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天からの戰爭は地に平和をもたらすものみの塔 1955 | 10月15日
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見ることのできる物質の神々を選んだため,彼らに対するヱホバの怒りが燃える時,いくら全能者に願い求めても,それは全く無益なものであります。『然るになんじら我を棄てて他の神に事うれば,我かさねて汝らを救わざるべし。汝らが選める神々に往て呼れ。なんじらの艱難のときに之をして汝らを救わしめよ。』またそのような利己的な者にむかい,こう言われています。『彼らは背を我にむけて,その面を我に向けず,されど彼ら災にあうときは,起てわれらを救い給えという。なんぢがおのれのためにつくりし神は何処にあるや,もし汝が災にあうとき,かれら汝を救うを得ば,起つべきなり。』人間のつくつた神々に頼るのではなく,私たちは人間をつくつたヱホバ神に頼るべきであります。―シシ 10:13,14。エレミヤ 2:27,28。
15 『靴をつけたまま死ぬ』ことより,何が勝つていますか?
15 『靴をつけたまま死ぬ』という諺があります。ヱホバは,ハルマゲドンで彼らのその願をかなえさせ,『靴をつけたまま死な』せます。ヱホバは彼らが最強の力に達し,それから戦をするのを許します。軍靴をつけたまま死にたいのが,この世の人の願いなら,その願はかなえられましよう。しかし,ヱホバに奉仕する私たちは,彼らの靴をはきたいとは欲しません。私たちのつけたいと欲する他の靴があります。それは,エペソ書 6章14,15節(新世)で述べられている靴です。『平和の福音の備えを足にはきなさい。』ハルマゲドンに私たちが備えることはいまこの神権的な靴をはき,そして設立されたキリストの御国の良いたよりを学んで,それから家から家へ,また街頭で,そして公共の集まるところで ― 適当な機会があるところならばどんな場所であろうと,その良いたよりの伝道に出かけることです。このようにして,私たちは謙遜と公義を求め,かつヱホバのいましめに従います。そして,ヱホバの恵みをいただき,ハルマゲドンの際に保護されます。しかも,私たちだけではなく,他の多くの人も保護されるでしよう。この古い世が軍靴をつけたまま死にたいなら,その願はかなえられましよう。しかし,私たちは神権的な靴をつけて生きましよう。そして,平和の良いたよりを伝道し,ヱホバ神の讚美を歌い続けましよう!
16 ヱホバは,ハルマゲドンに備えねばなりませんか? あなたは,なぜそう答えますか?
16 さて,ヱホバ神についてはどうでしようか? ヱホバ神はハルマゲドンに備えますか? ハエを殺すためにあなたは準備しますか? 虫ケラをつぶすのに,準備をしますか? ハエをピシャリと叩けるようにするため,幾週ものあいだ毎朝体操をいたしますか? 虫ケラをつぶすために,筋肉を発達させ,強い力を得る目的で何ヵ月ものあいだ体操用の鉄唖鈴で訓練しますか? そのことは必要ですか? 特別な訓練などをしないでも,ハエや虫ケラを退治することはできませんか? 虫を退治するということに関する限り,そのような準備は無用のものであり,かつ時間の浪費ではありませんか? それと同じ理由からして,ヱホバがハルマゲドンに備えるのは全く不必要です。ヱホバの目から見るとき,人間は蝗のようです。ヱホバは宇宙を創造しました。この地は宇宙の宏大さから見るとほんの一点に過ぎず,人間は宇宙から見るときほんの微小物にすぎません。ヱホバには,特別に御使たちを訓練して戦わせることも,また地上の弱小な国家と軍備競走をする必要はありません。ヱホバは,一瞬の予告をも必要とせずにハルマゲドンを戦い,そしてハルマゲドンに勝つことができます。―イザヤ 40:15,22。
17 警告が与えられているにもかかわらず,ハルマゲドンはなぜ盗人のように人に来るのですか?
17 ハルマゲドンに備えるヱホバの業は,ただ人間の益のために警告を述べ伝えることです。神に善意を持つ人々は,キリストの支配下にある新しい組織制度,すなわち山に逃げることができます。しかし,サタンの支配下にあるこの崩れゆく古い組織制度を好む者たちは,敗け戦に備えることができます。ハルマゲドンの攻撃は,こそこそした卑怯なものではありません。しかし,この世の人には夜の盗人がくるのと同じように来ます。『ヱホバの日は,夜盗人がくるのと全く同じように来る。』(テサロニケ前 5:2,新世)どうして,そういうことになりますか? 警告は述べられています。警告は,口の言葉を通して全世界に伝道され,そして100以上の言語で出版される幾千万冊の本や,冊子や雑誌は配布されています。そのように広く喧伝されている戦が,この世にはなぜ盗人のごとく来ますか? なぜならば,この世の人の目は見えず,その耳は聞えず,その心は見分けることができないからです。(マタイ 13:14,15)彼らの目は閉じ,耳は閉じ,心は閉じています。しかし彼らの口はいつも開いています。そして,ヱホバがいま御自身の証者をして宣明させている警告の音信を嘲笑し,馬鹿にするために開いているのです。このこと身体,私たちがこの古い世の終の日にいるという証拠であつて,しかも予言されていたものです。『終の日には,嘲ける者が,自分自身の欲望に従つて歩みながら嘲けりをもつてやつて来てこう言うであろう。「約束された彼の臨在はどこであるのか? 私たちの祖先が死の眠りについて以来,すべてのものは創造の最初の時とそつくりそのままではないか?」』 さらに,彼らは『自分の欲望に従つて』事実を見ないと,聖書は述べています。彼らの目は,ただ自分の計画を見るだけであり,その耳は自分の企てのみを聞き,その心は自分の理論のみを考えます。彼らは自分自身の欲望に従い,良いたよりの伝道とハルマゲドンの警告には,目をつぶつて耳をふさぎ,それを見分けようとはしません。―ペテロ歿 3:3-5,新世。
18 誰が暗やみにいませんか? 彼らは,ハルマゲドンの後に何を見ますか?
18 しかし,忠実な者たちは,ヱホバの御言葉の予言的な光を通して,この時代に生ずる出来事を見ます。そして,彼らに対して聖書はこう述べています。『しかし,兄弟たちよ,あなた方は暗やみの中にはいない。それで,その日が盗人のように,あなた方を不意に襲うことはないであろう。あなた方はみな光の子であり,昼の子であるからだ。』かく霊的に目覚めている者にむかい,イエスはこう言われました。『あなた方の目は見ており,あなた方の耳は聞いているからさいわいである。』(テサロニケ前 5:4,5。マタイ 13:16,新世)そのような人は,ハルマゲドンについてのヱホバの御目的をいま見て,聞いて,そして見分けることにより,そしてヱホバの警告に注意を払い,かつヱホバのいましめに従つて山に逃れることにより天からの戦争に生き残ります。そしてそれが地にもたらす平和をたのしみます。彼らは,ハルマゲドンの大破滅にもこの感覚と知覚力を保ち続け,かつ生残者に与えられる次の招きの言葉に応じてその感覚を用います。『きたりてヱホバの事跡をみよ。ヱホバはおおくの懼るべきことを地になしたまえり。ヱホバ地のはてまでも戦闘をやめしめ,弓をおり,戈をたち戦車を火にてやきたもう。なんじらしづまりて我の神たるをしれ。われはもろもろの国のうちに崇められ,全地にあがめらるべし。万軍のヱホバはわれらと偕なり。』― 詩 46:8-11。
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天からの戦争の後に来る平和ものみの塔 1955 | 10月15日
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天からの戦争の後に来る平和
『私は新しい天と新しい地を見た。前の天と前の地は過ぎ去り,海ももはやないからである。神は彼らの目から涙を全部拭い取られるであろう。死はもはやないであろう。そして欺きも叫びも苦しみもないであろう。前のものは,過ぎ去つたからである。』― 黙示 21:1,4,新世。
1 地に対するヱホバの御目的は何ですか?
『地は永久に存つなり。』この霊感の言葉から,地は亡びてしまうという宗教的な主張は偽りのものと曝露されます。ヱホバは,地を創造しても荒れ果てた状態に置かずむしろ『人の住所につくり』ました。はつきり言明されている神のこの御目的により,地は火で燃えてすつかりなくなつてしまうという主張は,根こそぎに覆えされます。ヱホバの御目的は,地を亡すことではなく,地を救うことです。ハルマゲドンは,地を亡しません。むしろ,『地を亡ぼす者らを亡ぼす』ものです。―伝道之書 1:4。イザヤ 45:18。黙示 11:18,新世。
2,3 天と地の亡びについて,聖書は何と言つていますか? しかし,なぜ実際の天と地ではありませんか?
2 しかし,地は裁きの日の火のために保たれていると,聖書は述べていませんか? たしかに,聖書は述べています。それで,地は永久に保つなりと述べる他の聖句と,このこととは相矛盾すると,ある人は性急に結論づけるかもしれません。しかしながら,前後の関係から判断しつつ,火についての聖句を読む時『地』は必らずも実際の遊星を意味しないことは明瞭です。『むかしに
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