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1「デナリ」を感謝して使うものみの塔 1967 | 5月1日
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は廃棄されました。『わたしたちを責めて不利におとしいれる証書は,その規定もろとも』ぬり消されました。それは,言わばキリストの刑柱に釘づけにされて取り除かれました。(エペソ 2:15。コロサイ 2:14)確かにエホバは,その後も3年半の間,生来のイスラエルに特別の恵みを与え,御国にはいる最初の機会をさしのべられましたが,この国民が神の「ぶどう園」でなくなっていたことは変わりません。神は今,霊的な「ぶどう園」を始めておられました。その中で,み子イエス・キリストはぶどうの木,弟子たちはその枝です。(ヨハネ 15:1-8)それで,生来のイスラエルからなる神のぶどう園での12時間の作業時間は,カルバリでのイエスの死をもって確かに終わりました。
30 賃銀支払いの時はいつ来ましたか。神は賃銀支払いのためご自分の家令をどのように用いられましたか。
30 それでは,賃銀支払いの時はいつでしたか。イエスが復活した時,つまり死の三日目にあたる西暦33年ニサン16日ですか。イエスはその後40日の間弟子たちにだけ現われ,彼らを復活の証人とされましたが,その時ではありません。(使行 1:1-8; 10:40-42)イエスの昇天後十日に至るまで,これら恵みを受けたイエスの弟子たちは公の場に出ませんでした。ついで到来したのは西暦33年の五旬節であり,それと共に支払いの時が来ました。ぶどう園のあるじ,もしくは主人であられるエホバ神が,自分の家令,雇い人のかしら,また「管理人」に賃銀の支払いを命じたのはこの時です。神は天の栄光を受けたイエス・キリストを家令もしくは「管理人」とされました。五旬節の日に働き人に聖霊を注ぐのにこのイエスを用いられたからです。(ヨハネ 1:32-34; 14:16,17; 15:26; 16:7。ルカ 24:49。使行 1:4-8; 2:32,33)働き人に賃銀を払うにあたり,天のイエス・キリストは,地上にいた時に語った例外的な法則に従いました。
31 五旬節の時,賃銀を最初に受けたのはだれですか。その時まで彼らはどのような地位にありましたか。
31 では,五旬節に最初に賃銀を受けたのはだれですか。刈り入れた小麦の初穂をささげる五旬節にエルサレムにいた人々のうち聖霊を注がれた者たちです。それは生来のイスラエルのぶどう園につかわされた「あとの」者であり,「管理人」また家令であるイエス・キリストと働いた人々です。これらはまた,大いなる家あるじ,またぶどう園の主人であるエホバ神から,全額の賃銀つまり象徴的な「デナリ」を受けるという面で,イスラエル国民の宗教指導者が「あと」とみなす者でした。
32 働き人のうちだれが最初に賃銀を受けたかはどのように明らかにされましたか。その光景を目撃したのはだれですか。
32 ユダヤ人の期待と逆に,最初に支払いを受けたのは,エルサレムの宮で五旬節を祝うユダヤ人や改宗者の群衆と離れ,ある2階の部屋に静かに集まっていた120人の人々,つまりさげすまれたイエス・キリストの12使徒およびほかの弟子たちでした。神の「ぶどう園」の働き人のうちだれが最初に賃銀を受けたかは奇跡によって明らかにされました。その奇跡は120人の弟子に聖霊が注がれると同時に起きました。そして,ユダヤ人と改宗者3000人以上がその場に来て,その不思議な光景を目撃しました。―使行 1:5; 2:1-13,41。
33 彼らが目撃したことの意味をペテロはどう説明しましたか。聖霊の賜物を求めた者は何人いましたか。
33 「ほかの人たちはあざ笑って,『あの人たちは新しい酒で酔っているのだ』と言った」。そこで使徒ペテロが最初に立ち上がり,霊に満たされたキリストの弟子たちは酒に酔っているのでなく,ヨエルの預言(2:28,29)の成就としてこのことが起きていると語りました。また,復活し,天の神の右に上げられたイエス・キリストが約束の聖霊を受け,ヨエル書 2章28,29節の成就として,地上の弟子たちに聖霊を注いでいることも述べました。そののち12人の使徒全員は,ほかのユダヤ人も悔い改め,イエス・キリストの名によってバプテスマを受けて弟子となるなら,この約束の聖霊の賜物を受けられることを説明しました。その場で聞いていた約3000人はそれに従い,霊的なイスラエルの会衆,神の新しい「ぶどう園」に加わりました。―使行 2:37-42。
34 それで「デナリ」とは何ですか。受ける者はそれをいつ,どこで使いますか。
34 このように,象徴的な「デナリ」は聖霊の賜物そのものではありませんでした。それは聖霊を受けることに伴う特権,つまり霊的なイスラエルの一員となり,ヨエル書 2章28,29節の成就として預言し,油そそがれた者としてメシヤによる神の国の福音を伝道する特権でした。これらの者はエホバの霊的なぶどうの木,主イエス・キリストの,実を結ぶ枝になります。これらの者はイエス・キリストを仲立ちとして,エホバ神と象徴的なぶどうの枝の会衆の間に結ばれる,新しい契約にはいります。(エレミヤ 31:31-34。テモテ第一 2:5,6。ヘブル 8:6–9:15)それで,象徴的な「デナリ」はこの人々にとって生計,神の新秩序における永遠の命を意味するものでした。そしてこれはこの地上で使うものであり,天で使うものではありません。
35 「朝早く」雇われた者は何を見聞きしましたか。彼らも「デナリ」を受けられたのはなぜですか。
35 生来のイスラエルの神のぶどう園で働くため,最初に,つまり「朝早く」雇われた者についてはどうですか。これら「先の者」であるユダヤ人の大祭司,下位の祭司,レビ人,書記,モーセの律法に通じた学者などはやがて,イエスの弟子たちが生来のイスラエルの神のぶどうの園での,あとからの仕事に対して賃銀を受けたことを聞き,また自分でも見ました。彼らはイエスの弟子が象徴的な「デナリ」を使っているのを見ました。望むなら,彼らも全額の賃銀を受けることができました。しかもエホバ神はその後約3年半の間,引き続きイスラエル国民のみを取り扱われました。
36 (イ)しかし彼らはだれを通して「デナリ」を受けねばなりませんでしたか。(ロ)それを受けるため,それまで得てきたどんなものを捨てねばなりませんでしたか。
36 しかし,これら宗教指導者は全額の賃銀である「デナリ」を,神の家令つまり栄光を受けたイエス・キリストをとおして受けねばなりません。そのためには,主イエス・キリストが金持ちの若い支配者に命じたとおりのことをしなければなりません。(マタイ 19:21)それはつまり,エルサレムの宮,各地の会堂,サンヘドリンなどにおける名誉,権力,物質的利得の地位を捨て,「モーセの座」にすわってラビととなえられていたことを改め,またローマ政府によって許された地位を離れることでした。これらは西暦33年の五旬節に至るまで,イスラエルの神の「ぶどう園」での奉仕に対する良い報酬として,彼らが得ていたものでした。彼らがヨエル書 2章28,29節の成就として,聖霊の賜物を得ることを大いなる家あるじである「ぶどう園」の所有者と約束をしていたのは確かです。しかし今,イエス・キリストによって注がれる聖霊を受けて油そそがれた者となり,「あと」の人々,第11時の働き人である使徒と共にイエス・キリストの弟子としての仕事をするため,これまでイスラエルで得てきた宗教上の利益すべてを放棄することは,彼らにとって大きすぎる犠牲に見えました。
37 彼らはただの「デナリ」を受けることに満足しましたか。彼らの態度は「あとの」労働者に対してどう表われましたか。
37 彼らは神からの賃銀として,聖霊とその奇跡の賜物,およびそれに伴う御国の特権以上のものを求めました。それで彼らは象徴的な「デナリ」以上を求めました。それゆえ,これら「先の」労働者は「ぶどう園」の所有者に不平を言い,ただの「デナリ」を受けることをいやがりました。金持ちの若い支配者が使徒ペテロと対象的であったのに似ています。彼らの不平と不満は「ぶどう園」に「あと」に雇われた労働者であるキリストの弟子に対する迫害となって表われました。―マタイ 20:10-12。
38 「先の」労働者すべてが「デナリ」を断わったかどうかを何が示していますか。ある者は何を捨てませんでしたか。
38 もとより,クプロ生まれのヨセフ・バルナバのごとく,宮のレビ人で「デナリ」を受け入れた者もいます。(使行 4:36,37)そして,神の奉仕に「デナリ」を使ったことを理由に,12使徒が投獄され,エルサレムのサンヘドリンで裁かれたのちも,使徒行伝 6章7節の記録どおり,「神の言は,ますますひろまり,エルサレムにおける弟子の数が,非常にふえていき,祭司たちも多数,信仰を受けいれるように」なりました。またユダヤ人の大祭司と親しい間柄にあったタルソのサウロも,パリサイ人でありながら「デナリ」を受け入れました。(使行 9:1-22。ピリピ 3:4-6)しかし,「先の」労働者であるユダヤ人の宗教指導者の大部分は,生来のイスラエルにおけるそれまでの宗教上の特権を捨てず,モーセの律法に基づく報酬を受けて,「デナリ」を断わりました。
39 彼らはこの種の宗教上の奉仕をいつまで続けましたか。しかし,イエスの弟子は何を使いつづけましたか。
39 彼らは宗教上のこの種の奉仕を西暦70年まで続けました。しかしその年,彼らはエルサレムの宮を取り上げられました。彼らは宮での仕事を失いました。そしてローマ人は彼らの土地と国民とを奪いました。それは彼らがイエス・キリストを受け入れたためでなく,これを退け,「デナリ」を断わったためでした。(ヨハネ 11:47,48)エホバ神がイエス・キリストの弟子をよくあしらわれたので彼らの目はよこしまになりました。他方,使徒ヨハネを含めイエス・キリストの弟子たちは,神の国の奉仕をなしとげ,自らの永遠の命を得るため,迫害にめげず自分の「デナリ」を使いつづけました。―マルコ 10:29,30。黙示 1:9。
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読む時間を見いだすものみの塔 1967 | 5月1日
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読む時間を見いだす
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