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活動する聖霊ものみの塔 1977 | 2月1日
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活動する聖霊
『わたしたちの上に高い所から霊が注ぎ出される』― イザヤ 32:15,新。
1 正義を愛する者たちのために聖霊の活動が今緊急に必要なのはなぜですか。
今や聖霊の活動が緊急に必要です。この霊は至聖なる神エホバにその源を有します。霊とは,神がそのご意志に従って働きをおさせになる,目に見えない活動力のことです。それにしても,義にかなったこと,善良なこと,神聖なことを愛する人々のために,聖霊の活動が今日とくに必要とされているのはなぜですか。それは彼らが今直面している事柄のためですか。
2 どんな恐るべき三つ組が今日地を支配していますか。これがわたしたちに及ぼす影響について,どんな質問をしてみることができますか。
2 今日,驚くべき「野獣」と「偽預言者」と「龍」とが地上場面を制圧しています。人を恐怖させるこの三つ組の影響は,高いところ,世界の政治上の支配者である「人の住む全地の王たち」にまで及んでいます。(啓示 16:13,14)この事実は,わたしたち一般大衆にとって大きな危険を作り出します。なぜなら,政治支配者たちのやり方は,わたしたち庶民に大きな影響を及ぼすからです。それでもわたしたちは,政治支配者たちが何をしようと,「野獣」,「偽預言者」,そして「龍」に関して,それぞれ個人的な立場を取ることができるでしょうか。わたしたちは,どこまでこれらの影響を受けて身に害を被ることになるのでしょうか。わたしたちの身の守りとして何があるでしょうか。
3 啓示 13章はこの「野獣」をどのように描写していますか。その崇拝者は野獣についてどんな質問をしますか。
3 「野獣」は全世界にわたってきままに振る舞っています。この悪らつな生き物は火のように赤い「龍」によって支援されています。この「野獣」は,ブラジルのうっそうたる森林やアフリカ中部の密林から出て来たようなただの野獣ではありません。それは,力と権威,そして王座をさえ持つ特別の生き物です。ですからそれは,動物界における支配権ではなく,政治の分野における支配権を行使します。そのためにはこの野獣は七つの頭のような理知を備えています。また攻撃と防御の恐るべき力を有しており,その力はその七つの頭に突き出た十本の角のようです。そうであるからこそ,預言の書である啓示すなわち黙示録の中で,この野獣は,七つの頭と十本の角を持つ野獣として描かれているのです。それは至るところの愛国的な民から賞賛を受けています。七つの頭,十本の角を持つこの「野獣」はだれも征服し得ない,とそれらの民は考えています。それを礼賛するこれら崇拝者たちは,『だれがこの野獣に等しいだろう。いったいだれがこれと戦い得よう』と言います。―啓示 13:1-4。
4 この「野獣」はこれから先どれほど長くわたしたちと共にいますか。
4 わたしたち一般大衆は,活動するこの「野獣」をずっと見てきました。しかしわたしたちのうちにだれか今までにこの「野獣」の正体を解いた者がいますか。なぜこの野獣が,啓示の書におけるような描写をされているのか,わたしたちのうちにだれかその理由を解いた者がいますか。この「野獣」は今日わたしたちと共にいます。そしてこれにおびえる人々は,これがさらにどれほど長く自分たちと共にいるのだろうか,と考えています。霊感の下に記された聖書は,それが最後の時まで人類と共にいることを予告しています。それと『戦って』,それを滅ぼすことのできる者と相会する時までです。その時以後それが偶像化されることはもはやありません。
5 七つの頭を持つその「野獣」は何の象徴ですか。またどんな超人間的存在によって支配されていますか。
5 この「野獣」は,古代のダニエルの預言,その第七章に描かれる四つの野獣と同じく一種の象徴です。それら四つの野獣は,人間による特定の統治機関,政治上の帝国,世界強国,すなわち,バビロニア帝国,メディア=ペルシャ帝国,ギリシャ帝国,ローマ帝国の象徴でした。その象徴には現代の英米両世界強国を表わすものも加えられています。しかし「啓示」の書の13章から19章に描写されている「野獣」は何の象徴でしょうか。それは全地球的な規模で人間が行なう政治上の支配すべてを表わしています。それは全世界を支配しますが,中心的な世界首都を持つ,すべての国家政府の連邦ではありません。全地にわたる多くの政治的な構成部分から成るものです。それら構成部分は,続いて興った七つの世界強国の支配を,幾千年もにわたり受けてきました。そしてその上に,火のように赤い「龍」による超人間的支配の下にも置かれました。
6 (イ)今日の地上における統治は,何にその源を有しますか。(ロ)その統治はどの支配に服していますか。
6 今日の全人類の地上における統治は人間的な源から来ています。したがって啓示 13章1節は,その野獣が『海から上る』と述べています。それは人類という広大な「海」から上がってきました。それは実際の海のように常に動いており,また不満を抱いています。なぜなら,天地の創造者の支配に服することを拒むからです。(イザヤ 57:20,21)それが服している支配は,超人間である,火のような色の「龍」の支配にほかなりません。そのゆえに啓示 13章2節は,『龍が自分の力と座と大きな権威をその野獣に与えた』と述べています。この「龍」が何を象徴しているかに不明の点はありません。啓示 12章9節は,その龍は「初めからのへび,悪魔またサタンと呼ばれ,人の住む全地を惑わしている者」とはっきり述べています。地上のすべての政治体制を支配しているのは「龍」なるサタン独りではありません。サタンには多数の使いたち,サタンと同じ超人間の霊たちがいます。そしてそれらの悪霊は,宇宙主権をめぐる論争において『龍の』側に立って戦います。
7 その「龍」は,神のように,何を代弁者として地上に有していますか。
7 クリスチャンであった使徒パウロはサタンを,「この事物の体制の神」と呼んでいます。(コリント第二 4:4)この「龍」は,さながら神のごとく,地上に預言者を置いています。それはどんな預言者でしょうか。当然「偽預言者」です。「人の住む全地を惑わしている」龍の代弁者を勤めているからです。(啓示 12:9)ゆえに,その者の預言も人を惑わすものであり,したがって『偽り』です。わたしたちは今日その偽預言者に誤導されているでしょうか。
8 なぜ「偽預言者」は「野獣」全体の代表として語ることを許されてきましたか。
8 この「偽預言者」のことを,思い違いをして,普通の人間と考えないようにしましょう。これは,実は,種々の要素から成る一つの複合体で,他のすべての政府に比べて一きわ目立つ政治上の一つの体制です。それがあまりにも際立っているために,「野獣」はその「偽預言者」を,政治の上で今日最も有力な存在であることを認めました。それもそのはずです。それは聖書の預言の通りに人類史上最大の世界強国となったのですから。
9 「偽預言者」はどんな権威をもって語ることを現在まで行なってきましたか。その予言はどんな点で人を誤導するものでしたか。
9 特に過去二世紀の間,英米勢力としてのこの「預言者」は,自分の声を世界に響かせ,いまだ覆されずにその権威を保っています。この英米二国から成る世界強国は,聖書の預言の中で言及されている第七の世界強国として数々の「しるし」を行ない,それをもってあらゆる民を感服させ,人類を惑わして彼らが天地の創造者に服従しないように仕向けてきました。それは今日の国際連合機構の主要な提議者また後援者となり,これこそ世界の平和と安全を保障するものであると唱えてきました。(啓示 19:20)英米政治的結合体は,核兵器を備えた第一級の軍隊を持つ国々の中に位置を占めています。自分自身の力を信じているので,それは創造者エホバ神による全地の支配を支持する預言は行ないません。
「かえるに似た三つのいとわしい霊」
10,11 (イ)全人類がどんな脅威にさらされているために,わたしたちは今「龍」,「野獣」,「偽預言者」の三つ組について警告される必要がありますか。(ロ)啓示 16章13-16節はわたしたちに何を警告していますか。
10 前述の事実から見て,この20世紀の世界は象徴的な「野獣」と「偽預言者」と「龍」によって制圧されてきたと真実に言えますか。まさにそのとおりです! ゆえに,すべての人に,神に挑むこの三つ組に関する警告が与えられねばなりません。それは全人類に滅びをもたらすことに躍起となっているからです。どんな方法で? 核兵器を用いる第三次世界大戦による滅びではありません。聖書がハルマゲドンと呼ぶ所における全宇宙的な戦争による滅びです。聖書巻末の書である「啓示」はあらゆる民にあててそうした警告を与えています。この書は比ゆ的な表現を用いてはいますが,その宇宙戦争が全人類にとって災厄的な結末となることは明瞭でよく理解できます。啓示 16章13-16節を読むと,比ゆ的な表現で語られるその警告が何を言おうとしているかを知ることができます。新英語聖書によると,その部分はこうです。
11 「次いでわたしは,龍の口,獣の口,偽預言者の口から,かえるに似た三つのいとわしい霊が出るのを見た。これらの霊はすなわち悪魔たちであり,奇跡を行なう力を持つ。それらは,主権者なる神の戦いの大いなる日のため,世界のすべての王たちを呼び集めるために送り出された。……そうしてそれらは,王たちを,ヘブライ語でアルマゲドンととなえられる所に集めた」。
12 (イ)「龍」,「野獣」そして「偽預言者」の口から出るかえるのような三つの霊とは実際には何ですか。(ロ)それらの霊は全人類を何に導いていますか。
12 龍と野獣と偽預言者の口から『かえるのごとくに』跳び出す「いとわしい霊」とは,悪魔や悪霊など文字どおりの霊の生き物のことではありません。それらはその三つの口から出て来ますから,ある種の宣伝,この場合には,息ばって気味悪い鳴き声を上げるかえるのようにいとわしい宣伝を指しています。その宣伝は強力で,聞く者を動かし説得する力を持っています。したがって新世界訳聖書は,「それらは実は悪霊の霊感による表現であって」と述べています。それらは,龍と野獣と偽預言者の口から出る「汚れた霊感の表現」です。それら悪霊の霊感による表現は人々の支配者たちを何に導いているのですか。ハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」という結末に導いているにほかなりません。彼らは戦争に進んでいるのです。核による第三次世界大戦のように人と人との戦争ではなく,人と神との間における戦争です。これは極めて重大な戦争ではありませんか。まさしくそうです。
13 ハルマゲドンに向かって共に行進したくないなら,どんな助けが必要ですか。なぜですか。
13 ハルマゲドンの戦場に向かう行進は始まっています。いとわしい,汚れた宣伝は,「人の住む全地の王たち」と共に行進するようにわたしたちを個人的に説得していますか。わたしたちはその宣伝に影響されて全能の神との戦いに加わりますか。もしわたしたちが個人としてそうすることを望まないなら,どうすれば,龍,野獣,偽預言者から出る「汚れた霊感の表現」の圧力に首尾よく抵抗することができるでしょうか。それに対抗し得る力である神の聖霊の助けを得る時にのみ,わたしたちはそれに首尾よく抵抗できます。これははるかに優れた力であり,いとわしいものでも汚れたものでもなく,神聖です。啓示 4章5節では,その効力は,「神の七つの霊」を表わす七つのともしびのように七倍と描写されています。神の霊とは,聖なる見えない活動力のことです。それに満たされ,それによって強くされ,その啓発を受けるなら,わたしたちは,三つの汚れた「悪霊の霊」,「悪霊の霊感による表現」の推進力に打ち勝つことができます。―啓示 16:14,アメリカ標準訳; 新。
14,15 (イ)本物の野獣,大蛇,偽預言者に,武器を持たずに一時に出会うのは恐ろしいことですが,それ以上に恐ろしいのはどんなことですか。(ロ)山のような反対もどのようにして平らな地のようにされますか。
14 ここで恐らくある人々は,『なんということだ。それはわたしが全世界を向こうにまわして戦うことではないか。それは恐ろしいことだ!』と言うかもしれません。そうです,神の霊を持たない人にとっては,それは確かに恐ろしいことでしょう。仮に,実際の野獣と龍のような大蛇と偽預言者に何の準備もなしに一度に立ち向かわねばならないとしたらどうでしょうか。それは恐ろしいことではありませんか。確かにそうです。しかし,野獣,火のように赤い龍,偽預言者が象徴している,より大きなものに抵抗することはどうでしょうか。確かに,野獣のような政治支配の世界体制,核力を保有する「偽預言者」,および彼らの超人的支配者である大いなる龍,悪魔サタンに立ち向かうのは,それよりもはるかに恐ろしいことであるはずです! 単なる人間が適切な保護なしにこれをすることができるでしょうか。自分だけの力では,わたしたちはそのような強力な源から出る宣伝や圧力に抗してしっかりと立つことはできず,彼らに加担する者とならないように妥協を拒み続けることもできません。この三重の結合は高大な山のごとくにわたしたちの行く手を阻もうとしています。わたしたちはこれをどうしたら乗り越えられるでしょうか。
15 もし全能者なる神と共にいるなら,全世界の圧力と反対に立ち向かうことができます。クリスチャンであった使徒パウロは,19世紀昔に政治上の「野獣」のつめにかかって殉教しましたが,それにもかかわらず,「もし神がわたしたちの味方であるなら,だれがわたしたちに敵するでしょうか」と,恐れを持たずに述べました。(ローマ 8:31)ゆえに,わたしたちには乗り越え難い反対の大山と見えるものをも,全能の神は平らな地のように変えることができます。古代のエルサレムの総督に対して神が言われたのはその点です。神はその総督に対して同市に神殿を再建することを命じておられました。外部のこの世的な人々からくる山のような反対にめげず業を進行させるよう総督ゼルバベルを励ますため,神はこう言われました。『万軍のエホバのたまふ これは勢いによらず 能力によらず 我が霊によるなり』― ゼカリヤ 4:6。
16 ハルマゲドンで勝利する側に立ちたいなら,総督ゼルバベルの場合のように,何を試してみることが必要になりますか。
16 西暦前六世紀,そのエルサレムの総督は,神の命令に従って行動することによって神のその霊を試みました。神が真実な方であることを示したために,彼は,西暦前515年,その神殿の完成と落成を見る喜びを得ました。(ゼカリヤ 4:8-10)同様に今日においても,神の霊に対するわたしたちの信仰は試みられています。わたしたちは,「野獣」と「偽預言者」と「龍」の三つの結合物に相対しているからです。わたしたちは神の霊を十分に試すことがぜひとも必要です。それは,エホバの霊的神殿でエホバを崇拝し続け,また世から離れた,世とは異なる状態を保つためです。そのようにするなら,わたしたちは,ハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」の際に必ず勝利を見る者となります。
『霊が上からそそぐ』
17,18 (イ)エホバの民は第一次世界大戦中に荒廃的な経験をしましたが,そのあとも神は霊に関して彼らを見捨てなかったことをどのように示されましたか。(ロ)エホバはそのことを,イザヤ書 32章12-16節で前もってどのように示しておられましたか。
17 聖霊の源であるエホバは,この危機的な「終わりの時」にご自分の崇拝者たちを見捨ててはおかれません。わたしたちは,世界大戦ぼっ発の年である1914年以来その「終わりの時」にいます。忠実なエホバは,献身してバプテスマを受けたご自分の民のために聖霊を活動させてこられました。そうすることを予告しておられたのです。確かに,1914年から18年の第一次世界大戦はその特徴として世界的苦難をもたらし,また記されたみ言葉なる聖書の良心的な研究者また布告者たちの上に荒廃的な迫害を臨ませました。そうした懲戒的な試練を臨ませたことにおける神の知恵と正しさは瞬時も疑うことはできません。それは,エルサレムを首都とする古代のユダ王国に臨んだことに予影されていました。イザヤの預言の第32章の中で,エホバは,とがめあるご自分の民に臨む悲しむべき荒廃と,そのあと彼らが悔い改めて神に立ち返るならどうなるかについて述べ,次のように言われました。
18 『彼ら良き田のため実りゆたかなるぶどうの樹のために胸をうたん[なぜですか]おどろといばらわが民の地にはえ 楽しみの邑[エルサレム]なるよろこびの家々にもはえん そは殿はすてられ にぎはひたる邑[エルサレム]はあれすたれ[高い丘]オペルとやぐらとはとこしえに[定めなく,新]洞穴となり 野のろばのたのしむところ羊のむれの草はむところとなるべし されど遂には霊うえより我らにそそぎて 荒野はよき田となり 良き田は林のごとく見ゆるとききたらん そのとき公平はあれのにすみ 正義はよき田におらん』― イザヤ 32:12-16。
19 そこでイザヤが言及している国民的な災厄はどんなものでしたか。
19 今日のわたしたちは,預言者イザヤがこうして一世紀以上前もって述べた国民的な災厄が実際に起こったことを認めることができますか。確かにできます。それはユダ王国の地の70年にわたる荒廃でした。追放されたイスラエル人は,その期間中,異教の国バビロンに捕虜として抑留されていました。彼らは,バビロニア人が西暦前607年に聖都エルサレムとその神殿に衝撃的な破滅をもたらした時に生き残った者たちでした。その経験は,それら生存者たちにとって,失意せざるを得ないようなものであったに違いありません。彼らが偶像崇拝の国の中で気のめいる生活をしていたとき,エホバの崇拝の神殿は荒れ果て,エルサレムはにぎわいの失せた死の町となり,かつて実りゆたかであった土地はいばらの生い茂るところ,野ろばが人に妨害されずに遊び楽しむところとなっていました。
20 (イ)古代バビロンは,エホバの民を入れた牢の番人としての自分の力をどのように誤まって判断していましたか。(ロ)悔い改めたイスラエル人は,何の力によって帰還しましたか。そのことは彼らの故国にどんな影響を及ぼしましたか。
20 偶像を崇拝するバビロンは,エホバ神を無視して,イスラエル人の流刑者を,獄につなぐかのように抑留しました。古代世界という活動舞台において第三番目の世界強国であったために,バビロンは,エホバの荒廃した土地が,再び競争相手の神エホバの崇拝者たちの住むところとならないようにしておくだけの力がある,と考えていました。エホバが,ずっと昔に指名しておられたペルシャ人征服者クロスを起こしうることを,バビロンは信じていませんでした。定めの時にこの征服者は登場しました。予告されていた通り,クロスは非情な牢番の力を砕き,囚人のイスラエル人を解放しました。エホバの民の地的資産を荒廃させた者は,こうして西暦前539年,世界強国という高い地位から転落しました。そして西暦前537年,流刑者イスラエル人にエホバの霊が上からそそがれました。至高の神のその活動力の力とその導きのもとに,悔い改めた残りの者はバビロンを去り,エルサレムとその聖なる神殿を再建すべく,荒廃した故国に帰還しました。再び人が住むようになった彼らの国土の荒廃した様子は,彼らがそれを極めて実り豊かな地に変えてゆくにつれて徐々に消えていきました。その美しさは,パラダイス,すなわちエデンの園の美しさに近いものがありました。
21 当時のその出来事は,イザヤの預言,すなわち第32章の成就について何を示すものですか。
21 しかし,2,500年以上昔に起きたその出来事によって,イザヤのその預言の第32章は完全に成就したのでしょうか。そうではありません。過去におけるその成就は縮図的成就でありこの20世紀における全面的成就を例示するものであったにすぎません。その大規模かつ最終的な成就は,今日その同じ神エホバの是認された民となっている人々の上に今臨んでいます。
22 第一次世界大戦中,エホバのクリスチャン証人たちに戦いをしかけるのにどんな武器が使われましたか。なぜ諸国家は彼らに対して憤りましたか。
22 1931年以来,それら復帰したクリスチャンは,エホバの証人という名で知られてきました。しかし,それより何年か前,第一次世界大戦中に,世界的な規模の災厄が彼らに臨んだことがありました。人を殺す武器で戦われるその残虐な戦争が始まると同時に,悪魔サタンなる「龍」から力と王座と大いなる権威を受けた象徴的「野獣」は彼らに戦いをしかけました。しかしこの戦いは致命的な武器を持たずに行なわれました。なぜなら,攻撃されたクリスチャンの聖書研究者たちは他に害を加えない,そして武器を持たない人々だったからです。その代わりに政治的,司法的武器が使われ,温良で罪のないクリスチャンたちを投獄することさえなされました。(啓示 13:3-7)象徴的な「野獣」を構成する好戦的な諸国家は,これらエホバのクリスチャン証人たちが,キリストによるエホバの王国を今や地に対する唯一の正当な支配機関としてふれ告げたことに対しで憤りました。そうふれ告げたのは,「異邦人の時」がすでに1914年の初秋に終わっていたからでした。―ルカ 21:24,欽定。啓示 11:15-18。
23 好戦的な諸国民はだれにそそのかされましたか。王国宣布者の残りの者は,どんな強大な三つ組に圧倒されましたか。
23 それら憤った諸国民は,大いなるバビロンに属する宗教指導者たちにそそのかされていました。大いなるバビロンとは,古代バビロンにその起源を有する偽りの宗教の世界帝国です。その宗教帝国の中にあって,キリスト教世界は,諸国民を扇動し,霊的イスラエルの残りの者を迫害する面で先頭に立ちました。その残りの者は,他を害することのない,武器を持たない少数者だったので,「野獣」,「偽預言者」,「龍」の三部から成る同盟のために打ち負かされました。この三つ組はその力を結束させ,王国宣布者たちの残りの者を大いなるバビロンの束縛下に置きました。その後どうなったか,イザヤの預言の第32章がどんな経過をたどって最終的成就に向かったかは,後続のページに述べられています。
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高いところから注ぎ出された霊の活動ものみの塔 1977 | 2月1日
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高いところから注ぎ出された霊の活動
1 1918年に第一次世界大戦が終結する前,霊的イスラエルの残りの者の霊的地所ともいうべきものはどんな状態になっていましたか。
第一次世界大戦は1918年11月11日に終結しましたが,それ以前に,迫害された残りの者の霊的な地所とも言うべきものは荒廃していました。それは霊的にいわば荒野のようになり,油そそがれた残りの者による大胆な神の王国の良いたよりの伝道によって『王国の実』が公に結ばれることがなくなりました。(マタイ 21:43; 24:14)国際的に憎まれ,抑圧されていた王国の大使の残りの者たちは,不安と失意の中にありました。
2 残りの者の荒廃した状態がいつまでも続くかどうかを示したものは何でしたか。その状態を変化させるには何が必要でしたか。
2 エホバ神は,ご自分の献身した民のこうした状態が限りなく続くことをよしとされましたか。そうではありません。キリスト前の場合には神は,エルサレムとユダの地が荒廃する期間を限定し,多くも70年とされました。バビロニア帝国がその犠牲者であるエルサレムとユダに対していつまでも力を誇るのではありませんでした。同様に神は,大いなるバビロンの犠牲者,すなわち霊的イスラエルの残りの者をいつまでも荒廃状態にとどめておくことを意図されませんでした。それで,事態を一変させて彼らの神エホバの栄光を表わすために何が必要だったでしょうか。彼らに対する聖霊の特別な働きです。
3 イザヤ 32章15,16節によると,エホバの民のその荒廃状態は,何が起こる時まで続くことになっていましたか。
3 イザヤ 32章15節の中でエホバは,その民の嘆かわしい荒廃の状態が続くのは『霊が上から我らにそそぐ』までであることを保証していました。では,その後に何があるのでしょうか。その預言がさらに述べているようになります。『荒れ野はよき田となり 良き田は林のごとく見ゆるとききたらん そのとき公平はあれのにすみ 正義はよき田におらん』― イザヤ 32:15,16。
4,5 (イ)したがって霊的イスラエルの上にどんなことが起こることになっていましたか。(ロ)このことは,エゼキエルに与えられた,死んだ骨の満ちた谷を示す幻の中で,残りの者にどのように保証されましたか。
4 そうです,霊的イスラエルの残りの者たちのためには,大いなるバビロンからの解放に伴って霊が注がれることになっていました。この事は,エホバがその預言者エゼキエルに与えた幻によっても確認されました。それはこの預言者がまだ古代バビロンに流刑となっている時のことでした。彼はその幻の中で,とある谷の低地が無数のイスラエル人の死体のばらばらになった骨で満ちているのを見ました。
5 それら死んだイスラエル人にとって事態は全く望みのないもののように見えました。その荒廃した郷土から幾百キロも離れた古代バビロンの地に流刑となった生きたイスラエル人にとっても,事態はそれと同じように望みのないものに思われました。が,全能の神の観点からするなら決して望みのないものではありません。エホバは死者をさえ復活させることのできる神です。幾世紀か前,神は預言者エリヤとエリシャを用いて,本当に死んでいた者を聖霊によって復活させました。それで,エゼキエルへの幻の中で神はそれら死んだイスラエル人のすべてを再創造し,再び生きたものとしました。この幻の意味の説明として,神はこう言われました。『わが民よ 我汝らの墓を開きて 汝らを[バビロンなる]その墓より出できたらしむる時 汝らは我のエホバなるを知らん 我わが霊を汝らのうちにおきて汝らを生かしめ汝らをその地に安んぜしめん 汝らすなはち我エホバがこれを言ひこれをなしたることを知るにいたるべし』― エゼキエル 37:13,14。
6 霊的復活はどのように生じましたか。それを見守っていた諸国民は,自分の見たことに驚いて何と言いましたか。
6 この預言にたがわず,バビロンはユダヤ民族の墓ではなくなりました。霊的な復活が生じました。西暦前537年,流刑になっていた一団のイスラエル人とその従者たちは,奇跡でも起こったかのように,バビロンからさっさと出て行って,彼らの郷土であるユダの地に落ち着きました。そしてエルサレムとその神殿を再建することと,また長く荒廃していた彼らの郷土をパラダイスのようにすることに取りかかりました。西暦前607年に征服者のバビロニア人が荒廃させてしまっていた『良き田のため実りゆたかなぶどうの樹のため』に胸を打つ理由はもはやなくなりました。それは,聖霊が活動していることの明白なしるしではありませんか。それを見守る異教の諸国民は驚きに打たれました。詩篇 126篇2節は,『エホバかれらのために大いなることをなしたまへり』という彼らの言葉を伝えています。
7 この20世紀においては,詩篇 126篇2節の言葉はだれに関して言われたものですか。なぜですか。
7 これとまさに同じことがこの20世紀にも語られています。だれに関してですか。第一次大戦後パレスチナに定住し,1948年,イスラエル共和国設立のために「軍隊」をもって戦った生来のユダヤ人に関してではありません。詩篇 126篇2節の預言は,国際的に敵意と迫害を受けた聖書研究者たち,大戦後の1919年に大いなるバビロンの束縛から解放された人々に関して言われたものです。それら霊的イスラエル人であった復帰したクリスチャンたちの上に,上から霊が注がれました。そのことは聖書研究者たちに,西暦33年のペンテコステを思い起こさせました。もっともそれは,弟子たちの頭の上にとまって彼らが別の,学んだこともない異国語を奇跡的に語れるようにした,目に見える「火のような舌」は伴っていませんでした。―使徒 2:1-4。ヨエル 2:28,29。イザヤ 32:15。
8 戦後のどんな業のために霊的イスラエルの残りの者は保存されましたか。なぜ彼らは「エホバの証人」という名前を正しく取り上げることができましたか。
8 結果として,これら霊的に活気づいたクリスチャンたちはエホバへの奉仕においてかつてなく活発な者となりました。樹立された神の王国を全世界に証しし,証しし,証しすること,これが彼らの高鳴る叫びとなりました。それが今,彼らの生きる主要な目的ともなったのです。聖書によると,神がこれらの人々を第一次世界大戦後にまで生き長らえさせ,大いなるバビロンから解放したのは,このことが目的でした。(マタイ 24:9-14)そこで彼らは散らばっていた成員を再び集め,王国に関する世界的証言を終わりに至るまで遂行するために再組織しました。次いで1931年が来ました。それまでには彼らは,幾億枚の無料の冊子,幾千万冊の書籍,世界的な聖書講演運動,また幾百の放送局の連携によって,エホバの名とそのメシア王国に関して全世界的な証しを行なっていました。彼らはこのすべてを「憶病の霊」を持たずに行ないました。(テモテ第二 1:7)そこで今やこれら,エホバとキリストによるその王国の闘士たちは,イザヤ書 43章10節の言葉をその耳に響かせつつ,聖書に基づく,「エホバの証人」という名称を採用しました。
9,10 (イ)だれがその名をこの地から除くことに失敗しましたか。(ロ)霊的イスラエルの残りの者のほかにだれがその名を生き続けさせる決意をしましたか。そのために彼らは何をしましたか。
9 今日に至るまで,大いなるバビロンに属するすべての宗教勢力,またその政治,司法,軍事面の支援者たちも,神の王国の宣布者の上にあるこの名を地から消し去ることを試みましたができませんでした。それは生き続けているのです。またその名を帯びる者たちも生き続けています。
10 全地にわたって「大群衆」をなす神を恐れる民も,自らは霊的イスラエルを構成する者ではないながら,この名を生き続けさせ,意義あるものとして保つことを決意しています。彼らは,エホバという名を持つ神がそのみ名のための民,すなわち霊的イスラエルの残りの者に対して行なった事柄に注目しました。どの人々の上に神の霊が注がれているかを看破しました。それで今日,「大群衆」を成す人々が,『もろもろの国民のなか』にあって,『エホバかれらのために大いなることをなしたまへり』と語る者たちとなっています。(詩 126:2)霊的イスラエルのごく少数の残りの者のためにそれほどの事を行なわれた神,「大群衆」はそのような神を崇拝し,それに仕えたいと願っています。国際的な敵意や迫害を恐れることなく,彼らもこの同じ神にキリストを通して献身し,エホバのクリスチャン証人の油そそがれた残りの者の側に立っています。彼らも,エホバの証し人としての責任を,恥じらうことなく引き受けました。―啓示 7:9-17。ゼカリヤ 8:23。
「悪霊の霊感による表現」に対する防備
11 龍と野獣と偽預言者は,どんなことを言っていますか。にもかかわらず残りの者と「大群衆」は,どんなことを人々の耳に伝えていますか。
11 今日,油そそがれた残りの者と,その仲間の証し人で成る「大群衆」とは,一丸となって,悪魔である「龍」と,核装備を持つ「野獣」と,政治上の「偽預言者」とに立ち向かっています。啓示 12章17節は,「龍」である悪魔サタンが油そそがれた残りの者と戦うために出て行ったことを明らかにしています。これを行なうにあたって,龍は,政治上の「野獣」と,英米勢力である「偽預言者」を,地上の力として用います。それで彼らの口からは,悪霊の霊感を受けたかえるのような表現が,国家崇拝,国家主権,物質主義,国際連合による世界平和と安全を吹聴するものとして出て行きます。にもかかわらず,エホバの証人は神のメシア王国に関する良いたよりを全世界に響かせてきました。この王国の音信は雑音による障壁を突き破って,世界の200以上の土地や島々に達しています。明らかに,鳴きたてる「龍」と「野獣」と「偽預言者」は,王国の音信を聞こえないようにしたいと考えています。宗教上の大いなるバビロン,特にキリスト教世界はそれを願い求めています。キリスト教世界は自分だけが神の代弁者であると主張しているからです。
12 したがって今日の状況は,アハブ王と彼の偽預言者たちおよびエホバの預言者ミカヤがどんな状態にあったのに似ていますか。
12 こうした状況は,エホバの預言者ミカヤと,イスラエルの王アハブに属した偽預言者たちとの関係に似ています。それは西暦前920年ごろの事でした。偽預言者たちはアハブ王のために軍事上の勝利を予言しました。が,ミカヤは災厄を予言しました。エホバの許しの下にアハブは自分の偽預言者たちの口から出る虚偽の霊感の言葉に欺かれて自らの破滅に陥る,という点をミカヤは指摘しました。ゼデキヤという名の偽預言者はこれに反論しました。列王紀上 22章24節にこう記されています。『ゼデキヤ近よりてミカヤのほほをうちて言ひけるは エホバの霊いづくより我を離れゆきてなんぢにものいふや』。それでも,エホバは確かにミカヤを通して語っておられました。アハブ王は生きた姿では戦いから戻らなかったからです。―列王上 22:20-38。
13 油そそがれた霊的イスラエルの残りの者は,自分たちが預言者ミカヤのようであることを,どのように示しましたか。
13 この出来事には現代にその類例が見られます。特に1919年以来そうだと言えます。これは,第一次世界大戦に勝利を収めた軍事同盟諸国が,世界平和と安全を守るための国際連盟創設の提案をいれた年です。霊的イスラエルの油そそがれた残りの者たちは預言者ミカヤのようです。彼らの上には上から聖霊が注がれていました。その事の結果として,彼らは,予告されていたとおり預言をし,またエホバの霊感による聖書の預言の意味をふれ告げてきました。(ヨエル 2:28,29)彼らは,国際連盟が失敗することを,恐れることなく聖書預言から予告しました。また,キリスト教世界の王たちもしくは政治支配者たち,すなわち背教したイスラエルのアハブ王に対応する人々に警告の音信を,恐れることなく宣明してきました。
14 キリスト教世界の支配者たちに関するどんな音信は牧師級を憤らせましたか。彼らは王妃イゼベルに似たどんな行動を取りましたか。
14 ハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」が訪れる時,それらクリスチャンの支配者を自任する人々は敗北を喫し,エホバの裁きの執行に直面して滅びを被ります。キリスト教世界の牧師階級は,ゼデキヤと一団の偽預言者のように,キリスト教世界の支配者たちの政府や軍隊に祝福を与えてはきましたが,それでもこの事は起こります。それら牧師たちは,自分たちだけに神を代弁する権利があり,神の霊を有していると唱えます。そのゆえに彼らは,自分たちが神の祝福を祈り求めてきた政治支配者とその軍隊に関して油そそがれた残りの者たちが災いの音信をふれ告げることを快く思いません。彼らは,油そそがれた残りの者たちの行なう伝道の業を,神の権威を受けておらず,エホバの霊によってなされていないもののごとくにして抑圧しようとしてきました。アハブの妻であった女王イゼベルはエリヤとエホバの他の預言者百人を迫害しましたが,彼らも油そそがれた残りの者に対する暴力的な迫害を扇動してきました。―列王上 18:13。
15 キリスト教世界の牧師級は,彼らが神の霊を持たないことを,いつ明白にしますか。また彼らがキリスト教世界の支配者たちによる勝利を見ないのはなぜですか。
15 こうしてキリスト教世界の牧師たちは事実上,油そそがれた残りの者たちのほほを打ち,『エホバの霊いづくより我を離れゆきてなんぢにものいふや』と語りました。(列王上 22:24)やがてこれら牧師たちは,自分たちが一体エホバの霊を有したことがあるのかどうかを知らされるでしょう。キリスト教世界の支配者や軍隊が勝利を収めるのを彼らが見ることは決してないでしょう。事実,彼らの政治・軍事上の友たちがハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」で滅びるのを彼らが見ることはありません。なぜ? なぜなら,そのハルマゲドンの戦争が始まる以前に,今のところは友好的態度を取っている政治要素,国際連合機構において今日活動的な役割を果たしている勢力が,キリスト教世界の牧師および大いなるバビロン内の他の宗教指導者たちを憎むようになり,これを滅ぼし絶やすからです。―啓示 16:14,16; 17:3-18。
16 しかし,ミカヤに似た残りの者は何を見ますか。
16 しかし,油そそがれた者たち,すなわちエホバが上から霊をそそがれた者たちはどうでしょうか。キリスト教世界の牧師級は彼らのほほを打ちましたが,彼らはそれに生き残りました。神の霊が聖書から彼らに与えた音信が実現するのを彼らは見ることでしょう。龍と野獣と偽預言者が吐き出したかえるのような宣伝によってハルマゲドンへと導かれた世界支配者たちの滅びを,彼らは確かに見るでしょう。
「栄光の霊,すなわち神の霊」
17 この「事物の体制の終結」に,残りの者と「大群衆」は非難と迫害を受けていますが,それは彼らが神の霊を持っていないことを意味するものではありません。なぜですか。
17 油そそがれた残りの者,およびその仲間の証人たち,今日のキリストの「ほかの羊」の「大群衆」に対しては,激しい迫害が加えられてきました。(ヨハネ 10:16)これは,これらエホバのクリスチャン証人すべてがエホバの霊を受けていない,という意味ですか。そうではありません! 実際にはその逆のことを裏付けているのです。イエス・キリストは,この「事物の体制の終結」の時にはこのことが起こることを予告しておられたからです。イエスの真の弟子たちはあらゆる国民から憎しみの的とされ,メシアの王国に関する証しのゆえに迫害されることになっていました。(マタイ 24:3,9-14)今や王として治めるキリストの名に堅く従うゆえに憎しみと非難と迫害を浴びせられるとしても,それはわたしたちが何か悪事をしたかのように恥じるべき事ではありません。
18 ペテロ第一 4章14節によると,キリストの名のゆえに非難される人々は,なぜ本当に幸福な人ですか。
18 一世紀のクリスチャン殉教者となった使徒ペテロは書きました,「キリストの名のために非難されるなら,あなたがたは幸いです。栄光の霊,すなわち神の霊があなたがたの上にとどまっているからです」。(ペテロ第一 4:14)新英語聖書はこの句を次のように表現しています。「キリストの名のゆえに侮辱を加えられることがあるとしても,それを幸福な事とみなしなさい。その時には,栄光の霊,すなわち神の霊があなたの上にとどまっているのですから」。
19 人々はどんな目的をもってわたしたちを,キリストの名のゆえに非難しますか。しかし,神がわたしたちに与えてくださるのはどんな霊ですか。
19 キリストを通して与えられた神の命令に従う事に関してわたしたちを非難する人々は,わたしたちを恥じ入らせて神への奉仕をやめさせ,「王国のこの良いたより」を世界的な証しのために宣べ伝えることをやめさせようとしています。しかし,神がご自分の王国宣明者たちの上に置く霊は,恥じらいの気持ちや,悪を行なったかのような罪の意識などを抱かせるものではありません。それはわたしたちの誉れの気持ちを抱かせ,栄光を付与します。それは神の輝くばかりの栄光と結び付いた栄光です。その霊はわたしたちをしてこう言わせるのです。「患難にあっても歓喜しましょう。患難が忍耐を生じさせることをわたしたちは知っているからです。かわって,忍耐は是認を受けた状態を,是認を受けた状態は希望を生じさせ,その希望が失望に至ることはありません。神の愛が,わたしたちに与えられた聖霊を通して,わたしたちの心の中に注ぎ出されているからです」― ローマ 5:3-5。
20 詩篇 69篇9節によると,わたしたちに浴びせられる非難は,キリストの名のゆえに非難されることに限られますか。
20 エホバのクリスチャン証人であるわたしたちが持つ特権は,「キリストの名」のゆえに非難を受けることだけではありません。イエス・キリスト自らそのゆえに非難を忍んだ方の名のために非難を受ける特権もあるのです。「キリストでさえ自分を喜ばせることはされませんでした。むしろ,『あなたを非難している者たちの非難がわたしに降りかかった』と書かれているとおりでした」。(ローマ 15:3)詩篇 69篇9節から引用されたこの言葉は,その非難を受けている方がエホバであることを示しています。そしてイエスはその方の崇拝の家のためにあれまでに熱心であったのです。―ヨハネ 2:17。
21 わたしたちがエホバの名のために非難されるとき,わたしたちの上にある霊についてはなんと言えますか。
21 神の子,イエス・キリストのために非難を浴びることはまさしく栄誉と言えます。そして,エホバ神,イエス・キリストの父なる方のために非難を浴びるのはさらに一層の誉れです。父はみ子よりも大いなる方だからです。(ヨハネ 14:28)キリストの名のゆえに非難を浴びるわたしたちの上に「神の霊」がとどまるのですから,キリストの父であり神であるエホバの名を負うがゆえの非難を忍ぶなら,「神の霊」はいやまさってわたしたちの上にとどまることになります。非難を加える者たちが来たらんとする「大患難」で滅びるその時まで神への忠誠を守り通すなら,神の「栄光の霊」がわたしたちから離れることは決してありません。―啓示 7:14-17。ペテロ第一 4:14。
「霊と花嫁」
22 「龍」,「野獣」,「偽預言者」から出るかえるのような宣伝によって,わたしたちが世界の支配者たちと共に導かれないのはなぜですか。わたしたちはどんな霊から守られていますか。
22 わたしたちは,悪魔である「龍」と政治上の「野獣」,英米「偽預言者」から一層の非難を浴びせられることになるでしょう。なぜなら,わたしたちはハルマゲドンの戦場に向かって政治支配者たちや彼らの軍隊と共に行進しないからです。彼らがかえるのような宣伝を行ない,エホバの証人に敵意を示しても,それによってわたしたちが他のだれかを,あるいは何物かを神として崇拝するようになるとか,または神の宇宙主権を否認するとか,神のメシア王国の貴重なものを第一に求めることをやめるなどということは決してありません。わたしたちには「栄光の霊,すなわち神の霊」があり,あらゆる国民をハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」へと導き出している悪霊的な『霊感の表現』すべてに打ち勝つのです。(啓示 16:13-16; 19:19-21)わたしたちとしては,神の聖なる言葉,聖書から出る「霊感の表現」に耳を傾け,それに注意を払います。わたしたちはそれらの霊感の表現に従って人生を歩みます。したがって,わたしたちの生活の中で活動するのは,預言者たちに聖書を書かせたエホバの霊です。その霊はわたしたちが「世の霊」に感染しないように保護してくれます。―コリント第一 2:12。
23 わたしたちはだれの声を,あらゆる場所で,礼儀正しく伝えていますか。残りの者はだれのためにその処女性を清く保ちますか。
23 わたしたちは「霊と花嫁」の呼び声を,礼儀正しい態度で全地に響かせてゆきます。わたしたちはこの「花嫁」がだれであるかを知っています。この「花嫁」は,天の花婿なるイエス・キリストに対して婚約関係にある弟子たちの会衆のことです。そういうわけで,「花嫁」級の残りの者は,大いなるバビロンが現在地の支配者たちと行なっている宗教上の姦淫に一切関与しません。政治に干渉して世の友となる代わりに,「花嫁」級の人々は,天におられる彼らの花婿イエス・キリストのために処女性を清く保ちます。彼らはイエスのことを,天の神の右に座して統治している王として,あらゆるところで宣べ伝えます。―啓示 17:5,18; 21:2-14,21-24。ヤコブ 4:4。
24 啓示 22章17節に述べられている「霊」は何ですか。
24 啓示 22章17節には,「霊と花嫁は『来なさい!』と言いつづける。そしてだれでも聞く者は『来なさい』と言いなさい。そしてだれでも渇いている者は来なさい。だれでも望む者は命の水を価なくして受けなさい」と述べられていますが,これはまさにわたしたちの時代に関係した事柄なのです。ここで「霊」と言われているのは,聖書預言の中の霊感による表現を通して語る神の活動力のことです。この霊は「花嫁」級の残りの者の中で活動しています。
25 「霊と花嫁」が差し伸べた招きにだれが応じ,行動しましたか。そして渇きをいやす「水」を求めてだれのところへ来ましたか。
25 「霊と花嫁」が差し伸べる招待に耳を傾け,それに応ずる人が今日地上にいるのでしょうか。いるのです。西暦1935年以後とくにそう言えます。この年に,啓示 7章9-17節の「大群衆」の身分が「花嫁」級の残りの者に明らかにされました。神の招きにこたえて,「命の水」に渇く幾千幾万もの人々が,干ばつに見舞われた大いなるバビロンから出て来ました。その人々は,死にかけている人類のために命を支える真の水を入れておくことのできない,この世の壊れた『水溜め』から離れ去りました。そして天の花婿イエス・キリストを通して,「活る水の源」,「いのちの泉」であられるエホバ神のもとに来ました。―エレミヤ 2:13。詩 36:9。
26 「大群衆」の成員になった人々は,「花嫁」級の残りの者に加わって何を行ないましたか。どんな結果が得られましたか。
26 「命の水」を飲んで霊的に元気になった「大群衆」の成員は,油そそがれた「花嫁」級の残りの者に加わり,さらに他の人々に招待を差し伸べました。こうしてその水を飲む「大群衆」の数は増大します。エホバはご自分の霊を「大群衆」の成員の上に置き,彼らもまた,エホバおよびそのキリストの名のゆえに非難を浴びせられることを恥とはしていません。こうして,残りの者と「大群衆」との一致団結によって,良いたよりはより広範囲に伝え続けられ,従順な男女が神のメシア王国の支配下に入るこの地上のパラダイスで永遠の命を得るための神のご準備を,人々に知らせます。これは,今なお「龍」と「野獣」と「偽預言者」とによって支配されているこの邪悪な事物の体制の上に終わりが来る時まで,引き続き全世界に宣べ伝えられてゆくのです。
27 (イ)現在まで世界的な王国伝道が行なわれてきたことについては,どのようにしか説明のしようがないですか。(ロ)永遠の命を目ざして,わたしたちはこれから何のためにまきますか。
27 現在に至るまで,この世界的な王国伝道の業はまさに奇跡のような進展を見せてきました。このことはどう説明できるでしょうか。聖霊がこれまで活動して来,そして今現に活動していると言うほかはありません。神がご自分の預言した事のために,すなわち王国の良いたよりを,あらゆる国民に対する証しのために,彼らの終わりが来る前に人の住む全地で宣べ伝えさせるために,聖霊を活動させてこられたのです。人間や悪霊のなすいかなる事も神の霊を阻止することはできません。「人は自分のまいているもの,それをまた刈り取る」という神の不変の法則を考えて,わたしたちは腐敗した肉のためにこれ以上まくことをやめ,その代わりに,神の聖霊のためにまくようにしましょう。これからそのためにまくなら,わたしたちはしかるべき時にその神の聖霊から,神の新秩序における永遠の命を刈り取るでしょう。(ガラテア 6:7,8)義と平和を愛する人々が皆苦境にあるこの時代に,エホバの霊が強力に働いていることに対し,わたしたちはすべての感謝を,イエス・キリストを通してエホバ神にささげます。
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カリスマ的運動は真のキリスト教の標準に達していないものみの塔 1977 | 2月1日
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カリスマ的運動は真のキリスト教の標準に達していない
最近,かなり多数の教会員が,時々「新ペンテコスト派の」運動と呼ばれる「カリスマ的」運動に関心を寄せています。それが特によく目立つのはカトリック教会の中です。ある報告は,同運動の支持者を5万人から40万人あたりと見ています。バプテスト教会の中でも,この運動で動揺が見られました。
カリスマ保持者(『神の恩ちょうによる賜物』という意味を持つギリシャ語から来ている)たちは,神の力による治ゆ,異言を語ること(聞いている者には分からない),霊や預言を解すること,などを含む「霊の賜物」の重要性を強調します。カトリック教会の頭痛の種となっているのは,一部のカリスマ保持者たちが「修練」と呼んでいるもののようです。その修練なるものにおいては,信者たちは一人の「牧者」の指示によって10人ほどの集団に分けられ,その牧者から教えと導きを受けます。弟子たちは彼らの牧者に従わねばなりません。この牧者が時々弟子たち自身の牧師でないことが,とりわけ教会の悩みの種です。他の教派の牧師を含め,僧職者たちは,それによって教会内部に分裂が生ずることを恐れています。しかし一部のカリスマ的運動の指導者は,修練を行なうことに反対しています。大抵の場合に,自分の教派にとどまるようメンバーに教えてきた,と彼らは言います。
多くの人が憂慮している別の点は,カリスマ的「治療者」たちが,彼らの治療の効果が見られないときに,効きめがないのは病人の側に信仰がないからだ,と主張することです。そのために病人は罪を気にするようになり,したがってその病人の治療に当たっている医師の仕事は複雑になります。
言うまでもなく,イエスと使徒たちが病人をいやしたとき,彼らのいやしは,いやされた人の信仰の度合に依存してはいませんでした。イエスについては次のように記録されています。「さまざまな疾患で病む者たちのいる人びとがみな,そうした病人たちを彼のもとに連れて来た。イエスはそのひとりひとりの上に手を置いて,彼らを治されるのであった」― ルカ 4:40。ルカ 6:19; 9:6,11と比較してください。
カリスマ的運動は,教会員が必要としている霊のかてを教会が与えなかった結果であることは疑いありません。しかしそれは,多くの人,ことに若い人々の興味を引いたにもかかわらず,聖書が示す真のキリスト教の標準に達していません。人間の指導者に従って忠誠を二分するようなことをせずにキリストに従うよう,聖書はクリスチャンに強く助言しています。ですから聖書は次のようにも命令しています。「わたしの民よ,彼女[多くの宗派を擁する偽りの宗教の世界帝国]の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄をともに受けることを望まないなら,彼女から出なさい」― 啓示 18:4。
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