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「隣人愛」はどうなりましたか目ざめよ! 1975 | 11月8日
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ん。それは,寛大さや“外向的”気質の逆であり,人を無神経にさせ,人を犠牲にしても自分の欲望を満足させようとして何とも思わないような傾向を人に持たせます。
今や経済上の諸問題やインフレが広がり,物質的なものに幸福と安全を求めることがいかに無益かが明らかにされています。しかしそうした現実に目覚めるかわりに,多くの人はますます自分たちの経済問題に心を奪われ,一層内向的になり,いよいよ他の人に関心を抱こうとしなくなり,他の人の幸福に寄与するため心を用いようとしなくなっています。
解決策がありますか
解決策はどこにありますか。その点を正しく認識するためには,まず,大都市や大工場あるいは同様の環境に主要な責任があるのではない,という点を理解しなければなりません。たとえ同じ環境に置かれても,人は同じようには行動しないからです。同じ都市の同じ町,もしかすると同じ通りにさえ住み,同じ工場で働いていても,隣人としての関心を示す人もそうしない人もいます。何がそうした相違をもたらしますか。
その答えは非常に大切です。それは命そのもの,まさに永遠の命の希望と関係しているからです。西暦一世紀当時,モーセの律法に通じたある人がナザレのイエスにこう尋ねました。「師よ,何をすれば,わたしは永遠の命を受け継げるでしょうか」。イエスはその答えとして,その人が律法からの次の言葉を引用するように仕向けました。「『あなたは,心をこめ,魂をこめ,力をこめ,思いをこめてあなたの神エホバを愛さねばならない』,そして,『あなたの隣人を自分自身のように愛さねばならない』」。イエスはこう付け加えました。「このことを行ないつづけなさい。そうすれば命を得ます」。イエスは続いて真の隣人愛を示したサマリア人に関するたとえ話をされました。―ルカ 10:25-37。
確かに,神への愛と隣人愛は,表裏一体のものであり,切り離すことはできません。イエスの使徒ヨハネは次のように書いています。「『わたしは神を愛する』と言いながら自分の兄弟を憎んでいるなら,その者は偽り者です。自分がすでに見ている兄弟を愛さない者は,見たことのない神を愛することはできないからです」。(ヨハネ第一 4:20)そのことは,今日なぜこれほどまでに隣人愛が薄れているかを理解するのに役立ちます。どうしてそう言えますか。
隣人愛と同様,神への愛も薄れているからです。イエス・キリストは,この時代を現在の不義の体制の「終わりの日」として預言的に描写し,戦争や食糧不足,その他の深刻な問題が同時に人類を襲って人々を悩ますことを予告されました。また,「不法が増すために,大半の者の愛が冷える」とも言われました。(マタイ 24:3-12。テモテ第二 3:1-4)神について知り,そのみことば聖書を読んで,神の規準や目的が何かを学ぶことや神を愛することに対する関心は,確かに今日大半の者の間で『冷えて』います。隣人愛もその影響を被ることは必至です。
神について学び,この地と地上の人間社会を清く健全な義の状態に戻らせる神の目的を知ることにより,他の人々に対するわたしたちの見方や態度は大きく変化します。それはわたしたちの価値感を変化させ,今日の物質主義的な体制が提供するどんなものより壮大で,満足のゆく希望を与えます。確かにそれはわたしたちが愛を『広げ』,神のように,私心のない態度で人類全体に関心を持つように促します。エホバの証人は,希望されるかたが無料の家庭聖書研究を通して,神のお目的について一層よく知るよう援助することにより,隣人としての関心を喜んで示します。
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禁煙の部屋は好まれる目ざめよ! 1975 | 11月8日
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禁煙の部屋は好まれる
● シカゴのある新しいレストランは,禁煙の食堂を一室作りました。すぐに座れても喫煙の許されている食堂に入るよりも,客は30分から45分間待ってもむしろその禁煙の部屋で席に着くことを好む,とその店の支配人は語りました。
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