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  • なぜそれほど高価な贖い代が必要でしたか
    ものみの塔 1975 | 10月15日
    • 月ごとに実を生じ,実を十二回生み出す,命の木があった」。(啓示 22:1,2。アメリカ訳,モファット訳)従って,人が罪とその影響から全くいやされるためには,イエス・キリストとその王なる祭司に従順に答え応じなければなりません。そのようにしてのみ,人は命のためのエホバ神の備えから十分の益を受けられるのです。

      神は,アダムの罪のゆえにわたしたちが失ったものと釣り合う贖い代を備えてくださいました。わたしたちは,限りないあわれみを示してくださった神に感謝すべきではありませんか。完全な公正の要求にかない得たのは,完全な人間イエスの貴い命だけでした。わたしたちが永遠の命を望みつつ,罪を贖うみ子の犠牲の恩恵を自分に適用してもらうためには神のご要求に達しなければなりません。エホバ神が人類のためにしてくださったことによって,そうした神のご要求に達したいとの強い願いを持つ者となれますように。

  • 真理を認めた牧師
    ものみの塔 1975 | 10月15日
    • 真理を認めた牧師

      ● 一人のエホバの証人は,ソロモン諸島奥地のある村で,1961年に聖書の公開講演を行ないました。講演を聞いた人の中にはその土地の牧師がいました。その夜,そのエホバの証人と牧師は,聖書について幾時間も話し合いました。翌日さらに深く調べた後,この牧師は自分の教会の信者の前に立って,自分がエホバの証人の一人になるつもりであることを知らせました。彼は聖書の勉強に加わるよう人々に一生懸命勧めましたが,村人たちは皆反発しました。

      当時その人はエホバの証人の集会に出るため,山を越え,川を渡って,四,五時間も歩かねばなりませんでした。その後自分の村から少し離れた所に移り,そこに自分で家を建てました。彼はよく進歩し,ついにバプテスマを受けたエホバの証人になりました。何年かたつと,二人の男の人が以前牧師だったこのエホバの証人の家の近くに住むようになり,聖書を勉強することに同意しました。しかし勉強を休むことが多かったので,あまり進歩しませんでした。こうした事すべてが原因で,この以前の牧師は気落ちするようになりました。

      1968年になって,最初にこの人に会ったエホバの証人は,集会が開かれている村に移ったほうがエホバの証人としての業によりよくあずかれるのではないか,と提案しました。以前牧師だったこの人はその提案を喜んで受け入れ,自分の村に戻り,そこを離れることを知らせました。村の住民は大変な衝撃を受けました。彼らにとってこの人は常にとても有用な助け手となってきたので,出て行ってほしくなかったのです。村人たちはとどまってくれるよう懇願しました。

      このエホバの証人の肉身の兄弟は以前は煮え切らない態度を示していましたが,教会から離れ,やがて聖書の音信を他の人に分かち合うようになりました。以前の牧師はこのような事態を活用して,村人をエホバの証人の次の地域大会に誘ったところ,出席した人は少なくありませんでした。大会で見聞きした事柄に感銘して,聖書研究をすることを望んだ人はかなりの数に上りました。以前の牧師を助け,聖書研究を望む30人の人々を世話するため,全時間の特別開拓者として奉仕している一組の夫婦がこの地域に遣わされました。ほどなくして王国会館が建てられました。すでに12人の人々が,以前の牧師と共に他の人に聖書の真理を教える業に携わっています。

      このように,宗教的に誤ったことを教えていた人でさえ,正しいことを行ないたいと願う場合のあることがわかるでしょう。そのような場合,彼らは一度真理を認めるとすぐに好意的な反応を示し,自分が学んだ良い事柄を他の人に分かつ業に熱心に参加するようになります。

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