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  • 伝道之書 ― 真の価値に関する教え
    ものみの塔 1980 | 6月1日
    • います。そうした考え方に傾く人はみな,「だれのためにわたしは労苦し,自分の魂に良い物を欠けさせているのか」と自問してみるべきです。裕福な人々の所有物がどれほどばく大なものであっても,『その目は富に満ち足りることがない』のです。このことをわきまえてソロモンは次のように記しています。

      「二人は一人よりも勝っている。彼らにはその労苦に対して良い報いがあるからである。もしもその一人が倒れるなら,他の者がその仲間を起こすことができるからである。しかし,たった一人の者が倒れ,彼を起き上がらせる他の者がいない場合はどうであろうか。さらに,二人が共に身を横たえるなら,彼らは確かに暖まることにもなる。しかし一人だけではどうして暖まることができようか。そして,だれかが独りの者を打ち負かすことができたとしても,二人なら一緒にその人に立ち向かうことができる。それに,三重のひもは素早く断ち切ることはできない」― 伝道 4:9-12,新。

      これらの言葉は重要な教訓を与えます。人間関係は所有物よりも大きな報いをもたらします。仲間の人間に対する純粋な関心,仲間の人間を助けようとする努力は,金銀などの生命のない物体より数段価値の高いものです。

      不当な圧迫と不公正

      伝道之書は人類が多くの不当な圧迫に苦しんできたことを率直に認めています。「そしてわたしは,日の下で行なわれているすべての虐げの行為を見ようとして引き返した。すると,見よ,虐げられている者たちの涙があったが,彼らには慰めてくれる者がいなかった。彼らを虐げる者たちの側には力があったので,彼らには慰めてくれる者がいなかった」。(伝道 4:1,新)不当な圧迫を受けている人が,力を持つ者からの解放を探し求めるときには,往々にして不公正がはびこっています。ソロモンは,「そしてわたしはさらに,邪悪の宿る公正の場と邪悪の宿る義の場とを日の下に見た」と述べています。―伝道 3:16,新。

      不当な圧迫や不公正が広範にわたって見られるとき,人はどのように反応すべきでしょうか。まず第一に,霊感を受けた次の記述を認識するようにならなければなりません。「曲がっているものをまっすぐにすることはできない。欠けたものは到底数えられない」。(伝道 1:15,新)一部には,誠実な動機で地上を正義のゆきわたる状態にしようと終生を費やした人もいますが,うまくゆきませんでした。神の言葉は,神の王国のみが人類から悪を除き去るということを明らかにしています。(ダニエル 2:44。ペテロ第二 3:13。啓示 21:1-5)どれほど努力を積み重ねても,人間の行動にひそむ「曲がっている」面をまっすぐにすることはできません。

      そうであるからこそ,召集者は次に挙げるもう一つの有益な導きを与えているのです。「わたしは言う,『王の命令そのものを守れ。神の誓いを考慮してそうするように。自ら急ぐな。王の前から出て行こうとして,悪事に立ってはならない。彼は自分の喜び行なうことすべてを行なうからである。なぜなら,王の言葉は支配の力だからである。だれが彼に,「あなたは何をしているのか」と言えようか』」― 伝道 8:2-4,新。

      伝道之書は,現存する政府に対する反抗や破壊活動を唱道してはいません。知恵の道は政治上の「上なる権威」に従順に服しつづけることです。(ローマ 13:1-7)ごくまれにですが,神の是認を得たいと願う場合,政府当局者の発する特定の命令を行なえないことがあります。(ダニエル 3:12,16-18)しかし,当局者の命令や要求が神の法を破ることを求めていないのなら,『王の命令そのものを守る』のは知恵の道です。

      召集者はこの考え方を発展させ,次のように述べています。「おきてを守る者は禍となるものを知らないで済む。賢い心は時と裁きを共に知ることになる。実にすべての事に時と裁きがあるからである。なぜなら,人間の災難は彼らに臨むことが多いからである。何が生じるか知っている者はひとりもいないからである。なぜなら,事がどのようになるかをだれが告げ得るであろうか」。(伝道 8:5-7,新)支配の仕方が過酷で専横な場合であっても,賢明な人は反逆を起こすようなことはありません。物事の良い変化が起こるには,「時」と時節があることを悟っています。しかし変化が「どのように」生じるかは分からないので,そのような人にとって,当面の賢明な道とは,日常生活の不快な面に関して健全な判断を下し,自分に課せられた仕事を行なうことです。―伝道 3:1-13と比較してください。

      不測の事態に対処する

      多くの人間の努力が不首尾に終わる別の理由は,伝道之書 9章11節(新)に次のように述べられています。「わたしは引き返し日の下で見たが,速い者が競走をものにするのでも,力のある者が戦いをものにするのでもない。また賢い者が食物を得るのでも,理解力のある者が富を得るのでもなく,知識を持っている者たちといえども恵みを得るわけではない。なぜなら,時と予見しえない出来事はそのすべてに降りかかるからである」。

      速さ,強さ,知恵といった特質があれば,どんな事業に携わっても成功するかに思えます。ところが多くの場合に不測の事態が生じます。予見し得ない事態は良いものである場合もありますが,大抵は事故や病気などの災難として降りかかってきます。死に関しては『人が獣に勝るところはありません。すべては空だからです』。―伝道 3:19-21,新。

      この点に関して,この賢い聖書筆記者は,特に二つの事柄を挙げています。それは(1)毎日勤勉に働くこと。(2)現在持っているものを楽しんで,自分の労苦の「良いことを見る」ことです。そうした趣旨のことが伝道之書 5章18-20節(新)に書かれています。

      「見よ,わたしが見た最善のこと,美しいもの,それは真の神が与えられた命の日数の間,日の下で労苦するそのすべての労苦ゆえに,人が食べ,飲み,善いことを見ることである。それは彼の分だからである。また,真の神が富と物質の所有物を与えたすべての人,その人にそれから食べ,自分の分を持ち去り,その労苦を歓ぶ権利をお与えにさえなった。それは神の賜物である。彼が自分の命の日々を思いに留めることはそうひんぱんにはないからである。なぜなら,真の神は心の歓びをもって人を忙しくさせておられるからである」。

      大きな圧力,不公正など,今の人間生活には悪い面がありますが,賢明な人は,そうしたことによって,正しく行なわれている物事を喜ぶ気持を失ってしまうことはありません。それよりも,わずかではあっても自分の持っている物を喜ぶことによって,是非とも現在の祝福の『自分の分を持ち去ろう』とします。

      誌面の関係で,伝道之書に織り込まれている知恵をここでこれ以上説明することはできませんが,前述の幾つかの例が,この書全体を注意深く読むための刺激になれば幸いです。そうすることによって,あなたは無益な事柄に時間とエネルギーを費やさずにすみ,自分の人生と才能を,真に価値あるものへと向けることができるでしょう。

  • 鳥でさえ『自分の時を知っている』
    ものみの塔 1980 | 6月1日
    • 鳥でさえ『自分の時を知っている』

      エレミヤの時代のイスラエル人は悲しむべき状態にありました。彼らの生活の仕方は残念ながら渡り鳥のそれと対照的でした。このように書かれています。「天のこうのとりでさえ ― その定められた時をよく知っている。山鳩や,あまつばめや,ブルブル ― それらも各々そのやって来る時をよく守る。しかしわたしの民は,エホバの裁きを知るに至っていない」― エレミヤ 8:7,新。

      こうのとりや,山鳩や,あまつばめや,ブルブルは,そのやって来る時と帰る時を守りますが,イスラエル人はエホバの裁きに関心を示しませんでした。渡り鳥の場合,やって来ることと帰ることは命にかかわる重要な問題でしたが,同様に,イスラエルの幸福と繁栄はエホバの裁きに従うかどうかにかかっていたのです。しかしイスラエル人はこの点で失敗し,渡りの時を守る理知のない鳥たちが持っている良い判断力という特質を示すことさえしませんでした。

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