみ,学び,崇拝してきた私は,ある人種が他の人種より勝っていると考える理由が何もないことを知りました。人種偏見の問題に対する唯一の答えは,神の愛と隣人への偽善のない純粋の愛だけです。

      南部出身の黒人は解決策を見いだす

      私は1940年代の末に南部で育ちました。大抵の黒人の家庭と同様,私の家は大変貧乏でした。父は農業労働者でした。私は黒人が白人より劣っていると教えられたことは一度もありませんでした。もっとも白人がそういう考えを抱いていたことは明らかでした。

      私は両親から,また黒人の学校で,黒人が奴隷としてアメリカへ来て以来,いつも抑圧されてきたことを教えられました。黒人も自由で,白人と同等であるはずなのに,実際には,私たちを白人より劣った二流の市民にとどめておくようにすべてが仕組まれている,と教えられました。私の父が子供だったころには,白人と話す際に,白人の顔をまともに見ることはなかったそうです。頭を少し下げ,何か仕返しされないように,いつも「はい,だんな様」,「いいえ,だんな様」と答えねばならなかったのです。また,町へ行くと,ある白人が父の足元目掛けて発射し,「おい,黒ん坊,踊ってみろ」とどなったことも父は話してくれました。

      それで私は,虐待や差別を受けることを覚悟していました。それでも,そうした扱いはつらいものでした。バスに乗れば後ろの座席に座らねばならず,食堂では食物を受け取るのに,裏口や窓口に行かねばならないこともよくありました。また,公共施設のトイレには,“白人専用”,“黒人専用”と書かれた標識があり,“黒人専用”のほうは決まって貧弱なものでした。1960年代の半ばのある日,私が乗馬のために馬小屋へ行くと,「お前たち黒人どもが乗れる日は決まっているんだ」と言われました。馬は何頭もいましたが,白人と一緒に乗ることはできなかったのです。

      特に私を落胆させたのは,白人によってもたらされた黒人の経済上の悪循環でした。過去において黒人たちは,奴隷制や強制的な差別のために,教育や就職の機会を制限され,経済上の地位や家族生活を向上させることができませんでした。最近でも黒人の父親たちは,教育がないために,あるいは人種差別のために,物質面,教育面で家族に十分のものを備えられない場合がよくあります。

      私が学校に入ったころには,多くの黒人は,自分を向上させるためには良い教育を受けるしかない,と考えるようになっていました。教師たちはこの点を強調し,「勉強して良い教育を受ければ,高校を卒業してから畑仕事をしなくてすむ」と言ったのを覚えています。骨の折れる労働がいやだったのではありません。わずかな賃金のために日の出から日没まで働き,結局何も残さずに終わってしまうのが腹立たしかったのです。

      多くの黒人を気落ちさせたのは,この体制でした。ある者たちは,職が見付からないことに落胆し,そうした欲求不満をいやすためにアルコールや麻薬や犯罪に走りました。これは,黒人を無能で怠惰だとみなす白人の考えを助長するだけでした。不公平で残酷な経済体制が存続することに対して,私は強い憤りを感じました。

      私はこう考えるようになりました。良い教育を受ければこうした不公平から本当に解放されるのだろうか。また,教育を受ければ,私に対する白人たちの基本的な態度は変わるだろうか。こうした疑問は私を大いに不安にさせました。しかし,エホバの証人との聖書研究に参加するようになったとき,私は,広く行きわたっている人種上の不公平に対する真の理由を知りました。そして,子供のころに教えられた祈りが,救いに対する唯一の永続的な希望として神の王国を指し示していることも学びました。―マタイ 6:9,10。

      聖書研究から私は,人間がすべて不完全であり,必ずしも正しい方法で他の人を扱わないことを理解しました。「この人が,かの人を治めて,これに害をこうむらせることがある」と聖書が述べている通りです。(伝道 8:9,口)しかしエホバの証人と交わることによって,彼らが人種に関して聖書の述べているのと同じ考えを持っていることを知りました。神が「ひとりの人からすべての国の人を作って地の全面に住まわせ」たことを,エホバの証人は本当に信じています。(使徒 17:26)実際,証人たちは,ご自分の真の追随者の間に見られるだろうとイエスが言われた愛を表わしています。―ヨハネ 13:34,35。

      どの人種の証人たちも,彼らの間でこの愛を実践していることを私は知りました。この体制で育った他の人々と同様,彼らも確かに以前は,教え込まれるままに他の人種に対して憎しみや敵意を抱いていたかもしれません。しかし,人が人種の違いに関する神のお考えを受け入れ,他の人種の人々と親しく交わるよう努力するなら,長い間偏見のために抱いてきた誤った考えを捨てられることを,私は自分自身の,また他の人の経験を通して感じました。

      私は聖書の真理を学んだことを感謝しています。私と私の家族は,聖書の真理によってこうした人種問題から自由になりました。神の王国が人間の諸問題すべての真の解決策であることを理解するよう,私たちはあらゆる人種の人々を援助していますが,こうした業に忙しく励めることを喜んでいます。

      だれもが得られる解決策

      これらは,めったにない例外的な話ではありません。幾百万もの人々は,幼いころから偏見を覚えました。さらに幾百万もの人々は偏見の犠牲となり,その結果不当な人種差別に苦しんできました。しかし幸いなことに,神の言葉の中に解決策があり,そこには,人類に対する神のお考えやわたしたちが互いをどう扱うべきかが示されています。

      すでに学んだように,聖書はわたしたちすべてが一つの人間家族であることを教えています。そうです,神の目から見れば,どの人種,国籍の人もすべての点で同等です。(使徒 10:34,35)イエス・キリストもこうした見解を語られました。

      ご自分の追随者に対するキリストの主要な命令は,キリストが彼らを愛したとおりに彼らが「互いに愛し合う」ことでした。(ヨハネ 13:34,35)クリスチャンの間で示される愛は排他的なものではなく,ある特定な人種にのみ向けられるものではありません。決してそのようなものではないのです。キリストの弟子の一人は,『仲間の兄弟全体を愛する』ようにと勧めています。また別の弟子はこう述べました。「自分がすでに見ている兄弟を愛さない者は,見たことのない神を愛することはできないからです」。―ペテロ第一 2:17。ヨハネ第一 4:20。

      どのようにこのクリスチャン愛を示せますか。神の言葉は,「互いを敬う点で率先しなさい」と勧めることによってその方法を説明しています。(ローマ 12:10)こうしたことを行なうことは何を意味するかを考えてください。あなたは,他の人々の人種や国籍にかかわりなく,彼らが「自分より上である」と考えて,真の敬意をもって接するでしょう。(フィリピ 2:3)そうした純粋のクリスチャン愛があるなら,人種偏見の問題は解決されます。

      「そんなことはあり得ない」と反論する人がいるかもしれません。しかし,200万人以上を数えるエホバの証人の組織の中では,すでにそうしたことが起きているのです。とはいっても,エホバの証人が一人残らず,この不敬虔な組織から学んだ偏見を完全に捨てたという意味ではありません。しかし,彼らほどこの人種上の問題を解決した人々は世界中どこにも見られません。そしてこのことは,だれが調べても明らかです。

      例えば,カトリック教徒の著述家ウィリアム・J・ホエイルンは,1964年7月号のU・S・カトリック誌の中でこう述べています。「この宗派の非常に魅力的な特徴の一つは,人種平等というその伝統的な方針である。エホバの証人となった黒人は,自分たちが一人前の人間として歓迎されることを知っている」。

      また,G・ノーマン・エディは,エホバの証人に関して徹底的に調べた後,聖書・宗教ジャーナル誌という宗教雑誌にこう書きました。「エホバの証人の社会的価値をさらに詳しく調べ,私は,あらゆる人種の人に対する彼らの純粋で深い敬意に感動した。人種間の兄弟愛という教えを口先だけで唱える人々とは異なり,証人たちは膚の色や容ぼうとは無関係にすべての人を自分たちの組織に迎え入れ,際立った指導的な立場にさえそうした人々を受け入れる」。

      あらゆる人種の人々が平和のうちに共に暮らせるようになるために,あなたは真の兄弟愛を望んでおられますか。それでは,エホバの証人が神の言葉を学ぶために定期的に集まっている,地元の王国会館へ行かれることをお勧めいたします。あらゆる人種の人々に対してエホバの証人が純粋のクリスチャン愛を示すかどうか,ご自身でお確かめになってください。

      [27ページの拡大文]

      「エホバの証人となった黒人は,自分たちが一人前の人間として歓迎されることを知っている」。

  • 黒人は神にのろわれているか
    目ざめよ! 1978 | 1月8日
    • 聖書はそれをどう見ていますか

      黒人は神にのろわれているか

      宗教家の中には「然り」と答える人が少なくありません。牧師であるロバート・ジャミソン,A・R・フォゼット,デービッド・ブラウンはその聖書注釈書の中で次のように断言しています。「カナン詛われよ[創世記 9:25] ― この宣告はハムの子孫であるアフリカ人が奴隷にされたことに……成就を見た」―「聖書全巻の批評的,解説的注釈」。

      黒人が奴隷とされたことだけでなく,その皮膚の色の黒いことも,聖書に記されたこののろいの成就であると主張されています。こうして多くの白人は,黒人を劣った人種であり,白人のしもべとなるよう神に定められた者であると思い込むようになりました。宗教によるこの解釈の結果,彼らが受けた仕打ちに多くの黒人の恨みはつのっています。その一人はこう述べました。

      「ブルックリン,シープスヘッド・ベイにある第一バプテスト教会の石段に座って泣いたのは1951年の夏のことで,わたしは何でも知りたがる年頃の7歳でした。わたしは自分の皮膚の黒い色をこすり落そうと懸命に試みたあとでした。それは遊び仲間の白人の少女たちが,皮膚の色の黒いことをいやらしいと言ったからです。アジャックス・クレンザーでこすった後には,赤くはれた皮膚と痛みが残っただけでした。神がほんとうにわたしを愛してくださるなら,愛の神はなぜ人を黒人にされるのかを思いあぐねて,子供心にもわたしの胸は赤くなった皮膚と同じほど痛みました。

      「それはわたしたちの人種が神にのろわれたためであると聞かされていました。しかしそれでもわたしは,このような罰に値するどんな事をわたしたちが神に対して行なったのか分からず,また理解できませんでした。そして振り返って考えてみるのに,わたしを黒人につくって白人の世界に入れたことに対し,わたしは常に神に対して心の奥底にひそかな恨みを抱いていました。

      「『白人ならばよい。茶色ならばそばで待て。黒はうしろに下がれ』というたぐいの人種を侮べつする句や軽べつの言葉を遊び友だちに言われて心を乱され,打ちひしがれると,その後に目立って起こるのは,特に同じ年頃の白人の少女に対する煮えくり返る思いでした」。

      聖書に記されたこののろいについて何が言えますか。人が黒人であるのは,彼らの先祖のある者に神ののろいがかけられたためですか。また黒人が奴隷にされて何世紀も苦しんだのは,こののろいの成就ですか。聖書はこのような事を本当に教えていますか。調べてみましょう。問題の聖書の記述は次のようなものです。

      『[ノア]ぶどう酒を飲みて酔い 天幕の中にありて裸になれり カナンの父ハムその父のかくし所を見て……二人の兄弟に告げたり……ノア酒さめてその若き子の己に為したる事を知れり ここにおいて彼言いけるはカナン詛われよ彼は僕らの僕となりてその兄弟に事えん またいいけるはセムの神エホバは讃べきかな カナン彼の僕となるべし 神ヤペテを大いならしめたまわん 彼はセムの天幕に居住わん カナンその僕となるべし』― 創世 9:21-27。

      聖書に記されたこののろいによって黒人は永久の隷属に選び出されたと主張されてきました。事実,奴隷制度反対運動の闘士セオドー・ウェルドは1838年に次のことを有名な小冊子に書いています。「[ここに引用した]ノアの預言は奴隷所者のベイディ・ミーカム[座右の書]である。それなしで彼らは決して表に出ない」―「聖書は奴隷制度に反対する」,66ページ。

      しかし何よりもまず,聖書のこの記述の中には,のろわれて皮膚の色が黒くなった人のことなど全く述べられていないことに注目してください。またのろわれたのはカナンであって彼の父ハムではないことにも注目してください。カナンの皮膚は黒い色ではなく,パレスチナと呼ばれるようになった土地に定住した彼の子孫もそうではありません。(創世 10:15-19)時経てカナン人はセムの子孫であるイスラエル人に,そして更に後の時代にはヤペテの子孫であるメディア・ペルシャ,ギリシャそしてローマに征服されました。カナン人がこのように征服されたのは,彼らの先祖カナンにかけられた預言的なのろいの成就でした。それでこののろいは黒人種と何の関係もありません。

      では黒人種はどこから出たのですか。ハムの別の息子クシそしておそらくはプトからです。彼らの子孫はアフリカに住みました。しかしすでに見たように,これら二人の子孫である黒人がのろわれているというのは,聖書に照らして全く事実無根のことです。にもかかわらず,そうした憶説が間違いにも行なわれてきました。教会の聖書注釈者がこののろいをハムに適用するようになったのはいつですか。

      およそ1,500年前の牧師アムブロシアスターはそうしており,「愚かさのゆえにハムは父の裸を愚かにもあざけって奴隷の身となることを宣告された」と述べました。またジョン・F・マックスウェルは近著「奴隷制度とカトリック教会」の中で次のように述べています。「この解釈は大きな弊害をもたらした基本主義の解釈の例であって1,400年の間ずっと用いられ,アフリカの黒人が神に呪われているという俗説を生む結果になった」。

      100年前までのカトリック教会の見解では,黒人は神にのろわれた人種でした。マックスウェルの説明によれば,この見解は,「1873年,『全能の神がチャム[ハム]ののろいを遂に彼らの心から取り去られるようにと法王ピオ9世によって,中央アフリカのみじめなエチオピア人』のための祈りに免罪符が付けられるまで続」きました。

      しかし1,500年以上前にキリスト教世界の成立を見る以前,おそらくはイエス・キリストの地上の生涯以前にさえ,ユダヤ人のラビは黒い皮膚の起源についての物語を教えていました。ユダヤ百科事典によれば,「ハムの子孫(クシ)は,箱舟の中でハムが性交をした罰として黒い皮膚をしている」とされています。

      現代においても同様な“物語”が作られています。例えば,ルイジアナ州のジョン・フレッチャーのような,奴隷制度擁護者たちは,ノアののろいを引き起こした罪が異人種間の結婚であったと教えました。彼の主張によれば,カインは弟アベルを殺した罪のため黒い皮膚にされ,そしてハムはカインの人種と結婚したことによって罪を犯しました。前世紀にダートマウス大学の学長であったネイサン・ロードも,カナンに対するノアののろいを,ひとつにはハムが「禁を犯してカインの人種と結婚した」ことに帰しているのは注目に値します。「カインの人種はすでにのろわれた悪い人種であった」とされているのです。

      しかしこのような教えは聖書に照らして全く根拠のないものです。そして過去の世紀においても,ノアの発したのろいの言葉を黒人に適用することの間違いを指摘した人がいました。例えば1700年6月にボストンのサムエル・シーウォル判事は次のように説明しました。「繰り返し3回のろわれたのはカナンであって,チャム[ハム]のことは述べられていない。……一方ブラックモア[黒人種]はカナンではなくてクシの子孫である」。

      また1762年に出版された論文の中でジョン・ウールマンという人は,人間を奴隷にして人間の自然権を奪うことを正当化するために聖書のこののろいを適用するのは「あまりにも乱暴な推測であって,節操堅固なことを願う誠実な人にはとうてい受け入れられない」と論じています。

      聖書に記されたこののろいを牧師が誤って適用した結果,なんと大きな害が及ぼされたのでしょう! 奴隷制度の時代以来,アフリカの黒人を奴隷にして彼らを虐待したことを,聖書によって正当化することは決してできません。黒人は神にのろわれておらず,またのろわれたことも決してないというのが事実なのです。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする