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政治の場で活動する宗教目ざめよ! 1975 | 3月8日
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証人たちは,『わたしの王国はこの世のものではない』というイエスのことばをほんとうに信じています。(ヨハネ 18:36)あなたも信じておられますか。
虐げられている人々を助ける業に,あなたは今あずかりたいと思われますか。しかもそれを,神の是認を受けるような仕方で,また実際に価値のある仕方で行ないたいと思われますか。
そう考えておられるかたは,エホバの証人の王国会館に来て,そこにいるクリスチャンたちがほんとうに『この世のものでない』ことを知ってください。
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人生の目的を必死に探求する目ざめよ! 1975 | 3月8日
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人生の目的を必死に探求する
わたしはどこから来たのだろう。どうしてここにいるのだろう。人生の本当の目的はいったい何なのだろう。わたしはこうした事柄を非常に不思議に思いました。そしてどういうわけか,「探しつづけなさい。そうすれば見いだせます」ということばがいつもわたしの思いの中にあって,わたしの探求心を鼓舞していました。
答えを見いだす一つの試みとして,わたしは幻覚剤を使用し始めました。それは心を開き,洞察力を得るためでした。また東洋のいろいろな宗教も夢中で研究しました。そうした研究は,肉体の死後も生き続ける不滅の魂が人間にはある,という確信をわたしに与えました。
この信条を信じていたので,わたしは,人間は以前,別の人間として生きていた,という幾つかの宗教の教えを論理にかなったものと考えていました。この教えによると,人間の魂は,幾度か生まれ変わりを経験してきました。わたしは自分の過去を知りたいと思いました。そして「幻覚作用のある」LSDは,それを調べるのに役立つと信じるようになりました。
この麻薬を使用したあと,わたしは鏡のところへ行って自分の瞳孔を長時間のぞき込みました。薬剤の作用で瞳孔は虹彩とほとんど同じほどの大きさに拡大しました。何分間もじっと見つめているうちにわたしは幻覚を起こし始め,以前の自分の生まれ変わりだと自分が信じたものを見ました。例えば,幾千人もの人々を死に追いやった悪らつな将軍や自己中心的な独裁者の自分を見ました。
ある時のこと,そのような悪らつな人物を鏡の中に見ていた間に,わたしは,「この数々の悪業の報いとしておまえは苦しまねばならないだろう」と言う声を聞きました。それは非常に恐ろしいことでした。その結果,自分は,苦しんでは死に,また生まれ変わっては苦しんで死ぬことを,際限なく続けて行く運命にあるのだ,と考えました。それが避けられたらどんなによいだろう,と思いました。しかし,鏡をのぞき込んでいた時に見また聞いたことを,どうして否定できるでしょうか。わたしの幾人かの知人も,同様の経験から,生まれ変わりつまり転生を信じていました。世に言われるように,「百聞は一見に如かず」です。
わたしは八方ふさがりの状態で,ひどいジレンマに陥りました。それでも,遠くの土地まで出かけたり,魔法使いに幾度も相談したりして,探究を続けました。ついにわたしは,ひどく憂うつになり,自殺を企てました。
そのとき,わたしの見方を変えるある事柄が起きました。絶望は希望に変わりました。なぜでしょうか。わたしの人生の目的探求のてんまつをお話しすれば,お分かりいただけるでしょう。
あるものを探し求めて
わたしは,西部カナダにあるかなり大きな都市,エドモントンで生まれました。両親はめったに教会へ行きませんでした。わたしは幾度か行きましたが,がっかりさせられていました。ほんの若者ではありましたがわたしは人生の目的について考えていました。しかし教会は答えを与えてくれませんでした。
わたしは高校を11年生の時にやめ,小さな磁器修理の店を出しました。当時わずか16歳でしたが,経済的にはかなり成功していました。しかし,一年もたたないうちにそれに満足できなくなり,ほかのところに目を向けるようになりました。
ヒッピーは何か新しいものを持っているように見えました。1960年代には,至るところでヒッピーが生まれていました。そこでわたしも,既存の体制から“ドロップアウト”,つまり脱落して外に出てしまい,何か“意義のある”ことをすることに決めました。しばらくしてわたしは長髪のヒッピーに変身しました。幻覚剤がわたしの生活の大きな部分を占めるようになりました。
LSDやマリファナを使い始めてから二,三か月たって,わたしは,“上流”社会,つまりみんなが幻覚剤の影響のもとにある社会こそ,人間の問題を解決するものであると考えました。わたしにとってヒッピーは,全く穏やかで幸福な,“愛”の子どもたちでした。
幻覚剤は万能薬であると考えたので,わたしは幻覚剤を他の人々に供給するようになりました。またわたしは,精神に作用する幻覚剤だけを扱い,からだに常用癖を持たせる強い麻薬は扱わないことを自分に誓いました。幻覚剤は悟りを聞く助けになる,と考えていたからです。
磁器を修理する商売でもうけたお金で,わたしは大量の麻薬を仕入れました。自分のしていることは法律に違反しており,まかりまちがえば何年も刑務所で過ごさねばならないことを知っていたので,冒険は避けました。おとなしそうに見える少女たちを雇って麻薬を運ばせました。麻薬を直接扱わないのがわたしの方針でした。やがてわたしは一週間に2,000㌦(約60万円)ほどの金をもうけるようになりました。
とはいえ,わたしの目標はお金ではありませんでした。人生の目的について悟りを得ることに本当に関心を持っていました。しかし,麻薬はその助けにはなっていないように思えました。
東洋の宗教を探る
わたしは東洋の宗教を研究し始めました。秘術,占星術,手相術,易経,仏教その他の東洋思想の本を一日中読みふけりました。
これらの勉強によって,死後魂は生き残る,という確信を得たわたしは,自分の過去が見たくて,LSDを通常の量の七倍多く飲みました。自分の以前の姿だと自分が考えた場面を見,わたしのことを極悪の殺し屋だったと言った声を聞いたのは,その時でした。
この恐ろしい経験は,わたしの人生の転機となりました。その時からわたしは自分が不安になりました。なぜ自分がそんなにも悪らつであったのか,分かりませんでした。この疑問を解くために,人生のより深い事柄を教えることのできるヒンズー教の師匠につくことを決意しました。
遠い所へ巡礼の旅
1970年の初め,わたしは頭をそり,飛行機でインドに旅立ちました。最初に行ったところは,仏陀が悟りを開いたところと言われている,ブッダガヤでした。ここでわたしは,東洋思想に傾倒していたジョンという名前のフランス人のヒンズー教徒に会いました。彼がわたしの最初の師匠となりました。
わたしたちは,スリナガル,ベナレス,カトマンズその他多くの場所をいっしょに巡礼しました。ジョンは,ヒンズー教の基礎的な知識をわたしに授けてくれました。わたしは生活様式と外見を変えて,多数のインド人と同じように生活し,東洋の衣服を身にまといました。旅行中には聖人やヨガの行者によく会いました。そしていっしょにマリファナを吸いながら,彼らの話を聞きました。
四か月いっしょに旅をしたのち,ジョンは,わたしがもっと知識の深い師匠についてさらに進歩すべきだ,と考えました。しかしわたしはヒンズー教に満足していなかったので,チベットのダライ・ラマとラマ教の高僧たちが住むダルムサラへ行きました。
ここには僧院があって,西洋人も幾人かチベットの仏教を学んでいました。それでわたしも彼らに加わることにしたのですが,ひどい赤痢にかかってしまいました。それで,良い医療を受けるために計画を変えてヨーロッパに向かいました。
ギリシャに着くとわたしは病院に入れられました。体重は45㌔ほどしかなく,なんともみじめな有様でした。しかしまもなく快復し,そこからオランダに向かいました。
心霊術に深入り
インドを離れたからには,心霊術との縁も切れた,とわたしは考えたのですが,それはまちがいでした。オランダでわたしは超能力を持つインドネシア人に会いました。彼の話によると師匠だということだったので,わたしは彼に師事することにしました。霊は彼を通して,読心術,予知,精神感応,催眠術など,数々の驚くべきわざを行ないました。彼は非常に賢い人のように見えましたから,彼が教えてくれることは何でもそのまま信ずるようになりました。霊が力を持つ証拠を見ることができたので,わたしは霊が本当に存在することを確信していました。
わたしの師匠は,霊界とのつながりがあると言って,わたしにそのような能力を授けることを望みました。しかしわたしは能力を求めていたわけではなく,むしろ人生の目的を知りたいと思っていたので,まずそれを見いださねばなりません,と師匠に言いました。
しかし彼はそれをあまり喜ばず,思いとどまらせようとしました。そして彼はわたしが二,三年前LSDを飲んだ時に鏡の中で見たことを持ち出して,前世でまいたすべての悪を現世で刈り取らねばならないだろう,と言いました。彼はこの考えをわたしの心の奥深くに植え付けたので,わたしはそれを忘れることができなくなりました。わたしは霊につきまとわれ,恐怖に捕われてひどく混乱した状態にありました。
1971年の初めにわたしはこの師匠から離れ,再び頭をそって,アムステルダムにあるヘア・クリシュナ寺院に入りました。毎日わたしはバガバッド・ギーターを研究し,自分の魂が清められ,霊から解放されることを願って日に二,三時間,ヘア・クリシュナのマントラ(呪)を唱えました。しかし霊は前よりも一層うるさくつきまとうようになりました。時には,いっそのこと死んで,もう
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