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  • 『命のことばをしっかりつかんでいる』
    ものみの塔 1977 | 9月15日
    • た。そのためにヨセフは偽りを言われて告訴され獄舎につながれましたが,神に対して罪を犯してはいませんでした。(創世 39:7-23)「命のことばをしっかりつかんで」いる人の生活の中で,もし性の不道徳への誘惑が生じたなら,ヨセフのとった行動を思い起こすと有益です。

      「世を照らす者として輝く」

      26-28 (イ)まとめて言えば,「命のことばをしっかりつかんで」いるなら,どんな面で助けになりますか。(ロ)わたしたちはどのように引き続き『光を照らす者として輝き』ますか。

      26 したがって,「命のことばをしっかりつかんで」いる人々にとっては確かに,神の霊感によって書かれた聖書の66冊の文書を感謝する多くの理由があるわけです。なかでも,聖書の助言は,それに従うなら,クリスチャンが病気と圧力に対処する助けになります。クリスチャンは憂いに沈むとき,神の言葉に慰めを見いだします。聖書はまたクリスチャンが深い悲しみに耐え,内気や恐れを克服し,不品行を避けるよう助けます。

      27 さらに,「命のことばをしっかりつかんで」いる人は,この「曲がってねじけた世代」,神から離れている人類の世の悪行に関して「とがめのない純真な者」でいることができます。彼らの中にあってクリスチャンは『光を照らす者として輝き』続けます。(フィリピ 2:14-16)そのような霊的な『光を輝らす者』として奉仕する主要な責任を持つイエス・キリストの油そそがれた追随者たちと交わっているのは,楽園の地上でとこしえの命を得る見込みを持つ「大群衆」です。―啓示 7:4-9。

      28 忠実なクリスチャンはすべて,エホバ神により頼みつつ霊的光を反映し続けるでしょう。また神の助けによって,エホバ神を崇拝する者にふさわしい正しい動機もしくは霊を示し続けるでしょう。また,神の霊の実を培いかつ示すことに努め,初期クリスチャンや,世々エホバに仕えてきた他のクリスチャンたちの立派な特質を,賢明にも常に思いに留めているでしょう。そして主が,「命のことばを」本当に「しっかりつかんで」いる今日の敬虔な人すべてが示す霊と引き続き共におられることは確かです。あなたは正しいクリスチャンの霊を示している人の一人ですか。そして「命のことば」をしっかりつかんでいますか。

  • 賢人はどんな意味で述べたか
    ものみの塔 1977 | 9月15日
    • 賢人はどんな意味で述べたか

      良い名の価値

      良い名,あるいは評判は,守るに値する貴重なものです。賢い王ソロモンはこう述べました。「名は良い油に,また死の日は人の生まれる日に勝る」。(伝道 7:1,新)昔,良い油は非常に尊ばれていました。良い油は快い香りを放ちました。しかし,良い油の芳香よりさらに快いのは,良い評判です。名前が真の意味を帯び,人がどんな種類の人間かを示すようになるのは,全生涯を通じてのことです。死に際して,その名,あるいは評判は定まり,最終的なものとなります。生まれたばかりの人には評判はありません。ですから,「死の日は人の生まれる日に勝る」と言えるのです。

      良い名を保つには,人生について真剣に考えることが必要です。ソロモンは次のように勧めました。「嘆きの家に行くことは宴の家に行くことに勝る。それが全人類の終わりだからである。生きている者はそれを心に留めるべきである」― 伝道 7:2,新。

      ある家族から死者が出るなら,その時は確かに,遺族のことを忘れて平気で宴会を開いたり大騒ぎをしたりすべき時ではありません。むしろ,嘆いている人々を慰める機会となります。同時に,「嘆きの家」に行く人は健全な影響を受けます。そのような人は,人生のはかなさを,また人の計画や活動がいかに素早く中止させられてしまうかをいやおうなく思い知らされます。この事は,人が自分の人生をどのように送っているかを真剣に考えるきっかけとなります。一方,宴の家に満ちている精神が,そうしたまじめな考えに人を導くことはありません。

      ソロモンはこう続けています。「いらだちは笑いに勝る。顔の不きげんさにより心は良くなるからである。賢い者たちの心は嘆きの家にあり,愚鈍な者たちの心は歓びの家にある」― 伝道 7:3,4,新。

      「嘆きの家」にいる人は,人生のはかなさを認識させられ,不慮の出来事に対していらだちを覚えます。そのような人の顔は,「宴の家」にいる人のように笑いで満ちるかわりに,悲しげで厳しい表情をしています。その顔に表われている厳しい態度は心に良い影響を与え,さらに良い方に変化するよう促します。そうした人々の心は,どのように人生を送るべきか,またその理由を熟考するので,「賢い者たちの心は嘆きの家にあ(る)」と言えます。そのような心が,宴会の場につきものの浅薄で向こう見ずな精神を反映することはありません。

      ソロモンはこの論法を続けて,次のように述べています。「賢い者の叱責を聞くことは,愚鈍な者たちの歌を聞く者となることに勝る。愚鈍な者の笑いは,なべの下のいばらの音のようであり,これもむなしいことだからである」― 伝道 7:5,6,新。

      正しい道からそれる人は確かに賢い人の叱責により益を得ます。しかし,愚かな者の歌や無意味なへつらいにはどんな益があるでしょうか。そのようなものは間違いを隠し,人を誤った道に進ませ,評判をだいなしにしてしまいます。愚かな者の軽薄な笑いがふさわしくない時に聞こえるなら,それは,なべの下でいばらがパチパチと音をたてて燃えているのと同じように,耳ざわりに感じられます。愚かな者の笑いは不快な音をたて,何の啓発も与えないからです。

  • 女らしい慎み
    ものみの塔 1977 | 9月15日
    • 女らしい慎み

      ● 皆さんの住んでおられる地域では,女性の最新流行の服装に「慎み」という特質が見られますか。世界中の多くの男女は声を大にして「いいえ」と答えるでしょう。丈の長目のスカートが流行しても,大抵,人々が身に着ける衣類は非常に露出的であったり,慎みを欠いたものであったりします。皆さんも恐らくそうしたことに気付いておられるでしょう。

      では,クリスチャンの女性は,慎みという特質にかなった衣服を買うか縫うかするよう努力すべきでしょうか。様々な国にいる多くのエホバのクリスチャン証人の女性は,それが賢明な道であることを認めています。エホバの証人の女性は,きちんとしていて魅力的な身づくろいに関心を持ってはいますが,同時に「よく整えられた服装をし,慎みと健全な思いとをもって身を飾」らねばならない,という霊感を受けた助言を自分の考えの導きにしているのです。―テモテ第一 2:9。

      ものみの塔協会のプエルトリコ支部事務所は,一人の若い証人からこの事に関する興味深い手紙を受け取りました。その手紙には次のように書かれていました。

      「私たちは先日,とてもうれしい経験をしたので,そのことについてお知らせしたいと思います。二人の若い姉妹と私が,戸別伝道の業に携わるため道を歩いていると,一人の男の人に呼び止められました。最初その男の人の動機を疑っていたので立ち止まろうとはしませんでしたが,あまりにもしつように呼ぶので,何の用なのかを聞くために立ち止まりました。その人は,『皆さんの服装をほめようと思ったのです』と語りました。私たちは,自分たちがエホバのクリスチャン証人であること,また,慎み深く装わねばならないと聖書が述べているのでそうしていることを説明しました。『それだからこそ皆さんに敬服しているのです。私は福音教会に属していますが,聖書に従ったふさわしい服装をしているのはあなた方だけだということが分かるからです』と,その人は述べました。それで私たちは,ふさわしい装いに関して聖書から優れた諭しを与えられていることを,どんなにうれしく思い,感謝しているかをお知らせしたいと思います」。

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