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    1979 エホバの証人の年鑑
    • このように,文字通りの処女地だった土地で一握りの忠実な証人たちが熱心に奉仕していた1930年代の昔から,物事はずいぶん進展しました。その“古老たち”の多くは今でも働いています。スペースの関係でここに名前の挙げられていない人も幾人かいますが,その人たちはみな自分たちの熱心な働きの良い実を見て喜びを味わっています。比較的最近奉仕を始めるようになった人たちはその人たちの熱意と専念の模範からいつも励ましを受けています。

      フィリピンのエホバの証人のすべては奉仕の特権を大いに喜んでいます。エホバのみ手から多くの祝福をいただいているので,エホバの霊が自分たちのただ中で働いているのを認めています。また,エホバのお名前と王国を引き続き宣明すること,そしてエホバのご意志である限りフィリピンでさらに多くの弟子を作ってゆくことを決意しています。

  • スペイン
    1979 エホバの証人の年鑑
    • スペイン

      スペイン,と聞くとあなたは何を思い浮かべますか。闘牛ですか。フラメンコの踊りですか。それともエル・グレコやゴヤの絵でしょうか。

      スペインと言えばそれらが思い浮かぶのは当然でしょう。スペインは非常に変化に富んだ国です。スペイン人はケルト人とムーア人の特徴を備えており,幾世紀も昔にスペインに侵略したそれら二つの人種の血を引いていることがわかります。四つの言語,すなわちスペイン語,バスク語,カタルニャ語およびガリシア語の外,幾つかの方言が用いられています。ガリシア語はポルトガル語に近い言語です。また,アラビア語が無意識にたくさんそう入される場合が少なくありません。アラブ人がイタリア半島を8世紀間占領した名残として,スペイン語の語彙にはアラビア語の言葉がたくさん含まれているからです。

      スペインは,標高3,000㍍を超すそそり立つピレネー山脈によって,フランスその他のヨーロッパ諸国から隔てられています。また,西は大西洋,東は地中海と接していますから,島国といってもおかしくありません。スペインの中央部はメセタとよばれる高原であり,その北側を,堂々としたピコス・デ・エウロパを含む山脈が走っています。また南側には雪を頂く有名なシエラネバダ山脈が横たわっています。興味深いことに,スペインは平均高度がヨーロッパでスイスに次いで2番目に高い国です。ちなみに,雨は主に北部で降りますが,雨量はヨーロッパで最低です。ですからスペインが「太陽の輝く国」と呼ばれ,毎年多くの旅行者が北欧から押しかけるのも無理はありません。

      スペインの聖書研究者にとってたいへん興味深い一つの点は,この国の気候や地形や食物がパレスチナのそれと似ているということです。スペインにも“オリーブの山”がありますし,ここでは今でも雄牛やロバが使われています。また,スペイン全国を旅行していると,しばしば,牧草地を求めながら羊とやぎを導いている,犬を連れた羊飼いに出会います。収穫時には,農家の人たちが吹きさらしの脱穀場で立ち働き,小麦を簸る姿が今でも見られます。南部の都市にはナツメヤシの茂るところもあり,庭や公共広場にはオレンジやレモンの木が生えています。

      スペインの宗教

      スペイン人は基本的には信仰心のある人々です。大多数の人は司祭に対する信頼を失っているものの,神を信じていない人は少数しかいません。1936年7月から1939年4月に及んだ内乱で,百万人を上回るスペイン人が死にました。これほど多くの人命が犠牲にされたことにより,宗教と政治の悪い実がすっかり露呈しました。そのどちらも殺人と復しゅうの行為に関係したのです。共和派(共産主義,社会主義,自由派からなっていた)は司祭,尼僧,および教会に忠実な官公吏を次々と殺し,一方,右翼(軍隊の支持を受けたカトリック・ファシズム)は国中で暴れて,ローマ・カトリック教会に不忠実な者を殺しました。

      スペイン内乱は今なお消えない傷跡を残しました。それは,古い世代がエホバの証人の伝道の業に対して示す反応に表われています。内乱,つまり“聖戦”に参加した伝統的なカトリック教徒は,“異端”をはびこるままにしておくべきでなく,ましてやバチカンと政教条約を結んでいる国においてそれを許すべきではないと考えていました。あらゆる面における教会の主な支持者たち(保守主義者,進歩主義者,オプス デイ,その他)は,中産および上流階級の人々で,彼らの物質的な利益と繁栄は現状を維持することと切り離せない関係にあります。しかし,特に都市部では,人々は一般に教会に対して無関心であり,教会を利用するのはバプテスマを受ける時とか冠婚葬祭の時,たまにミサに出かける時に専ら限られています。

      第二バチカン公会議が1962年から1965年にかけて開かれて以来,カトリックの国スペインにおける宗教事情が変化したことに疑問の余地がありません。スペインのアルカラにあるマドリード大司教が1965年12月8日付で次のように書いている通りです。「第二バチカン公会議は,教会とクリスチャンの世界に,我々の住む世界に関する歴史的および超絶的な新しい

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