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  • すべての国の民が神から飲まされる「杯」
    ものみの塔 1979 | 12月15日
    • 与え,次のように言われます。「万軍のエホバは言われた。『見よ,災難が国から国へと出て行き,激しい大あらしが地の最果てから引き起こされる。そして,エホバに打ち殺される者は確かに,その日には必ず地の一方の果てから地の他方の果てにまで至るであろう。彼らは嘆き悲しまれず,寄せ集められず,葬られることもない。彼らは地の表の肥やしのようになるであろう』」― エレミヤ 25:32,33,新。

      21 ネブカデネザルが帝国の版図を広げたために打ち殺された人々に対する責任をエホバが取られたのは,なぜ妥当なことでしたか。

      21 このような言葉でエホバは,バビロニア帝国に併呑されることになっていた国々に対するネブカデネザルの勝利の進撃を予告されました。ですからエホバは,ネブカデネザルがエホバから渡された刑執行の剣を振るってあらゆる抵抗を制圧し,国から国へと破竹の勢いで征服の手を伸ばすことを許されました。そういうわけでエホバは,征服者のバビロニア人に打ち殺された者たちに対する責任をご自分で取られました。エホバご自身,バビロニアの侵略の犠牲になる者たちのことを,「エホバに打ち殺される者」と呼ばれました。諸国民を「狂人のように」行動させるものを「杯」から彼らに飲ませたのはエホバでした。人々がそれをエホバ神の業と認めようが認めまいが,ネブカデネザル王がバビロニア帝国の版図を,それ以前の世界強国の領土よりも広範囲に拡大したことを示す記録は世俗の歴史にも豊富にあります。エホバはこれになんらかのかかわりを持っておられたに違いありません。というのは,早くもネブカデネザルの治世の元年に,バビロニア帝国のその拡大を予告されたからです。―エレミヤ 25:1,2; 32:1,2; 52:29。列王下 25:8。エレミヤ 52:12。ダニエル 2:37,38; 4:20-25。

      22 来たるべき「大患難」の時に打ち殺される人々の中に入りたくないのはなぜですか。

      22 さて,ハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」で頂点に達する,近づきつつある「大患難」において「エホバに打ち殺される者」たちはどうでしょうか。わたしたちはその一人になりたいと思いますか。決してそうは思いません。そのときエホバに打ち殺されるということは,エホバによる刑の執行を受けることを意味するからです。

      23 「大患難」でこの事物の体制のどの部分が最初に滅びるかは,どのように予型的に示されましたか。その部分が最初に滅びるのはなぜですか。

      23 「大患難」がぼっ発するとき,滅びに定められている諸国民はすべて,エレミヤ級の神に敵して勢ぞろいするでしょう。キリスト教世界の国々の民もその顔ぶれの中に見られるでしょう。それらの国民も,エホバの証人に反対しエホバの証人を迫害する者たちの部類に入るからです。キリスト教世界は背教したユダ王国とエルサレムの現代版ですから,この事物の体制の最初に打ち倒される部分となるでしょう。そのことの予型として,ユダ王国は「憤りのぶどう酒」の入った「杯」を最初に飲まされました。エホバは,まず「[ご自分の]名が付されている都市」から,国際的災厄をもたらすことに着手する,と言われました。(エレミヤ 25:29,新)キリストとは似ても似つかないキリスト教世界は,宗教の領域の中でも,神とキリストのみ前で一番大きな責任を問われる部分です。そういうわけで,世界的な災厄は同世界から始まり,連鎖反応を起こすかのように広がっていきます。これは象徴的な「大あらし」であって,飛行機から雲の中に凝結核をまいて人工的に雨を降らせ,解消することができるようなものではありません。

      24 「地の最果てから」大あらしが起こるということは何を示していますか。どれほどの犠牲者が出ますか。

      24 この象徴的な「大あらし」は「地の最果てから」来ることになっています。それは,滅びに定められている国々の領域外から引き起こされるからです。(エレミヤ 6:22,新)現代における成就では,これは実際に目に見えない天的源から来ることを意味し,したがってまさしく「神の業」と言えます。ノアの日の大洪水が地球全体を覆ったように,その「大あらし」も地球をくまなく吹きめぐり,地の果てから果てまで,その犠牲者が累々と横たわることは必定です。生き残るエレミヤ級とその仲間の「大群衆」はいったいどのようにしてそれらを埋め尽くすでしょうか。エホバはその屍を処分する力をお用いになる必要があるでしょう。―啓示 19:11-21。

      25 エレミヤ記 25章34-38節に記されていることを考えると,同じ“騒ぎ立てる”なら,どのように騒ぎ立てるほうがよいですか。

      25 その「神の側の報復の日」には,嘲笑者たちが“不吉な予言ばかりして騒ぎ立てる者”と呼んだ人々の中にいるほうが,「大患難」ゆえに泣き叫ぶ人々の中にいるよりもよいでしょう。(イザヤ 61:2,新。啓示 7:14,15。マタイ 24:21-30)「牧者よ,泣き叫び,叫べ」と,エホバはエレミヤを通して言われます。「群れの中の貴い者よ,転げ回れ。ほふられ,散らされるあなたがたの日が満ちたからである。あなたは望ましい器のように必ず倒れる! また,逃げて行く場所は牧者たちから,逃れる方法は群れの貴い者たちから滅び去った。聴け! 牧者たちの叫びと,群れの貴い者たちの泣き叫ぶのを。エホバが彼らの牧場を略奪しておられるからだ。そして,平和な居どころはエホバの燃える怒りのために生気を失ってゆく。彼はたてがみのある若獅子のように,その隠れがを去られた。彼らの地は虐待の剣のために,その燃える御怒りのために,驚きの的となったからである」― エレミヤ 25:34-38,新。

      26 その預言では,「牧者たち」また「群れの貴い者たち」とはだれのことですか。

      26 わたしたちはこの預言から,牧師とか霊的牧者と呼ばれている僧職者と,「群れ」と呼ばれている彼らの教会の会衆を思い浮べるでしょうか。おそらくそうでしょう。しかしエホバはここで,諸国民の宗教指導者に話しておられるのではありません。ヘブライ語聖書では政治上の支配者は牧者と呼ばれ,その民つまり臣民は群れと呼ばれています。それで「群れの貴い者たち」とは,君たちとか,国民の中でも王の愛顧を受けていた者たちのことになるでしょう。エレミヤ記 25章34-38節の場合もそれに違いありません。その章のどこにも,祭司やレビ人のことは述べられていないからです。エレミヤがエホバの「杯」を渡すように命じられた相手は,「王たち」,「君たち」,「王国」とされています。(エレミヤ 25:18-26,新)近づきつつある世界的「災難」と「大あらし」は,僧職者や他の宗教指導者たちだけでなく,ついには,この事物の体制の政治上,行政上の領域にも及びます。

      27 セシャクの表わしていたどんなものが最後に「杯」を飲むことになっていますか。

      27 それで,最後に「杯」を飲むのは「セシャクの王」です。エレミヤ記 51章41節(新)にある預言は,そのことがすでに成し遂げられたかのように述べられています。「ああ,セシャクは攻め取られた。全地の賞賛を受けた者は捕らえられる! バビロンは諸国民の中でただ驚きの的となった!」―エレミヤ 25:26; 27:7,新。

      28 「牧者たち」と「貴い者たち」はだれのことのほうを深く憂慮していますか。彼らの牧場はどのように略奪されますか。

      28 政治上の「牧者たち」や「貴い者たち」は,ただ利己的な理由で「泣き叫び」,地面を転げ回るにすぎません。主権者なる主エホバが「大患難」の間に弁明を求められるとき,彼らは自分たちが打ち殺され散らされる日の来たことに気づいて慄然とするでしょう。もし逃れる方法,あるいは逃げ込める避難所があれば,「泣き叫ぶ」ほどの気持ちにはならないかもしれません。彼らは国民の「群れ」がどうなろうとほとんど気にかけておらず,自分たちが処刑されることのほうを憂慮します。お金のもうかる職務や高い地位は消え去ります。彼らの「牧場」,すなわち彼らが国民の群れを利用する手段としていた事物の体制は略奪され,荒廃します。住むに楽しく有利であった,以前の非常に「平和な」住みかは生物の住まない所にされてしまいました。その群れの囲いには,一面に死の沈黙が漂います。

      29 そのときエホバはどのように,たて髪のある若いライオンのようになられますか。「剣」はどのような目的で振るわれますか。

      29 そのような世界的「驚きの的」をつくり出すのですから,エホバの怒りは非常に激しく燃え立っているはずです。そのときのエホバは,ヨルダン川のはんらんで仕方なく穴から出て来た,谷間に住むライオンのようではありません。「万軍のエホバ」はそのとき,牧草地に牧羊者がいるにもかかわらず,攻撃態勢を取ってその「隠れが」を出て行く大胆なライオンのようであられるに違いありません。エホバはご自分のみ子なる僕イエス・キリストを通して「全能者なる神の大いなる日の戦争」の「剣」を振るわれます。(エレミヤ 25:30,38)世の牧者たちや貴い者たちは,エホバの「虐待の剣」の致命的一撃から立ち直ることは決してありません。

      30 わたしたちは,エホバの預言に対する信仰の耳で聞いている事柄のゆえに,今何をすべきですか。

      30 耳をすましてください! エホバの預言を信ずるあなたの耳には,しだいに大きく聞えてきますか。この「終わりの時」という,よく反響する廊下を通して,予告された未来から,すべての国の「牧者たち」の泣き叫ぶ声が,羊のような人間の群れの「貴い者たち」の苦痛の叫びと共に聞えてきます。それを聞くわたしたちはどうすればよいでしょうか。逃れる道がまだ開かれている間に,逃げ込める一つの避難所がまだあるうちに,行動するのです! 任命された牧者であるイエス・キリストによるエホバの王国を,安全で保護となる避難所としましょう。―エゼキエル 34:23,24。エレミヤ 23:5,6。

      (エレミヤの預言に関するこの連載記事は,「ものみの塔」誌,2月1日号から再び掲載されます。)

  • 徹底的な変化
    ものみの塔 1979 | 12月15日
    • 徹底的な変化

      預言者イザヤの時代のエルサレムの女性たちは,大変に高慢で,人目を引くような服やぜいたくな装飾品で身を飾っていました。当時,結婚する場合に,適当な男性がいないということはありませんでした。(イザヤ 3:16-24)しかし,エホバはイザヤを通して,徹底的な変化が近付いていることを次のように示されました。「あなたの男たちは剣により,あなたの力強さは戦いによって倒れる」。(イザヤ 3:25,新)そうした状況は,エルサレムの女性に次のような影響を与えることになっていました。「七人の女が一人の男に取りすがって言う,『わたしたちは自分のパンを食べ,自分のマントを着ることでしょう。ただ,わたしたちのそしりを取り去るため,わたしたちがあなたの名で呼ばれますように』」― イザヤ 4:1,新。

      結婚できる男性が非常に少なくなるので,七人の女性が,やって来る最初の男性に,先を争って結婚を申し込むことになるでしょう。彼女たちすべての望んでいたことは,その男の人の名で知られること,夫がいないという恥辱から解放されることでした。モーセの律法によれば,夫は妻のために食物や衣服を備えなければなりませんでした。(出エジプト 21:10)しかし,それらの女性たちの置かれた状況が緊迫することになっていたため,女たちは男の人をその法的責任から自由にしてあげてもよいと考えるのです。それらの女性たちは『自分のパンを食べ,自分のマントを着る』ことでしょう。

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