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  • 他の惑星の探索
    目ざめよ! 1973 | 8月8日
    • ため,人間はとても生存できないことを示す,以前からの徴候を確証するものとなった」。

      わたしたちの太陽系内の九つの惑星中最大の惑星である木星を目ざして,今や宇宙船が飛び続けています。その宇宙船は,1972年3月2日,ケープ・ケネディーから打ち上げられたパイオニア10号です。同10号は1973年12月にようやく木星の近くに到達する予定です。というのは,9億9,000万㌔も飛行しなければならないからです。そして,さらに何回かの木星探索が計画されています。あるニュースはこう伝えました。「米航空宇宙局は,1979年に木星を通過する予定の宇宙船を用いて,同惑星に生物が存在するかどうかを調査する計画である」。

      これまでの宇宙探検を通して種々の惑星について学んできたおもな事がらは,それらの惑星は人間が住むには適していないこと,また生物は何も見いだされていないということです。しかし,宇宙の他の場所に生物を捜し求める進化論者の研究は,なおも続けられています。

      宇宙の他の場所の生物に関する信頼すべき情報があるのでしょうか。地球以外のところに生物が存在するかどうかを確実に知ることができるのでしょうか。

  • 地球以外の天体に生物がいるか
    目ざめよ! 1973 | 8月8日
    • 地球以外の天体に生物がいるか

      宇宙開発は今までのところ,太陽系のどの惑星にも,生命らしきものを発見していません。また,大気圏外の宇宙には生命を維持するシステムは備わっていない,ということもわかりました。それでも,進化論を支持する科学者たちは,知性を備えた生物が多数住む惑星がどこかにある,と信じています。この見方は合理的でしょうか。

      しかし,すべての進化論者が,人間の生命は他の惑星の上で進化したと信じているわけではありません。地球外生物の探索に携わっている進化論者たちのスポークスマンである,コーネル大学の天文学者カール・サガンは,次のように述べています。

      「かりにわれわれが,同じ物理的状態のもとで地球を再出発させ,種々の要素をいいかげんに働かせても,人間からはるかにかけはなれたものでさえ得られないだろう。人間に非常によく似たものがどこか他の場所に生ずるには,われわれの進化的な過去にはあまりにも偶然が多すぎる」― タイム誌,1971年12月13日号,55ページ。

      もし,『地球上に二度と起こりえない』のであれば,地球よりもはるかに条件の悪い他の惑星で,知性を備えた生物が進化することを,進化論者はどうして期待できるのでしょうか。

      それとも,最初の火星ロケットが火星の近くに打ち上げられる以前に,サイエンス誌aの主筆が語ったように,「火星などで生物を捜していると,われわれは歴史始まって以来の大ばか者という評判を確立することになる」のでしょうか。

      ともかく,火星の探査が幾度も行なわれ,何千という写真がとられた後の今日にいたるまで,火星,あるいは太陽系内の他の惑星,また宇宙の他の天体に,生物が存在していることを示す証拠は全くありません。

      とくにクリスチャンは,火星,金星,木星,土星,あるいは他のどんな天体やその衛星に100万回着陸してみたところで,生命の進化を明らかにはできないことを知っています。生命と,複雑なしくみの生物はいずれも創造者がつくったもので,創造者はそのことをご自分のことばである聖書の中ではっきりとわたしたちに告げておられます。宇宙探検の第一の目的とされている,進化という神話の証明にお金を費やすのは全くばかげたことです。(箴 1:7; 9:10)生命の起源にかんするまちがった理論の証明にお金を使うよりも,このすばらしい惑星の上にすでに存在する生命のためにお金を使うほうがどんなによいでしょう。

      人間は地球で住むようにつくられている

      聖書が,神は「これを人の住所につくり給えり」と述べているのは,わたしたちのこの地球だけです。(イザヤ 45:18)そしてずっと昔,神のことばである聖書は,天は創造者のものであるが,『地は人の子にあたえたまえり』と宣言しました。(詩 115:15,16)ですから聖書は,地球が惑星のなかでも類のないものであることを示しているのです。また地球は人間にとって,宇宙の中のなんとすばらしい住みかでしょう。宇宙飛行士のフランク・ボーマンは言いました。

      「38万6,000㌔のかなたから,とりわけ,限りない遠い昔からいん石などを浴びてきた月の地平線の上にかかるわれわれの地球を見ると,色彩を持っているのは宇宙の中でもわれわれの地球だけであることがわかる。水が青いのか,陸が青いのかはわからない。…われわれはこのような美しい地球にいっしょに住んでいるのである。…大きな疑問は,いったいなぜわれわれは自分の持っているものの真価を認識できないのかということである」。

      人間が持っている,宇宙の中のこれほど美しい住みかは,偶然存在するようになったのではありません。ちょうど月が地球を回る軌道に偶然はいってくることができなかったのと同様に,地球も太陽を回る軌道に偶然にはいったのではありません。月着陸船アポロ17号が打ち上げられる直前に,二度目の月旅行に出ようとしていた宇宙飛行士,ユージン・サーナンは次のように言いました。

      「月から地球を振り返って見ると,地球の完全さと,美しさと,その力とを悟ることができ,それが偶然にできたものではないことがわかる。地球は美しい状態で動いており,われわれはちょうど神が,それがどの神かは知らないが,地球を創造するさいに地球を心に描いていた時と同じような気持ちで地球を見ているような感じがする。私は地球へ帰りたい。そして再びそのような気持ちを持ちたい」― 1972年12月8日付ニューヨーク・タイムズ紙。

      地球を創造したその神は,名前のない神ではありません。その神は,聖書の中で,「我はエホバなり これわが名なり」と述べておられます。(イザヤ 42:8)『ああ主エホバよ なんじはその大いなる能力と伸べたる腕をもて天と地を造りたまえり 汝にはなすあたわざるところなし』。(エレミヤ 32:17)大気圏外の宇宙で進化した生物を捜す代わりに,人間の創造者について学び,

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