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  • 野外宣教の目的を逸しない
    王国宣教 1974 | 2月
    • 野外宣教の目的を逸しない

      1 わたしたちの音信に耳を傾けず,また何も文書を求めないながら,「わたしの宗教組織も同じことをしています」とか,「あなたはりっぱなことをしていますね。神が祝福されますように」と言う人に会う場合が多くなっています。そのような場合,わたしたちは,次に訪ねる証人のためにただ良い印象を残したと感じながら次の戸口に向かうかもしれません。しかし,いつかそうした人たちに最後の訪問をしている日が来ることを忘れてはなりません。わたしたちの次の訪問が最後となるでしょうか。そうした状況のもとで,わたしたちは何を行ない,何を言うべきでしょうか。―コリント第二 6:2。イザヤ 55:6。

      2 わたしたちの目的は王国について証しすることではありませんか。そして,わたしたちは,他のいかなる宗教組織も行なっていない業に携わっていることを確信しているのではありませんか。したがって,そうした人々が,聖書は良い本でありもっと読むべきだということに同意し,あるいは自らそう言うとしても,戸口での努力がそこで終わっているとすれば,わたしたちは訪問の目的を逸していることにならないでしょうか。イエスの生涯の記録を読むと,わたしたちはどんなことを見いだしますか。イエスは,甘いことばやおせじを言われても,そのために自分の目的から離れてしまうことはありませんでした。例えば,ある時のこと,幾人かの宗教的な人々が,「師よ,わたしどもは,あなたが真実なかたであり,神の道を真実にお教えになることを知っております。そしてあなたはだれをも気にされません。人の外見をご覧にならないからです」とイエスに言いました。こうしたごきげん取りの態度に接しても,イエスは自分の宣教の目的を逸してしまうことはありませんでした。イエスは自ら進んで真理について非常に効果的な証しをし,人々はイエスのことばに驚嘆したのです。―マタイ 22:15-22。

      3 二月の間,わたしたちは引き続き,「ものみの塔」の年間予約購読を人々に勧めます。あなたは「ものみの塔」に対する人々の関心を高めるためにいろいろな方法を試み,自分の区域で効果的な方法を見つけるでしょう。子どもを持つ人に戸口で会う場合,成功すると思える一つの方法は,次のように言うことです。「きっと,お宅のお子さんも,いろいろな質問をされるでしょう。おじいさんやおばあさんのこと,そのまた先のおじいさんやおばあさんのことなどについて尋ねないでしょうか。最初の先祖はだれなの,と尋ねられた場合,あなたならどう答えるでしょうか。聖書はそうした質問に対する答えを与えています。たとえば,ここ,使徒の17章26,27節にこうあります(簡単に説明する)。この『ものみの塔』誌の目的は,人類がどこから来たか,どこに向かっているかを聖書から説明することです。そして,聖書の預言が今日どのように成就しているかも説明しています。たとえばこの記事です」。こののち最近号の雑誌を何冊か紹介して予約を勧めることができます。

      4 自分の宗教に満足しきっている人もいますが,そうした人たちにも,世界平和を妨げているものについてその人の宗教が教えているかどうかを率直に尋ねてみることができます。2月15日号の「ものみの塔」を使って,真の平和を阻んでいる二つの大きなものは,象徴的な「野獣」と象徴的な「娼婦」であることを指摘できます。そして,詳細な点に進まないで,ただ,人類と平和との敵となっているものを神が地上から除き去ること,そして「ものみの塔」誌がそれについて説明していることを述べられるでしょう。その記事に繰り返し取り上げられているとおり,「ものみの塔」誌は,ダニエル書や「ヨハネへの啓示」の預言をはじめ,聖書の預言を説明しています。そのことにふれたのち,家の人に予約を勧め,あるいは少なくとも幾冊かの雑誌を求めるように勧めることができます。のちの再訪問のさいに,さらに時間をかけて「野獣」や「娼婦」が何を表わしているかを説明し,また,啓示 18章4節の命令に従うことの大切さについても話せるでしょう。

      5 たくさんの宗教があるのは,同じ山の頂上に登るのにいろいろな道があるのと同じだと思っている人に対しては,次のように言うことができます。「たくさんの宗教がありますが,この音信を携えてわたしの家を尋ねてくれたのはエホバの証人だけでした。あなたの場合はいかがですか。たいていの人が自分の宗教に対して熱心さをいだいていない理由がおわかりですか。真の神の民が人々にどのような音信を伝えるように命じられているかをご存じですか」。こののちマタイ 24章14節を取り上げ,ついで「ものみの塔」誌を紹介し,その表紙に述べられている王国とは,マタイ 24章14節に述べられている王国です,と言えるでしょう。数号の異なった雑誌の内容を見せて,雑誌に対する関心を高めてください。

      6 再訪問をするさいにも,証しをするというわたしたちの目標を常に銘記しておくことが大切です。前回の訪問のさいに証しをした人が家にいないなら,その時戸口に出て来た人に対してはいかがですか。ごく簡単にこう言えます。「先回お訪ねした時,わたしは ―― さんと,たいへん楽しくお話しできました。あなたも,他に類のない政府,一千年間続く政府についてお聞きになりたいと思われませんか」。

      7 こうした近づき方があまりに直接的でまともすぎると感じることがあるかもしれませんが,真理を明白にしかも巧みに話すことによって羊のような人々が追い散らされることはないという点を確信していることができます。イエスは,真の羊飼いに関して,「羊は彼に従います。彼の声を知っているからです」と言わなかったでしょうか。(ヨハネ 10:4)時が大変迫っているのでわたしたちはだれをも見逃がすことのないように努めましょう。そうすれば野外宣教の目的を逸することはないでしょう。

  • たばこをのむ人
    王国宣教 1974 | 2月
    • たばこをのむ人

      1 献身している人でたばこをのんでいる人がいればそれをやめるために果断な行動を取るべきことについて「ものみの塔」誌が指摘して以来まもなく六か月になります。もしまだたばこをのんでいる人がいるならば,その人は今その習慣を断つためにより強力な努力をするのがよいでしょう。長老たちに話しかけて助けを求めてください。長老たちは,聖書の助言を当てはめつつ,どのような人が会衆に残ってもよいかを決定しなければなりません。

      2 まだバプテスマを受けていないで集会に出席している人たちの中にたばこをのむ人がいる場合,その人がたばこの使用を唱道したり,兄弟たちにそうした習慣を持たせようとしたりするのでないかぎり,引き続き集会に出席することは許されるでしょうが,それでも,王国会館の中でたばこをのむことは許されません。しかし,バプテスマを受けていなくても野外宣教や神権宣教学校に加わっている人たちの中にこの習慣を持つ人がいる場合,そうした人たちにはすでに話がなされているはずですが,もしまだなら,同じ六か月の間にその習慣を断ち去らないかぎり,野外奉仕に携わったり神権宣教学校に参加したりすることは認められないむね,その人に告げるべきです。そうした人たちには,たばこの使用を全くやめた時にそのことを長老に知らせるように勧めてください。しかし,その人はバプテスマを受けていませんから,その人に対してそれ以上の処置は取りません。そうした人たちが集会に出席することは許されます。これら,バプテスマを受けていない人たちについて公の発表をする必要はないでしょう。

      3 たばこをのんでいる人がかつてバプテスマを受けた人であっても,ずっと以前に組織から離れ,今ではエホバの証人であるとは唱えておらず,その人の喫煙の習慣が会衆に非難や問題をもたらしていない場合には,長老がその人を捜し出してたばこをのんでいるかどうかを調べたり,もはや交わっていないその喫煙者に対して処置を取ったりすることは必要でないでしょう。

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