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  • エホバはクリスチャン会衆を牧される
    ものみの塔 1969 | 10月1日
    • をれどこれをさがす者なく尋ねる者なし」― エゼキエル 34:2-6。

      11,12 しかしエホバはご自分の羊のためにやがて何を行なわれますか。

      11 ついでエホバは,ご自分が何を行なわれるかを告げつつ,エゼキエルを通してさらにこう語られます。「我かれらの上に一人の牧者をたてん その人かれらを牧ふべし これわがしもベダビデなり 彼はかれらをやしなひ彼らの牧者となるべし 我エホバかれらの神とならん わがしもベダビデかれらのうちに君たるべし 我エホバこれを言ふ」。(エゼキエル 34:23-25)エホバのお用いになる,より偉大なダビデはエホバの御子キリスト・イエスであり,イエスは確かにこの時代において,エホバの羊たちに対する良い牧者となっておられます。そして,イエスと一体となって働いているのは下位の牧者たち,つまり忠実で有能であり,神を恐れ,不正な利得を憎む人々です。この20世紀に,エホバはご自分の手を世話するため,再び牧者たちを興こされたのです。

      12 エホバがキリスト・イエスを通じて選んだ人々は,必要な能力を備えていることを実証してきました。エホバがそのような人々を選ばれたことは,ご自分の羊を再びご自分の囲いの中に集めておられることのしるしです。そして,そのようにして集められる羊たちも,さらに他の多くの人々が命の道を歩むのを助けているのです。

      今どこに頼るべきか

      13 背教の宗教活動に信頼を失っている人が多いのはなぜですか。

      13 今あなたは,そのような地上の忠実な牧者をどこに見いだせるか,また主の羊の霊的な必要を真実に心にかける人々はどの組織にいるかとお尋ねになるでしょう。キリスト教国のさまざまな宗教組織が神のみことばに背を向け,神の教えや戒めを水割りするのを見てきた多くの人々は,背教した宗教を全く不快に感じ,それが人々を助けるため神に用いられていないことを感じ取っています。牧者また神の羊となる者の責任について知るわたしたちは,エホバの証人の組織について調べ,人々が偉大な牧者エホバ神の愛の世話の下に来るのを助けるため,この組織が何を行なっているかを調べてごらんになることを勧めます。

      14 ものみの塔協会はどのように組織されていますか。今日の牧者はどんな資格にかなっていなければなりませんか。

      14 1884年に法人化された,ものみの塔協会は,以来80年以上にわたり,牧羊のわざを続けてきました。今日この協会は神権的に組織されています。つまり,偉大な牧者エホバはご自分の良い牧者を用い,この地上において神の羊の群れの牧者となるにふさわしい人々を聖霊によって任命しておられます。群れの牧者として立てられた者は,モーセの時代に選ばれた人々と同じく,能力を持ち,神を恐れ,信頼でき,不正な利得を求めない人々でなければなりません。その人々は聖霊により,使徒パウロを通じて示された資格にかなっていなければなりません。パウロはテモテにあてた手紙の中で,その資格をこうしるしました。「人もし監督の職をしたはば,これ善き業を願ふなり……それ監督は責むべき所なく,一人の妻の夫にして,自ら制し,慎しみ,品行正しく,旅人をねんごろにもてなし,よく教へ,酒をたしまず,人を打たず,寛容にして,争はず,金を貪らず,よくおのが家をおさめ,謹厳にして子女を従順ならしむる者たるべし」― テモテ前 3:1-4。

      15 今日の牧者つまり監督が会衆内の残りの羊と少しも異ならないことを述べなさい。

      15 こうした牧者は会衆の一部であり,会衆から離れて存在するのではありません。つまりこれらの牧者は会衆のあらゆる活動に自ら携わり,羊の益のために率先して行動するのです。それによって,羊たちはならうべき手本を持つのです。主の羊の牧者として働く者は,自らの行ない,およびエホバと羊の群れに対する愛によって,エホバが愛し導かれ人々つまり羊の群れにも似たエホバの民に対する関心を示さねばなりません。パウロは羊を牧する者が正しい行ないにおいて手本となるべきことを示しています。主の羊を牧する務めをゆだねられた者は,他の人々の行なうべき事を単に告げるのではありません。良い牧者イエス・キリストが地上におられた時行なわれたとおり,御国の良いたよりの宣明を含め,他の人々の行なう活動に率先して携わるのです。牧師と平信徒の区別はありません。すべての者が兄弟であり,すべての者がエホバおよび互いのしもべとなるのです。会衆内の監督たちつまり牧者たちの任命は,すべて聖霊によって与えられ,神のみことばの中にしるされた指示と基準に従ってなされます。

      16 (イ)今日の牧者はだれを見ならわねばなりませんか。(ロ)古代のイスラエルに対する神のやさしい世話を顧み,今日の牧者もしくは監督は何を心がけますか。

      16 神の羊のような民の監督もしくは牧者は,会衆内の大きな責任,および会衆に連なる人々の福祉を顧みる務めをゆだねられています。監督は羊のような人々を扱うに際して過酷また抑圧的になってはなりません。むしろ,イエスの示された資質またイエスをその父エホバのきわだった代表者とならせた資質に見ならわねばなりません。イスラエルは不従順であり,エホバの戒めを守らなかったにもかかわらず,主エホバはこのご自分の民を幾百年にもわたってやさしく扱われました。この点を心にとめる監督は,主に属する人々を扱うに際して,寛容であり,忍耐づよくあるべきことを悟ります。監督は羊のような人人の会衆の活動が能率的に行なわれ,会衆内の物事が正しく処理されるべくあらゆる努力をしますが,能率のために愛や思いやりや同情心を犠牲にすることはありません。監督は,会衆内に身体的また霊的に病気の人がいるならば,その人々を尋ねるためにも時間を用いなければなりません。監督はそうした人々を助け,建て起こそうとします。また,自分には問題とならないようなことでも,他の人には問題となる場合のあることを知らねばなりません。すべての人がすべてのことに対して全く同じ見方をするわけではありません。したがって監督は,エホバのしもべのひとりひとりが異なった人物であり,各人から正しく愛のある反応を得るため,個々の人々を時に異なった仕方で扱うべきことを知り,接する人々に対して思いやりを深くしなければなりません。

      17 主の羊に対する責任が今日多くの者にどのように分担されているかを述べなさい。

      17 生活に起きる重大な問題に対して円熟した古い人の顧慮が必要です。そのため組織は,会衆内の責任をそれぞれに分担すべきことを,聖霊の働きによって悟っています。モーセも援助者が必要であったと同じように,現代において仲間のクリスチャンのために働く人々も援助者を必要としています。それで,クリスチャンたちの統治体が存在し,クリスチャン活動の監督を受け持っていますが,この統治体だけでは,全地にいる,偉大な牧者の民の生活に起きる問題のすべてを処理できません。したがって,ある国あるいは島々の監督もしくは牧者となる人々が,聖霊によって全地に立てられています。わたしたちは今日,そのような牧者を支部のしもべと呼んでいます。また一つの国の中でも古い人人が立てられて,地域のしもべおよび巡回のしもべの立場についています。これらのしもべは一定の地域にある神の民の会衆や群れに対してそれぞれに定まった責任をになっています。さらに他の人は10人から100人ないしは150人の人々から成る会衆の牧者もしくは監督として立てられ,またそれら会衆の牧者を助けて,会衆内の人々の種々の必要に答える補佐たちも任命されています。このすべては,良い牧者イエス・キリストおよびその父エホバ神に属する羊たちを助ける目的でなされています。

      18 (イ)今日の会衆内の牧者たちはエホバの助力に頼っていることをどのように示しますか。(ロ)イザヤ書 32章1,2節によれば忠実な牧者はどんな者になりますか。

      18 主の羊のために奉仕するこれら古い人々すべては,種々の問題の処理にあたって,偉大な牧者およびその御子の導きを求めます。これら牧者は会衆内に起きる大切な問題すべてを注意深く考慮し,神のみことばの中に導きと助力を求めます。これは正しい決定を下すためです。彼らは神の民を牧する者であり,それゆえに,神のみことばについて確かな知識を持たねばなりません。彼らはそのみことばを正しく,またふさわしい仕方で扱うことが必要です。(テモテ後 2:5)牧者として仕える人々は,聞くことに速く,語ることや怒ることにおいて遅い人であるべきです。(ヤコブ 1:19)そして彼らはイザヤの語った人々のようにならねばなりません。「ここにひとりの王あり正義をもて統治め,その君たちは公平をもてつかさどらん また人ありて風のさけどころ暴雨ののがれどころとなり,かわける地にある水のながれのごとく,うみ疲れたる地にある大なる岩かげのごとくならん」。(イザヤ 32:1,2)そのような人々自身は,会衆においてともに交わる人々から大いに尊敬され,また深く愛されるでしょう。

      19 どうすれば,偉大な牧者エホバがわたしたちをいま養っておられることを確信できますか。

      19 『わたしは自分の手を知り,わたしの羊はわたしを知っている』と言われたのは主イエスです。同じように,自らもキリストの羊である神の羊の牧者たちは,会衆内の人々を知り,またその人人に知られねばなりません。こうしてわたしたちは,現存する邪悪な事物の体制の終局の時である今日においても,宇宙の神であられるエホバが忠実な下位の牧者たちを通じてわたしたちを世話し,養ってくださることを理解できるのです。

  • 柔道をやめた少年
    ものみの塔 1969 | 10月1日
    • 柔道をやめた少年

      ● 若い人々も戸口で証言をするようにとの,ものみの塔協会の助言の効果は,次の南アフリカ連邦の経験からもわかります。ある平日の午前中,家から家の伝道をしていた1人の婦人の奉仕者は13歳の少年に会いました。少年は召し使いが出かけている間,おばの二人の子供のお守りをしていました。婦人の奉仕者は少年と聖書の話し合いができてたいへん喜びました。聖書にある人間創造の記録と,進化論について話し合ってみて,その少年が十分に物事を考えることができるのを知りました。そしてその少年とまたすぐ会うことになるとは予想もせずに,「進化と創造 ― 人間はどちらの結果ですか」と題する本を配布して帰りました,同じ日の午後,その少年は婦人の家を訪れて,彼女がどの教会に属しているのかを尋ね,さらに,前述の本の今読んできたばかりの箇所について二,三の質問をしました。その少年が聖書の研究をすれば大きな益を受けるにちがいないと考えた婦人は,自分の家に来て毎週聖書の研究を行なうことを提案し,両親の許しを得るようにすすめました。カトリック教徒である少年の母が司祭に忠告を求めたところ,みな同じ聖書を持っているのだから別に害にはならないだろうとのことでした。最初の勉強が終わったとき,週に2回来てもよいですかと,少年は尋ね,その後,いつもたくさんの質問をするようになりました。ある日,その婦人が少年のために,製本された出版物から答えを捜していたところ,たまたま少年は「暴力に抵抗するための訓練」という記事を見つけて読みました。それまで柔道の練習に励んでいたかれは,自分がスポーツと思っていたものをクリスチャンが暴力とみなすのを知って驚きました。翌日,少年は,柔道をやめることを母親に告げました。たいへんお金のかかることだったので,母親は少年の決心を喜びました。この少年は最近,初めて巡回大会に出席し,良い進歩を示しています。

      ― エホバの証人の1969年度年鑑より

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