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喫煙はいつまでもなくならないか目ざめよ! 1981 | 6月8日
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第1部
喫煙はいつまでもなくならないか
地球上に住む人で,たばこを吸うことも,他の人が吸うたばこの煙にさらされることもないという人はほとんどいません。人の住む所ではほとんどどこでも,喫煙は特に根強い習慣になっています。
ですから,数年前にフィリピンの雨林でタサダイ族が発見された時,同部族がたばこを知らなかったことはその孤立状態が異例のものである強力な証拠とされました。しかし,たばこの起源はそれほど古くはありません。
短い歴史
クリストファー・コロンブスがヨーロッパ人としては初めて喫煙の習慣に接してからまだ500年もたっていません。新世界のインディアンたちはパイプでたばこを吸っていたのです。1600年代になると,ヨーロッパ人は手巻きのたばこを吸っていました。そして,1880年代には,紙巻きたばこを効率よく製造する機械が初めて発明されました。
喫煙の人気が広まったのは特に第一次世界大戦中のことです。また,女性一般が喫煙するようになったのはここ40年ほどのことにすぎません。今やたばこの使用は並々ならぬ規模に達しています。
景気の良い産業
1978年中,約4兆2,000億本の紙巻きたばこが生産されました。これは地球上に住む男女子供各々が毎日3本近く,つまり1年間に1,000本ほど吸った勘定になります。地球の人口の約半数は20歳未満なので,人類のうち大人の間だけでその数をならすと,一人当たり年間2,000本ということになります。
中国だけでも幾億もの人がたばこを吸っています。またたばこを吸う人の数は,米国で5,500万人以上,日本では3,400万人,英国では1,800万人など挙げていけばきりがありません。一人の人が年間に1万本以上のたばこを吸うのも珍しいことではありません。このように一般に普及した習慣はいつまでもなくならないと思われるに違いありません。ところが,そのように考えない人もいるのです。
あるたばこ産業の幹部は,「我が社は段階的にたばこから手を引く準備をしている。来年すぐにというわけではないが,きっと20年以内にはそうするであろう」と語っています。米国のたばこ会社は他の事業に進出するようになっており,そのいずれも社名から“たばこ”という語を削除しました。
米国喫煙対策保健局の局長,ジョン・ピネーは,「喫煙は廃れつつある」と述べています。人類の大多数がふけっている習慣について,ピネーはどうしてこのように語っているのでしょうか。
命取りになることが明らかにされる
「我々は世界的な流行病の新たな時代に突入した」とジーン・メーヤー博士は書いています。西欧諸国の男性の半数近くは心臓病で死亡し,残りの多くはガンのために命を失います。証拠の示すところによると,これら恐ろしい疫病の主要な原因は喫煙にあります。
英国内科医師会は,喫煙を「腸チフスやコレラ,結核などの際立った流行病と同じく重大な死因」と呼んでいます。米国公衆衛生局は喫煙を,人類が「予防できる病気や死の原因の筆頭」に挙げています。
証拠は積もり積もっています。1979年1月に,米国公衆衛生局局長は喫煙に関する報告を公にし,3万件に及ぶ研究論文を参考資料として引き合いに出しています。「米国で病気や廃疾,死などをきたしている環境上の要素のうち,単一のものとして最も予防可能なのは喫煙である」とその報告は述べています。ニューヨーク・タイムズ紙は社説の中でその報告に論評を加え,「この草は毎年35万人以上のアメリカ人の命を奪っている」ことに注意を促しました。
米国公衆衛生局局長の1980年度の報告は,全体として比較的最近に喫煙を始めた女性が被っている悲惨な影響を特に取り上げていました。その報告はこう述べています。「喫煙に関係した病気の流行の最初の兆候が女性の間に今や現われつつある。肺ガンにかかる率は3年以内に乳ガンにかかる率を上回ることになろう」。
世界保健機関(WHO)の事務総長ハーフダン・マーラー博士は,昨年の3月に,「喫煙は世界の病気の原因のうち,単独では予防の可能性が最も高いものであろう」と語りました。
あなたがたばこを吸っており,尊敬されている医学上の権威者たちが幾百人もその習慣に関してそのように述べたとしたら,どうなさいますか。
廃れつつあるか
その証拠から刺激を受けて喫煙をやめた人は幾千万人にも上りました。米国だけでも約3,000万人がたばこをやめました。1965年に米国の男性の大半はたばこを吸っていましたが,1979年には37%以下になっていました。この期間に,女性の喫煙者の率でさえ32%から28%へと減少しました。1965年にはカナダに住む大人の半数以上がたばこを吸っていましたが,現在吸っているのは42%以下です。
確かに,たばこをやめるよう助けられた人は少なくありません。1978年に米国で消費された紙巻きたばこの本数は前の年よりも20億本減少しました。全米喫煙対策情報センターのダニエル・ホーンは楽観的に,「我々は喫煙との戦いに勝利を収めた。あとは残った敵を掃討するだけだ」と述べています。でも本当にそう言えるのでしょうか。
決してそのようなことはありません。たばこ協会の一役員は,「こちらとしても自分たちの産業がつぶされるのを手をこまねいて見ているつもりはない」と述べています。ですから,たばこの宣伝のために最近の1年間に8億7,500万㌦(約2,100億円)が費やされました。これは米国で売られているほかのいかなる製品につぎ込まれた広告費をもしのぐ額です。実際のところ,米国でたばこの消費が20億本減少したと言っても,6,170億本から6,150億本に減ったにすぎません。これは3分の1%以下の減少にすぎません。
実を言えば,いわゆる第三世界の国々に新しい市場を開拓した結果,たばこ産業は引き続き成長しています。最近の1年間に米国のたばこの輸出量はなんと20%以上も増加しました。ですから1978年には,世界全体として見ると1977年に比べて1,000億本も多くのたばこが生産されました。
喫煙が決して廃れてしまうことがないようにするため,たばこ業界は別の市場を開拓しています。それは若者たちです。心理学者であるロナルド・ショール博士はこう説明しています。「十代の若者は大人であることの有意義なしるしを見いだそうとしており,自分たちの若さを捨てなくても幸福で正常な大人の生活を送れる道を探ろうとしている。[たばこの]宣伝はたばこを吸えば正にそうなると言っている」。
その結果,米国の20歳未満の若者のうち600万人がたばこを吸うようになりました。その率が米国をしのぐ国もあるようです。ワールド・ヘルス誌はこう述べています。「ベルギーでは若者の50%が15歳までにたばこを吸うようになる。ドイツ連邦共和国では,10歳から12歳までの児童の36%がすでに常習的また定期的にたばこを吸っている」。
とはいえ,恐ろしい病気を引き起こすことの知られている製品が禁止されるどころか,あつかましくも体によいものであるかのように宣伝されているのはなぜでしょうか。また,喫煙の危険性がこれほどはっきりしているのに,非常に多くの人々がたばこを吸い続けるのはなぜでしょうか。
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喫煙に人気がある理由目ざめよ! 1981 | 6月8日
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第2部
喫煙に人気がある理由
健康に関する警告や禁煙運動のかいもなく,喫煙は依然として非常に人気があります。事実,以前よりも喫煙量の増えた人は少なくありません。
1965年から1978年までの間に,米国でのたばこの消費量はほぼ900億本増加しましたが,喫煙者の数はほとんど変わりませんでした。たばこを吸う人のたばこ消費量が増えているのはなぜでしょうか。
ニコチンとタールの含有量
どうやら一つの要素は紙巻きたばこに含まれるニコチンとタールの量が減ったことにあるようです。たばこの重要成分であるニコチンは,商業的には殺虫剤にも用いられている有毒な薬物です。また,タールは煙に含まれる微粒物質で,「たばこの煙の粘り気のある残留物」とも呼ばれています。ニコチンとタールは健康に有害であるために,たばこ会社は種々のたばこに含まれるこれらの物質の量を減らしてきました。それはどんな結果を招きましたか。
一つとして,喫煙者の吸うたばこの本数が増えるという傾向が見られます。医学界ニューズ誌は,「予備実験によると,7人のヘビースモーカーの吸うたばこを低ニコチンの銘柄のものに換えたところ,たばこの本数が1日平均25%増えた」と伝えています。そのため,実験を行なったスタンレー・シャハター博士は結論として,「低ニコチンたばこを広める運動は見当違いのものである」と述べています。
では,ニコチンやタールの含有量が少なくなると,吸うたばこの本数が増えるのはなぜですか。それは特に,喫煙家がニコチンに対する渇望を満たそうとするためであり,自分が慣れてきただけの量を取り入れようとするためです。ニコチンはたばこを吸う人が煙を吸い込んでから数秒後にその人の脳に達します。ですから,マイケル・A・H・ラッセル博士によれば,たばこの一服一服が1単位のニコチンになるわけです。それはヘロインの注射を受けるようなものだ,と同博士は薬物代謝レビュー誌(1978年)の中で述べています。
ヘロイン中毒者は数時間たたなければもう1本の注射を切望するようにはならないでしょう。たばこを吸うと,20ないし30分後にはニコチンが脳を去って,他の器官へ行ってしまいます。それはヘビースモーカーの喫煙の間隔にほぼ匹敵します。つまりもう1本ニコチンの“注射”が必要になる時なのです。
しかし,たばこを切に求める気持ちをヘロインを求める気持ちになぞらえるのは当を得たことでしょうか。ニコチンには本当に習慣性がありますか。
喫煙には習慣性があるか
一般に人々は,たばこを吸うのはくつろいだ気分になり,ストレスが解消され,穏やかな気持ちになるからだと言います。しかし,実験によると,喫煙はたばこを吸う人の気分を実際にくつろがせるというより,不快な禁断症状をぬぐい去っているにすぎません。
たばこを吸う人と吸わない人の双方がストレスの多い状況に置かれた時,この事実が明らかになりました。ニコチンの含有量の多いたばこを吸った愛煙家は,低ニコチンたばこを吸った場合や全くたばこを吸わなかった場合よりもそうした状況にうまく対処しました。しかし,同じ状況に置かれたたばこを吸わない人と比べた場合には,その人たちの対処の仕方がより優れていたとも劣っていたとも言えませんでした。結論として,「たばこを吸ったからといって喫煙家がいらいらすることが少なくなるとかいら立ちを覚えにくくなるとかいうことはない」と,シャハター博士は述べています。しかし同博士はさらに,「たばこを断ったりニコチンの量が十分でなかったりすると,喫煙家はいら立ちを覚える」と語っています。
ヘロイン中毒者はいら立ちや類似の症状を解消するためにヘロインを必要としますが,喫煙家も似たような理由でニコチンを必要とするのです。
権威者たちは今では喫煙を麻薬常用の一形態とみなしています。英国内科医師会の出した「喫煙か健康か」という報告によると,喫煙は「薬物依存の一形態であり,他の習慣性のある薬物と異なってはいるが,決してそれらよりも弱いものではない」とされています。その報告は結論として,「喫煙家がその習慣にふけり続けるのは,大抵ニコチンの常用癖が付いているためである」と述べています。
M・A・H・ラッセル博士はかなりの研究の成果をふまえて,はっきりとこう述べています。「たばこの煙の中にニコチンが含まれていなかったとしたなら,人々はしゃぼん玉を吹いたり花火に火を付けたりすること以上にたばこを吸おうという気持ちにならないであろう」。この習慣がこれほど定着したことにはほかの要素も関係しているかもしれませんが,喫煙家の多くに身体的な常用癖が付いていることは明らかです。そのことは喫煙家がたばこなしで過ごそうとする時に味わう苦痛に現われます。バド・ホワイトブックは自らの禁断症状をハーパーズ誌の誌上で公開し,こう述べています。
「思った以上に体の具合が悪くなった。最初の晩,腕や肩の関節そして胸やふくらはぎの筋肉があまりにもひどく痛むので,暗がりに隠れて涙を流したほどだった。そのような痛みは1日だけですんだが,少なくとも1週間は体のどこかが痛んでいた。口や鼻,のど,胃,1本1本の歯などが煙とニコチンを奪われてしまった。そうした箇所の反応はずっと長い間続いた。さながら安物の出来合いの歯を合わせる時のように,私はずっと口を大きく開けて弓なりにしていた。たばこを吸いすぎた時のようにのどが痛んだ。たばこをくわえていないのにその気になって息を強く吸いすぎたためであろう。必要もないのに鼻をかんだ。体の各部 ― 指骨,器官,膜,頭髪など ― が,各々異なった痛々しい仕方で一服したいと求めているのには驚き入った。丸2週間というものは吐き気を覚えるほどだった」。
『それほど常用癖を引き起こし,健康に有害な習慣を助長するのは犯罪行為ではないか』と尋ねる向きもあるでしょう。どうしてそのようなことが行なわれているのでしょうか。
お金のためなら手段を選ばない
親切で高潔であるとみなされている人々でさえ,お金のためなら事実上手段を選ばずどんなことでもするのは周知の事実です。人を殺すことさえいとわないのです。諸政府は利己的に経済上の利権を守るため戦争を起こし,多くの人命を犠牲にすることがあります。喫煙を助長することについても同様のことが言えるでしょうか。
医学トリビューン誌はこう述べています。「米国での死因の主なものの一つにたばこがある。ところが政府諸機関は大衆を守ろうとする気持ちがないことを繰り返しあらわにしてきた。それどころかさらに悪いことに,たばこ生産者に助成金を出すことにより容易ならぬ状況をさらに悪化させている」。
ニューヨーク・デーリー・ニューズ紙はこう述べています。「たばこに対する政府の態度は偽善の研究のようなものである……政府は1938年以来たばこの価格維持をしており,その額を現在の6,500万㌦(約156億円)にまで着実に伸ばしてきた。その中には“平和のための食糧”計画の名の下にたばこを恵まれない国々に送り出すために使う2,400万㌦(約57億6,000万円)の貸付け金の分配も含まれている」。
米国政府はたばこに課税し,毎年幾十億㌦もの税収を得ています。しかし,幾千幾万もの市民もたばこの恩恵に浴しています。米国だけでも,喫煙の習慣のおかげで,たばこ生産農家45万世帯およびたばこ会社の従業員7万2,700人が生計を立てています。一栽培者は,「このたばこがだめになってしまったら,我々はみんな生活保護を受け食糧切符をもらわなければならなくなる。零細農家はトウモロコシや大豆では生計を立てていけない」と強調しました。
しかし,調整を加えることは可能で,人々はほかの方法で生計を立ててゆくことができます。数年前,何らかの形でたばこに関係した産業に従事していたエホバの証人すべてが完全にそれらから手を引きました。医学的な証拠から,「第二次世界大戦,朝鮮戦争,ベトナム戦争で戦死したアメリカ人の総数を上回る人命を毎年奪っていると言える」製品を提供するのは,クリスチャンとして首尾一貫しないということをエホバの証人は認めたからです。
しかし,こう言う人もいるでしょう。『たばこを吸う人は自分を傷付けているにすぎない。人々がおいしいと思って吸っているのならそれを禁止することもないだろう』。
[8ページの図版]
ヘロイン中毒者はいら立ちを解消するためにヘロインを必要としますが…………喫煙家も似たような理由でニコチンを必要とするのです
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喫煙を禁じるべきですか目ざめよ! 1981 | 6月8日
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第3部
喫煙を禁じるべきですか
「たばこを吸うのが何よりの楽しみでね。寿命が数年短くなったって,この楽しみには代えられないよ」。ある男の人は自分がたばこを吸う理由を孫にこう説明しました。後日,この人はガンで亡くなりました。
しかし,長年たばこを吸っていながら80歳あるいは90歳までも生き,比較的健康に恵まれている人もいます。であれば,たばこを吸う人がその危険を承知している場合,その人の楽しみを取り上げてよいものでしょうか。
一方,たばこを吸う人には,自分の喫煙の習慣が他の人々に及ぼす影響に関して責任があるでしょうか。
道義的な責任?
見逃すことのできないのは,たばこを吸う人々の大半が年若い時から喫煙を始めることです。ワールド・ヘルス誌は,ソ連で「調査の対象になった喫煙家の82.4%は,19歳になる前にたばこを吸うようになっていた」と伝えています。別の調査では,習慣的にたばこを吸う人の約3分の1は9歳になる前に喫煙を始めています。
大半の人が後になって,できることならやめたいと言っている習慣を子供たちが身に着けるのはなぜでしょうか。その主な理由は大人の手本にあります。子供たちは大人の格好をしようとしてたばこを吸います。無情で純真さのなくなった大人の世界を一生懸命模倣しようとするのです。ソ連では5人の喫煙家のうち4人までが,家族の中にたばこを吸う大人が一人はいる環境で育ちました。ですから,たばこを吸う人が何をしようと自分の勝手だと思っても,その手本は他の人に影響を及ぼすのです。
医学関係者の示す手本については特にそう言えます。こうした人々は一般に,喫煙が本当に健康に有害かどうかをわきまえている人とみなされています。アメリカ医師会ジャーナル誌の論説はこう述べています。
「医学関係の組織のあらゆる単位は,その構成員のイメージが患者の行動を左右する主な要素になるという事実を直視しなければならない。我々がたばこを吸ったり,自分たちの会議の席で,また医療機関の中で喫煙を許したりすれば,『我々の言っていることを信じてはいけない。我々のしていることを見てくれ』と声を大にして言っていることになる。したがって,病院はその公的な機能を有する所すべてを禁煙にし,各医師が自らの診療室や関係している医療機関にもそうした習慣を持ち込むよう勧めるべきである。結局のところ,病気を引き起こす喫煙の影響に関して一番よく知っており,一般に比較的規律正しい人々とされている医師がこのような行動を取ろうとしないなら,平凡で,情報に通じてもおらず,どちらかと言えば規律正しいとは言えない一般の人々の方がうまくやれると論理的に考えることなどどうしてできるだろうか」。
ですから,喫煙の害に関する医学上の警告を支持する面からも,病院は禁煙になっているものとお考えになるでしょう。ところが,医学界ニューズ誌によると,米国にある7,200の病院のうち禁煙区域を設けているのは472の病院にすぎず,たばこの販売を禁じている病院は491にすぎません。たばこの販売を中止したある病院は,「病院のギフト・ショップからたばこを一掃したところ経営が思わしくなくなったため」その方針を翻すことさえしました。
人の福祉よりも金銭や利己心を優先させる人をどう思われますか。自分自身の手本が他の人々に及ぼす影響を本当に気遣っていますか。残念ながら,ほとんどの場合利己心が支配的になります。例えば,1978年にコロンビア・ジャーナリズム・レビュー誌は,それまでの7年間に,たばこの広告を掲載している主要な全国誌の中に喫煙の害に関する総合的な記事は一つもなかったと述べています。
禁煙が求められるようになっている
しかし,間違えようのない傾向が見られます。喫煙が禁じられる場所は増加の一途をたどっています。そして,禁煙区域でたばこを吸うと,大抵の場合たばこを消すように求められます。
米国のある州は喫煙を抑制する厳格な法律を採用しました。ミネソタ州では公共の場所での喫煙は禁じられており,その「公共の場所」とは「一般大衆の使用に供される,四方を囲まれた,屋内の場所すべて」を意味するとされています。ユタ州でも同様の喫煙制限が課されているため,「ユタ州の愛煙家が心置きなくたばこを吸えるのは今や屋外と個人の家しかない」と言われるほどです。
また,米国の民間航空機に関しては,禁煙席を求める客すべてにそうした席を与えることが法律で義務づけられるようになりました。
愛煙家の多くは自分たちの喫煙の自由に加えられる制限が増加しているのを快く思っていません。昨年の12月,たばこを消すよう求められた一人の男の人は,それを求めた警察官を射殺しました。喫煙を禁じるのは正当なことでしょうか。
たばこを吸わない人に及ぼす影響
喫煙がたばこを吸っている人だけでなく,他の人々にも及ぼす大きな害に気付いている人はごくわずかです。例えば,毎年たばこの火が原因で起こる火災のために幾千人もの人が命を失います。米国だけでもその数は年間2,000人に上ります。カナダでは,火災件数全体の40%以上が喫煙と直接関係しています。
その上,たばこの煙は空気を大変悪くします。ミシガン州のポンティアック・シルバードームの屋内で行なわれたフットボールの試合の際,その空気を検査したところ,微粒子の濃度は,屋外であれば大気汚染警報を出さねばならないほど高かったことが明らかになりました。その原因は8万の観衆の多くが吸っていたたばこにありました。
たばこの煙が充満した所の空気を吸うと,自分がたばこを吸った時と同じほどの影響を被ります。アメリカ医学ニューズ誌は,チャールズ・F・テート博士の言葉を引用してこう述べています。「たばこを吸っている人と同じ部屋にいると,部屋の中でたばこを吸っている人の数や部屋の大きさにもよるが,たばこを吸わない人は1日当たりたばこ一箱分に相当する煙を吸うことになるとの研究が今や公にされている」。また,火は付いていても吸われていないたばこから立ち上る煙を吸い込む方が実際には有害です。その中には人がたばこをふかしている時に吸い込む煙のほぼ2倍の量のタールやニコチンが含まれているからです。
心臓や肺の疾患を持つ,たばこを吸わない大人および子供たちがたばこの煙から害を被ることが認められるようになって,すでにかなりの時間が経過しました。最近,ニューイングランド医学ジャーナル誌に掲載された一調査は,たばこを吸わない健康な大人でも悪影響を被ることを明らかにしています。「今や初めてのこととして,体の変化を量的に測定する手段が存在するようになった」と,前述の雑誌の記事に付随する論説欄の中でクロード・ランファン博士とバーバラ・リューは書いています。
妊産婦がたばこを吸うと,胎児にとって特に危険です。たばこを吸うと子宮内の血管や動脈が収斂し,胎児の必要とする酸素や栄養分が奪われてしまいます。また,有毒な一酸化炭素が胎盤を通って,胎児にまで達します。ジョンズ・ホプキンズ保健・公衆衛生大学院のメリー・B・メーヤー博士は,「喫煙が流産や死産や早産の危険を増やすことはかなりはっきりしている」と述べています。
たばこを吸う人およびその煙をいやおうなく吸わされる人に及ぶ害を考えてみると,喫煙を禁じるもっともな理由のあることがお分かりになるのではありませんか。エホバの証人は喫煙が聖書の原則と相入れないことをずっと以前から示してきました。神の言葉は,「肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め……ようではありませんか」と述べています。(コリント第二 7:1)明らかに,喫煙はたばこを吸っている人だけでなくその近くにいる人をも汚し,場合によっては吐き気を催させます。では,たばこを吸いながら,そのたばこの煙に汚されたくないと思う他の人にどうして愛を示すことなどできるでしょうか。―マタイ 22:39。
神の王国が愛の欠如した古い事物の体制を滅ぼす時,たばこを吸う人はもはや一人もいなくなるでしょう。確かに,喫煙がいつまでもなくならないということはありません。ですから,神の新秩序の祝福を享受するために生き残りたいと思いながら,たまたまたばこを今吸っておられるなら,この不潔な習慣を捨て去らなければなりません。そして,本当に捨て去りたいと思うなら,それは可能なのです。
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子供たちがたばこを吸うようになる主な理由は大人の手本にあります
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喫煙が禁じられる場所は増加の一途をたどっています
火は付いていても吸われていないたばこから立ち上る煙を吸い込む方が,たばこをふかしている時に吸い込む煙よりも有害です
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喫煙は流産や死産や早産の危険を増やす
人はたばこを吸いながら聖書の原則に従った生活を送れますか
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たばこはやめられる!目ざめよ! 1981 | 6月8日
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第4部
たばこはやめられる!
「こんなに簡単なことはない」。有名な作家マーク・トウェーンは,たばこをやめることを評してこう語りました。それから,「そんなことは先刻ご承知のはずだった。これまでに一千回もしているんだから」と付け加えました。
確かに,本当に挑戦となるのはやめることではなく,再び吸わないことです。幾百万もの喫煙家は禁煙します。それは1日,1週間,あるいは数か月続くかもしれません。しかし,再びたばこを吸ってしまうのです。一番つらい闘いは,ニコチンに対する身体的な依存を克服することより,もう一服したいという強い渇望に抵抗することです。
しかし,その気になれば,喫煙の習慣から抜け出せます。その証拠がありますか。エホバの証人の社会全体はたばこに毒されていません。しかし,彼らは一般社会に属していた時からいつもたばこを吸わなかったわけではないのです。
大人の3分の1以上がたばこを吸う国は少なくありません。これは,200万人を超えるエホバの証人の約3分の1はかつてたばこを吸っていたことを示しています。これら幾十万もの人々は,エホバの証人になった時,どのようにして喫煙の習慣から抜け出したのでしょうか。
知識と決定
チャールズ・F・テート博士は,アメリカ医学ニューズ誌の中で,「心の奥底で決定を下さねばならない。この決定さえできれば,闘いの最大の山を越えたことになる」と説明しています。言い換えれば,本気でやめたいと思わなければならないのです。こうした決意を促すのは何ですか。
知識です。でも,どんな知識でしょうか。多くの人にとってそれは喫煙が命取りになるという知識です。テート博士はこう語っています。「レントゲン写真の結果を見に患者が次々にやって来る。私は腫瘍のあることを示すレントゲン写真を患者に見せる。患者はそれがガンかどうか尋ねる。私はその心配が当たっていたことを伝えなければならない。すると,患者は二度とたばこを見たいと思わなくなる」。
しかし,エホバの証人になる人がたばこをやめる理由は,喫煙が命取りになることだけにあるのではありません。むしろ,その理由はエホバ神に関する知識,つまり聖書が述べるように,『わたしたちを造ったのは神である』という知識にあります。(詩 100:3,新)体を汚すなら,創造者なる神に喜ばれないことを知っているので,エホバの証人は喫煙を避けるのです。―コリント第二 7:1。
また,たばこを吸わないと固く決意する上で肝要なのは,それが他の人を害するという意識です。子供たちが年長の者に倣ってこの命取りになりかねない習慣を身に着けるというだけでなく,煙そのものも他の人の死を早める一因となり得るのです。こうしたことを悟ると,真のクリスチャンがたばこを吸うことなど不可能です。ですから,『隣人を自分自身のように愛する』という神の律法に従って,エホバの証人になる喫煙家すべては喫煙をやめるのです。―マタイ 22:39。
とは言っても,エホバの証人になった人がどんな場合にも簡単にたばこをやめられたわけではありません。ある人にとってそれは苦痛以外の何ものでもありませんでした。生まれて初めて経験したような難問題だったのです。それでも助けを得てやめました。そして,あなたもやめられるのです。
必要とされる助け
ニュー・サイエンティスト誌は,「禁煙のための治療法はやせるための助けと同じほどの利益を秘めた事業へと急速に成長しつつある」と述べています。しかし,同誌は様々な療法や計画を十分比較検討した後,結論としてこう述べています。「現在市場に出回っている助けは,喫煙家に本当の助けを差し伸べる点ではいずれもほとんど役立たない」。禁煙のための化学製剤には,たとえあったとしても,ごく限られた効果しかないようです。
禁煙のための助けや計画に特有の益は,支え,つまり人々に確信を与えるもの,信じられる体系を備えることにあります。本当にたばこをやめられるという確信がないために,やめられない人は少なくありません。ですからその人たちが必要としているのは,自分がたばこをやめられることを信じる面での助けです。同情心に富む友人は非常に貴重です。特に,自らもたばこをやめた人で,やめるのが可能であることを確信させてくれるような友人であればなおのことそう言えます。エホバの証人になった喫煙家たちは,たばこをやめるためにこの種の助けを得てきました。
しかし,たばこをやめるのに特に必要とされているのは神の助けです。使徒パウロはいみじくもこう述べました。「自分に力を与えてくださるかたのおかげで,わたしはいっさいの事に対して強くなっているのです」。(フィリピ 4:13)ニューヨーク市ブルックリンの一主婦は1日に3ないし4箱のたばこを吸っていましたが,たばこをやめるという決意にどのように付き従うことができたかを次のように語っています。
「両手が震えました。泣かないことは一時もなかったほどです。吐き気がしました。その渇望は苦悩をもたらしました。しかし,私は意を決しており,エホバの助けによってその決定に付き従いました。たばこをやめられない人は,本当にやめたいと思っていないだけだ,ということも今では納得がゆきます。そうした人々は依然として,エホバよりも喫煙を愛しているのです」。
ここに抜け出す秘訣があります。それは神を喜ばせたいという誠実な願いです。喫煙は,マリファナの使用や性の乱行などの不当な行為同様,快楽をもたらすことがあります。それで,たばこをやめるのに大変つらい思いをした一人の人はこう語っています。「最後に祈りの中で,自分は実は喫煙を楽しみにしているが,神に喜ばれたいのでその習慣を捨てたいとエホバに話しました。……私はやっとのことでこの習慣から抜け出しました」。
この習慣から抜け出すことはあなたにも可能です。神に喜ばれたいと願っておられるなら,「目ざめよ!」誌の発行者に手紙をお寄せください。喜んで資格のある奉仕者を無料でお宅に派遣いたします。その奉仕者は聖書からの情報と多くの人がたばこをやめる上で助けとなった精神的な援助を与えることでしょう。
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