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聖霊の超人間的な源聖霊 ― 来たるべき新秩序の背後にある力
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持ち,その明言された目的を遂行するための完全な記憶を備えておられます。その目的は今や6,000年にわたって言明され,また宣明されてきました。これはわたしたちにとってまことに喜ばしいことではありませんか。
13 動的エネルギーに加えて,神はさらにどんなものの源ですか。なぜ?
13 現代の科学者たちは神が今日働くあらゆるエネルギーの源であることを否定するとしても,わたしたちはそれと同じ見方を取りません。わたしたちは,神がある別のもの,科学者たちがそれについて何も知らず,そのゆえに否定するあるものの源でもあることを知っています。それは何ですか。それは「霊」です。そして,神が霊の源であるというのはいかにももっともなことではありませんか。イエス・キリストが19世紀前に指摘したとおり,「神は霊であられる」のです。―ヨハネ 4:24。
14 「聖霊」とは何ですか。それを与えるのはだれですか。
14 神から,見えない活動力が出ます。神はそれをもってご自分の意志を遂行します。それは,人がその強力な個性によって他の人に及ぼすただの感化力のようなものではありません。それは活動する力であり,聖なる神,すなわち絶対的な意味で清くかつ義にかなった神から発せられるものです。神は聖なる物事の遂行のためにそれを送り出します。ゆえに,それを「聖霊」と呼ぶのは当を得ています。記された神の言葉の中でそのように呼ばれています。イエス・キリスト自ら,神が聖なる霊の源であることを認めていました。その証拠として,イエスは父親である人々に対してこう語りました。「あなたがたが,邪悪な者でありながら,自分の子どもに良い贈り物を与えることを知っているのであれば,まして天の父は,ご自分に求めている者に聖霊を与えてくださるのです」― ルカ 11:13。
15 わたしたちはダビデ王と同じようにどんな霊が自分に働くことを願いますか。
15 キリストの先祖で王統に属したある人も,神が聖なる霊の源であることを認めていました。その事は,その人が自分の悪行を神の前に言い表わしてゆるしを請い求めた際にはっきり示されました。こう語りました。「あなたのみ顔の前からわたしを捨て去らないでください。そしてあなたの聖霊を,ああ,わたしから取り去らないでください」。(詩 51:11)このダビデ王にとって,聖霊が与えられなくなるというのは,その源である方との関係を断たれるという意味でした。その事の結果は極めて深刻かつ惨めなものとなります。今日のわたしたちも,神が存在し,聖霊の源であられるとの信仰を抱き,かつそれを求めるなら,神はそれを得られるようにしてくださるのです。わたしたちは,その力が自分に作用することを願うではありませんか。わたしたちがそうした願いを抱くなら,神はわたしたちを通して多くの善を成し遂げ,はなはだ聖ならざるこの世にあってわたしたちを聖なる者として保ってくださるのです。
一つの力であり,人格的なものではない
16 「霊」と訳されるヘブライ語が極めて表現力に富むものであることはどのように示されていますか。
16 記された神の言葉なる聖書の中で,神から出るこの見えない活動力を表わすために選ばれた用語は非常に適切であり,それがどのようなものであるかをよく表現しています。聖書の巻頭の書の中で,それはルーアハと呼ばれています。その聖書の最初の書の最古のギリシャ語訳は,それをプニューマと呼びました。ヘブライ語ルーアハには行為また運動の概念が含まれているので,英語の翻訳者たちは,それを,「突風,呼吸,微風,大あらし,風,活動力」,また「霊」などの意味に訳出しました。このヘブライ語がどのような背景で用いられているかを見ることによって,それを「霊」と訳すべきか,あるいは他の語が当てられるべきかが判断されます。
17 「アメリカ訳」は創世記 1章2節で「神の霊」という言葉の代わりにどのような語を用い,ルーアハについてどんなことを示していますか。
17 例を挙げると,ルーアハという言葉は聖書の第二番目の節の中に最初に出て来ます。それは別の言語にどのように訳出されるべきでしょうか。英語世界で広く用いられている欽定訳聖書の中で,創世記 1章1,2節はこうなっています。「初めに神は天と地を創造された。地は形がなく,空漠としていた。神の霊が水の表を動いていた」。一方,1939年シカゴ大学版権取得の「アメリカ訳」ではこうなっています。「神が天と地を創造し始めた時,地は荒涼たる所で,闇が深みを覆い,あらしのような風が水の表に吹き荒れていた」。この所では,「霊」という言葉の代わりに「風」という語が用いられ,「神の霊」という言葉は「あらしのような風」と訳出されています。こうして,上記のアメリカ訳は,ルーアハという言葉に,見えないながら運動もしくは作用するものという意味のあることを示しています。
18 「新世界訳聖書」は,人格的存在としての「霊」が水の上を動いていたのではないことをどのように示していますか。
18 ルーアハとは活動する見えない力であるという点に注目して,「新世界訳聖書」は創世記 1章1,2節を次のように訳出しています。「初めに神は天と地を創造された。さて,地は形がなく,荒漠としていて,闇が水の深みの表面にあった。そして,神の活動力が水の表面をくまなく動いていた」。こうしてこの翻訳は,先の「アメリカ訳」と同じように,人格的存在としての「霊」が地球全体を覆った水の上を見えない形で動いていたのではないことをはっきり示しています。まだ光を受けていないその水の表面をくまなく動いていたのは,神の非人格的な活動力であったのです。
19 神の霊すなわち神の活動力が水の上をいたずらに動いていたのかどうかについて何と言えますか。
19 この神からの見えない活動力が一体どのような形で表明されていたのかについて,わたしたちには分かりません。その初めの記録の中に詳述されていないのです。しかし,神の活動力がただいたずらに,何ら実際的効果もなく動いていたのでないことは確かです。それは,当時地球が包まれ,太陽からの光が地表全面を覆った水の深みの表に達することを阻んでいた宇宙塵の雲を除き去るために働いていたかもしれません。a
20 神はどのようにご自身の目的を進めて,わたしたちの地的な先祖が「昼」の光によって物を見ることができるようにされましたか。
20 いずれにしても,どれ程の期間かは述べられていないながら,神の活動力がこうして水の深みの表を右に左に動いたその後に,神からの次の命令が出されました。「それから神は,『光が生じるように』と言われた。すると,光が生じた。その後,神は光を良しとご覧になった。そして神は,光と闇との間を分けられた。そして神は光を昼と呼ぶことにし,闇のほうは夜と呼ばれた。それから,晩になり,朝になった。最初の日である」。(創世 1:3-5)こうして,神の神聖さにふさわしく,その活動力すなわち霊は,良い方向へ,良い目的にそって作用したのです。それは『聖なる霊』となりました。それによって神はご自身の目的を進め,わたしたちの最初の先祖が「昼」の光によって物を見るようにされました。
21 神がご自分の聖霊を働かせてこられたその仕方を見るとき,どうしてわたしたちは詩篇 143篇10節の記述者と同じ感情を抱きますか。
21 神の活動力について述べられているその最初の場合から,神はそれを人間の益のために用いてこられました。この点を認識する時,わたしたちはこの聖霊の天の源である方に引き寄せられます。幾千年にもわたるその働きに関する聖書の記録は,神がそれを常に聖なる方法で用いてこられたことを示しています。それは神の義なる目的に資してきました。わたしたちは,全能の神からのこの見えない活動力に逆らうことなど決して願うべきではありません。むしろ,次のように述べた聖書記述者と同様の感情を抱くべきです。「わたしにあなたのご意志を行なうことを教えてください。あなたはわたしの神です。あなたの霊は善いものです。それがわたしを廉潔の地に導き入れてくれますように」― 詩 143:10。
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見えない天の領域で活動する聖霊聖霊 ― 来たるべき新秩序の背後にある力
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第2章
見えない天の領域で活動する聖霊
1 聖霊が見えない天の領域でどのように働いてきたかを知ることはわたしたちにとってなぜ大切ですか。
見える物質的領域,すなわち人間が知る限りの宇宙において神の聖霊がどのように作用しているか,人はこの点に一層の興味を覚えるかもしれません。しかし実際には,見えない天の領域で起きている事柄のほうが人間の物事に大きな影響を与えてきたのです。近い将来,わたしたちの世代のうちに聖霊がどのように活動するかも,見えない領域で起きる事柄と結び付いており,人間にとって非常に重要な問題となっています。ゆえにわたしたちは,現在わたしたちに重要な関係を持つ事柄において聖霊がどのように働くかを理解することを願うべきです。
2 詩篇 104篇29,30節は,人類が見えない天の領域に依存していることをどのように示していますか。
2 現代的な考えを持つ人々は認めようとしないかもしれませんが,人類は実際のところ見えない天の領域に依存しています。
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