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    ものみの塔 1956 | 8月1日
    • が読めず,それに言葉も違つているため,『ものみの塔』の研究をするのに,4晩ぶつ通しですることもあります。しかし,兄弟たちは毎晩出席いたします! 主の夕食式というような重要な事柄を記念するために,遠い山の中まで歩いて行くようなことは,もう必要でありまもん。

      まだ禁止令をうけていた最中に協会の映画が上映されたことも,特筆大書すべき事柄です。先づ最初に,この映画を許可する政府の認可が必要でした。役人は映画を見ましたが,とても良い映画だと賞めていました! 許可が与えられました!

      兄弟の住むところに一番近い都市で映画は上映されました。4日間に2864人が出席しました。なんという,すばらしい祝福だつたのでしよう! 18年のあいだ,兄弟たちには,大会の特権が与えられなかつたのです。その映画のときにも,大会は許されず,講演も,また御国の歌を歌うことも許されていなかつたのです。ただ,その地方の方言でされる解説づきで,映画を上映するだけでした。この地の人々は,映画というものを初めて見ました。そして,見た事柄は強い印象を人々に与え,いまでも隣り近所の人々に何度となく,くり返しくり返し語り伝えています。

      台湾の兄弟たちは,大会をした経験は一度もありません。しかし,テキパキと事態を処理したのには,全く感心させられました。或る晩,学校の講堂を借りて映画が上映されました。校長は,10時30分までに立ち去るよう要求していました。映画は,10時22分に終りました。とトタンに,みな一斉に活動を始めました。400人の聴衆が外に出るや否や,自発奉仕者の一隊は,サッと講堂に入つてきました。赤ん坊を背中に負つている姉妹,若い兄弟も年取つた兄弟も,みな自分の割り当ての仕事に取りかかりました。坐席は外に運ばれて,床は掃かれ,また雑巾掛もされました。それから,坐席と食事の机が運び込まれました。そして,人一人残らない講堂の電気は消えました。まつたく,10時30分までにみな終つてしまつたのです。びつくりした校長は,『明日も,講堂をお使いなさい。』と云いました。それで,数日間その講堂を借用しました。山間を走る2フイート軌間の鉄道によつて,27の会衆の全伝道者は順番にこの講堂にきて,みな映画を見ました。皆神の制度の熱心と愛を持つています。

  • その25B アフリカにおける拡大(1945~1955)
    ものみの塔 1956 | 8月1日
    • され,伝道の業は奥地の方へと進められて行きました。1930年代の初期に,エジプトで伝道が開始され,そこからアフリカの北部へと伝道は徐々にすすめられました。このようにして3方面から御国の業はすすめられ,1942年までには,アフリカの12の国々で1万70名の証者が働いております。つぎに1947年にギレアデの宣教者はアフリカへ派遣され始めましたが,最初の年には20名でした。1947年12月,1948年1月,1952年と協会の会長はアフリカの殆んど全部の支部を訪れ,アフリカの証者と語り,同地の伝道上の難問題を共に解決しました。活撥な証者の数は上昇の一路をたどり,1955年には34の国々で9万8146名の証者と108名のものみの塔の宣教者がおりました。13年のあいだに,実に875パーセントの増加をとげています。

      このことをなしとげるには,尨大な規模の教育と訓練を忍耐強く与えることが必要でした。しかし,欧州人の証者とギレアデ卒業の宣教者は,無私的な奉仕をよくなしとげてきました。アフリカ人に読み書きを教える学校がまず開設され,会衆の制度は凡ゆる面から簡単化されねばなりませんでした。それらアフリカ人は聖書的な事柄に以前ふれたことは全くなかつたので,色々の規則や,またその実施方法を,始めから教えることが必要でした。一夫一妻というクリスチャンの正しい結婚のあり方も教えられ,協会と永続的に交わるには,まず姦通行為をすつかり取り除き,清い生活を行つていなければなりません。アフリカ人の一つの特徴としてあげられるものに,よく見ならうという性質があります。白人やまた長年の訓練を経た原地人は,新しく興味を抱いている善意者とよく交わり,クリスチャン愛と愛の交りの良い模範を示しました。アフリカ人は,それらの人々が決して偽善ではなく,真心と誠意を以つて行つていることに,直ちに気付きました。そして円熟にすすむにつれて,少しも遜色のない立派なクリスチャンとなつています。このようにして,クリスチャン愛と暖い交りは,アフリカ人の心に深く植えつけられ,彼らも正しいクリスチャン的な考えを持ち,清い生活を行うようになりました。この地の人々には,いわゆる生活上の近代的な娯楽がないので,かえつて聖書を研究し,神の新しい世を学ぶ時間があります。このようにして,聖書をよく学ぶアフリカ人は,永遠の生命という希望をしつかりと持つています。

      アフリカ人の証者が道徳方面にも知的方面にも,偉大な変化をなし遂げたことは,アフリカの政府の要職についている人々の目を見張らせました。年毎に増加をつづけたアフリカのクリスチャンの増加の表をここに掲載しますが,これを見ても,まだまだ多くの,ヱホバの「他の羊」がこの大陸から集められ,「一つの群」になるということをよく示しています。

      年度 国の数 伝道者の数 伝道時間

      1942 11 10,070 2,200,163

      1947 17 24,896 6,298,189

      1952 32 72,228 15,460,243

      1955 34 98,146 25,222,817

      全世界の証者と同じように,アフリカの証者も,家から家に伝道し,再訪問をし,聖書研究を行うという方法を用いています。ヱホバの証者は,何処にあつても,1900年以前に,イエスとその使徒たちにより示された模範によく従つております。1955年,このような方法により,以前に「暗黒のアフリカ」と呼ばれていた大陸において,ヱホバの証者は,2000万時間以上の伝道を行いました。彼らは,色々のその土地の言葉でかかれた聖書を用いて,証言しています。1955年には,9万8146名の証者がおりましたが,それは,アフリカ住民のうち,2068名につき1名の証者がいることになります。(次号につづく)

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