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サッカー界の花形から敬神の道へ目ざめよ! 1980 | 3月8日
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するまたとない機会がありました。私は試合の時の観客を見,それからその人たちを,日曜日にエホバの証人の大会に出席した8万2,000人の人々と比べてみました。その週に,私はサッカーの花形選手としての生活と敬神の道との間にある大きな相違を,痛切に感じました。
それでもなお,私は自分がフットボールをすることと,エホバの証人になることとは矛盾しないと思っていました。ある晩,私のプレーを見に来るよう自分の会衆の主宰監督を招待しました。私たちのチームが勝ち,私はゴールを一度入れました。その晩の後刻,主宰監督が私の家に来て,少しの間談笑しました。最後に,その日の試合をどう思ったかと尋ねてみました。グラウンドにいるときの私は,王国会館の集会に出席している私とは別人のようだと言われてショックを受けました。私はどの試合の前にも冷静さを保てるよう助けてください,とエホバに祈っていることを説明しました。それでも,私はグラウンドで剣闘士のように振る舞うことがあると言われました。しかし,私は納得しませんでした。
その後,マンチェスター・ユナイテッドとの試合に出た際,観衆は私に大きな声援を送ってくれました。「ノールズへ渡せ,ゴールを入れさせろ!」と叫ぶのです。そして,私がゴールを入れると,観衆は熱狂して,それまで以上に私の名前を連呼しました。徐々にではありますが,会衆の監督の言う通りであることを悟るようになりました。観衆の多くは私を神であるかのように扱っていました。それは偶像崇拝の一種であり,それが間違っているのは分かっていました。それでもサッカーをあきらめ切れませんでした。ある試合の前にこんな風にエホバに祈ったのを覚えています。「二つを両立させられるよう助けてください。自制心を保てるようどうか助け,そしてエホバ,どうぞ3点入れさせてください。イエスのお名前
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熱狂的な観客目ざめよ! 1980 | 3月8日
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熱狂的な観客
英国の「ニュー・サイエンティスト」誌は,一国のスポーツ活動がどれほどその国の社会を反映しているかについて論じた際,次のように述べました。「サッカーでは,[選手間の]攻撃的な行動は最小限にとどめられるが,その闘争的な役割は観客のほうに移るようである。……選手や審判員を彼らが楽しませている相手から守るために,ある場所では必要であるとみなされる武装した警備員,鉄条網でできたフェンス,避難用トンネルなどは,刑務所の方に似つかわしい保安体制を思わせる」。この観客が示す狂気の一部は,毎年発行される,ブリタニカ百科事典の「年鑑」の最近の版に収められています。
「サッカーにまつわる暴力行為の話は1975年にも続き,英国がその最悪の犯人の温床となっているようである。……しかし,この現代病は英国の専売特許ではない。チリのサンティアゴでは,6月25日に,グラウンド上での争いのため少なくとも19人の選手が[退場を]命じられたが,その後,選手たちは観客の投石のために15分ほどグラウンドから出られなかった。……南米各地やイタリアからも暴動に関する報告が寄せられている」― 1976年版(英文),350ページ。
1977年版(英文): 「サッカーにまつわる暴力行為の再発は,世界の相克する党派心の副産物である。[ウェールズの]カーディフで行なわれたヨーロッパ選手権の際,……観客は東ドイツの審判の幾つかの判定に対する怒りを表わすために,グラウンド内にビールのカンを投げ込んだ。……マルタでは乱闘に加わった選手幾人かに懲役刑が科された。また,南米で行なわれた試合の一審判は,選手たちに襲われて死亡した」― 350ページ。
1978年版(英文): 「観衆の引き起こす問題は世界各地で衰えることを知らない。囲いをして無頼のやからが入れないようにする国はいよいよ多くなっている。スペインのバルセロナ市は,ファンをグラウンド内に入れないために,15万㌦(約3,000万円)をかけて堀を造った」― 394ページ。
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