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わたしたちの信仰をこころみる試練に耐えるものみの塔 1971 | 6月1日
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いらず,20歳以上の者は全員荒野で死ぬであろうと言われました。(民数 14:29-34)しかしながら,40年後に次の世代のイスラエル人が,神の命令でその土地にはいり込みはじめた時の情況はどうでしたか。そこには同じそれら強力な人間,少なくともその子孫たちがいました。やはり試みを通過しなければなりませんでした。イスラエル人は今度はその試みを避けようとはしませんでした。彼らは神に信頼し,従順に直ちに進み入って,土地を占領しました。(ヨシュア 11:21-23)それにしても,彼らの父親たちが40年前に試みを通過していたほうが,はるかによかったのではありませんか。
25 わたしたちは今なにをすべきですか。どんな見込みがありますか。
25 わたしたちは,今,神の正義の新しい事物の体制の入り口にいます。(ペテロ後 3:13,新)現代の体制の終わりはなんと近いのでしょう。ですから,今は神の意志を行なうことを延ばしたり,なおざりにしたりする時ではありません。エホバを信頼し,勇気をもってエホバの言われる事柄を行なわねばなりません。今からほんのまもないうちに,サタンは神の民に対し最後の全面的な攻撃に出,わたしたちにすさまじい試練をもたらすものと考えられます。しかし,わたしたちは神の力を得て,わたしたちの信仰をこころみるそれらの試練を耐えることができます。そうです,そして,神がわたしたちに祝福してくださる,正義の新秩序における永遠の命という,すばらしい報いを熟慮してください。―ヤコブ 1:12。黙示 21:3,4。
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あらゆる民族集団のあいだの一致は可能ですかものみの塔 1971 | 6月1日
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あらゆる民族集団のあいだの一致は可能ですか
人々が,偽りのない,心臓からの愛と一致のうちにともに暮らすことのできる基盤というものがありますか。特に,人種や国籍,言語や社会的背景の異なる人々のあいだでそれは可能でしょうか。
昨年の暮アフリカを訪れた,アメリカとカナダの人々236名の一行は,この問題を直接に知る機会に恵まれました。アフリカほど多くの民族集団が見られる土地がほかにありますか。また,世界における自分の特権と立場に目ざめた巨人のようなこの大陸におけるほど,現在自由を求める声の強い土地は地上にあるでしょうか。
旅行者たちが12月を選んだのは,その1か月間にアフリカのエホバの証人がいくつかの「善意の人々」大会を開くことになっていたからでした。それらの大会には多くの部族から,様々な背景を持つ何千人ものアフリカ人がともに集まることになっていました。また旅行者の一行もエホバの証人で,聖書に『神がひとりの人からあらゆる国民を造り出した』と書かれていることを知っていました。さらに,そうした大会の最初のものが昨年の夏に北アメリカで連続して開かれた際,一致と協力が発揮されたのを見ていました。それはすべての国々において可能でしょうか。その上,それら北アメリカからの訪問者は「兄弟」として迎えられ,一方,彼らがアフリカの大会出席者たちに対して兄弟のような感情をいだくでしょうか。
セネガルのダカール
10の大会がもれなく旅行者の訪問を受けられるように,一行はそれぞれ異なった旅程を組み,別々の大会に出席しました。最初に訪問したのは,アフリカ大陸が大西洋に大きく突き出た部分の最西端に位置する,セネガルのダカール市でした。
早朝の7時半に到着した旅行者は,土地のエホバの証人の代表多数に暖かく迎えられました。それら代表者たちは,税関を通る際に彼らを助け,また旅行カバンを待機していたバスまですばやく運んでくれました。旅行者の中には,ホテルの本館のそばにある,セネガル風の奇妙な円錐形をした小屋に泊めてもらい,アフリカ訪問の気分を満喫した人もいます。
12月1日に開幕し4日間にわたった大会は,ラ・メゾン・デ・ジューヌ,すなわち青年館で開かれました。この建物の外観は非常に人目を引くものでしたが,内側は破損されたままになっていました。しかし,セネガルのエホバの証人たちは大会前に水とせっけんを使って仕事を始めました。彼らは会館の所有者には全く負担をかけずに,およそ380㍑のペンキを使い,電球を取り替え,戸を修繕したり取り替えたりし,下水の通りをよくし,水道の設備をもうけました。延べ1,200人時間のきびしい作業の後,背に風景を配したりっぱな演壇を含め,すべてが整いました。西海岸からの訪問者たちも,これほどきれいでここちよい集会場所を持ったことはないにちがいありません。
人口約400万,そのうち80%がマホメット教徒からなるこの国で,178名のエホバの証人が伝道活動を行なっています。大会は公けに宣伝されず,私的な集まりという性格を持ち,出席者の最高数は325名でした。ものみの塔のN・H・ノア会長および,F・W・フランズ副会長はプログラムにいく度も姿を見せ,通訳を通して話をしました。
会館支配人の評
アメリカ大陸からの代表者たちは,さまざまな人種や言語の人々のあいだの一致という問題に関して,ここでどんな観察をしたでしょうか。ラ・メゾン・デ・ジューヌの支配人のことばはおそらく,その点で代表的なものと言えるでしょう。彼は自分の見た協力や規律正しさについて,「あなたがたはどうやってこんなふうにできるのか,どうか教えてください」と尋ねました。それが拡声装置を通して発表することによって成し遂げられているものではなく,聖書の研究を通して学んだ生き方であり,日常生活で行なわれている事柄であるという説明を聞くと,その支配人は「ものみの塔」と「目ざめよ!」誌の予約をしたいと申し出,また青年会館の図書室に備えるために,ものみの塔の出版物すべてを1冊ずつほしいと言いました。わかれる時,彼は最後にこう言いました。「わたしはあなたがたが,清潔さや秩序の面でこれほど高い標準を保つ,まじめな組織を持っておられることに今まで気づきませんでした。それに,あなたがたはいつもたいへん幸福そうですから,非常に高潔な目的を持っておられることは明らかです」。
訪問者たちを乗せた飛行機が次の大会開催地へ向かって飛び立つ時,セネガルの大会代表者のひとりは感動的にこう話してくれました。「わたしは英語が話せないので,あのかたたちのところへ行って話すのをためらっていました。ところが,あのかたたちは,到着するとすぐにわたしに近づいて暖かくあいさつし,立ち去る時にもわかれのあいさつをしてくださったので,わたしはたいへん驚きました。そしてとても幸福な気持ちになりました。世界の他の土地にいるエホバの民は確かにわたしの兄弟,姉妹たちです」。
リベリアのモンロビア
ダカール大会が第3日目を迎えている時,旅行者を乗せた別の飛行機はリベリアのすばらしく近代的な都市,モンロビアに着陸しました。100周年記念館はこの大会にふさわしい会場でした。しかし,大会の責任者は後になって,大会最終日すなわち公開集会の日に,国立大学がその会場を卒業式のために使うとの知らせを受け取ったのです。公開集会はそのあとの6時から開くこともできましたが,卒業式が延長する場合もあり得るので,そのように調整するのは賢明とは思われませんでした。それで,近くにある400万ドル(14億4,000万円)のトルー・ホィッグ党会館を借りることに注意が向けられました。その建物は政府の管理下にあり,まもなく完成するところでしたから,まだ使用されたことがないものでした。さて,そのような建物の使用権を得るために,日曜日当日の午後,大臣,建築技師,請負業者側の責任者,会社の社長,電気技師を捜しまわらねばなりませんでした。しかし,公開講演を聞こうと外で忍耐強く待機していた1,427名の人々が入場する時間までに,事はすべて順調に運ばれました。
大会の2日目,62名の人々が大西洋でバプテスマ
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