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  • 「私の羊を飼いなさい」
    ものみの塔 1961 | 7月1日
    • すべての人はイエス・キリストを通して神に近づかねばなりません。「わたしは道であり,真理であり,命である。だれでもわたしによらないでは,父のみもとに行くことはできない」。(ヨハネ 14:6,新口)羊飼が,羊を安全な囲いの中に閉じこめたりまたそこから牧場に連れ出すのと同じく,イエス・キリストも,信仰によって御父の羊であることを証明した人々の世話を見ます。

      特徴

      近東に多い種類の羊だけがもつ体の特徴は,非常によく肥えたしっぽです。このしっぽは,脂肪の貯蔵所で,食物が不足した時はこれから養分をとるのです。それは,でん部としっぽのつけ根のまわりの大きな,だぶだぶした脂肪のかたまりです。このしっぽの重さは時に,15,6キロもあることがあります。あまり大きく重くなってけがをする恐れがあると,羊飼は,そのしっぽを支えるための小さな車を羊につけてやり,羊はその車を引いて動きまわるわけです。近東ではこの脂肪は珍味とされていて,ねり粉菓子をつくる時によく使われます。この貯蔵される脂肪は,クリスチャンたちが,神への忠実を保つうえの助けとして身につける彼らの力と,熱心と,献身とにたとえることができるでしょう。

      聖書時代に,犠牲として使われた羊がこの種のもであったらしいことは,聖書が脂肪の尾のことを述べていることから分かります,「あなたはまた,その雄羊の脂肪,脂尾……を取らなければならない」。(出エジプト 29:22,新口)「酬恩祭の犠牲の中よりして火祭をヱホバに献ぐべし即ちその脂をとりその尾を脊骨より全くたちきり……」。(レビ 3:9)これらの従順な羊が犠牲としてささげられたように,神の小羊なるイエス・キリストは,自己を犠牲にする神の御子として,ご自身の力,熱意,献身をささげました。これはエホバ神にとって,なだめの甘いかおりとなりました。

      羊は群れをなす習性をもっています。そして導く者に喜んで従います。この本能をもっているため,羊飼は,1匹の羊が群れから離れていると,病気か,けがをしたか,迷ったのだということを知っています。彼はその羊をさがしに行って群れのところに連れ戻し,そこで自分にできうるかぎりの看病をしてやります。もし羊がけがをしたなら,パレスチナの羊飼は,タビデが,「あなたは……わたしのこうべに油をそそがれる」と言ったように,オリブ油できずの手あてをしてやります。―詩 23:5,新世。

      象徴的な羊も,共に集まり,良い羊飼および任命された監督の導きに喜んで従わねばなりません。それどころか,彼らは互に集まることをやめぬようにと命令されているのです。もしひとりの者が集まりに来ないと,会衆の従属の羊飼は,その人が霊的に病気で,助けを必要としていることを知っています。もしその人の感情が傷つけられているなら,神の御言葉という心を静める油は ― 愛に満ちた親切な心をもって施されると ― その傷をいやすものです。

      近東の羊飼は,羊を導く時にいつも羊に呼びかけます。しかも羊の名前を呼ぶのです。羊は羊飼の声をよく知っていてその声に広じます。ある時イエスは,神の民について話しておられた時,このことに言及されました,「門番は彼のために門を開き,羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。自分の羊をみな出してしまうと,彼は羊の先頭に立って行く。羊はその声を知っているので彼について行くのである。ほかの人には,ついて行かないで逃げ去る。その人の声を知らないからである」。―ヨハネ 10:3-5,新口。

      羊飼の仕事は非常につかれる仕事で,自分にまかされているものに対して大きな愛を必要とします。いつも羊を群れにしておかねばならず,迷ったり横道にそれたりしたものをさがさねばならず,病気のものの看病をし,けがをしたものの世話をし,生まれたばかりの小羊は暖かくして雨にぬれぬようにしてやらねばならず,くたびれた羊を抱いてやらねばならず,群れのために水を汲み,新しい牧草地に移したり保護してやらねばなりません。クリスチャン会衆の中で,監督の地位に任命された人々は,それと同じく愛をこめて会衆の世話をすることを期待されています。

      イエスは地上におられた時,彼と共に天で支配する特権をもつ特別のグループを集めました。彼らは,小羊イエス・キリストに従う小さな羊の群れとして表わされています。「恐れるな,小さい群れよ。御国を下さることは,あなたがたの父のみこころなのである」。―ルカ 12:32,新口。

      この小さい群れに加えて,小さな群れの支配のもとにある地上に住むところの,無数の象徴的羊の群れがもう一つあります。彼らは,キリストと共に天の御国をつぐ小さな群れのおりの中にはいませんが,現在住んでいる者たちは,小さな群れと共に,神の小羊の注意ぶかい世話のもとで一つの大きな群れに集められています。「わたしにはまた,この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも,わたしの声に聞き従うであろう。そして,ついに一つの群れ,ひとりの羊飼となるであろう」。(ヨハネ 10:16,新口)これらの従順な者たちは地をつぐでしょう。―詩 37:11,29。

      パレスチナでは,仕切りで分けられた羊の囲いも使われてきました。羊飼が,羊とやぎの混合した群れをもっている場合,夜になって群れが囲いにはいる時に羊とやぎとを分類して,羊を一方の囲いに,やぎを他方の囲いに入れます。イエスは,御自分が羊飼として,すべての国民を分類する終りの時に関する預言の中で,この習慣に言及されています。「すべての国民をその前に集めて,羊飼が羊とやぎとを分けるように,彼らをより分け,羊を右に,やぎを左におくであろう」。―マタイ 25:32,33,新口。

      これらの聖句は,神の民を表わすためにすなおな羊を用いている多くの聖句のうちのほんのわずかにすぎません。羊のような性質を示す人々はいま全世界から,献身した神の僕たちの新世社会に集められています。そして彼らの監督に任命された人々は,イエスがペテロに与えられた,「私の羊を飼いなさい」という命令に従っています。(ヨハネ 21:16,新口)彼らはゆきとどいた世話を受けているために,「ヱホバはわが牧者なり,われともしきことあらじ」と心から言うことができます。―詩 23:1。

  • 読者よりの質問
    ものみの塔 1961 | 7月1日
    • 読者よりの質問

      ● 1960年12月1日号の「ものみの塔」には,五旬節にクリスチャン会衆が始まったとき,「聖書の残りの27冊を…書いた8人のユダヤ人信者のうち6人がそこにいました」と書かれています。そこにいなかった者のひとりはもちろんパウロでしたが,もうひとりはだれでしたか。―インドネシアの一読者より

      使徒行伝 1章の13,14節によると,クリスチャン・ギリシャ語聖書の記述者たちと,使徒マタイ,ヨハネ,ペテロがそこにいたことは明らかです。なぜなら,そこには忠実な使徒たちの名前が全部あげられているからです。そして,イエスの兄弟たち,もしくは異父弟たちもいたと書かれていますから,ヤコブとユダもそこにいたことになります。マルコが早くから信者であったと信じてよい理由は二つあります。ひとつは,イエスが裏切られた晩に逃げていったうすぎの若者が,マルコであったらしいこと。なぜなら,この出来事を述べているのはマルコだけであり,その者がマルコ以外の者であったなら,マルコはその者の名前を示したに違いないからです。第二に,マルコの母の家は,崇拝の場所として初期クリスチャンたちに使われました。そのことは,母親とむすこのマルコの両方が,イエスの死なれるまえにイエスの追随者になっていたことを示すようです。―マルコ 14:51,52。使行 12:12。

      こうなると,のこるのはパウロのほかにルカだけとなります。彼が,五旬節に恐らくそこにいなかったということは,彼の福音書の冒頭の言葉で明らかです。というのは彼は,「最初から親しく見た人々……御言に仕えた人々」のことを語って,彼が目撃者でなかったことを示しているからです。そのうえ,「私たち」という人称代名詞を通してルカが初めて出てくるのは,後に使徒パウロになったサウロの改宗後にすぎません。―ルカ 1:2。使行 16:10。

      ● 死の記念式を制定し,追随者たちと御国契約を結ぶにあたって,イエスはパンを食べ,ぶどう酒を飲みましたか。―アメリカの一読者より

      これらの表象物についてイエスはこう言われました,「取って食べよ。これは私のからだを意味する」。「あなた方は,みなこの杯から飲みなさい」。ですから,イエスが,彼自身の肉体を象徴するパンを食べ,彼自身の血を象徴するぶどう酒を飲んだと考えるのは不合理に思われます。それで,決定的な解答を与えてくれる聖句が聖書になくても,こういう結論を下す方が合理的であり論理的です。―マタイ 26:26,27。

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