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「すべてのみわざを忘れてはならない」ものみの塔 1969 | 3月1日
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の民を惑わすために出て行くことを述べているからです。それで人おのおのは悪魔サタンにつくか,あるいは神の律法に従うかのいずれかを選ぶことになります。永遠の命は,人類を導くため一千年の終わりに与えられる神の律法に従順であることによってもたらされます。サタンの側を選ぶ者は火の湖つまり第二の死に投げ込まれる悪魔とともに滅びます。それで,『自分の日をながくし,命の年を延べ,安きを加えられる』ことを願うなら,神の言われることに聞き従い,それを行なうのが賢明です。エホバは命の与え主であり,あなたの命を長くするすべをご存じです。エホバに信頼を置き,エホバを信じ,その律法を忘れないなら,それはあなたの「日をながくし,生命の年を延べ」ることになるでしょう。
22 (イ)神のみことばが書かれたのはなぜですか。それでわたしたちの責任はなんですか。(ロ)神のみことばはわたしたち各自にどんな益を与えますか。
22 賢い人のことばに聞き従ってください。「智慧をえ さとりをえよ,これを忘るゝなかれ,また我が口のことばに身をそむくるなかれ」。(箴言 4:5)聖書を読むために二,三年を費やしたのち,神の言われることはみな理解したと考える人がいます。しかしそれは正しくありません。わたしたちは年が進むにつれ,知識と知恵をしだいに増し加えてゆくのです。それに応じてわたしたちの理解はしだいに深くなります。神がご自分のみことばつまり聖書を書かれたのは,「わたしたちの教えのため」という明確な目的があります。(ロマ 15:4,新)したがって,わたしたちはそれを読み続け,真の意味でそれを研究し続けるべきです。知識がふえるにつれ,真のクリスチャンは真理と正義の原則に対する認識をしだいに深めることができます。教えを受けたクリスチャンは迫害その他のむずかしい事態に面してもしっかりと立ち,自分の忠誠を守ることができます。神のみことばはその者を強め,神の見える組織のいずれかの場所で働く御国伝道者,あるいは宣教者,開拓者,巡回のしもべ,地域のしもべとならせるでしょう。神は忠実なクリスチャンが行なっている事柄を見ておられるのです。パウロはこの点を認識し,次のように書きました。「神は不義なかたではなく,これまで聖なる者たちに仕え,なお仕え続けているあなたがたの働きと御名に対して示した愛とを忘れるようなかたではないからである。しかしわたしたちは,あなたがたひとりひとりが希望を十分に確信するため,終わりまで同じ勤勉さを示すことを願っている。これはあなたがたが怠惰にならず,信仰と忍耐とによって約束を受け継ぐ人々にならう者となるためである」― ヘブル 6:10-12,新。
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神の御名を愛する人々ものみの塔 1969 | 3月1日
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神の御名を愛する人々
1 昨年,エホバの証人は神のみことばからの良いたよりを他の人に分かつわざをどの程度まで行ないましたか。
エホバはクリスチャンが御自分の御名に対して示す大きな愛を十分に認めておられます。『神はあなたがたの働きを忘れるような不義なかたでは』ありません。そして真のクリスチャンはエホバのクリスチャン証人と呼ばれつつ地の果てにまで行き,世界の200の土地でエホバの御名を宣明できることを幸福に感じています。1968奉仕年度の報告は彼らが怠惰ではなく,ほんとうに勤勉であることをよく示しています。なぜなら,122万1504人の伝道者が,建てられた神の国の良いたよりを伝道するために総計2億866万6762時間を費やしたからです。キリスト教国の諸宗派の人々の中には,エホバの証人のように家から家に行き,人々の聖書の勉強を助ける者がどれだけいますか。ほとんどいないと言ってよいでしょう。しかしエホバのクリスチャン証人は1968年度の12か月間,毎週97万7503の家庭聖書研究を司会しました。これらの奉仕者にとって,これはなんと大きな喜びだったでしょう。彼らは,信仰と忍耐とによって約束を受け継ぐ人々,そして自分の信仰を行ないに示した人々に見習っているのです。アブラハムをごらんなさい。イサクとヤコブを見てごらんなさい。モーセやダビデやギデオンのことを考えてごらんなさい。これらの人々は神のわざに勤勉に携わりました。そして神は彼らを覚えておられ,わたしたちはヘブル書 11章の中に彼らに関する良い記録を読むことができるのです。
2 (イ)なぜ20世紀のクリスチャンは昔の忠信な人々以上の信仰を示すべきですか,(ロ)真のクリスチャンはルカ伝 21章28節の勧めにどのように従うことができますか。
2 これら昔の人々がそれだけの信仰を示し,なお『約束の物を受けなかった』なら,今日のクリスチャンはいっそうの信仰を示すべきです。(ヘブル 11:13)なぜですか。なぜなら,わたしたちは今,それら昔の人々が待ち望んでいたものの門口に立っているからです。わたしたちは現存する事物の体制の終わりが来たことを示す事実をはっきりと認めることができます。ルカ伝 21章を読んでごらんなさい。1914年以来の歴史を調べてごらんなさい。二度の世界大戦があり,諸国民の苦悩,および疫病とききんと地震がありました。イエスはこれらすべて,および他の多くの事柄を予告されました。そしてこれらのできごとを見るとき,クリスチャンは,「こうべを上げなさい。あなたがたの救いが近づいているからである」とのイエスのことばを思い起こさねばなりません。(ルカ 21:28,新)身を起こし,こうべを上げた人は前方を見ます。その人は怠惰ではありません。その人は今が忙しく働くべき時であり,行なうべきことがまだ残されているのを知っています。クリスチャンは今日地上に起きている恐ろしい事柄を見ても気落ちしません。そのすべては神のことばが真実であることを証明するのです! のがれ出て,忙しく働きなさい。なすべきわざがあるのです。つまり神の国の良いたよりを至る所に伝え,すべての国の民のうちエホバの証人に可能なかぎりの人々を弟子とし,その人々にバプテスマを施すことです。それら新しい弟子もエホバの御名を公に宣明し,自分の口びるでその御名を熱心に賛美するでしょう。彼らは真のクリスチャンすべてとともにパウロの次のことばに従うのです。「わたしたちは常に,彼を通して賛美の犠牲を神にささげよう。すなわち神の御名を公に宣明するロびるの実である。そのうえ,善を行なうことと,他の人々とものを分かち合うこととを忘れてはならない。神はそのような犠牲を非常に喜ばれるからである」― ヘブル 13:15,16,新。
3,4 なぜエホバの証人は自分の信仰についてだまっていないのですか。他の人々に対してどんな招待が差し伸べられていますか。
3 クリスチャンは語る者であり,教える者であらねばなりません。クリスチャンは真理を知っています。だまっていてはなりません! クリスチャンは「善を行なうことと,他の人々とものを分かち合うこととを忘れてはならない」のです。神のみことばから学んだ事柄を分け与えねばなりません。エホバの証人には分け与えることのできるすばらしいものがあります。彼らは人に命を得させる神の国の良いたよりを分け与えることができ,彼らがそれを行なう時,神は「非常に喜ばれ」ます。あなたはそれをしていますか。クリスチャンであるなら,あなたは自分の知る事柄を他の人と分け合っているはずです。クリスチャンでないなら,クリスチャンになりたいと思われませんか。もし思われるなら,神の
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