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    目ざめよ! 1982 | 9月22日
    • 新しい道徳

      新しい道徳は,その実を刈り取っている

      子供たちに対するその影響

      今日の性革命は社会の骨組を打ち砕いています。“自己”が王座につき,“自分<ミー>”が王として支配しているために,古い価値規準が崩壊しています。「自分のしたいことをしろ」というのが当世風の指針となるスローガンです。婚前交渉がしたいのなら,そうすればよい。婚外性交をしたいのなら,そうすればよい。同性愛にふけりたいのなら,そうするがよい。気まぐれな離婚がしたいのなら,だれを傷つけようとお構いなく,そうするのもよい。

      新しい道徳のこの連祷にすべての人が同意しているわけでは決してありませんが,こうした文句を唱える人の数は雨後の竹の子のように増えています。本も雑誌も映画もテレビもいよいよ性にうつつを抜かし,その多くは淫行や姦淫を取り上げています。“昼メロ”と呼ばれる午後の番組は性にまみれており,それは今や晩のゴールデンアワーへと疫病のように広がっています。普通の人間関係を反映しているとされるそのような番組は,実際にはいす取り遊びならぬ,床取り遊びになっています。

      同性愛解放運動は同性愛を道徳的に容認されるものにしようとしています。テレビ番組で同性愛と聖書の道徳規準とが問題になると,狭量で愚かなものとみなされるのは聖書の立場です。その典型的な例は,人気のある連続番組,「家族全員」や「M*A*S*H」です。「テレビ・ガイド」誌(英文)によると,同性愛者たちはテレビに対する圧力団体の中でも最も力のある存在になっています。同性愛を主題にした番組を企画する前に,主な制作者や放送網は同性愛者の団体にお伺いを立てます。しかし,それよりもはるかにはなはだしいのは,有線テレビのポルノが今やお茶の間に進出し,それがエスカレートしていることです。

      若い人々はまねをしたがり,大人の示す手本や行動様式の型に注目します。大人のすることのほうが,大人の言うことよりもはるかに大きな影響を与えます。そして,その影響には驚くべきものがあります。米国では,子供たちの5人に一人が14歳までに性体験をしており,高校を卒業するまでには半数が性体験をしています。性的に活動的な少女10人のうち3人は妊娠します。米国では,未婚の十代の母親が産む子供は年間60万人に上り,そのうちの9,000人は11歳以下の少女から生まれます。このすべてに加えて,報告されない妊娠と妊娠しても堕胎によって中絶されてしまう事例とがあります。年に150万人の家出人が自分の家から逃げ出して宿なしになり,幾千幾万もの人々が売春あっせん人に管理される売春婦や男性の売春者に身を落とします。

      サム・ジェーナス博士は,自著「純潔の死」の中で次のように述べています。「幼児期と青春期の間には,精神および身体の成長のために性が地下に潜る,つまり“潜伏期”に入るという考えが,常に現代発達心理学の金科玉条とされてきた」。次いで同博士は,この潜伏期「は過去のものとなり,子供たちは完全に性的な存在として,乳児期から思春期へと切れ目なく直接移行してゆく。子供の性愛化は現代社会における生活の現実となってきている」と観察しています。

      ジェーナスは児童期のこうした喪失についてさらに詳しく次のように述べています。「幼い男の子たちが少年クラブに加わり,更衣室を建て,野球をする時間のあった,のどかな日々は過ぎ去った。確かに今でもそうする子もいるが,その数は減少している。幼い少女についても同じことが言える。女の子はかつて人形で遊び,光輝くよろいを着けた騎士がいつの日かやって来て,自分と結婚し,その後いつまでも幸福に一緒に暮らすことを夢見ていたものである」。

      身体,知能,および感情面での成長に必要とされるこうした年月を奪われる子供たちは増加の一途をたどっています。テレビのコマーシャルは,3歳から14歳までの少女を対象にしたリップ・グロス,マニキュア,おしろい,香水などの子供用化粧品や,その他それに類した商品を積極的に売り込みます。有名デザイナーのジーンズの広告には,ディスコで挑発的に腰を振りながら踊る10歳の子供が現われます。カルビン社のジーンズのコマーシャルでは,ブルック・シールズが挑発的なポーズを取り,「わたしとカルビンのジーンズとの間に何があると思う? 何もないの!」と言い,さらに「わたしのはいているカルビンのジーンズが話せたら,わたしはおしまいよ」と言います。精神科医・小児科医・教師などの専門家たちは異口同音に,10歳前後の子供たちが性や物質主義や麻薬の充満した環境に反応して,年齢よりも上に見られよう,また振る舞おうと懸命になっている,と述べています。児童期は縮められ,余りに早く,余りに速やかに過ぎ去ってしまい,子供は人生で一番すばらしい時期の一つを奪い取られているのです。

      一心理学者はこう語っています。「我々は有名デザイナーのラベルの付いた大人の衣装を小さくした服を自分の子供たちに着せ,理由のない性や暴力に子供たちをさらし,離婚・片親だけの家庭・同性愛などますますもって人を困惑させるような社会環境に対処するよう子供たちに期待する。早く成長するようせかしながら,一方では子供らしさを保つようにと告げる社会に裏切られたと感じる若者は少なくない」。

      価値規準の衰微を示す最も恐るべき証拠は,わいせつ罪というものがありながら,法廷が何をもってわいせつとするか定められずにいることです。裁判官の多くは言論と出版の自由の問題で苦慮する余り,合法的な考えや意見とわいせつなものとの違いを識別できなくなっています。そうした裁判官たちは,性行為を露骨に描写したハードコアポルノ,それも幼い子供が性行為をしている場面を写し出す映画や出版物には,「埋め合わせになる社会的な価値」など全くない,ということを識別できないのです。これは,肉には「埋め合わせになる栄養的な価値」があるので,猛毒のストリキニーネの入った肉でも食用にすることを許可しなければならないというようなものです。

      新しい道徳の登場する前には,正邪を定める原則が存在していました。今は万事を大目に見る時代です。今では,“いや”と言うことは受け入れられなくなっています。今はやりの考え方はこうです。『自分のしたいことをしろ。隣人愛など忘れてしまえ。たとえその隣人が6歳の子供だろうと構うことはない。今大事なのは,とことん自分を愛することなのだ!』

      多くの人が解放だとしてもてはやす新しい道徳は,実のところ搾取なのです。「純潔の死」の中で,サム・ジェーナス博士はこう尋ねています。「解放は放縦にまで成り下がってしまったのだろうか。子供たちの解放と豪語されたものは,子供たちを,性革命という祭壇の上に載せる犠牲の子羊に変えてしまったのではなかろうか」。

      どちらの質問に対しても,その通り! と答える確固とした理由があるのです。

  • “ひよこ”と“タカ”
    目ざめよ! 1982 | 9月22日
    • “ひよこ”と“タカ”

      新しい道徳は,その実を刈り取っている

      「ちょうどロトの日に起きたとおりです」― ルカ 17:28

      タカがひよこ目掛けて舞い降りて来ます。農夫はタカを撃ち殺すために弾を込めた猟銃を手元に置いておきます。しかし今日,これらの言葉には別の意味のあることがあります。“ひよこ”は幼い男の子で,“タカ”は大人の同性愛者です。しかし,類似点はそこまでです。農夫がいないのです。法律は不適当で,法の執行は行き届かず,裁判官は事を大目に見,“ひよこ”は犠牲者になります。この問題は新しいものではありません。それははるかソドムとゴモラの時代までさかのぼります。しかし,この10年間に,“タカ”は“ひよこ”をいよいよ積極的に追い回すようになってきました。そのずうずうしさは,社会の中でそうした事柄に依然として憤慨するだけの道徳心を持つ人々を憤慨させています。

      ニューヨークとロサンゼルスの両市では,女の子よりも男の子の需要が大きいと言う人もいます。子供を使った悪徳の取締りに当たっている,ロサンゼルス市警察の一巡査部長は,「この地区での数字は,70ないし75%が男の子で,25%が女の子であることを示している」と語っています。米国マサチューセッツ州では,コールボーイの組織が摘発されました。その組織には,50㌦以上の料金で同州のどこででも性の相手をする少年250人がいました。ところが,これはテキサス州ヒューストンに本部を持つ全米的な組織網の一支部に過ぎないことが分かりました。“タカ”は米国内のどこからでもこの組織に電話を掛け,“ひよこ”を注文できるのです。“タカの”クレジットカードが承認されれば,30分以内に少年は電話を掛けた人の家の戸口に立っているのです。

      “タカ”はグループを作って,社会的に認められることを求めています。ルネ・ギュイヨンという組織はカリフォルニア州に本拠を置き,8,500人の会員数を誇っています。“8歳までにセックスをしなければもう遅い”というのが彼らのモットーです。男性と少年の性交のための組織はほかにも多く存在します。どこの州であれ,男の子を拾える場所を示すリストが編集されています。そのような組織の一つはロンドンに本部を置き,米国各地および他の国々に支部を擁しています。同性愛者たちは,性交の承諾年齢を引き下げ,大人と子供の間の性関係を合法化するための法律の改正を推進しています。その人たちに言わせれば,彼らは子供たちの権利のために闘っているのであり,自らを改革運動家に仕立て上げているのです。「同性愛共同体ニューズ」はこう述べています。

      「同性愛解放運動は,大人が自由に同性に対する性愛行為を行なう権利だけのために闘っているのではなく,我々の社会の幾百幾千万もの子供たちが自由な性生活を営むための権利,……また子供たちが自分の体を意のままに管理する権利[のために]も闘っているのである。親による子供の虐待が疫病のようになっているときに,最終的に犯罪者にされるのは男の子を愛する男性であるというのは皮肉なことである」。

      児童の権利とは,虐待され,身を売らされ,男色の相手をさせられることなのでしょうか。児童の権利に対する彼らの公表した懸念は,自分たちの性倒錯を満足させることにしか関心がない男たちの隠れみのなのです。子供たちが少し大きくなると,これらの“愛ある”大人たちはその子たちを再び街頭にほうり出し,新たな犠牲者を拾います。進んで応じるかどうかにかかわりなく,これら幼い子供たちは自分のしている選択を理解することも,その結果を予見することもできません。それらの子供たちは被害者で,傷つきやすいのです。そうした子供たちは惑わされて同性愛者の愛情を求め,捨てられると心理的に大きな痛手を受けます。中には殺される子もいます。ある同性愛者は33人の男の子を殺し,自分の家の下に埋めていました。その大きな愛とやらは一体どこへいってしまったのでしょうか。

      同性愛の運動には妙なところから支持が差し伸べられています。同性愛行為に対する聖書の見解ははっきりしています。ソドムとゴモラはそうした行為をならわしにしたために滅ぼされました。モーセの律法は同性愛行為を禁じ,違反者は死刑に処せられました。「男が女と寝るのと同じようにして別の男と寝るなら,そのふたりは共に忌むべきことを行なったのである。彼らは必ず死に処せられるべきである。その血は彼ら自身の上にある」。そのような男たちに関してクリスチャン・ギリシャ語聖書も同様の立場を表明しています。「神は,彼らを恥ずべき性欲に渡されました。その女性は自らの自然の用を自然に反するものに変え,同じく男性までが女性の自然の用を去り,互いに対し,男性が男性に対して欲情を激しく燃やし,卑わいな事柄を行な(い)……ました」。―レビ記 20:13。ローマ 1:26,27。

      聖書はこのように公然と非難しているにもかかわらず,同性愛者たちを堂々と弁護する僧職者や教会は少なくありません。同性愛者が人口の3割を占めるサンフランシスコ市はこの点をよく物語っています。一新聞報道は次のように述べています。「幾らか意外に思えるかもしれないが,寛大な態度を示すのは多くの場合に組織宗教である。つまりプロテスタントの主要教派,聖公会,ローマ・カトリック,およびユダヤ教などの教会や会堂である。……メイン州にある合同キリスト教会の250の会衆の地方部会の聖職者であるオットー・ソマーズ師,50歳は……こう述べている。『同性愛は異性愛と全く同様,愛の倫理の下に実践されるべき神の賜物である。我々はすべてキリストの下に生きているのである』」。

      今日の宗教指導者の多くやその教会組織の多くの見解がどうあれ,同性愛行為に対するエホバ神の見方は変わっていません。また,ご自分の二度目の到来のときに地上に見られる状態について,キリスト・イエスはこう言われました。「ちょうどロトの日に起きたとおりです。……人の子が表わし示されようとしている日も同様でしょう」― ルカ 17:28-30。

      [5ページの囲み記事]

      「その都市の男たち,すなわちソドムの男たちがその家を取り囲んだ。少年から年寄りまで,民のすべてがこぞってやって来たのである。そしてロトに向かって呼ばわり,こう言いつづけた。『今夜お前のところに来た男たちはどこにいるのか。我々がその者たちと交わりを持てるように我々のところへ出してくれ』」― 創世記 19:4,5

  • “少女売春婦”と“子供ものポルノ”
    目ざめよ! 1982 | 9月22日
    • “少女売春婦”と“子供ものポルノ”

      新しい道徳は,その実を刈り取っている

      売春あっせん人やポルノ製作者のえじきになる年若くて無力な子供たち

      今日アメリカで最も著しい成長を見せている産業は残忍で堕落した商売,つまり子供を使った悪徳です。そうした商売に従事する子供たちは50万人を上回ります。その大半は家出人で,大都会へ出て来て,そこで誘惑を受け,売春あっせん人やポルノ製作者のかっこうのえじきになるのです。

      “少女売春婦<ベイビー・プロ>”と呼ばれる子供の売春婦は売春あっせん人に使われ,虐待されています。ニューヨーク市のタイムズ・スクェア一帯では,800人の売春あっせん人が無数の少女たちを抱えています。記録の明らかにするところによると,こうした子供たちの中で抱え主の売春あっせん人により虐待され,打ちたたかれ,拷問に掛けられ,強姦される者は数知れません。中には殺害されてしまう売春婦もいます。それでも,売春は“被害者のいない犯罪”と呼ばれているのです。

      ポルノはさらに幼い年齢層にまで手を伸ばしています。3歳また4歳という幼い年齢の子供たちが信じられないような事柄をカメラの前で行なっているのが見られ,そうした子供たちは大抵精神病院に送られるか,町で客を引くようになります。しかし,見るより確かなことはないというのであれば,これほど確かなことはありません。そうしたことがポルノ映画や雑誌に見られるからです。5歳や6歳の子供たちが食い物にされ,自慰行為や同性愛行為,サドマゾヒズム,さらには近親相姦をさえ含む,想像し得るありとあらゆる性行為や性倒錯をさせられています。

      ポルノは比較的刺激の少ないものから始まりましたが,急速にエスカレートしてゆきました。すぐに飽き足りなくなる倒錯した性欲の増し加わる要求にこたえるためです。裸を見せることから始まって,男女の性交を装ったものへと移って行き,そこから実際の性交へと進んで行きました。その後,男性と男性,女性と女性の同性愛行為が登場しました。その次は獣姦でした。そしてとうとう,“子供ものポルノ”と呼ばれる子供を使ったポルノが現われたのです。子供が,時には子供同士で,時には大人と同性愛また異性愛行為をしている場面が写し出されました。今や“子供ものポルノ”は数十億ドルもの売上げのある商売へと急成長し,16歳末満の子供を年に30万人使っています。

      どうして子供たちにそのような性的な関心が向けられるのでしょうか。マスメディアが子供たちを性の対象として売り込んでいるからです。広告主は自社の製品と共にポーズを取らせ,髪をなびかせ,くちびるを突き出して待っているかのような挑発的な姿をさせます。成人した女性を恐れる男性は特に,子供に引かれる,と精神科医は述べています。平等で,競争相手でさえある現代の女性,つまり解放された婦人は,これら自信を失った男性をおびえさせているのです。ところが,性欲をそそるような服装をし,ポーズを取り,簡単にものにできそうに見える少女は恐ろしい相手ではないので,そのような男たちの目に魅力的なものと映るのです。性の対象として差し出されるこれらの子供たちは,性の標的になるのです。

      性犯罪者を対象に仕事をしている法精神医学者デリック・イーブズは,「子供たちに対する犯罪が著しく増加している」ことを憂慮しています。そして,社会が道徳的な危機に陥っていると見ています。コロンビア大学の一教授は,挑発的なポーズを取る少女は,「彼女たちが売り物である」ことを意味しており,西洋的な価値基準の崩壊へ向けて踏み込まれた一歩である,と述べています。分析的精神療法医のダニエル・カッポンはこう述べています。「我々は社会の新たな暗黒時代に入った。我々は堕落の暗い時代に生きているのだ。我々の精神に暗闇が垂れ込めている。人々は今日かつてないほど人間性を失っている」。厳しい言葉ですが,生後33か月の幼女が51歳の男に襲われたという話を読むと,厳し過ぎるとは思わないことでしょう。あるいは,ポルノ製作者が両脚を広げた生後7か月の女の子の写真を撮り,小児愛者(小児に対して性欲を抱く者)がその写真を買うことに見られる病的な状態を考えてみるとよいでしょう。

      心理学者のビクター・クラインとフランク・オサンカは,ポルノが“被害者のいない犯罪”であるとの考えを一笑に付しています。オサンカはこう述べています。「子供を扱ったポルノは子供に対する性的な虐待の,写真による記録以外の何物でもない。それにはひどい心理的な影響のあることがはっきり確証されている」。クラインは,「絶えずポルノにさらされていることからもたらされる現実の心理学的な害の可能性には著しいものがある」と述べています。

      言うまでもなく,ポルノ賛成派の諸団体は自分たちの病的な状態に少しも害があるとは見ていません。小児愛解放組織,小児愛情報交換センターおよび児童性愛サークルなど幾つかの団体は,反対者たちに対する反撃の構えを見せています。そうした団体は全米で活動する秘密地下連絡網を維持しており,数百万ドル相当のわいせつな本をそうした連絡網で売買したり交換したりすることを可能にしています。こうした全米および国際的組織のあるものが,今や自分たちの“権利”を主張するため表面に出て来ています。小児愛者が“子供ものポルノ”を無害と見るのは,自分たちの性欲によって盲目にされているからに過ぎません。

      しかし,そうしたものに利用される子供たちは害を受けています。多くの場合に街頭で春をひさぐ結果になり,自分のことを,商品か値札の付いた性の対象物として見る以外に望ましいものと見ることができなくなります。ここでもまた,成人した男によって男色の相手にさせられる幼い少年たちの場合と同様,法廷は“子供ものポルノ”をわいせつとみなすことに難色を示しています。「10歳の子供がポルノ映画に出演するのを禁じるなら,憲法修正第1条に保障されている子供の権利を侵すものにはならないかという恐れが広まっている」。

      信じ難いことですが,“子供ものポルノ”映画に出演する親の中には,自分の子供を使う者さえいるのです。それでわたしたちは,次の記事の主題 ― 近親相姦 ― に注目することにします。

  • 家庭での強姦
    目ざめよ! 1982 | 9月22日
    • 家庭での強姦

      新しい道徳は,その実を刈り取っている

      今では近親相姦までが是認を求めて声を上げている

      「児童はすべて,親・兄弟姉妹・他の責任ある大人あるいは児童と性的なものをも含め,愛ある関係を持つ権利を有する」― 児童性愛サークルの指導者の著わした「児童の性の権利章典」第7条。

      隠された犯罪,近親相姦はこれまで,いわば舞台の両そででじっと待機していましたが,今や自分の出番が来たとばかりに舞台中央の前方へ進み出ています。

      毎年全米で新たに5,000件が通報されており,通報される1件につき通報されないものが10ないし20件あると専門家は言います。ある近親相姦診療所の一所長は,「近親相姦はアメリカ中に広まっていると思う」と述べています。一育児研究家の述べるところによると,近親相姦は「強姦よりも広く見られ,通報されることは強姦以上にまれである」とのことです。中には,今日のアメリカ女性のうち2,500万人は子供のときに近親相姦的な強制わいせつ行為を受けたという推定もあります。他の国々でも同じような問題が増大していることを報告は示しています。児童虐待に関する新刊書は,「今や最新の流行は父親と息子のセックス・クラブである」と述べています。ある情報筋によると,「発生率が余りにも高いので,規制は無意味である」と言われています。もし犯罪がひどくはびこっているのであれば,それと闘う理由はない,と言わんばかりの奇妙な論議です。

      最後に引用した意見は奇妙なものですが,その出所を知ると合点がいきます。これは近親相姦に賛成する圧力団体の推し進める数々の論議の一つなのです。「今日の心理学」誌の1980年3月号は,近親相姦を支持する圧力団体の主張の幾つかとして,次のようなものを挙げています。

      「近親相姦体験の中には積極的で,有益とさえ思われるものがある」。「場合によっては,近親相姦は積極的かつ健全な体験か,悪くても,どっちつかずで退屈なものか,そのいずれかである」。「近親相姦に対する恐れは,家庭内での愛ある感情の表現に,身を凍らせるような影響を及ぼす」。

      「今日の心理学」誌に載せられた記事の筆者は,こうした近親相姦賛成派の論議に同意していません。その記事の筆者はこう述べています。「あるがままの自分として,つまり自分が与えることや自分がなることのできるもののためにではなく,自分自身の存在ゆえに愛されることは,子供にとって物質の栄養と同じほど切なる願望なのである。しかし,自分の存在ゆえに愛されていることと……年長の者の性欲を満たすために利用されていることとの違いを,幼い時から見分けられる子供はほとんどいない」。

      タイム誌の1981年9月7日号に,「揺りかごから墓場までの親密さ」と題する近親相姦賛成の宣伝<プロパガンダ>が載りました。

      「ごく幼い子供たちも,親や法律の介入を受けずに,充実した性生活を送ることが認められるべきであり,さらにはそうすることが推奨されるべきである」。「ヒトは他の霊長類と同様,初期の性のリハーサル遊戯の期間を必要としている」。「子供たちは実際には権利を奪われた少数派である。子供たちには,性的に自らを表現する権利が与えられてしかるべきである。これは自分よりも年が上の人々と接触を持っても,持たなくてもよいという意味である」。「そのようなセックスは子供にとって基本的には無害である」。「近親相姦は時として有益なものになり得る」。「子供は生まれてすぐにセックスを始めるべきだと我々は信じる。近親相姦をならわしにしないと多くの問題を引き起こすことになる」。

      タイム誌の記事は結びに,幾人かの精神科医の見解を載せています。そのうちの一人は,「この社会の子供たちの間で行なわれている未熟な性行為は,必ずと言ってよいほど心理学的な問題を引き起こす」と述べています。子供たちの治療に当たっている別の精神科医は,「児童期の性行為は,弾を込めた銃をもてあそぶようなものである」と結論しています。

      自分のしたいことをしろ,という俗受けするスローガンもやはり弾を込めた銃です。売春あっせん人は自分のしたいことをしているかもしれませんが,それは,“少女売春婦<ベイビー・プロ>”のしたいことではありません。男色者は自分のしたいことをしているかもしれませんが,それは幼い被害者のしたいことではありません。近親相姦にふける親は自分のしたいことをしているかもしれませんが,それが幼い子供のしたいことであるとはとても言えません。子供にとって一番望ましいのは子供であること,安心して児童期を送り,結婚した両親からの愛を注がれることです。愛とは他の人のことを考えることであり,自分のしたいことをするのは自己中心的な考えです。

      近親相姦は子供に対する虐待の中でも最も利己的でとがむべきものでしょう。それは子供の信頼と依頼心とをグロテスクな仕方で侵すものです。子供の一番身近な保護者が急に子供に襲いかかるのです。そして,子供は損なわれて犠牲者になります。“性による精神的外傷治療計画”の元委員長,スーザン・スグロイ博士は,「近親相姦の犠牲者であることを私が承知した上で話し合った人の中に,幸福で,環境によく順応し,心配をしていない人はこれまでに一人もいなかった」と述べています。

      ニューヨーク市のオデッセー研究所の所長,ジュデーヌ・デンセン-ガーバー博士はこう述べています。「私自身,治療に当たって,近親相姦の被害者であるこれらの子供たちを扱うのが一番難しいと思う。殴打され,虐待され,火を付けられ,むち打たれた子供よりも難しい。というのは,少なくとも虐待された子供たちは自分たちに対してなされている事柄と愛とを混同していないからである。『愛している』と言いながら子供を性的に利用する親は,自分の生活の中でだれとも,治療専門家<セラピスト>とさえ親しい関係や信頼感を築いたり,約束を交わしたりすることを恐れる子供を育てていることになる。殴打された子供とは異なり,その子は愛情を求めるのではなく,愛情を恐れ,極端に孤立するようになるからである」。

      「純潔の死」という本の129ページには次のように書かれています。「売春婦の間で,子供のころに性的に迫られたことのある者の割合は92%であった。67%は何らかの形での近親相姦的な暴行を経験している。……全米平均で少なくとも家出人の75%は,近親相姦的な虐待から逃れて来る。青年期の麻薬中毒の場合にも同じ数字が当てはまる。約70%は近親相姦の犠牲者である」。

      この点でも,同性愛行為の場合と同様,聖書はこれを死刑に相当する犯罪とみなしています。「あなた方は,すなわちあなた方のうちのだれも,自分の身近な肉親に近づいてその裸をさらしてはならない。わたしはエホバである。だれにせよこれらすべての忌むべき事柄のどれかを行なうならば,それを行なった魂はその民の中から断たれねばならない」― レビ記 18:6,29。

  • 子供に対する強制わいせつ行為を終わらせる方法
    目ざめよ! 1982 | 9月22日
    • 子供に対する強制わいせつ行為を終わらせる方法

      新しい道徳は,その実を刈り取っている

      この救済策は口で説く時ではなく,実践する時に真価を発揮する

      新しい道徳は新しいものではありません。それは古い不道徳に与えられた新しい名前に過ぎないのです。その木は依然として腐っており,その実はやはり無価値です。その知恵は義にかなっておらず,その「子供ら」はそのことを証明しています。ノアの日にまたロトの日に起きた通りに,もう一つの不道徳な体制のこの終わりの日に,同じことが起きています。刈り取られている実は同じですが,ただ今回はその収穫が並外れて大きいだけです。しかも,少しも実際的ではなく,全くもって非実際的です。特に子供たちにとってはそう言えます。

      聖書の救済策は子供にとってもほかのすべての人にとっても実際的です。子供に対する強制わいせつ行為の問題に取り組む専門の人々でさえ,あるところまでは聖書と類似した解決策を差し伸べています。専門家たちは,家庭環境が悪いと子供たちは家出をし,家出人がかなりの高い率で宿なしになり,売春やポルノに身を落とし,恐るべき虐待を身に受けるようになることを知っています。そうした子供たちの中には,家庭での近親相姦や離婚によって崩壊した家庭,親との慢性的な争い,愛ある関心の欠如などから逃れて来ている子供もおり,仲間に唆された子もいます。はっきりした原因が何であれ,救済策は崩壊した家族を元に戻すことです。これは専門家たちの述べるところです。

      聖書も同様のことを述べています。聖書は親と子供との間の意思の疎通による親密な間柄の必要性を示しています。義にかなった原則に関して,次のような命令が与えられています。「あなたはそれを自分の子に教え込み,家で座るときも,道を歩くときも,寝るときも,起きるときもそれについて話さねばならない」― 申命記 6:7。

      聖書は親と子の双方にどのように行動すべきかについて助言を与えています。「子供たちよ,主と結ばれたあなた方の親に従順でありなさい。これは義にかなったことなのです。……また,父たちよ,あなた方の子供をいら立たせることなく,エホバの懲らしめと精神の規整とをもって育ててゆきなさい」― エフェソス 6:1,4。

      精神科医もこのことに同意し,親は公平で,立派な模範を示さねばならず,一方子供は規整と懲らしめとを必要としている,と述べています。ある精神療法医はこの点を確証して次のように述べています。「我々は,子供たちと“仲良く”なろうとして,手本また立法者としての責任を放棄するときにも,自分たちの子供を見捨てている。子供はこの裏切りを鋭く感じ取る。成長しつつある子供にとって,限界と制限の感覚以上に必要とされるものはないからである。子供たちはそれを愛の表われとして経験する」。聖書はこの点を確証してこう述べています。「エホバは,父がその楽しみとする子を戒めるように,ご自分の愛する者を戒められるからである」― 箴言 3:12。

      必要なのは学校でさらに多くの性教育を与えることだと言う人もいれば,性教育はすでにあからさまで,行き過ぎていると主張する人もいます。セラキュース大学の一教授の著わした子供向けのイラスト入りの本は次のように述べています。「どんな考えも正常です」。「自慰行為<マスターベーション>はどの年代の男女にとっても,性の正常な表現法です。大いに楽しむことです」。同性愛行為をするかどうかは他人の干渉することではないので,「自分の望む性生活を選びなさい」。「口腔交接や肛門交接をしてもよいか思い悩む人は少なくないし,それは“倒錯している”と考える人もいます。どんな種類のセックスも何ら間違ってはいないというのがわたしたちの考えです」。「ポルノは無害です」。

      うちの子に読み書きができないのは,先生方が性倒錯は“正常”だということを子供に教え込むのに忙し過ぎるからかもしれません。子供に対する性指導が多過ぎ,早過ぎることもあり得ます。グリーンウッド博士はこう警告しています。「親は慣習にとらわれていないことを示そうとして,度を過ごして教育する場合が多い。親は自分の子供たちにまだ処理するだけの用意がないような資料を与えていることがある」。性教育に対する賛否両論は別にして,子供の売春・男色・ポルノ・近親相姦が激増しているというのが厳しい現実なのです。

      貪欲にもこうした仕方で子供たちを食い物にする人々には,エフェソス 4章19節にある聖書の次の描写が当てはまります。「彼らはいっさいの道徳感覚を通り越し,貪欲にもあらゆる汚れを行なおうとして,身をみだらな行ないにゆだねたのです」。そうした者たちにはノアの日に関する次の描写が当てはまります。「エホバは,人の悪が地にあふれ,その心の考えのすべての傾向が終始ただ悪に向かうのをご覧になった」― 創世記 6:5。

      聖書の解決策だけが子供に対する強制わいせつ行為を終わらせます。イエスはその解決策を要約して,『心をこめて神を愛し,隣人を自分自身のように愛しなさい』と言われました。(マタイ 22:37-39)使徒パウロはこの点を繰り返し,「愛は自分の隣人に対して悪を行ないません。ですから,愛は律法を全うするものなのです」と述べました。―ローマ 13:10。

      兄弟愛というこの解決策は実際的です。それを当てはめるときに,それは真価を発揮します。神の言葉を聞きながら,それを行なわない人があまりにも多過ぎます。「主よ,主よ」と言いながら,イエスに耳を傾けず,エホバのご意志を行なわない者が多過ぎるのです。―ヤコブ 1:22。マタイ 7:21。

      キリストの下にある神の王国を受け入れる人々すべては,神のご予定の時にこの愛の律法を完全に守ることができるようになります。その時,箴言 2章21,22節の次の言葉が成就します。「廉直な者たちが地に住み,とがめのない者たちが地に残される(の)である。邪悪な者たちは地から断ち滅ぼされ,不実な者たちは地から引き抜かれるのである」。

      子供に対する強制わいせつ行為を終わらせる唯一の方法,最終的な方法は,これしかありません。

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