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決定に従って生活するものみの塔 1969 | 7月1日
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べきであると語ったパウロのことばをもう一度考えてください。配偶者の分とは相手の欲求を満たす程度のものです。これは人によって大きく異なります。しかしいずれにしても結果として,夫婦はどちらも欲情をいだいて他の異性に目をとめることがないようにすべきです。というのはイエスはこう言われたからです。「わたしはあなたがたに言う,だれでも女を見続け,その女に欲情をいだく者は,すでに心のうちでその女と姦淫をしたのである」― マタイ 5:28,新。
14 (イ)クリスチャンの夫は結婚の分に関してどんな態度をとるべきですか。(ロ)どんな情況の下でクリスチャンの夫は特に自制心を培わねばなりませんか。どうすれば培えますか。
14 クリスチャンの夫はこの事で過酷であったり,また無理に要求したりすべきではありません。それは必ず不幸を生み,別居という事態を招きかねません。結婚当初味わったふたりの喜びを忘れないでください。そうした喜びを保つように努力してはいかがですか。神を恐れる夫が,無謀にも自分の妻を意のままにし,残忍な仕打ちをしたり,倒錯した性行為にさえふけることを求める一部のこの世的な男性のやり方にならう必要はありません。利己的でない愛のある夫はいつも妻の健康を考え,その幸福を顧みるはずです。したがって妻の体力や福祉を無視して結婚の分を求めるべきではありません。欲望は培えるとともに制御できます。それでクリスチャンの夫は,妻が与え得る以上のものを要求している自分に気づいたなら,望ましいのは自制心を培うことです。そうする一つの方法は霊的な事柄にいっそう専念することです。宣教,個人の聖書研究,集会の準備や集会に参加することその他,会衆のいろいろな務めを忙しく行なうことは自制をする一助となります。―雅歌 4章。
15 クリスチャンの妻は夫につくすべき結婚の分をどうみなすべきですか。
15 利己的な心を持たないやさしい妻は,夫にその分を正しくつくしたい,そして夫を喜ばせ,いっそう夫をひきつけるようにしたいといつも心から願います。パウロが述べたとおり,夫は妻を支配する力をもちます。したがって妻は,たとえ夫ほどに満足を得られなくても,あるいはその必要を感じなくても,夫の欲求を満足させることに心がけるべきでしょう。妻は夫を満足させることから喜びと満足とを得ます。
16 結婚生活における幸福な性関係の基礎はなんですか。
16 この事に関する根本的な原則は,夫婦は得ることではなく与えることを誓い合ったあいだがらにあるということです。夫婦の親密な関係においては,そうしたふたりの決定に従って生活することがきわめて大切です。これは夫婦間で自由に話し合い,神から与えられたこの権利に関して意見の完全な一致を図るべき事柄です。そうすることによって夫婦は結婚に関する神の御心を成し遂げ,また神に対する献身の決定に従った生活を営めるでしょう。
独身を保つ決心に恥じない生活をする
17 多くの人はなぜ独身を保つことに決めましたか。
17 多数の献身したクリスチャンの男女はある期間独身を保つことを決心しました。こうした決定を下したのは,エホバに仕えるより大きな自由を享受し,余念なく心ゆくまでエホバに仕えられるようにするためです。ある人々はこの古い体制の最後の苦難の時代が終わってハルマゲドンが訪れるまで独身を保つことに決めました。また,何年間か独身を保って,開拓奉仕やベテル奉仕あるいは宣教者の仕事を享受することに決めた人々もいます。なかにはまだ年が若く,結婚の決定をする前に,霊的かつ精神的な円熟を目ざして成長することを願い,そうした決心をする人もいます。―コリント前 7:32-35。
18 独身を保つ決心をした人がその決意に従って生活するのはなぜ大切なことですか。
18 あなたはそのような決心をしましたか。もしそうであれば,そうした決意に従って生活するのは非常に大切なことです。独身でエホバへの奉仕に喜びと幸福とを見いだせるかどうかは,心を乱さずに,つまり一心に働きつづけられるかどうかにかかっています。パウロが述べたとおり,独身でエホバに仕えるあいだ喜びを見いだすには,『心に思い定め,必要を感じない』状態でなければなりません。―コリント前 7:37,新。
19 どうすればそうした決意に従った生活を行なえますか。たとえを用いて説明しなさい。
19 しかし,どうすれば独身を保つ決意に恥じない生活をしてゆけますか。ひとたび「童貞を保つことを心の中で決めた」人は,心を乱さないようにするため,精神的にも肉体的にもそうした決定にふさわしく自らを処してゆくように心を配らねばなりません。(コリント前 7:37,新)このことの大切さは次のようなたとえで説明できるでしょう。体重を減らそうとして規定食をとることを決心した人が,3度の食事に際して,規定食にはいっていない脂肪の多い濃厚な食べ物の並んだ食卓につくのは賢明なことでしょうか。規定食として勧められている食べ物だけを自分の前に置いて,慎しまねばならない他の食べ物を見て規定食をとる喜びを失わないようにするほうが賢明ではありませんか。独身を保つことに決めた人についても同じことが言えます。ある期間そうすることに決めた人は,その間,異性と親しくすることを慎むのは分別のある行ないです。そのような人は確かにデートやこれに類する交わりを慎みます。そうした交わりは,自分が押えようとしている欲望を引き起こすおそれがあるからです。
20 決心したところに従った生活をしてゆく上で会話はどんな働きをしますか。
20 何ごとによらず,人は関心のあることを口にするものであると言われていますが,これは真実です。あなたは独身を保つことに関心をもっていますか。では,他の人と話をする際に,異性のことを長々と話し,わざわざ自分の決心に反する事柄を話題にしてはなりません。会話の内容は交際相手によってしばしば左右されますから,自分と同じ願いや希望を持つ人,同じ決意をいだいている人を親しい友にしてください。
21 決定に従った生活をするのに,考え方の面でどんな二つの道がありますか。
21 決心したところに従った生活をしてゆく上で大きな働きをするのはその人の考え方です。エホバへの奉仕のためにある期間結婚を考えないことに決めた人が,結婚状態に伴う権利を思いめぐらすのは賢明ではありません。また,ある予定の期間,自分の下した決定に満足して生活するのは大切なことです。これに反して,結婚についていつも話したり,思いめぐらしたりするなら,独身を保つ願いに従って生活することにはなりません。
22 独身者はどうすれば寂しさを感じないですみますか。
22 独身でエホバへの奉仕に携わる生活は,充実した忙しい生活でなければなりません。生活をエホバの事柄で満たしてください。奉仕に関する余分の割当てを喜んで引き受けてください。怠ける時間がないようにしてください。ひとりでいる時には,祈りや個人研究あるいは建設的な黙想にその時間を用います。あなたは決してひとりでいるのではありません。エホバ神とキリスト・イエスという最善の友がいつもあなたとともにいてくださるのです。また,良い友人をつくり,レクリエーションの時にはそうした友だちと一緒に過ごします。このこともあなたの生活を充実した満ち足りたものとするのに役だつでしょう。
23 独身の立場を保ってエホバに仕え,成功した人の例を聖書から上げなさい
23 独身でエホバへの奉仕の道を歩み,かつ成功した人々を心に留めるのは励みとなります。独身を保つ決心に従って歩んだ使徒パウロは,そのような決心をした兄弟たちに対するすぐれた模範です。そうした道を歩むことに決心した姉妹たちについて言えば,自分の決定に従って生活したエフタの娘はすばらしい手本です。彼女は,たくさんの子供をもうけて家族を持つことが女性としての人生における成功と考えられた時代に住んでいました。しかしその父の約束どおり,エホバへの奉仕のため,独身を保つ決心を忠実に守って生活しました。―コリント前 7:8。士師 11:36-40。
24 各自自分の決定に従って生活するとはどういうことですか。
24 パウロは,結婚している人および独身を保つことに決めた人のいずれにもあてはまる次のような助言を述べています。「なんぢ妻につながるる者なるか,とくことを求むな。妻につながれぬ者なるか,妻を求むな」。(コリント前 7:27)結婚している人は,配偶者を愛し,いつくしみ,深く敬うという決定に従って生活してください。独身の人をうらやんではなりません。独身を保つことに決めた人は,行ないや会話や考えの中でその決心を思い起こしてください。結婚している人をうらやましく思ってはなりません。むしろ,各自自分の決定に従って生活し,神から与えられたそれぞれの賜物を楽しみましょう。そうするとき,あなたは神のみことばを生活にあてはめ,エホバの御心を行なうという,あらゆる決定の中で最も大切な献身の決定に従って生活することができるでしょう。―コリント前 7:7。
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コンゴ共和国における伝道ものみの塔 1969 | 7月1日
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コンゴ共和国における伝道
● エホバを信頼し,大胆にかつ確信を持って語ることの必要さは,コンゴ共和国(ブラザビル)における次の経験がよく物語っています。「私は戸別伝道で,聖書の良いたよりに深い関心を持つ一人の男の人を捜しました。そしてさっそく彼と聖書の研究を始めました。その後,私は彼と聖書の勉強をするために5回訪問しましたが,彼はいつも留守でした。5回目の時,私は家のドアのはり紙に,「エホバの証人はおことわり」と書かれているのに目を止めました。それでも私はもう一度だけ訪問しようと決意しました。6回目に尋ねたとき,私は家の中に招じ入れられました。私が研究を始めようとするなり,関心をいだいていたその人は『これはあなたが持って来た小冊子です。持ち帰ってください。これ以上あなたから聞きたくありません。私はカトリック信者で,自分の教会から出るつもりはありません。私はカトリック教会で洗礼を受け,カトリックの教会にとどまらなければなりません』と言って私をさえぎりました。私はその小冊子を彼に渡して,言いました。『どうぞそれをお読みになってください。小冊子をお読みになるということは,あなたがエホバの証人にならねばならないという意味ではありません。あなたは私たちと研究することを断わられました。それで私たちはおいとまします。しかしお別れする前に,私たちがお宅にうかがった目的はマタイ伝 24章14節の預言を成就するためであることをぜひあなたに知っていただきたいのです』。すると,彼は『ほんとうのことを話してください。どんな目的で伝道するのですか』,と尋ねました。それで私はマタイ伝 6章9,10節を読むように勧め,神の御名,神の国また神のみこころについて説明しました。『この祈りを暗唱する人々は二つの陣営に分けられます。神の国の側に立つ人々は永遠に生きるでしょう。(黙示 21:4)しかしダニエル書 2章44節やエレミヤ記 25章33節によるともう一方の人々は,神の国が遂行することを知らないために,人間の政府とともに滅びをこうむるにちがいありません。神の天使たちは彼らを滅ぼすでしょう。(エゼキエル 9:5,6)これらの真理を知っている私たちは,だれにでもそれを宣べ伝えなければなりません。さもなければ,神は,ハルマゲドンで滅す人々の血の責任を私たちに問われるでしょう。では,使徒行伝 20章20節と26節でずっと以前,一人の証人が述べたことばをお読みになってください。「益となることはなにくれとなくはばからずして告げ,公然にても家々にてもなんぢらに教へ(り)。このゆえに,われ,今日なんぢらに証す,われはすべての人の血につきて潔よし」。このような理由で私たちは家々を訪問して伝道するのです』。するとその若い男の人はため息をつき,それから答えました。『私の兄弟,どうぞおゆるしください。私の述べたり行なったことを許してください。私を見捨てないでください。両親や友人は,私があなたと研究していたことをあざけりました。しかし,いつでもおいでになって,聖書が理解できるように私を助けてください』」。
それで研究が再開されました。結果はどうでしたか。昨年の地域大会で,この羊のような人は,エホバへの献身を水の浸礼によって表わしました。
― エホバの証人の1969年度年鑑より
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