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真の崇拝に対する挑戦ものみの塔 1968 | 7月1日
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したのです。聖書の原則を断固として擁護した彼らの立場は,宣伝者たちに完全な答えを与えるものとなりました。エホバの御名が崇められました。―ヨハネ 13:34,35; 17:14。
29 (イ)予表となる事柄と一致して,エホバの証人は第二次世界大戦の終わりにどんな一時的な救いを得ましたか。(ロ)しかしさらに困難を予想しなければならないのはなぜですか。
29 記録からみると,セナケリブはラブシャケの高慢な挑戦を直ちに実行に移したのではないようです。それは南方のエジプトの支配者テルハカのために一時的な敗北をこうむったせいかもしれません。これは,油そそがれた残れる者を呑みつくそうとの意図をもってサタンの吐いた全体主義の「川」が,民主主義諸国によって呑みほされたことに相当します。残れる者は,女にたとえられるエホバの組織を地上で代表します。しかし第二次世界大戦の終結の時に得られたこの救いも一時的なものにすぎません。マゴグのゴグは今でも活動しています。それについて預言はこう述べています,「竜は,女に対して怒りを発し,女の残りの子ら,すなわち,神の戒めを守り,イエスのあかしを持っている者たちに対して,戦いをいどむために,出て行った」。(黙示 12:15-17)その結末はどうなりますか。いまそれを調べることにします。
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「イスラエルの聖者」をあがめるものみの塔 1968 | 7月1日
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「イスラエルの聖者」をあがめる
「我わが聖き名をわが民イスラエルの中に知しめ重ねてわが聖き名を汚さしめじ国々の民すなはち我がエホバにしてイスラエルにありて聖者なることを知るにいたらん」― エゼキエル 39:7,文語。
1 人類,とくにエホバの証人はどんな事態に直面していますか
人類をみぞうの苦しみにあわせた二つの世界大戦は終わったものの,共産主義の「北の王」と民主主義の「南の王」は,国家主義的な宣伝でふたたび地を満たしました。それぞれ核兵器をかかえてにらみ合いながら,両者は“冷たい”戦争と“小規模な”戦争をして押し合っています。(ダニエル 11:40)彼らは競争的な共存について論じますが,実は自分だけが生き残ることを決意しています。緊張が増すと,世界のどこにおいても国家主義的な忠誠心があおりたてられます。その背後であやつっている,いやしめられたサタンすなわち「マゴグのゴグ」は,「大いなる王の都」すなわちエホバが霊によって住まれる天のエルサレムを地上で代表するエホバの油そそがれた証人を最終的に攻撃する態勢をとりつつあります。―詩 48:2。
2 セナケリブはどのようにふたたびエルサレムをおびやかしましたか。
2 列王紀下 19章8節から10節の記録によってみると,アッシリヤの王はなおエルサレムに近づき,わずか40キロ離れた「リブナを攻め」ました。王はそこから脅迫的な手紙をヒゼキヤに送り,ヒゼキヤの使いにこう告げています,「ユダの王ヒゼキヤにこう言いなさい,『あなたは,エルサレムはアッスリヤの王の手に陥ることはない,と言うあなたの信頼する神に欺かれてはならない』」。
3 (イ)共産主義の「北の王」はどんなおどしの手段をとりましたか。(ロ)一解説者によれば,ソ連邦におけるエホバの証人の迫害はどんな結果を生みましたか。
3 それと同じく第二次世界大戦後の時代にも,高慢なサタンの宣伝者たちは,すべての国の民をハルマゲドンに集めるだけでなく,エホバの忠実な崇拝者をおどして,神の前における彼らの立場を妥協させようと努めています。現在,共産主義者が圧倒的な地位を占めている「北の王」は,特に激しくエホバの証人を攻撃してきました。彼らは苛列な宣伝にさらされてきました。そのうえ1951年の4月までには7000人ものエホバの証人がソ連邦西部の諸共和国で逮捕され,ウラル,シベリア,ボルクタ,カザクスタンの強制収容所に追放された模様です。彼らはクリスチャンの忠実を試みるこのおどしにどう対処しましたか。ウォルター・コラーツは「ソ連邦における宗教」の中で次のように述べています。
これはソ連における“証人”の最後ではなく,彼らの布教活動に新しい時期を画するものであった。彼らは流刑の地におもむく途中の停車駅においてさえ,自分たちの信仰をひろめようとした。ソ連政府が彼らを追放したことは,信仰をひろめる,またとない好機を彼らに与える結果になった。“証人”は孤立した村から,たとえそれが強制労働の恐ろしい収容所であろうと,広い世界へ連れ出されたのである。彼らがそこで会ったのは幻滅の悲哀を感じ,しいたげられた人々であった。その多くは,現存する世代のうちに世の政治機構が一変するという彼らの約束を受け入れる気持ちになっていた。
1955年の恩赦令によって,古い“証人”も新しい改宗者も故郷に帰るか,自由労働者として流刑地に残るかした。こうして……エホバの証人はソ連邦の各地にひろがった。彼らはソ連西部の諸共和国にふたたび現われた。また極東やコミ共和国など,以前の強制労働の地区に新しい組織を作りあげた。ボルクタに至る悪名高いペコラ鉄道の沿線には,エホバの証人の支部がある。エホバの証人はシベリア,カザクスタンにも侵入した。彼らはその地方に特に多い……エホバの証人の組織はダゲスタンにも作られた……一言にして言えば,ソ連邦におけるエホバの証人の組織は世界最強であろう。また世俗の権力からこれほど反対の宣伝を受けているものもあるまい。
エホバの証人の危険と戦うことにおいて,フルシチョフがヒトラーやスターリンよりも成功収めたかどうかは,将来になってみなければわからない。
ヒトラー,スターリン,フルシチョフの時代はいずれも過ぎ去りました。しかし「北の王」の地でそしられた霊的なユダの人々はその崇拝を拡大し,エホバを賛美しています。
4 (イ)セナケリブは,どのようにひきつづきエホバをそしりましたか。(ロ)共産主義の宣伝者は,どのように似た手口を用いましたか。どんな結果になりましたか。
4 エルサレムに対する第二の宣伝の攻撃は,次の記録に要約されています。「セナケリブの家来は,このほかにも多く〔エホバ〕なる神,およびそのしもべヒゼキヤをそしった。セナケリブはまた手紙を書き送って,イスラエルの神〔エホバ〕をあざけり,かつそしって言った,『諸国の民の神々が,その民をわたしの手から救い出さなかったように,ヒゼキヤの神も,その民をわたしの手から救い出さないであろう』と」。(歴代下 32:16,17,〔文語〕)共産主義者の宣伝も同様です。その中には「エホバ神の名によって行く」と題した159頁の本,プラウダ,トラッド両紙に出た非難の記事,「くも」と題してクロコディル誌に出た,さし絵入りの記事,「ハルマゲドン」,「仮面をぬいだ使徒」と題する軽べつ的な映画があり,そのすべてはエホバの御名をそしり,エホバの証人の伝道活動を非難しています。しかしエホバの証人は,共産主義者の攻撃にひるみましたか。ソ連内部からの報告によれば,そのようなことはありません。次にあげるのは,その典型的なものです。
「北の王」の心臓部にいわば位置している我々の兄弟は,エホバとその真理のために全生活,全財産を犠牲にしても偉大な主権者,神権者であられるエホバ神の側に献身的に,また忠実に立っている。信仰のための,この厳しい,決定的な戦いにおいて,彼らはその神エホバを擁護して戦う。神の国の音信はカルパチアから千島列島に至るまで勝利を収めつつある」a
5 セナケリブの宣伝者のぼうとくと軌を一にして,共産主義者はどんな愚に陥りましたか。
5 神をけがす侮りはつづけられました。「そして彼らは大声をあげ,ユダヤの言葉を
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