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必要の大きな所で奉仕するものみの塔 1960 | 11月15日
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私たちを歓迎してくれました。ニューヨーク市で開かれた神の御心国際大会で私たちは支部の僕とその妻と知り合いになりましたが,いま再び会えたことはどんなにうれしいことだつたでしよう! 新しい中国人の兄弟姉妹たちが,暖い歓迎をしてくれたおかげで,私たちはすぐにくつろいだ気分になれました! みなさんの援助で,荷物の片付けもすみ,短時間のうちに1ヵ月の海上旅行の後,かたい大地に上陸しました。
ここに滞在中,私たちはこの地の一姉妹の家族の中に迎え入れられていつしよに生活しました。みなさんはなんと親切で愛の心に満ちていたのでしよう! 最初の晩の食事のときでしたが,姉妹たちは驚いた表情で天井の方を見つめていました。そのびつくりした顔つきを決して忘れることができません。小さなとかげのような生物が灯火のところを動きまわつて昆虫を食べていたのです。私たちはすぐ,それが大きな助けであり,極東の家庭用品の一部であると認めました。
私たちの日々は忙しく,奉仕の特権を楽しむことができました。また,多数の善意者の世話をするために,円熟した伝道者はたいへん必要であることも分かりました。次のように言えば,私たちがどれほど緊急の気持を感じたかが分かることでしよう。2週間の休暇開拓者はふつう75時間を報告しますが,私たちはその月に120時間を野外奉仕に費し,それに加えて多くの時間を地域大会の準備のために使いました。
兄弟姉妹たちと結ばれた愛のきずなは,だんだん強くなつて,遂には生涯中ずつと知つていたような気さえしました。大会が終ると,再びサラワクに向けて出発する時が来ました。兄弟たちと最後の集まりをして後,私たちは旅行の最終的な段階に入りました。以前に抱いていたちゆうちよする気持は,いまではすつかりなくなつており,神権的な交わりで強められた私たちは,私たちを待つ特権を熱心に期待しました。
サラワクでの奉仕
私たちは,到着してすぐ後に,快適な住居を見つけることができました。そして,幾日か後には2人の熱心な宣教者に加わつて,大きな処女地域を伝道するよろこびを味い始めました。人々がエホバについて尋ねる光景を頭に描いて下さい。聖書から答えると,浅黒い顔はうなずいて同意を示します。感謝の微笑が顔に表われて,聖書の文書をすぐに受け取ります。
熱帯の豪雨のことは話には聞いていましたが,経験してみないと本当のことは分からないでしよう。しのつく大雨の降る或る晩のこと,私たちは夜になつてから家族といつしよにする聖書研究に出席するために出かけました。ついてみると,長さが約450フィートばかりの揚げ板のところを歩かないと家に行けない有様でした。一方の手に懐中電灯,他方の手に傘,そしてかばんを腕の下に抱えこんで,私たちはふらふらしながらやつと家にたどりつきました。やぶれたオイル灯火の明りの下で楽しい研究をして後,たくさんの聖書の質問に答えてその家を出ました。外はまだ雨が降つていて,小さな湖ができていました。出かけるときに靴と靴下を脱ぎ,ズボンとスカートをできるだけ高く持ちあげ,水中に浅く沈んだ板の上を用心深く歩いて,やつとのことで道まで出ることができました。
隣人のあいだで働けば働くほど,私たちは隣人を理解して愛するようになりました。文書をすぐに配布することができ,近くの場所で文書を持たない家は,ほとんどありませんでした。研究もすぐに開くことができました。― その多くは最初の訪問で始まりました。私たちは,会堂や,個人の家や,病院や,また癩病隔離所でも,協会の映画を上映しました。13回の上映で,それぞれ平均100人が出席しました。その結果はすぐに表われてきました。「ものみの塔」の研究の出席者数は,6人から10人へ,それから12人へ,そして定期的な公開集会のプログラムが始まつたときには,出席者数は15人にまで増加し,最高数は20人かそれ以上になりました。これは6ヵ月以内のことです。
宣教者のひとりは,中国人の女生徒から1通の手紙をもらいました。この女生徒は,協会の映画を見て大きな感銘を受けたと述べていました。彼女の両親は仏教徒ですが,彼女は「『良いたより』に強く引かれて,もつと学びたい」と述べていました。研究がすぐに取り極められ,間もない中にこの10代の少女は集会に出席し,野外奉仕に参加し始めました。中国語を話す人々に証言できるので,彼女はたいへん良い援助になりました。
別の聖書研究のとき,家の人の友人がたまたま訪問しました。研究に参加してはどうですかとすすめたときその人はよろこんで参加しました。その最初の研究はつづきませんでしたが,真理に飢えかわいていたこの人は研究をつづけ,1冊の冊子の研究が終る前に「ものみの塔」の研究に出席し,注解を述べ始めました。そのためには,焼けつくような炎天下,あるいはしのつく大雨のなか,往復14マイルの距離を自転車で通わねばなりません。
もちろん,私たちの活動は他の宗派の宣教者たちの注意をひきました。特に彼らから教えを受けていた大ぜいの人々が,私たちのところへ来て聖書の質問に対する答を求めるようになつて,彼らは注意を向け始めました。おどかしの運動が始まりました。ある人々は研究を止めましたが,他の人々は屈せずに研究をつづけました。今度は,政治指導者たちに圧迫が加えられ,私たちの査証は無効にされました。事態の再検討を願い出ましたが,私たちの願いは却下されました。この島を去らねばなりません。
船がドックを離れたとき,多数の新しい友人たちは,そこに来て,その受けた援助に対する感謝の気持を表わしていました。私たちは,彼らのために長い,誠実な祈りをささげましたが,たしかにエホバは彼らを見すてていません。郵便の知らせによると,円熟している人々は,他の人々を援助しており,「ものみの塔」研究は定期的に行なわれています。神の御心に逆らう偽りの羊飼たちの努力がどんなものであろうとも,エホバの御手は弱まりません。正しい羊飼に従いつづける人々は,新しい世で生命を得るでしよう。
私たちがサラワクに到着してから程なくして産まれた,3ヵ月の女の子を連れて,私たちはこの場所を余儀なく去りました。しかし,必要の大きな所で奉仕したいという私たちの気持はなくなりませんでした。幾百万という人々は,この地方に生活しています。それなら私たちも生活できると思いました。援助を最も必要とする場所に行きたいと欲していましたが,間もなくしてそのような所 ― マラヤに入ることができました。
この新しい任命地に到着してから間もない中に,特別開拓者奉仕の特権が与えられ,私たちは感謝しています。外国の地で2年目を迎えています。宣教に没頭することにより,私たちは物質主義の危険や,サタンの世の他の悪から身を守ることができました。私たちの少額の貯金は,イエスが群衆を養うために用いたパンと魚のようでした。私たちを維持し支えるのに必要なものは十分にあります。エホバはなんと豊かに私たちを祝福されたのでしよう! 必要の大きな所で奉仕せよという神の召に答えた私たちは,なんと幸福なのでしよう!―寄稿。
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読者よりの質問ものみの塔 1960 | 11月15日
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読者よりの質問
● 夫と私は,新しく献身した証者です。私共の親族は私共がこの立場をとつたので,にがにがしく感じているようです。クリスマスとか,習慣的な贈り物をする季節が来ると,私たちがそれに参加しないので,親族はなおさらいつそう怒ります。このことについてなんらかの指示を与えて下さい。―アメリカの一読者より。
献身したクリスチャンとして,私たちはまずエホバ神とイエス・キリストをよろこばせることに専念します。第二に,私たちには知合い,隣人,そして親族に,機会のある度に証言する義務があります。このことを効果的にするなら,人々はいろいろのことについて,私たちがどう感じているかを理解するようになるでしよう。特に,個人的な休日,政治的な休日,そして宗教的な休日のことについて,新しい世の社会がどんな立場をとつているかを述べるなら,人々は理解するでしよう。私たちはキリストを王としてたたえるが,今日キリストの幼年時代を強調するのは不適当と考えると明白に示すことができます。私たちは,はばからずにそのことを語ることができます。なぜなら,私たちの立場は聖書的であることを知っているからです。
もしクリスマスの贈物をうけるなら,どうすべきですか。そのようなときにクリスマスのことを攻撃するのは賢明でありません。贈り物を拒絶したり,戻すということをしないで,むしろ口の言葉,または手紙とか葉書で感謝の言葉を述べる方が良いでしよう。そして,休日の季節についてはすこしも言及しませんが,この機会を用いて新しい世の希望を述べることができます。休日の季節の終るまで待つ方がさらに良いでしよう。そうするなら,私たちの感謝の言葉が異教の祝いとは結びついていないことを示すことができます。
クリスマスのときに,贈り物をもらつていながら,贈り物を送らないことに,気がひけるというようなことがあつてはなりません。商売関係では,クリスマスは雇い主が従業員のサービスに対する感謝を示す都合の良い時であつて,雇い主はボーナスを出します。お返しを当てにしながら物を与える人は,悪い動機を持つています。それは聖書が禁じている動機です。(ルカ 6:30-36)しかし,もし贈り物をあげたいという気持を感ずるなら,別の適当な場合あるいは時まで待つことができます。ついでですが,誕生日の贈り物についても同じことが言えます。しかし,贈り物をいただいたのだから,贈り物をしなければならない,というようなことを決して感じてはなりません。また,次のことを記憶するのも良いことです。すなわち,献身の誓に従って生活する私たちは,クリスマスのときに贈り物をする人よりも,はるかに多くのものを与えているということです。それは,良い動機でもつて,受けるにふさわしい人々に与えられているのです。つまり,私たちは生命にみちびく音信を彼らに与えているのです。―マタイ 10:8。ヨハネ 17:3。
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「ものみの塔」の研究ものみの塔 1960 | 11月15日
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「ものみの塔」の研究
12月11日: すべての国民をエホバの家に集める。427頁。
12月18日: クリスチャンの心の宝。432頁。
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