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  • 全世界で平穏のうちに行なわれた“神の勝利”大会
    ものみの塔 1974 | 7月1日
    • 話に真剣に耳を傾けたり調べたりしてエホバの証人が何を行なっているかを知ろうとしない,ということが説明されました。そうした当局者はエホバの証人の反対者,それも特に僧職者の言うことに耳を傾け,彼らの言説に基づいて行動します。後になって,エホバの証人の業が実際には政治もしくは破壊活動と全く関係がないとわかると,僧職者の反対にもかかわらず,禁令を解除した政府もあります。エホバの証人が人々の道徳規準を高め,彼らとともに聖書を勉強している人々の間に平和的なふん囲気を増し加えてきたことを理解するようになった当局者は少なくありません。(ガラテア 5:19-24。エフェソス 6:15)それだけではありません。発展途上国においては,読み書きを学びたいと望んでいる人々を教えるプログラムがエホバの証人の手によって行なわれており,エホバの証人の間の文盲率は極めて低くなっています。

      またエホバの証人は,「どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられる」ということを知っています。(使徒 10:35)証人たちが人種的偏見の全くない心からの一致を保っていることは,南アフリカ共和国のヨハネスブルグで開かれた大会の日曜日の午後,明らかに示されました。他の土地から来ていた人々は,大会に出席していた南アフリカ共和国の人々の間に見られる熱意に感銘しました。彼らがそのようにうれしそうにしていたわけは,人種や皮膚の色にかかわりなくともに集まることができたのが今回初めてだったからでした。政府は,異人種の人々がランド競技場で集まることを許していますが,日曜日の午後のプログラムだけ,その競技場で集まることが許可されたのです。この時の出席者は3万3,408人でした。

      自立性

      それぞれの国で,宿舎探しや報道関係の仕事,また炊事部門の仕事やプログラムの準備など,大会を組織するにあたり,土地のエホバの証人たち自身が,訓練を積んだ宣教者たちの助けをほとんど,あるいは全く借りずに自分たちで行なった点も注目に値します。ケニアではそのことがよく目だちました。この国では,しばらくの間エホバの証人の業が禁止されていました。しかし禁令が解除されると,大会は国際的規模のものとなり,ケニアのエホバの証人は,アメリカ,カナダ,ヨーロッパおよび他のアフリカの国々からの訪問者を迎える主人役としての仕事を,大きな喜びをもって行ないました。

      同様にウルグアイでも,宣教者は完全に手を引き,ウルグアイのエホバの証人が,出席者7,000人以上の大きな大会の主要な仕事すべてを行なって,その訓練と能力のほどを示しました。

      学びたい,そして他の人々を助けたいという願いが障害を克服する

      すべての大会に同じ精神がみなぎっていたとはいえ,非常に異なった面もありました。たとえば,フィジーの大会“ホール”は,側面をおおうものがなにもない,大きな草ぶきの屋根だけのものでした。ヨーロッパから来た人たちのためには長いベンチが用意されましたが,フィージーの人々は習慣どおり,竹またはわらの敷物の上に座りました。いろいろな島からやって来た人々の宿舎として,壁のある草ぶき屋根の大きな小屋が造られました。まん中に仕切が設けられ,一方の側には,男,他方の側には女が泊まりました。それらの宿舎は無料でした。というのは,おびただしい数の他の島々から来た人の中には飛行機や船でこの大会に来るために貴重な貯金を使った人が少なくなかったからです。

      一連の大会の中でも二番めに多い出席をみたブラジルのサンパウロでは,大会出席者全員が土曜日一日じゅうどしゃ降りの雨でずぶぬれになりました。コンクリートの段になっている,パカエンブ・スタジアムの座席は,まるで小さな滝のようになったので聴衆全部が立たざるを得ませんでした。しかしこうした状態になっても,聴衆は散りませんでした。日曜日にも雨は降り続いていましたが,9万4,586人が公開講演を聞きに集まりました。政府当局者は,大会の運営に当たった人びとに,彼らが成し遂げたことと,大会出席者の間に満ちあふれていた精神に祝意を表明しました。―ローマ 13:3,4。

      使徒パウロと同じように,かなりの数のエホバの証人が必要の大きな国で奉仕するために故国を後にしました。中には,家族とともにそうした国に移ったエホバの証人もいます。ある大会で,そうしたエホバの証人の何人かが報告を行ないました。彼らはコスタリカのエスカスという町に行きました。その町には,エホバの証人はわずか8人しかいませんでした。また,そこからあまり遠くないところに,別の小さな孤立した群れがありました。共に働き,また互いに励まし合った結果,半年もたたないうちにその町には,50人の王国宣明者から成る,強く活発な会衆ができあがりました。現在では,伝道者は80人になっています。

      辺ぴな,あちこちに散在する地域に,かなりの数の人々が住んでいる場合が少なくありません。エホバの証人はいろいろな手段を講じてこの問題と取り組み,人々に単に良いたよりを伝えているだけでなく,そうした地域に滞在して,神に関する正確な知識を得ることができるように土地の人々を助けることさえしています。ペルーのリマで開かれた大会の出席者は,そうした地域で用いられた一つの方法についての興味深い報告を聞きました。それによると,十人から成る奉仕者の一団が,二台の大型ハウストレーラーを運転してアンデス山中の辺ぴな地域に出かけて行きました。そして,五人ずつの奉仕者がそれぞれのトレーラーを“本拠”として用い,活動を行ないました。また,道幅の狭い道路や行きにくい野中の小道とか場所に備えて,ジープを一台持って行きました。ほんの数か月のうちに,一行は,聖書を説明した書籍や雑誌を7万5,000冊も配布しました。現在彼らは,そうした人々が神のことば聖書を勉強し,それを理解するよう助けることに忙しく働いています。

      全世界のエホバの証人は,自分たちが成し遂げてきたことは自分自身の力や知恵によるものでないことを認めています。彼らは,次のように語った使徒パウロと同じように感じています。『何にせよそれがわたしたちから出ているとみなせるほどわたしたち自身にじゅうぶん資格があるのではなく,わたしたちにじゅうぶん資格があるのは神から出ているのです』。(コリント第二 3:5,6)障害や障壁は『力ではなく,エホバの霊によって』克服されます。―ゼカリヤ 4:6,新。

      ですからエホバの証人は,人を自由にする真理を知ることができるようにしてくださったエホバ神に感謝を捧げます。エホバの霊によって,彼らは以前の生活態度を改めることができたのです。証人たちは,他の人々が真理を学ぶのを助けるという,神から与えられた宝にも似た奉仕の務めをたいせつにしています。

      世界がかつてないほどの不安と苦悩をかかえているこの時期に,これほど多くの土地で,しかもさまざまに異なる状況や政府のもとでともに集まれるようにエホバの霊の導きがあったことと,道が開かれるように天使の助けを備えてくださったことに対し,全世界のすべてのエホバの証人は個人的にもまた公にも,み子を通してエホバに感謝を捧げています。

      エホバの証人は信仰を持って前途をのぞみ,規模は小さくなりますが,もしそれがエホバのご意志であれば,1974年6月に始まる同様の一連の大会を計画しています。その大会では,人々を霊的に築き上げるプログラムが準備されています。多くの国では前回よりも多くの場所で大会が開かれるため,かなり出席しやすくなるでしょう。おそらく,あなたの住んでいる地域でも大会が開かれるものと思われます。大会に出席する計画を,さっそくお立てになってください。大会で聞く話から大きな益を受けこそすれ,それが失望に終わることはないと,わたしたちは確信しています。神と神のみことば聖書に信仰を持ち,聖書の原則を自分の生活に適用している人々との交わりを大いに楽しまれることでしょう。大会に出席して,『エホバの恵み深きを味わい知る』ように心からお勧めします。―詩 34:8。

  • 読者からの質問
    ものみの塔 1974 | 7月1日
    • 読者からの質問

      ● エホバの証人は喫煙をクリスチャンの慣行に反するものと見ていますが,他の人が自分の家や事業所に来てたばこを吸うことを禁じますか。―アメリカの一読者

      個々の証人がこの点でどのような決定をするとしても,それは聖書によって訓練された各自の良心が定める個人的な事がらです。

      しかし,概してエホバの証人は,自分の家でだれもいっさいたばこをのまないことのほうを好んでいます。それによって自分の家族の健康を守り,自分の家がたばこのにおいなどで汚れることを防ぐことができます。また,エホバの証人は,他の人たちが「肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め」るのを助けようとしています。自分の家に来てたばこをのむことをだれにでも許すのは,この点で一貫性のあることでしょうか。(コリント第二 7:1)もしそれを許すなら,喫煙を重大な問題とは見ていないといった印象を他の人に与えることにならないでしょうか。

      エホバの証人の見方を親切に説明するなら,訪問者はたいてい,その家の所有者の意向を尊重します。しかし,その人のたばこ常用癖が強く,どうしてもたばこをのまないではいられないと感じるほどであれば,その人は他の人たちにいちばん気にならずまた害とならない場所でのむことができるでしょう。そうした場合に個々の証人が何を許し,どのように取決めるかも各自の決定する事がらですが,これは家族の頭がエホバの証人であるかどうかによっても左右されるでしょう。

      事業の場所では,「禁煙」という掲示を見ることは珍しくありません。もちろん,国の法律が喫煙を特に禁じておらず,たばこ

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