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今,人生を成功させるものみの塔 1981 | 8月1日
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れたのです。一方,快楽や利己的な事柄の追求だけに向けられた生活は最終的に失意をもたらし,「風を追うようなもの」です。―使徒 20:35。伝道 12:13; 2:3-11,新。
このように,エホバのクリスチャン証人が数多くの現実的な益を享受していることは明らかです。その益は,どんな犠牲を払ったとしてもそれを補って余りあります。確かに,神に仕えることは『今の命の約束を保ち』ます。また,それが「きたるべき」命の約束を保つものであることも忘れてはなりません。(テモテ第一 4:8)この世の提供するいわゆる自由のはかなく心もとない益にあずかるために,このような益すべてを捨ててしまうのは何と愚かなことでしょう。
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スペインは『エホバとその栄光について聞く』ものみの塔 1981 | 8月1日
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スペインは『エホバとその栄光について聞く』
スペインというと,普通,黒い髪に黒い目をしたスペイン女性がギターとカスタネットに合わせてフラメンコを踊っている,太陽の輝く南部のアンダルシア地方を思い浮かべるものです。しかし,スペインは魅力あふれる変化に富んだ国です。例えば,起伏の激しい北部には緑の平野,山岳部,磯があります。そこでは,がんじょうでたくましい人々が炭鉱で働いたり,農業や漁業あるいはバスク地方の工業に従事したりして生計を立てています。また興味深いことに,北部でよく聞かれるのはギターではなく,太鼓とバグパイプです。
スペイン全国に共通なものは,言うまでもなく,ローマ・カトリックです。しかし現在では情勢が変化しており,カトリック教会は幾百万のスペイン人の心を引き付けておくことができなくなっています。
1978年12月,国民投票で新しい法律が承認されました。特に際立った点は,それによって国家とカトリック教会が正式に分離されたことです。その第16条3項は簡潔に,「いかなる[宗教]団体も国家的な性格を帯びることはない」と述べています。この法律はすべての人に信教の自由を保証するものです。
カトリックの拠点で増加が続く
このような背景の下で,スペインのエホバの証人はどのように発展しているでしょうか。1975年に3万1,948人の最高数を記録した「良いたより」の宣明者は,わずか5年後の1980年にそれを1万1,000人余り上回る4万3,276人に達しました。この二つの数字を比較して見ると,確かに励まされます。また,1975年当時スペインとアンドラ共和国およびカナリア諸島に534あったエホバの証人の会衆が,現在では784になっています。
エホバの民の熱意は引き続き多くの人に深い感銘を与えています。例えば,プロテスタントの一著述家は(「パヒナ・アビエルタ」の中で)次の点を認めています。
「自分の町に何百何千人もの……[エホバの証人]がいることを知って驚く人は少なくない。それは驚くべきことではなく,むしろ当然のことだと思う。ほんの1年前,エホバの証人はすべての町を訪れて戸別の訪問を行ない,有名な『とこしえの命に導く真理』と題する書籍を販売した。……
「現在この宗派が擁している信徒たちは,この宗派がまいたものから当然刈り取るはずの実にほかならない」。
次いでその著述家は自分の仲間であるプロテスタントの信者についてこう述べました。「我々もそろそろ霊的に近視眼的な状態から脱してよいころあいである。聖書をわきに抱えるだけでなく,福音でふくらんだかばんを持って出掛けるという考えを受け入れるべきである……なぜなら,種をまきもしないのに,主が祝福してくださり豊かな刈入れをもたらしてくださると期待することはできないからである」。
クリスチャンの中立を保つ
カトリック教会は,40年間フランコ政権と手を結んでいたので,スペインにおいて威信を失い,信用されなくなってしまいました。比較的若い司祭の中には,従来の伝統的なイメージから脱皮しようとしている人々がいます。そのため,僧職者たちは政治問題で分裂しています。
一方,エホバの証人は政治に関与することを一切避けています。(ヨハネ 15:19。ヤコブ 1:27)エホバの証人は仮設投票所で働くよう呼び出されましたが,聖書で訓練された良心上の理由でそれを丁重に辞退しました。そのため,何人かの証人は脅されました。またログロニョに住む女性の一証人は,投票所で働くことを拒んだために三日間警察に拘留されました。
兵役の問題について言えば,エホバの証人が徴兵の対象になると,再び通知があるまで自宅で待機するよう送り返される状態が続いています。ですから,現時点で,兵役を拒否したために投獄されているエホバの証人は一人もいません。
学校で証言する
子供を持つ人の中には,積極的に学校の校長や教師との接触を図っている人々がいます。その結果優れた証言が行なわれ,ものみの塔の出版物に対する感謝の言葉が聞かれます。
ある時,アンダルシア地方のカディスに住むエホバの証人である11歳の少女は,「あなたの若い時代,それから最善のものを得る」と題する本を学校へ持って行き,級友に9冊配布しました。一人の教師がその本にざっと目を通し,「カトリック教会が若者たちのためにこういう良い本を発行していないのは実に残念なことだ」と大きな声で言いました。
別の教師はその本の目次を調べてから,クラスの前で聖書について話してもよい,とその若い姉妹に言いました。その姉妹は自分の本を持って行き,「懲らしめをどうみなすべきですか」という章を読んでから,そのことについて注解しました。その結果,クラスの少女一人と聖書研究が始まりました。その少女と母親は後日,記念式に出席しました。
幻滅を感じていたカトリック教徒が真理を見いだす
ログロニョで生まれ,カトリックの家庭で育ったグローリアという人の経験も興味深いものです。その女性は19歳の時女子修道院に入り,1952年にオレンセで見習い修道女になりました。ベネズエラでカトリックの宣教師として教師を8年間務めた後,父親の死に遭い,母親の世話をするためスペインへ戻りました。それでも,グローリアは依然としてカトリックを実践し,毎朝6時に起きて早朝のミサに出席しました。12年後,母親を亡くし,バルセロナへ移りました。その間に,宗教上の習慣は揺らぎはじめていました。それというのも,接触していた司祭の中に悪い手本を示す者がいたからです。特に,「非常に徳が高く賢い」と思われていた人がグローリアに不道徳な誘いをしてきたのです。そのためグローリアはやがて教会へ行かなくなりました。
その後,1975年に,エホバの証人の旅行する監督が彼女の家を訪れ,グローリアはその話に耳を傾けました。グローリアはこう語っています。
「私たちが話し合ったのは,義にかなっているとも,道理に合っているとも思えなくて常々自分が悩んでいた事柄に関してでした。それは地獄の火,煉獄,マリア崇拝などの問題です。その旅行
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