-
神によって開かれた回復への道ものみの塔 1981 | 2月15日
-
-
ません。というのは,イザヤが預言を述べた次の世紀中に,イスラエル国民はその祖国を失い,西暦前607年から537年までの間,遠く離れたバビロニアに埋もれていたからです。(エゼキエル 37:1-11)エホバの過分のご親切によって祖国の領土に復帰したとはいえ,それより569年後の西暦33年にはエホバ神との契約関係を失いました。西暦70年には,ティツス将軍の指揮下にあったローマ人は反抗的なエルサレムを滅ぼし,ユダヤ人たちは非難の的として世界中に散らされました。このすべては死病にとりつかれたキリスト教世界に警告となるはずです。
回復への道を歩み始めた人々
19 イザヤ自身,仲間のイスラエル人たちの霊的病にかかっていたでしょうか。ヘブライ書の中で引用されているイザヤの言葉は何を示していますか。
19 預言者イザヤも,その国民が苦しんでいた宗教的偽善で霊的に病気にかかっていたなどとだれも考えてはなりません。そのような偽善を暴露するためにエホバ神に用いられる人は,神との間に健全な関係を持っていなければなりませんでした。イザヤは次のように述べて,自らとその家族が霊的に健康であることを示しました。「見よ! わたしと,エホバがわたしに賜わった子供たちとは,シオンの山に住んでおられる,万軍のエホバからのイスラエルでの徴となっており,奇跡となっている」。(イザヤ 8:18,新)クリスチャンである使徒パウロはヘブライ人への手紙の中でこの言葉を引用し,その言葉をイエス・キリストと油そそがれ,霊によって生みだされた弟子たちとに当てはめ,次のように語りました。『彼はこう述べています。「わたしはあなたの名を自分の兄弟たちに告げ知らせます。会衆の中でわたしは歌をもってあなたを賛美します」。また,「わたしは彼に信頼を置きます」,そして,「見よ,わたしと,エホバがわたしに与えてくださった幼子たちとは」と』― ヘブライ 2:12,13。
20 エホバが大いなるイザヤであるイエス・キリストに与えた「子たち」は最初はだれでしたか。
20 エホバ神が西暦33年のペンテコステの際にイエス・キリストにお与えになったその「幼子たち」とは,エルサレムにその首都を持つユダヤ人の組織に属する男女でした。ですからペンテコステの際に神の霊によって油そそがれる前に,それらの男女は,イエス・キリストが「イスラエルの家の失われた羊」と呼んだ人々を取りまいていたあの霊的に病んだ事物の体制と交わっていました。(マタイ 10:6; 15:24)しかし彼らはペンテコステ以降,エホバの非難の言葉を告げるよう預言者イザヤが命ぜられた宗教組織にもはや属してはいませんでした。イエス・キリストの指導の下に,彼らはイザヤ書 58章8節においてエホバによって約束された回復への道を歩んでいたのです。彼らは独善的なパリサイ人たちをその成員に持つ組織を後にしました。パリサイ人たちは神殿で祈りをささげた際,誇らしげに「わたしは週に二回断食をしています」と言いました。―ルカ 18:11,12。
21 不忠実なイスラエルの現代版から離脱したことに対して,イザヤ書 58章8節でどんな益がキリストの弟子たちに預言的に約束されていましたか。
21 同様に,今日の献身してバプテスマを受けたエホバの証人たちも,その大半はイザヤの時代とキリストの時代のイスラエル国民の現代版であるキリスト教世界の諸宗派や諸教派から出て来ました。霊的に病んで,暗やみの状態にあるキリスト教世界から離脱することに対する報いとして,イザヤ書 58章8節(新)の預言的な約束が彼らの上に成就してきました。こう書かれています。「そうすれば,あなたの光はあけぼののように差し出で,回復が速やかにあなたのために生じるであろう。そして,あなたの義は確かにあなたの前に歩み,実にエホバの栄光があなたの後衛となるであろう」。
22 離脱した弟子たちのための約束された「回復」はいつ生じ始めましたか。
22 西暦1919年の戦後の年に,素早く,その預言はエホバのクリスチャン証人たちの上に成就し始めました。彼らはその時,信条と伝統に縛られ,僧職者によって支配されていたキリスト教世界から完全に離脱したのです。これら解放された人たちにとって,聖書の真理と預言に関する啓発は,「あけぼののように」差し出で始めました。キリストを仲立ちとしたエホバ神との関係における,彼らの霊的に健康な状態への「回復」は,急速な改善とともに生じました。神殿におけるイザヤのように,彼らはエホバの証人として奉仕するために清められました。―イザヤ 6:1-10; 43:10-12,新。
23 第二次世界大戦中でさえ,キリストの弟子たちにはどんな前衛と「後衛」が付いていましたか。
23 キリスト教世界の曲がった道ではなく,「義」が彼らの前を行き,エホバの目に正しい道へと彼らを導きました。エホバの証人たちを保護するために,神は今に至るまで「後衛」として彼らの後ろを行かれました。こうした保護があったがゆえに,彼らは神の是認の下に留められ,1939年から1945年までの第二次世界大戦中その敵どもから絶滅させると脅されたときにも保護されてきました。―マタイ 24:9-14。
-
-
人類の健康状態 どのようなものになり得たかものみの塔 1981 | 2月15日
-
-
人類の健康状態 どのようなものになり得たか
1 世界的医師が必要とされているのはなぜですか。そしてキリストによって引用されたどんな原則は,医業や保健機関に当てはまりますか。
人類の健康状態は思わしくありません。いまだかつてないほど世界的医師が必要とされています。というのは新しい病気が次々に発見され,人命を奪っているからです。医業と保健機関すべてが結束しても世界中の疾患すべてを癒すことのできる世界的医師になることはできませんでした。それ以外の結果を予期すべくもありません。というのは,「医者よ,自分をいやせ」という原則が当てはまるからです。その言葉を引用したのはだれでしたか。それはあらゆる疾患を癒し,一人の男の人を死後四日目によみがえらせることさえした人でした。そのような医学上の記録を持つ人はイエス・キリストです。(ルカ 4:23。マルコ 6:4-6)西暦33年に生じたその方ご自身の死は自然の原因によるものではなく,殺害者の手にかかった結果でした。(使徒 7:52)もしその当時,人々がイエスを受け入れていたとしたなら,今日人類の健康状態はどんなものとなっていたでしょうか。
2,3 (イ)わたしたちは癒しをなさる方としてのエホバに関してどんなことを尋ねますか。(ロ)エホバはご自分の民を救出するために古代エジプトの上に何をもたらされましたか。そしてもしイスラエル人が神の声に聴き従わなかった場合についてどんなことを警告されましたか。
2 その質問をさらに昔にさかのぼって尋ねてみましょう。もし預言者モーセの時代にご自分の選民に向かって「わたしはエホバ,あなたをいやしている者だからである」と言われた方の導きを,その民が受け入れていたとしたなら,事態はどうなっていたでしょうか。―出エジプト 15:26,新。
3 古代エジプトでの奴隷状態からご自分の選民を救出するために,エホバは,奇跡的な災厄をもってその土地を悩ましました。神は予備的な九つの災厄を後で取り除かれました。神はご自分の解放された民を,その身体的,精神的,霊的福祉に寄与する国家的契約へと導き入れられました。神はもし彼らがその契約の律法を破り続けるならどんな結果になるかについて,モーセを用いてそれらイスラエル人に警告をお与えになり,こう言われました。「また,この律法の書に記されていないどのような病気,どのような災厄でも,エホバはそれをあなたの上にもたらし,ついにはあなたが根絶やしにされてしまうでしょう。そしてあなた方は,おびただしさの点で天の星のようになっていても,まさしくごく少数の者が残されるでしょう。あなたがあなたの神エホバの声に聴き従わなかったからです」― 申命 28:61,62,新。
4,5 (イ)今日生き残っているユダヤ人の状態が非常に悪いので,イスラエルの現代版についてどんな質問をすることができますか。(ロ)イザヤ書 58章9-12節によると,自分たちの道を正していたとしたら,事態はどうなっていたでしょうか。
4 今日幾百万もの生き残っているユダヤ人は,精神的,宗教的,社会的,経済的障害は言うまでもなく,身体的病気を患っていますが,全人類もまた同じように患っています。これらの点に関しては,キリスト教世界でさえ生来のユダヤ人に勝るところは少しもありません。事実,キリスト教世界には神に対してより重大な責任があります。もし古代のイスラエルが,イザヤを通してエホバから告げられたように,その道を正さなかったために非常に悪い状態に甘んじたのであれば,キリスト教世界は最終的に,それも間近い将来にどうなると予期できるでしょうか。預言者イザヤはどんな可能性があったかを次のように述べています。
5 「そうすれば,あなたが呼ぶと,エホバが答えてくださる。あなたが助けを叫び求め,彼は『わたしはここにいる』と言われる。もしあなたが自分のうちよりくびき棒を,[軽べつまたは非難する意味で]指を突き出すことを,そして有害となることについて話すのを除き,飢えた者にあなたの魂の願いをかなえてやり,苦しんでいる魂を満ち足らせるなら,あなたの光もまた闇の中であってさえ必ずきらめき,あなたの暗闇は真昼のようであろう。そして,エホバはあなたを常に導き,枯れ地ででもあなたの魂を満ち足らせ,あなたの骨をも生気づけられるはずである。あなたは必ず潤された園のように,水の源のようになり,その水はうそをつくことがない。そして,あなたの勧めで人々は長く荒れ廃れていた所を必ず建て直し,あなたは相次ぐ世代の基を興すであろう。そして,あなたはその破れ目を修理する者,そのそばに人の住む小路を元通りにする者と実際に呼ばれるであろう」― イザヤ 58:9-12,新。
6 イザヤの時代のイスラエルの前に置かれた可能性について考えてみると,イスラエルの現代版の場合の可能性について当然どんな質問が生じますか。
6 そうです,エホバから明白に与えられた諭しに聴き従っていたなら,古代イスラエルの国家的な状態はどんなにか良いものとなっていたでしょう。自らを損ない,神と自分たちの契約関係をも損なういかがわしい事物をイスラエル人がその中から取り除くならその後に続くと言われた状態をもたらすのは,その全能性を考えれば,神にとっては容易なことだったはずです。そうしなかったため,イスラエル人はますます悪くなって行きました。イザヤの預言の次の世紀中にイスラエル人が経てきた懲戒的な経験は悲惨なものでした。こうした点すべてを例証として考えてみると,次のように問わざるを得ません。イスラエルの現代版であるキリスト教世界についてはどうでしょうか。もしキリスト教世界が神聖な治癒者であられるエホバ神から与えられる薬を服用し,これまで1世紀以上にもわたってそのクリスチャン証人たちによって宣べ伝えられてきた王国の音信を受け入れていたなら,その社会的,経済的,道徳的,宗教的健康状態はどうなっていたでしょうか,と。
7 キリスト教世界の場合どうなっていただろうかという点に関して今日どんな生きた例証がありますか。
7 キリスト教世界の場合はどうなっていただろうかという点は例証されています。どのようにですか。それはエホバがイザヤにお与えになり,イエス・キリストの,霊によって油そそがれた弟子たちを表わすためにエホバがお用いになった,イザヤの息子たち,つまり「子たち」によって予表されていた者たちに今日生じた事柄によってです。(イザヤ 8:18,新。ヘブライ 2:13)彼らは65年余りにわたって,メシアによるエホバの王国が今や王位に即いておられる神のみ子,平和の君であられるイエス・キリストの肩の上にあることを世界に宣明してきました。(イザヤ 9:6,7)こうして彼らは,失意していた幾十万もの人々から,全世界を覆う陰うつな暗やみを払いのけてきたのです。マタイ 24章14節でイエスの予告しておられた王国のたよりにより,彼らは命を支える点では物質の食物以上のものをもって霊的に飢え渇いていた人々を養ってきました。その結果,霊的な回復がそれらの人たちに生じました。
8 霊的に回復した者たちは安息日に関してエホバがさらに語られたどんな言葉に現在注意を払い,どんな約束を考えに入れていますか。
8 霊的に回復した人々すべては,現在,昔のイスラエル人が注意を払わなかった,次のようなエホバの導きの言葉に注意を払っています。「もし安息日のゆえに,あなたがわたしの聖なる日に自分自身の楽しみをすることに関し自分の足を引き返させ,安息日をこの上ない喜び,エホバの聖日,栄光を与えられる日と実際に呼び,自分の道を行なうよりも,自分を喜ばせることを見いだして言葉を話すよりもむしろ,これに実際に栄光を与えるなら,そうするなら,あなたはエホバにこの上ない喜びを見いだすであろう。そしてわたしはあなたを地の高い場所に乗せ,あなたの父祖ヤコブの相続物からあなたに食べさせる。エホバの御口がそう語ったからである」― イザヤ 58:13,14,新。
9 献身してバプテスマを受けたクリスチャンたちは現在,週ごとの安息日の取決めの下にありますか。クリスチャンたちはどんな安息の期間に足早に近づいていますか。
9 今日のエホバの証人のように,献身してバプテスマを受けたクリスチャンは,金曜日の日没に始まり,土曜日の日没に終わる週ごとの安息日を守る義務はありません。彼らは仲介者モーセによって与えられた律法の法典の下にはいないからです。(出エジプト 20:1-11)また,新しい契約の仲介者であられるイエス・キリストも,安息日として日曜日を守るようご自分の弟子たちに命じてはおられません。彼らは,神がこの地球に関する直接的な創造の業を休んでこられた,エホバ神の創造の週の七日目に自分たちが生きていることを知っています。(創世 1:1から2:4)聖書の年代と世界の出来事とは,イエス・キリストの千年統治の始まる時が急速に近づいていることを示しています。全人類に祝福となるキリストの一千年の支配は,7,000年から成るエホバの休息の日つまり安息日の最後の1,000年間を占めることになります。キリストの支配は,全人類にとってこの上ない喜びをもたらす安息日となるでしょう。
10 キリスト教世界の週ごとの「安息日」は聖書的なものですか。今日そうした安息日は主としてどんな目的のために用いられていますか。
10 キリスト教世界は1,500年以上にわたって,日曜日をいわばキリスト教の安息日として形式的に守ってきました。しかし日曜日はキリスト教のものでもユダヤ人のものでもありません。その名が示すように,日曜日は実際には太陽神を祝う異教の祝日なのです。今日キリスト教世界が,エホバの誉れのため,また人体の益のための休日として自らの日曜日を守っていないことは確かです。キリスト教世界は大抵の場合,賭け事や様々の不道徳行為は言うまでもなく,スポーツ,ピクニック,観劇その他非宗教的な活動や利己的な楽しみのための日として日曜日を利用しています。
11 エホバのクリスチャン証人はどのように真の「安息日」を守って神ご自身の手本に従いますか。
11 エホバのクリスチャン証人が守っているのは,エホバ神への継続的な「安息日」です。どのようにですか。神の前で自らを義とし,そのよう
-