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注意深い生活は人生の陥穴を避けるものみの塔 1956 | 8月15日
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得るのですか。現在の組織制度に属する学校は,自分たちの理念を拡張しているということを留意して下さい。そのため,人々は直ぐにその理念に服してしまい,その標準に従つて成功を図ろうとします。まつたく,『この世の子らは,……光の子らよりも利口である。』彼らは,今日「実際的な思い」を持つていることに自慢しています。さて,私たちに対する訓しの言葉は何ですか。『またあなた方に言うが,不正の富を用いてでも,自分のために友だちをつくるがよい。そうすれば,富が無くなつた場合,あなた方を永遠のすまいに迎えてくれるであろう。』― ルカ 16:8,9,新口。
19,20 (イ)高等教育を求める若いクリスチャン奉仕者にとつて,どんな危険が伴いますか。(ロ)神の是認を受けよう,などとなぜ期待すべきではありませんか
19 「この世から離れるよう」私たちは戒められています。しかし,大学に行くなら,私たちの心はこの世の原則で充ちてしまうでしよう。集会に欠席してはならぬ,とさとされています。しかし,大学に行くなら集会に出席できないでしよう。「神に認められるよう研究せよ」と私たちは強くすすめられています。しかし,古い世にいて私たちは人々の「智恵」や是認を得るために研究しています。「御言葉を聞くだけでなく,行う人になりなさい」と教えられています。しかし,高等教育を受けるなら,神の御言葉を聞く時間も無くなれば,行う時間もなくなるでしよう。
20 神は古い世のいかなる部分をも是認していません。そして,古い世の哲学を行う学校も神の是認を受けていません。そのような「智恵」は,ヱホバの奉仕者である各人になんらの貢献をもなさないのです。それは,最初からの目的でもなく,また,そのようなことを目標にして仕組まれたものでないからです。
21 何が建設的なクリスチャン教育ですか。それはどんな価値を持ちますか。
21 パウロは,エペソ人にむかつて述べた言葉の中で,建設的な教育と訓練について述べています。その言葉の中には,この目的のための割当もふくまれているのです『彼は,ある者を使徒,ある者を予言者,ある者を宣教者,ある者を牧者,および教師とし,宣教の業のために聖徒たちの訓練を目的とされた。それは,キリストの体を建てて私たちがみな一つの信仰を持ち,神の御子の正確な知識を得るためである。かくして,私たちは全く成長した人,キリストの全きに達するのである。』なぜこれが必要なのですか。『それは私たちがもはや幼児ではなく,だまし惑わす策略により,人間の悪企みによるいろいろな教の風に吹きまわされたり,もてあそばされたりすることのないためである。しかし,真理を語り,そして愛によつてすべてに成長し……諸国民が空虚な思に従つて歩むごとくに,あなた方がもはや歩まないためである。』『光の子らしく歩きなさい。……実を結ばない闇の業に加わつてはならない。』古い世の標準に従う現在の高等教育は,使徒のこれらの言葉と適合しますか。油の水に混らぬごとく,この両者は混りません。―エペソ 4:11-17; 5:8,11,新世。
22 (イ)献身した青年男女の業は何ですか。(ロ)生涯の他の利害は,どのような立場を取るべきですか。最も大切な目標は,何ですか。
22 ヱホバに生涯を献身するとき,一生の業は奉仕者という業です。このために,あらゆるものを捧げるだけでなく,奉仕者に命ぜられているヱホバの要求を果すようになすべきです。その人は,他のいかなる事柄や欲望にも注意を外らされないでしよう。それである故に,青年男女が大学に行く代りに,4年かそれ以上の年月を全時間奉仕に費すことは,一番有益なことでありましよう。恐らくは,ギレアデに行つて宣教者の奉仕や他の特別な仕事に従事したり,またはベテルの奉仕を行うかも知れません。そうすることは,次の良き助言に全く従うことになります,『自分のことと教えのこととに気をつけ,それらを常に努めなさい。そうすれば,あなたは,自分自身とあなたの教を聞く者たちとを救うことになる。』― テモテ前 4:16,新口。
23 今日の年少者は,しばしは判断についてどんな共通の間ちがいをしていますか。
23 今日の多くの青年は,自分で善と悪を判断し得る,と考えているようです。よく『私は良いことをしているんだ』『私は良いことをしている,誰ひとりも害していない』それでは,どんな標準に従つてそうなのか,という質問が生ずるでしよう。丁度,王のいなかつたイスラエルの時と同じように,彼ら自身の目から見て良いということを行つているのです。これが今日の多くの混乱の原因になつているのです。そして,青少年は同じ型に従つていることが分ります。まだ分別が十分でない青少年でも何が善であり,何が悪であるかを判断しているのです。しかし,その結果は明白です。
道徳の標準と結婚について思いめぐらす
24 (イ)他のどんな事柄を教えることは,両親の義務ですか。なぜですか。(ロ)結婚配偶者を選ぶということに関して,なにが非常に重要ですか。
24 10歳台の青少年がいろいろの決定をする際に,いちばん難しい年頃といえば,少女が女らしくなり,少年が男らしくなるときでしよう。この頃になると,子供たちは人生に対して全く新しい見方を持つようになります。これまで,両親は子供たちに全き確信を持つていましたが,このことはなおも続くべきです。若い男女は,生命についての質問や,自分の経験している変化の意味についての質問を父親や母親に尋ねるべきです。子供たちは正しい答を頂ける,と期待しています。鳥や蜜蜂や,花についての物語をして生命のことをいい加減に説明するのでは不十分です。子供たちには,もつと多くのことを教えねばなりません。いまや子供たちには生命の基礎的な事柄に関して教えつづけるべきです。両親は,この重大な知識を与えるように神より任命された者です。年少者はそのことを期待しており,あなた方,父親と母親から教えて頂く資格を持つているのです。この中には,異性に対する正しい振舞ということも含まれています。同じように,人間ではなくヱホバ神の設立し給うた道徳律に対する尊敬も含まれています。子供が大きくなつて,結婚のことを考えるようになると,両親は再び子供たちに教えなければなりません。そして,結婚配偶者を正しく選ぶ時に,何が必要であるかを息子や娘が理解できるようにします。この事柄に関するヱホバの規則は明白です。そもそも結婚の選択ということから規定されているのです。アブラハムは自分の息子イサクの結婚配偶者を選びましたが,現在の両親もアブラハムと同じくらいに心遣いを為すべきです。このことに関して,イサクは神を恐れる父親に尊敬を示しました。彼はカナン人とその若い娘たちの中に生活していましたが,その一人としてイサクの配偶者に考えられなかつたのです。カナン人はヱホバとの契約関係に入つていなかつたからでした。パウロはこれと同じ正しい原則をクリスチャンたちに述べています。つまり,「ただ主にありて結婚せよ」ということです。この世の人を結婚配偶者にして,夫婦という密接な関係を持つ生活をしながら,どうしてこの世から離れ続けることができますか。―創世 24:3,4,37。コリント前 7:39,新世。
25 (イ)聖書中では,独身はなぜ高く評価されていますか。どんな条件の下ですか?(ロ)どんな行を避けねばなりませんか。
25 聖書は独身の重要性を強調している故,独身はより勝れた事柄です。パウロはこう説明しています。『未婚の男子は,主のことに心をくばつて,どうかして主をよろこばせようとするが,結婚している男子はこの世のことに心をくばつて,どうかして妻を喜ばせようとして,その心が分れるのである。』独身というより勝つた事柄を選ぶ者は,純潔が要求されていることに留意しなければなりません。青年男女で制慾の生活をすることができないなら,パウロは次のように諭しています,『しかし,もし自制(独身のたまもの)することができないなら,結婚するがよい。情の燃えるよりは,結婚する方が,よいからである。』(コリント前 7:32-34,9,新口)10歳台かまたはそれよりも年上のそのような若人は王なるキリスト・イエスの将来の子供たちです。そして,異性に対する彼らの振舞は,清いもので非難のないものでなければなりません。この世の人々が大酒に耽り,男女の愛撫を行つているかといつて,若きも老いたるものも,ヱホバの僕が気を弛めて同じような堕落した行をしても良い,というわけではありません。そのような行をする終りは何か,ということをいつも留意すべきです。度を越して酒を飲んだり,食べ過ぎたりするなら,感覚は鈍くなり,誘惑に屈します。男女の愛撫は,性の衝動を起します。そのような欲望を,間ちがいにも度を越してなすなら,たいへんな不道徳を行うようになります。神を恐れる人々は,神を認めぬこの世の行をいたしません。両親は,人生についてのこれらの基礎的な事柄を子供たちにはつきり理解させるだけでなく,陥穴についても警告すべきです。
26 若いクリスチャンは,結婚をどう見なすべきですか。
26 丁年に達するまでには,青少年は結婚とその意味するものを明白に理解すべきです。今日行われている結婚の3分の1は,いろいろの理由のために離婚しています。しかし,それだから現在に見られるように,結婚ということを軽々しく取上げるべきではありません。姦淫以外の理由で配偶者を離婚して他の者と結婚することは,結婚についての神の契約を破るものであり,神によろこばれません。『すべて不品行な者汚れたことをする者は……キリストと神の国をつぐことができない。』青年男女が,神の御意に一致する結婚をするため,人生についてのこれらの事実を良く知ることは大切です。結婚したクリスチャンは結婚の状態を保ち,聖書的な取極めに対して正しい尊敬を示す,ということを彼らは認識します。『すべての人は,結婚を重んずべきである。また寝床を汚してはならない。神は,不品行な者や姦淫をする者をさばかれる。』― エペソ 5:5。コリント前 6:9,13。ヘブル 13:4,新口。
結論
27 心をよろこばすどんな機会が両親に与えられていますか。
27 今日の両親は,神の標準にかなうと共に神の是認をうける仕方で子供を育てる,というすばらしい機会を持つています。これよりも大きな相続財産はありません。正しく子供を育てた両親にとつて,大人に生長した自分の子供たちが全能の神の奉仕に参加しているのを見るのは,恐らく最大の幸福でありましよう。
28 若い奉仕者の一番大切に重んずる望み,もしくは目標は何ですか。新世社会内の彼の地位は何ですか。
28 正しく教えられ,訓練されてこらしめを受けた年少者は,今日たしかに新世社会内にいることでしよう。彼らは,両親や,会衆やなかんずくヱホバとその従順にして忠実なる王なる御子キリスト,イエスに,たしかに誉を捧げる者たちです。若い奉仕者たちは,古い世の物質主義とか,地的な成功および欲望などに注意を惹きつけるあらゆる行や教えを避けます。それらは,敵のしかける陥穴以外の何ものでもありません。全く,独身であろうと結婚していようと,若い人々が一番大切に思んずる望みは,ブルックリンでのベテルの奉仕か,ものみの塔協会支部のベテル奉仕,あるいはギレアデ卒業生として外国の任命地かまたは他の任命地で全時間奉仕すること,それとも全時間の開拓者奉仕をすることでありましよう。ヱホバのクリスチャン奉仕者であることは,今日訓練されている年少者の持ついちばんすばらしい地位です。これは永遠の生命に導くものであり,これにより他の者たちも永遠の生命を受け,そして一番良いことは生ける神ヱホバの祝福を得ることができます。あなた方,今日の若い奉仕者よ,明日の円熟した忠実で忠節な僕になり,かつヱホバの新世社会の代表者になつて,ヱホバに讃美を捧げなさい!
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その26 アジヤと太平洋地域での拡大ものみの塔 1956 | 8月15日
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ヱホバの證者の近代歴史
その26 アジヤと太平洋地域での拡大
世界で最大の大陸であるアジヤは,尨大な土地を擁しています。この地域に住む12億7200万人の住民へのヱホバの証者の伝道成果は,どんなものでしょうか。伝道の進歩は遅々たるものでしたが,しかしたしかに進歩しています。アジヤは異教のはびこつている土地です。また,東洋文明の発祥地でもあり,モハメット教,ヒンヅー教,仏教,孔子の教えが根強い地盤を持つています。このために,多くの人々の心は,筆舌に尽しがたい複雑な入り乱れた状態になつています。アジヤの人々は,伝統と昔からの民俗習慣をよく守り,西洋の人々の目から見て,どんなに不合理であり,理くつに合わないものであろうとも,東洋の人々は,たしかめずに事実として受け入れる傾向があります。東洋の複雑な言語は,バベルにおいて,言葉が乱され,各言語がその困乱の状態から派生してきたかをよく物語つています。アジヤの人々は,より良い,簡単な新しい方法があつても,なかなか受け入れようとはしません。そして改宗を忌み嫌い,他人から授助をさしのべられるのを好みません。沢山の人々はなおかつ非現実の世界に住み,現実の生活の事実を直視しようとしません。偶像崇拝先祖崇拝がひろく行われ,(また罪という観念がない為に,道徳上の抑制する力が弱く)不道徳が甚しく,そのためアジヤ人の精神水準は極めて低く,動物と大差ない生活を送つているものも少くありません。サタンこそ,これらの尨大な大衆をかくも低い精神状態に追いやつている者です。しかしながら,これらの土地にも,ヱホバ神は,正直で謙遜な民を有しておられ,いま,ヱホバの証者により,集められつつあります。
1942年,ヱホバの証者の伝道の業は,この広大なアジヤの大陸で,殆んど行われておりません。その年に,406名の活潑な伝道者が報告していましたが,それは,殆んどインド又はその近辺の土地においてでした。戦争中,日本の伝道の業は禁止されていました。1947年の3月から5月まで,協会の会長は,書記と共に,極東,中東,近東方面の大規模の旅行を行い,アジヤの地にいる証者を訪問しました。これら各種の国々の訪問中に,宣教者の家の設立についての取極めがなされています。まず1947年には,僅か17名の宣教者が派遣されていましたが,1955年までに,186名の宣教者がアジヤの18の国々の各地で働いていますが,そのなかには,日本も含まれています。言葉は大きな障害ですが,宣教者は一生懸命に勉強し,その国の言葉で人々と話を交わせるように努めています。アジヤの活潑な伝道者数は,1942年には406名で
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